2014年4月27日日曜日

「血がつながっていないのに」(下)

その後、また一月ほど経ったが、4月の初めに大阪キャンプの帰りに再びお見舞いするチャンスが与えられた。今度はご自宅にお伺いした。抗がん剤投与のためしばらく自宅に戻られているということだった。

ところが、前回よりも咳き込みは一段と激しく、大変そうであったが、どうしてあげることもできず、私たちはおろおろするばかりであった。そんなご様子の中で主イエス様にあるお交わりをさせていただいた。お祈りするとき、私のあとについて祈って下さいと申し上げたため、ことばを発することだけでも苦しいのに、私の祈りをおうむ返しに繰り返し必死で祈られた。あとで申し訳ないことをしたと自責の念がしてしようがなかった。

それでも何としてもみことばを味わっていただきたいので、手持ちのポケット聖書をあげようとしたが、眼鏡を外され目を近づけて読まれる始末で、あきらめ、用紙をいただいて、下手な字ではあったが、出来るだけ大きな字でお役に立つと思われるみことばを聖書から写して差し上げた。いくつかみことばを書かせていただいたが、そのうちの一つは以下のものにした。

わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」(ヨハネ6・39〜40)

余り長居もできず、一時間弱で引き上げさせていただいたが、別れ際にご夫妻の写真を撮らせていただいたのは二度とない記念となった。その後、二週間して今度は紀伊長島の行き帰りに東海道線を上り降りしたので三度お訪ねするチャンスがあったが、この時は新幹線だったのであきらめた。後日4月16日に再度入院され、その余命はいくばくもないとお医者さんから告げられ当惑している旨奥様から知らされていた。その後、あっと言う間に日が経ち、再入院の10日後、25日の早朝に病院で召されたのであった。

余りにも急な報せを受けて、翌日奥様を慰問したことは昨日話した通りである。奥様は「イエス様! 助けて下さい!」と毎日必死に祈っていたと言われた。 そしていかにご主人が我慢強い方であったかを涙ながらに語り、何も知らない主人は最後まで治療に対する希望を持っていたとおっしゃった。そして私たちに向かって、「血がつながっていないのに(こんなによくしてくださるとは)」と泣かれた。私たちもご主人の闘病の有様と、何ともして上げられなかったもどかしさを告白される奥様と一緒に泣いた。今は頭の中は真っ白だと言われた。何をどうして良いかわからぬまま葬儀を行なわなければならないからだ。

けれども私たちは平安をいただいた。お二人の結婚生活はすでに40年ほど経ち、多事多難のこともあったが、最後に主なる神様は二人を一つにされ、ご主人の霊は今は天の御国に憩うておられると確信できたからである。ご夫妻の間にはお子様はおられなかったので、一人残された奥様が老後これから突き当たられる困難を思うとき、私たちはたじろがざるを得ない。しかし、奥様が「血がつながっていないのに」と言われた一言は私にとって無限の慰めとなった。なぜならそれこそイエス様が私たちに与えようとしておられる永遠のいのちの出発点のみことばであり、信ずる者が神の家族の一員である証のことばにちがいないからである。

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ1・12〜13)

この奥様と私たちは不思議なことに40数年間間欠的に交わりが与えられた。そのほとんどは年末のわずか一本の電話のやりとりにすぎなかった。しかし彼女の心の内側にイエス様は近年徐々に入って下さっていて、昨日の別れ際、もうひとつのことばとして「イエス様を信じていますから」と私たちに伝えられた言辞があった。

昨日26日は実は私たちにとり結婚40何回かに相当する記念日であった。前日家内は「明日は結婚記念日だね」と言っていた。その後、O市から訃報が入った。かくして二人して遠出する日となった。そして最後に苦しみ悲嘆のうちにある彼女からこのような二つの貴重なことばをいただいた。私たちに対する何よりの結婚記念日へのプレゼントであった。夫婦は親子と違いもともと血のつながりのない関係である。しかし、そこにはキリストが教会を愛されいのちをささげられた切っても切れない関係がある。「血のつながりがないのに」「イエス様を信じていますから」夫婦の間で繰り返されるべきことばではないか。

最後に藤本さんが、あの儀八郎さんをロンドンに送る際に言われたことばを、もう一度写させていただく。

「明日ロンドンに発つ小林さんとは、もう六年位もこの集会を共にしました。私共の集会は人数が少ないだけ極く親しくして来ました。その少数の中の一人が、今夜を最後として遠き地にゆく事は、何とも言えぬ寂しさであります。キリストが自分の言を聴いている周囲の人々を見廻して「見よ、これは我が母、わが兄弟なり」と言われたことがありますが、私共も信仰を同じくする友を、何よりも親しく思うものであります。けれども私共の集会は、私共の交わりのための集りではありません。神の栄光が現われることが第一の願いであります。

