マリヤとマルタは、主に「こころから服従しながら」祈ったのでした。彼女たちは「私たちの兄弟のラザロをどうしてもいやしてください」という願いをもって、イエス様のみもとに使いをおくったのではありませんでした。もちろん彼女たちは、イエス様にはそれがおできになるだろうと期待していました。しかし彼女たちは、次のように言っただけでした。
「主よ。ごらんください。あなたが愛しておられる者が病気です」
と。ここでは「主よ」ということばがたいせつです。このことばによって、彼女たちの主への「服従」が証しされています。
マリヤとマルタは兄弟のラザロをいやすことを、主に命令したりはしませんでした。彼女たちは、どのような代価をはらってでもラザロがいやされてほしいとは望まなかったのです。彼女たちはつぎのように言いました。
「主よ。あなたが愛しておられる者が、いま病気です。私たちはかれをあなたの御手にゆだねます。あなたのお好きなように、みこころのとおりになさってください」と。
これとまったくおなじことを、私たちもまたしなければなりません。私たちが重荷を負い、配慮している愛するひとびとを、イエス様の御手にゆだねなければなりません。イエス様の御手にゆだねられたひとの悩みは、すべて解決されます。私たちが主にすべてをゆだねたとき、ほんとうの安心と平安をいただくことができます。
主は行動してくださいます。私たちは愛するひとびとについていろいろとこころをくばりますが、それ以上に、主ご自身がかれらのために最善をつくして配慮してくださいます。
私たちは主に、私たちの悩みをうちあけます。それから私たちは、すべてを主におゆだねします。これこそ、マリヤとマルタのたいどだったのです。それは信仰と信頼のたいど、「こころから服従した」たいどでした。
(『絶えず祈れ(下)』ゴットホルド・ベック著76頁から抜粋引用。)
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