これは何と言う鳥なんでしょうか。追いかけてカメラに収めようとしましたが・・ |
振り返り思ってみるに今日ひと日わたしは何をやったのだろう
少年の日の思い出は友達と遊びほうけておりしことのみ
うなぎなど採りたることも思い出す朝五時に起き罠上げに行きし
いつよりか川に入るに鑑札を求められたり興ざめをする
鮎うなぎ採らなくなって10年は経っただろうか罠はまだあるが
以下は私の読後感です。
「罠」一瞬たじろぐ、ことばですね。鮎・うなぎをおとりにする罠。罠を仕掛ける。たじろぎましたのは、わが日常生活のうちでいつの間にか「罠」が死語になっていたからです。何度も鳥の写真を撮ろうと川辺を歩くのですが、ことごとく逃げてしまわれます。これなんか罠があれば、簡単そうに思われます。それにしてもたむろする鮎を川の岩間に追い込んで両手を忍び込ませ、うまくつかみ取りするあの感覚を子どもたちに味わわせたいと思いましたが今や不可能ですね。遊びほうけたと言う貴兄の「罠」が胸底に今も秘められているのは幸いなるかな!ですね。
さて、「罠」ということばを見、昨日・今日と読んでいました聖書(エレミヤ書)の言葉が気になりました。それは英語では「 walk after(のこのことついていく)」ということばです。
わたしから遠く離れ、むなしいものに従って行って、むなしいものとなったのか( 2:5)
無益なものに従って行った(2:8)
(二度と)彼らは悪いかたくなな心のままに歩む(ことはない)(3:17)
私たちもまた、仕掛けられた「罠」に従ってそのあとについて行っている者だと思ったからです。ああ、しかしその「罠」も主イエス様がご自身で「罠」にかかられ「罠」の仕掛人(悪魔)の所作を無効になさったのです。
背信の子らよ。帰れ。—主の御告げ。—わたしが、あなたがたの夫になるからだ。
わたしはあなたがたを・・・シオンに連れて行こう。(3:14)
私たちはもはや自分で歩くことは出来ないのではないでしょうか。そんな私たちを主が連れて行ってくださるのです。シオンへと。
よく気をつけ、・・・彼らにならって、わなにかけられないようにしなさい。(申命12:30)
オナガでしょ
返信削除Hさんかな? ありがとうございます。
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