小林君は今「あけぼのの翼をかりて海のはて」に行こうとしておられます。しかし、其処にて神は同君を守り導き、働かせて下さるのです。東京とロンドン、この世界の二大中心地にあって、心を合わせて世界のために祈ることは、又意義深いことであります。たとい所を異にしていても、常に交わることが出来、たとい地上で再び会う機会がなくとも、必ず又遭う時のある我等は幸いであります。」 

たとい、召されたご主人と奥様は今は生死を異にするとは言え、いずれ天の御国で遭うことが主イエス様の十字架の死と三日後のよみがえりの事実を通して約束されている。

2014年4月26日土曜日

「血がつながっていないのに」(上)

わが駅頭の藤棚
今日は久しぶりで家内と二人で早朝から遠出した。家内が独身時代から知遇をいただいている方のご主人が昨日お亡くなりになったので奥様をお慰めするためだった。

ご主人の急な病の発見をお聞きしたのは2月の下旬だった。早速3月初めに入院された病院を訪ねた。ほぼ30数年ぶりだったが、互いに再会を喜んだ。その時、ご主人は痩せ衰えた肉体を恥じ入り、ただもっと元気な時にお会いしたかったと言われた。病気は肺腺癌ということで、肺に水がたまり、咳き込みが激しく、私たちと応対するのもしんどそうであった。奥様から、状態は末期に近いということはあらかじめお聞きしていた。

病院はO市にあり、その時、私は関西から帰りを急いでいたが、東海道線上り車中から途中下車し、家内は家内で自宅から下り東海道線をO市に向かい、互いに駅で落ち合って実現したお見舞いであった。O市に着く直前まで、私は長い一人旅の道中、お見舞いする上で何かの手がかりになる本はないかと思いながら持ち込んだ本のうち車内で藤本正高氏の著になる一冊の本を繙いていた。その中に『涙を吸う者』という主題のもと「あけぼのの翼をかりて」という、詩篇139篇について書かれた7頁にわたる詩篇講解の文章があった。その文章を読んで驚いた。

その文章の前書きに「小林儀八郎君がロンドンに発つ前夜、我が家の集会にて語りしもの」と添え書きがあり、最後に「明日ロンドンに発つ小林さんとは、もう六年位もこの集会を共にしました。私共の集会は人数が少ないだけ極く親しくして来ました。その少数の中の一人が、今夜を最後として遠き地にゆく事は、何とも言えぬ寂しさであります。キリストが自分の言を聴いている周囲の人々を見廻して「見よ、これは我が母、わが兄弟なり」と言われたことがありますが、私共も信仰を同じくする友を、何よりも親しく思うものであります。けれども私共の集会は、私共の交わりのための集りではありません。神の栄光が現われることが第一の願いであります。

小林君は今「あけぼのの翼をかりて海のはて」に行こうとしておられます。しかし、其処にて神は同君を守り導き、働かせて下さるのです。東京とロンドン、この世界の二大中心地にあって、心を合わせて世界のために祈ることは、又意義深いことであります。たとい所を異にしていても、常に交わることが出来、たとい地上で再び会う機会がなくとも、必ず又遭う時のある我等は幸いであります。」と書いてあったのだ(註1)。

私は二重の意味でびっくりさせられた。それは無名とも言うべき小林儀八郎さんの行跡が藤本正高さんの筆を通して逐一明らかにされているだけでなくその内容たるや、その後の藤本さんと小林さんのお二人の関係を予示しており(註2)、これからお見舞いしようとしている方にとってももっともふさわしいものではないかと思ったからである。その上に、その方のお名前は儀八郎さんと良く似たお名前であった。。

病院に着いて、死は終わりではない、イエス様を信ずる者は永遠のいのちにあずかることができるという、イエス様の福音をご紹介すると同時に、この儀八郎さんについて書かれている藤本氏の文章を読ませていただいた。果たせるかな、彼は心を私に開いて随分楽になったとおっしゃった。あとで、お見舞いを辞して家に帰った私たちに、奥様から電話があり、主人のあんなに喜んだ穏やかな顔は結婚以来初めて見たと寄越して来られた。

(註1 藤本正高著作集第三巻の277頁より引用。出典は藤本さんの機関紙「聖約17号 昭和14年8月」に掲載されたものであるが、今存命の儀八郎さんの遺児の方もお知りでなかった文章であった。「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます」詩篇139・7〜10

