「海難ゼロ推進の町」 |
事前に知っていたのは土曜日の家庭集会が二時からだと言うことで、あとは一切どなたが来られるのか知らされていなかった。鈴鹿越えする車中しばしば私の口をついて出た言葉は「何でわたしが紀伊長島なのか」という思いだった。昨年11月23日にこの地で開かれた紀伊長島のコンサートは事前に集会内の多くの人々の関心の的となっていたが、私にとってはまだまだ遠くのことで、関心の外にあった。ところが、お正月にこの集いの中心におられる方と御代田でお会いしたおり、コンサートでの最後の挨拶を是非聞かれるようにと言われた。あなたの学生時代の恩師のことがそこで語られているからというのであった。
聞いて見て、びっくりした。永岡薫さんという大学の社会思想史の先生が、紀伊長島の町長さんを三期か四期かつとめておられた方と同窓で同じキリスト者としてその使命を全うされたという内容であった。思い返すまでもなく、二年遅れて入学した大学、人文学に不信感しか抱いていず授業に出るのも気の進まなかった私、個人生活にあっては頽廃した生活の中にあった私にとり、この永岡さんの講壇から語られる言葉は異次元の世界から流れて来る感があった。その永岡さんの人格から流れ出て来るものは汚れに満ちていた当時の私にとり一条の光・清さであった。後年、その光とはイエス様そのお方だと知った。
学問の世界で、特にジョン・ロック研究で新生面を開かれたのが永岡さんであるなら、同窓であるこの町長さんは行政の長として、政教分離を実践されたということであった。 もう一人、やはり国会図書館の運営で活躍された方も同窓でこのお三人はいずれも三重出身だということであった。そのことを聞いたとき、それまで私の門外漢ぶりを装っていたたましいにも「紀伊長島行きたし」という思いが初めてふつふつと沸き上がって来たのだ。それが言って見れば、こうして紀伊長島に連れていっていただく理由になった。それにしても「何で私が」の思いは絶えず胸中をよぎった。
アルファ大橋 |
「平和の町」 |
あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。(ルカ16・7、9〜10)
0 件のコメント:
コメントを投稿