2013年11月17日日曜日

高き所へ向かって(3)

秋菊 談笑する 声聞こゆ
次に恐(おそれ)に感じられたのは、鳥たちの歌声でした。チュンチュンさえずったり、元気よく鳴くその声にはさまざまな変化があるのですが、やはり一貫してあるコーラスが聞きとれます。

翼持つわたしたち
空を行くわたしたち
わたしたちの喜び
愛するということ
愛せるということ

「知らなかった・・・・この谷間がこんなに美しい所だったなんて。こんなに歌声があふれているなんて・・・・。」恐(おそれ)は感動していました。

羊飼いは朗らかに笑ってからこう言いました。「愛だけが、すべての造られた物のうちに植えつけられている音楽や美や喜びを本当の意味で理解することができるのだよ。二日前、おまえの心の中に愛の種を植えつけたね。おまえが前には気づかなかったことが聞こえたり見えたりし始めているのは、そのせいだ。

愛がおまえの中で育っていくにつれて、前には思ってもみなかったようなことを理解するようになる。未知のことばがわかるようになり、愛の特別のことばも話せるようになる。しかしその前にまず、愛の基本レッスンを学び、雌鹿の足を持つようにならなければならない。高き所への旅でその両方とも学ぶことになる。さあ、川へやって来た。向こう岸は山々へ続くすそ野だよ。そこではふたりのお伴がおまえを待っている。」

こんなに早く川まで来てしまって、もう山々に近づいているのが、恐(おそれ)には不思議でもあり、感激でもありました。羊飼いの手に支えられ、その力に助けられ、彼女は疲れも弱さも感じずにやって来ました。ここからも、ほかの人と行かせずに彼自身がずっとつき添ってくれればよいのですが。

彼女はそう思うと言ってみました。「これからもあなたが連れて行ってくださるわけにはいかないのですか? あなたがいっしょにいてくだされば私は力強いし、あなたこそが私を高き所へお連れくださる唯一の方ですもの。」

彼はこの上もない思いやりをもって彼女を見ながら、静かに答えました。「恐(おそれ)、私は何でもおまえの望むようにしてあげることができる。高き所までずっとおまえを抱きかかえて行くこともできる。しかしもしそうするなら、おまえは決して雌鹿の足を持つことはできないし、私の友となって共に歩み行くこともできない。たとえ長い困難な旅でも、おまえのために選んでおいた案内役といっしょに登って行くなら、必ず雌鹿の足を持つことができるのだよ。本当だ。

そして私といっしょに山々を駆けめぐることができるようになる。登ったり降りたりを瞬間にしてやってのけるようになる。それに、もし今おまえを抱きかかえて高き所まで連れて行っても、おまえの心の中の愛の種は小さ過ぎて、愛の王国に住むことはできないだろう。王国の外の低い所にしかいられないだろう。しかもそこはまだ敵の手の届く所だ。

彼らの中には、山のそうした低い所までやって来る者もいる。おまえがこれから登って行く時、彼らに出会うだろう。だからこそ私はおまえのために、力強い最高の案内人を厳選したのだよ。でもよく覚えておきなさい。たとえ私の姿が見えない時にも、私はおまえのそばを片時も離れないし、助けを求めて叫べば、私はすぐに来る。目には見えないけれど、常におまえと共にいるのだよ。今出発しようとしているこの旅を通して、おまえは必ず雌鹿の足を持つようになる。これは私の、真実な約束だ。」

(『恐れのない国へ』56〜60頁より引用。聖書には次のような約束がある。「わたしは国々の民の中から彼らを連れ出し、国々から彼らを集め、彼らを彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその国のうちの人の住むすべての所で彼らを養う。わたしは良い牧場で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らのおりとなる。彼らはその良いおりに伏し、イスラエルの山々の肥えた牧場で草をはむ。わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。」エゼキエル34・13〜15

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