2018年2月9日金曜日
天恵ここに実りたる
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。(マタイ6:26)
久しぶりに、友を訪ねた。数ヶ月ぶりである。途中、川辺に十数羽のかわいいカモの子が土手にたむろしているのを見かけた。慌てて自転車を降りて、iPhoneを構える。カモの子は一斉に川へと移動する。もれなく飛び立ち、川面に思い思いの姿で、もはや人を恐れる必要もなく、それぞれがスイスイと川の中を泳ぐ。彼らの天下だ。
友人のうちはまだ先だが、今日は暖かく、ゆっくり自転車を走らせる。途中、闘病中の別の知人の側を通り彼のことを思い出す。人間、薄情なもので遠ざかるといつしか忘れる。その方のことを思い出すことができただけでも幸いだ。帰りに寄ろうと思った。
さて、友は元気だった。でもお互いに喋らない。その辺は心得たものである。その内に友人はベッドにあるボロボロになりかけている紙切れを振りかざして何やら話した。手繰り寄せてみると、それは彼の故郷の同窓生の住所録のようなものだった。何十年前であろうか、彼がいた小平市で塾を始めたようで、塾の広告を出している。私の知らない彼の過去があった。と、そこに町歌が掲載してあるのに気づいた。
ひなを抱え うみねこの
愛のさけびに 朝明けて
埠頭に鉱山に 生気満つ
心も踊る この歩み
我らは誇る 我が田老
海には海の なりわいを
天恵ここに 実りたる
新興の旗 うち振りて
我らは讃えん 我が田老
手をとり共に 幾度か
津波の中に 起ち上り
いま楽園を 築きたる
世紀の偉業 仰ぎ見よ
我らは愛す 我が田老
実はこの歌は三番もあるのだが、それは省かせていただいたが、早速、彼に歌ってもらった。望郷の念止みがたい中で、今は心身の自由を奪われてしまった友人だが、最後に冒頭の聖句を読んで共にお祈りして辞去することにした。けれども、彼は必ず祈りの後アーメンと言う。感謝これにまさるものはない。
昨日のスポルジョンの文章のわかりにくい部分の「人を他よりすぐれたものとしない恵みは、価値なきにせ物である。」はひょっとしてこの間の事情をも言っているのではなかろうか。ちなみに原文を以下に掲げておく。
The grace which does not make a man better than others is a worthless counterfeit.
帰りに最初申し上げた別の知人の家を訪ねたが生憎お留守であった。
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