註2 ロンドンから戻られ、後に上海、マニラと外地で勤務することの多かった儀八郎さんは昭和20年7月25日フィリピンで戦死なさった。)

2014年4月25日金曜日

腕を縛られたイエス

4/16の聖句看板。次回は5/14午後2時から
先週は受難週だった。A・フィビガーの『受難の七日間』を昨年手にしたが、受難週に読み切れなかった。今年もやはり時を逸してしまい、この分ではまたしても来年への持ち越しかと思ったが、一週遅れでやっと読み終えた。総頁443頁のボリュームは私にとってやはり荷が重かった。しかし読後、今まで以上に四福音書が伝えるイエスの十字架上での死が確かな歴史的事実であることに深い感銘を受けた。変な言い分にはなるが、小保方問題やTPP交渉など余りにもわからないことが多過ぎる今の時代にあって、二千年前のイエス・キリストの裁判、その結果の十字架死・三日後の復活ほどどんな検証にも耐え得る事実はないと思った。このことを多くの方が知らない。以下はその金曜日の朝四時ごろの出来事の意味を描写したものである。

「彼をほどいてやって、帰らせなさい」というのは、ラザロの墓で言われたイエスのすばらしいお言葉でした。「死人は出てきた。」ゆっくりと、骨折って、よろめきながら、開いた墓から彼は「手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま」出てきました。しかし彼は出てきたのですしイエスのみことばの力によって、ほどかれました。同様に、イエスは今でも、「埋葬の布でまかれて」歩きまわる人々をほどいて、自由にすることが、おできになるのです。
  ×   ×   ×
しかしその晩、縛られたのはイエスでした。そしてイエスは、あなたのために縛られたのです。それですから、あなたは永遠に彼に縛りつけられるのです。「自由で、しかも縛られている、」それが神の子の状態です。

だれでも、イエスを救い主として持つ人のように、自由で、拘束されていない者はありません。「ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです」(ヨハネ8・36)。その人は神の怒りを受ける心配がなく、罪を告発されず、罪に定められることがなく、良心の呵責は免れ、人々を恐れることもなく、神の子たちの光栄ある自由の中で自由なのです。

しかも、私たちほど完全に縛られている者はありません。パウロは時々自分を「キリスト・イエスの囚人」と呼んでいます(エペソ3・1)。

殉教者ヨハン・フスが1415年7月6日にコンスタンスで火刑にされた時、処刑者は鉄のくさりを彼のくびに巻きました。するとフスは言いました、「ああ、わが救い主で、あがない主なる主イエスよ、あなたは私のために重い足かせで縛られなさいました。それですから、私は喜んでこのくさりを、あなたのために耐え忍びます。」そういうように、神の子たちすべては、キリストの愛のきずなによる、牢獄のくさりよりも強い足かせで、縛られているのです(コリント第二、5・14)。

キンゴーはこう歌っています、

私はあなたによって解放されました、
私をこころからあなたに縛って下さい、
そうなれば、囚われ人のかしらの私は
自由の感謝の歌をあなたに歌います。

あなたはイエスに縛りつけられていますか、それとも、イエスがあなたから縛られていますか。ああ、数多くの家庭に、イエスは、まさしく今日、縛られて立っておられます。隅っこの棚の上に、腕をこわばらせた石膏像で。しかし心と家庭に平和を説かれる、生けるイエスはおられません。クラグ牧師は、ある結婚式のことを話しています。「それはどこであったの?」と人々がたずねます。すると、だれかが答えます、「聖ヤコブ教会でさ。」そこでかれらのために婚宴がひらかれたからです。しかし大部分の者は答えます、「射的場でさ。」というのは、そこがかれらの本当のお祝いをした場所だからです。そしてだれかが立ちあがって言いました。「さあ、もう教会で聞いたかた苦しいことは一切忘れて、飲んだり食ったりして、楽しもうぜ!」そうしてイエスは縛られて、そとの暗やみに出されました。
   ×   ×   ×
 「腕をひろげ、十字架に釘づけられ給いしイエス」というのは、小さい聖金曜日の歌にある言葉です。「腕を縛られたイエス」は、多くの家庭にある言葉です。そしてそれは、そういう家庭の最大の不幸です。もしもイエスがあなたの家庭の中で縛られているなら、それはあなたの家庭の恥ですし、損害です。イエスはあなたの心の中に住んで、あなたの心や、あなたの愛する人たちに平和を注ぎたいと思っておられます。

