ユングフラウを仰ぎ見て 2010.10.8 |
恐(おそれ)は思わず身ぶるいしました。どちらにしてもぞっとしてしまいます。恐怖こそ彼女がよく知っているものですし、悲しみと苦しみこそは、彼女が最も恐れる体験なのです。どうしてそんな彼女たちと共に行けましょう。ふたりに振り回されてめちゃめちゃにされてしまってよいものでしょうか。彼女は羊飼いを見上げました。すると、彼を疑ったり彼に従って行くのをやめることなど、どうしてもできないと、急に思えてきました。ほかのだれをも愛せなくても、彼を愛していることは、みじめにふるえる小さな胸の中で、よくわかっていました。彼がどんな無理難題を言っても彼女は拒むことはできないでしょう。
一瞬つらそうに彼を見てから言いました。「帰りたいかですって? 羊飼い様、どこへですか? 私にはこの広い世界にあなたしかいないのです。どんなにたいへんでも、どうか私がお従いできるよう助けてください。あなたをお慕いすると同時に、本当に信頼することもできるよう、どうぞ助けてください。」
羊飼いは、このことばを聞くや顔を上げ、勝ち誇ったように喜びの笑い声を高く上げました。それはこの小さな谷にこだまして、山全体が彼といっしょに笑っているように聞こえました。こだまは岩から岩へとはね返り、どんどん高く上がって行き、頂上へ届いたかと思うと、最後には細いかすかな響きとなって天国へと吸い込まれていくようでした。
こだまがすっかり消えると、彼の声が優しく聞こえてきました。「愛する者よ、おまえのすべては美しく、おまえは何の汚れもない」(雅歌4章7節)。そしてつけ加えて言いました。「恐(おそれ)よ、恐れることはない。ただ信じなさい。決して辱められることはないと約束しよう。悲(かなしみ )と苦(くるしみ)と共に行きなさい。今彼女たちを喜んで受け入れることができなくても、この先、ひとりではどうすることもできない困難に出会った時には、信じて彼女たちの手に任せなさい。そうすれば、私が望む方向へまちがいなく連れて行ってくれるだろう。」
恐(おそれ)はじっと立ちつくして、勝利と喜びに輝く羊飼いの顔を見上げていました。それは、救うことと、解放することに最上の喜びを見出す人の表情でした。ふと彼女の心に、羊飼いの弟子が書いたある賛美歌のことばが浮かび、小声で口づさんでみました。
憂き悩みも 何かは
主を愛するわが身に
ほむべき主よ 愛させたまえ
なれをば なれをば(※)
私の前にもこうして行った人たちがいるのねぇ。そして彼らは、あとになってそのことを歌うことさえできるようになったんだわ。私は弱く臆病だけれ ど、だからといってあの方が私には真実をつくしてくださらないなんてことはないと思うわ。あの方はとても強く、しかもお優しいのだから。それにあの方の最上の喜びは、従う者をすべての恐れから解放して、ついには高き所へ連れて行くことなのだもの。」恐(おそれ)はそう考えました。そして、それならこのふたりの案内人と早く出発しよう、それだけ早く栄光の高き所へ着けるのだと思いました。
彼女はベールのふたりを見つめ、今までになかった勇気にあふれて一歩前に進み出ました。「あなたがたとまいります。どうか道案内をお願いします。」それでもまだ、手を差しのべて握手するまでにはいきませんでした。
羊飼いは再び笑い声を上げてから、高らかに言いました。「私の平安をおまえに残していく。私の喜びがおまえに宿るように。私は必ず山頂の高き所へおまえを連れて行くこと、そして、決しておまえが辱められるようなことはないと固く誓ったことを覚えておきなさい。さあ、私は『そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに・・・・山々の上のかもしかや、若い鹿のように』なろう(雅歌2章17節)。」
そう言ったかと思うと、もう彼は道のわきの大きな岩の上に飛び移っていました。そこから次々に岩を駆け上がり、見る見る高みへ移り行き、あっという間に彼女たちの視界から消えていました。
彼の姿が全く見えなくなった時、恐(おそれ)とふたりのお伴は麓の道を登り始めました。足を引きずるようにして高き所目指して歩き出した恐(おそれ)は、ベールをかぶったふたりの差し出す手など見えないふりをして、できるだけ離れて歩いています。もしだれかが見たら、なんとも奇妙な光景だったにちがいありません。けれども、だれも見ている者はありませんでした。というのは、雌鹿の足を得るための過程は極秘であり、決して傍観者があってはならなかったからです。
(『恐れのない国へ』63〜66頁より引用。※この歌詞は聖歌263番「いのりまつる」の三番目の歌詞であります。作者や曲については下記サイトをご覧になるとよくわかります。http://www.cyberhymnal.org/htm/m/o/morelove.htm 以上5回にわたって同著から一部の作品である「4、高き所」を紹介しましたが、ここには全部で「高き所」を始めとする20の寓話が納められてあり、続編の『香り高き山々の秘密』にはさらに18篇があります。全篇を読み終える時に、恐(おそれ)の名前がいかにして栄恵(さかえ)と変えられるか、一方新しくされた栄恵(さかえ)の祈りを通して故郷屈辱谷に住む一人一人もまたいかにして主の救いにあずかるものと変えられるか、私たちひとりひとりに潜む罪の性質を明らかにしつつ、主の御名に頼ることのすばらしさを高らかにほめあげんとする著者の意図が伝わってきます。まさしくこの本は現代版『天路歴程』と言っていい作品でありましょう。)