2014年4月26日土曜日

「血がつながっていないのに」(上)

わが駅頭の藤棚
今日は久しぶりで家内と二人で早朝から遠出した。家内が独身時代から知遇をいただいている方のご主人が昨日お亡くなりになったので奥様をお慰めするためだった。

ご主人の急な病の発見をお聞きしたのは2月の下旬だった。早速3月初めに入院された病院を訪ねた。ほぼ30数年ぶりだったが、互いに再会を喜んだ。その時、ご主人は痩せ衰えた肉体を恥じ入り、ただもっと元気な時にお会いしたかったと言われた。病気は肺腺癌ということで、肺に水がたまり、咳き込みが激しく、私たちと応対するのもしんどそうであった。奥様から、状態は末期に近いということはあらかじめお聞きしていた。

病院はO市にあり、その時、私は関西から帰りを急いでいたが、東海道線上り車中から途中下車し、家内は家内で自宅から下り東海道線をO市に向かい、互いに駅で落ち合って実現したお見舞いであった。O市に着く直前まで、私は長い一人旅の道中、お見舞いする上で何かの手がかりになる本はないかと思いながら持ち込んだ本のうち車内で藤本正高氏の著になる一冊の本を繙いていた。その中に『涙を吸う者』という主題のもと「あけぼのの翼をかりて」という、詩篇139篇について書かれた7頁にわたる詩篇講解の文章があった。その文章を読んで驚いた。

その文章の前書きに「小林儀八郎君がロンドンに発つ前夜、我が家の集会にて語りしもの」と添え書きがあり、最後に「明日ロンドンに発つ小林さんとは、もう六年位もこの集会を共にしました。私共の集会は人数が少ないだけ極く親しくして来ました。その少数の中の一人が、今夜を最後として遠き地にゆく事は、何とも言えぬ寂しさであります。キリストが自分の言を聴いている周囲の人々を見廻して「見よ、これは我が母、わが兄弟なり」と言われたことがありますが、私共も信仰を同じくする友を、何よりも親しく思うものであります。けれども私共の集会は、私共の交わりのための集りではありません。神の栄光が現われることが第一の願いであります。

小林君は今「あけぼのの翼をかりて海のはて」に行こうとしておられます。しかし、其処にて神は同君を守り導き、働かせて下さるのです。東京とロンドン、この世界の二大中心地にあって、心を合わせて世界のために祈ることは、又意義深いことであります。たとい所を異にしていても、常に交わることが出来、たとい地上で再び会う機会がなくとも、必ず又遭う時のある我等は幸いであります。」と書いてあったのだ(註1)。

私は二重の意味でびっくりさせられた。それは無名とも言うべき小林儀八郎さんの行跡が藤本正高さんの筆を通して逐一明らかにされているだけでなくその内容たるや、その後の藤本さんと小林さんのお二人の関係を予示しており(註2)、これからお見舞いしようとしている方にとってももっともふさわしいものではないかと思ったからである。その上に、その方のお名前は儀八郎さんと良く似たお名前であった。。

病院に着いて、死は終わりではない、イエス様を信ずる者は永遠のいのちにあずかることができるという、イエス様の福音をご紹介すると同時に、この儀八郎さんについて書かれている藤本氏の文章を読ませていただいた。果たせるかな、彼は心を私に開いて随分楽になったとおっしゃった。あとで、お見舞いを辞して家に帰った私たちに、奥様から電話があり、主人のあんなに喜んだ穏やかな顔は結婚以来初めて見たと寄越して来られた。

(註1 藤本正高著作集第三巻の277頁より引用。出典は藤本さんの機関紙「聖約17号 昭和14年8月」に掲載されたものであるが、今存命の儀八郎さんの遺児の方もお知りでなかった文章であった。「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます」詩篇139・7〜10

註2 ロンドンから戻られ、後に上海、マニラと外地で勤務することの多かった儀八郎さんは昭和20年7月25日フィリピンで戦死なさった。)

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