それだのに、あなたはイエスをあなたの不信仰で縛っているのです。あなたは聖書を読まない。ひそかにイエスに祈りをしない。腕を縛られたイエス! ああ、イエスをほどいて、行かせておあげなさい! イエスを自由にしておあげなさい。イエスを王になさい。あなたをゴルゴタの血のきずなでイエスに縛りつけてお貰いなさい。「たとい、人があなたを追って、あなたのいのちをねらおうとしても、ご主人さまのいのちは、あなたの神、主によって、いのちの袋にしまわれてお・・・られるでしょう。」(サムエル上25・29)。彼は私を愛のきずなでご自身にしっかと縛りつけられました。いつも私は彼の右手の中にしるされて、立っているのです。
  ×   ×   ×
そしてたとい神の子たちが、多くの種類のくさりを引きずり、そのためしばしばうめき声を立てなければならないとしても、私たちはパウロがアグリッパ王に言ったことを、彼と一緒に言うことができます、「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです」(使徒26・29)。

イエスは自由に園にはいられました、そして縛られてそこから出られました。そういう風に見えます。しかし実際は、その正反対でした。ご自分の愛に縛られ、強制されて、イエスははいられました。しかし、自由で、強くなって—神の平和で自由になり、神の力で強くなって—出てこられました。

(『受難の七日間』A・フィビガー著青山一浪訳1958年刊行134〜138頁より引用。)


2014年4月19日土曜日

「紀伊長島」で考えたこと

「海難ゼロ推進の町」
先週の今ごろは知人の車に乗せていただいて、滋賀県から三重県へ鈴鹿越えをしていたころだ。目的地は「紀伊長島」であった。出発して二時間余りで到着した。三重県に行くのはここ10年の間で二回目だった。前回は一人で列車で名古屋から津に入り、別の知人の方のお父様(初見であった)を訪問しとんぼ帰りした。ところが今回は民宿に一泊し、車で連れて行ってくださった方々をはじめとして総勢20名ほどの方々と行をともにすることができた。振り返って見ると、三重県出身の方は5名ほどで、あとの者はいずれも他県出身の「外人部隊」で、「何で私が紀伊長島なのか」という人ばかりであった。

事前に知っていたのは土曜日の家庭集会が二時からだと言うことで、あとは一切どなたが来られるのか知らされていなかった。鈴鹿越えする車中しばしば私の口をついて出た言葉は「何でわたしが紀伊長島なのか」という思いだった。昨年11月23日にこの地で開かれた紀伊長島のコンサートは事前に集会内の多くの人々の関心の的となっていたが、私にとってはまだまだ遠くのことで、関心の外にあった。ところが、お正月にこの集いの中心におられる方と御代田でお会いしたおり、コンサートでの最後の挨拶を是非聞かれるようにと言われた。あなたの学生時代の恩師のことがそこで語られているからというのであった。

聞いて見て、びっくりした。永岡薫さんという大学の社会思想史の先生が、紀伊長島の町長さんを三期か四期かつとめておられた方と同窓で同じキリスト者としてその使命を全うされたという内容であった。思い返すまでもなく、二年遅れて入学した大学、人文学に不信感しか抱いていず授業に出るのも気の進まなかった私、個人生活にあっては頽廃した生活の中にあった私にとり、この永岡さんの講壇から語られる言葉は異次元の世界から流れて来る感があった。その永岡さんの人格から流れ出て来るものは汚れに満ちていた当時の私にとり一条の光・清さであった。後年、その光とはイエス様そのお方だと知った。

学問の世界で、特にジョン・ロック研究で新生面を開かれたのが永岡さんであるなら、同窓であるこの町長さんは行政の長として、政教分離を実践されたということであった。 もう一人、やはり国会図書館の運営で活躍された方も同窓でこのお三人はいずれも三重出身だということであった。そのことを聞いたとき、それまで私の門外漢ぶりを装っていたたましいにも「紀伊長島行きたし」という思いが初めてふつふつと沸き上がって来たのだ。それが言って見れば、こうして紀伊長島に連れていっていただく理由になった。それにしても「何で私が」の思いは絶えず胸中をよぎった。

アルファ大橋
でも出席して見て分かったのは、土曜日の家庭集会に招かれたお年寄りの方が、顔をほころばせて「このふんいきがなんかみんなのこころをうれしくするような、なんか(そんな)ふんいきにさせてもらいました。ありがとうございます」と言われたことだった。ヴァイオリン演奏を披露される方、ピアノ連弾をなされる方、それぞれの方がこの地に集まったのは主イエス様をただご紹介したいという思いの方々ばかりであったが、その心がこの地の人々に通じていた。

「平和の町」
思えばこの家庭集会の場を提供してくださった家から一人の福音に生きられた方が出た。もう20年前に召された小川泰徳さんという方で、要職にありながら、仕事の合間に病める人をせっせと訪ね、福音を伝えられた方である。この方はこの紀伊長島からそれこそ全国各地にいる主を求める人に福音を伝えられたのだ。「何で私が」と思うのはもうやめよう。一人一人が主イエス様とまだイエス様をご存知でない方との平和の橋渡しとさせていただければそれで十分なのだ。
  
あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。(ルカ16・7、9〜10)

2014年4月2日水曜日

新しい年度の最初の家庭集会

紅カナメ 新芽揃える 陽春
新しい年度になったが、新年度から今までお借りしていた集会場が借りられなくなった。そのため、週ごとに様々な施設をお借りしての集会が次の日曜日から早速始まろうとしている。およそ24年前、教会を出て来た私たちには、もともと集まる場所もなく、たくさんの人間が一斉に路頭に放り出されたも同然であった。ところが奇跡的に私立の幼稚園の体育館が借りられることになった。広場あり、教室あり、駐車場ありという三拍子揃った施設を実に過去24年間自由に使わせていただいた。そして、このような仮住まいの施設にもかかわらず、この集いをとおしてイエス様に出会われた人も何人も加えられ、3月の最後の礼拝の時は、そのことを思うて感慨深かった。

一人の方は次の詩篇を読んで祈られた。

主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。(詩篇126篇1〜3)

掛け値なしに、「主は大いなることをなされた」。24年前に定期的にお借りする施設が借りられるようになったいきさつを覚えている者にとって、それは共通の主に対する感謝の思いであった。ところが、不覚にも私自身は最初忘恩の罪と言えるくらい、自らの悩みに押し流されていて、取り立てて感慨を持たずに礼拝に臨んでしまった。 しかし、上の詩篇の朗読を聴いているうちに私の不感症とも言うべき感情にもやっと霊の火が点された。建物にこだわらず、生ける神殿としての信者一人一人がささげる喜びの礼拝をこれからも経験させていただきたいと強く思わされた。

水仙の 五つ六つの 華やぎか
いよいよ、6日から幾つかの施設をお借りして、週ごとに会場を求めるジプシーのようなスタイルの礼拝が始まる。そのような中でこれまでに倍して家庭集会の重要性が増すのではないかと思う。果たせるかな、新学期でもあり様々な事情が重なったのであろうか、今日の家庭集会はいつもにくらべ大分集われる方々が少なく、ちょっぴり淋しかった。しかし、逆にそれを埋め合わせするかのように今日の証をお願いした方の応援を兼ねてであろう、東京から7、8名の方々が参加された。証者の方は叔母様が救われた恵みと今、病を得ているいとこのことを証してくださった。その後、その証者をふくめた、テーブルを囲んでの交わりに、老年期に入られた男性(最近新たに主にある交わりに加えられて喜んでおられる)が加えられ、今度は一転その方の証(どのようにして自分は主イエス様に出会ったか)を番外でお聞きすることになり、皆で一様に主の御名をあがめることができた。このようにして今日も主の集会である「家庭集会」のみわざを存分に見させていただいた。

そして、このところ皆さんが帰られても、日々淋しくしており悩みと孤独のうちにいるため、中々立ち去れずにいる一人の異国の方と今日もゆっくりお交わりをし、最後は二人で祈ることができた。彼は日本語が達者でなく、母国語でしか祈れない。したがって私には全くわからない。一方、私の祈りの言葉は、少し彼にはわかるようだ。キリスト者の祈りの最後のアーメンだけはどんな言語も共通しているから、その点ではキリスト者は困らない。でも、祈り終わって、最後彼が私に言おうとした言葉はうれしかった。それは神の家族にそれぞれ問題を持つ肉の家族がともに加えられていることを喜んでいるという意味のことを言ったからである。

それこそ今日の家庭集会の当番を授かった私自身が、心の底で受けとめさせていただいた主からのメッセージであり、父なる神様が御子イエス様とともに喜んでくださる集会の姿ではないか、と思った。記念にそのみことばと引用聖句を記しておく。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたし(御子)を遣わした方(父なる神)を受け入れるのです。(ヨハネ13・20)

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。(ヨハネ13・34〜35)

次回の家庭集会は4月16日(水)午後2時からです。