2018年11月24日土曜日

主が教えてくださったこと(下)

年少の友人小川洋子さんの絵
すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。(マタイ9・2)

 私は自らの内にある愛が条件付きの愛であったことをみことばを通して示されて、初めてその方に謝らねばならないと思わされ、示されてから一日は経っていたが、早速実行に及んだというわけであった。相手の方は、私のうちに起こった悔い改めの情はご存じなかったと思うが、私の思いをありがたく受け取ってくださった。これで一件落着した思いであった。ところが、主は続いて素晴らしい恵みを私にくださった。

 それはその方のダイニングで行なわれた葬儀に立ち会うことになった経緯である。もともとダイニングではカナダからの遠来のお客さんをお迎えして食事が提供されていた。ちょうどお昼時でもあり、私もその謝りが縁で、その場に急遽招かれ、お相伴にあずかったのだ。おいしいお料理に舌鼓を打ちつつ、その遠来のお客さんともお互いに旧交を温めるひと時となった。私は遠来の方は遠くからお見受けしていてその御存在は知っていたが、その方も意外や私のことを知っておられ、私に話を合わせてくださり、楽しい歓談の時を持たせていただいた。

 その時、どなたかが一枚の額入りの男性のにこやかな写真をダイニングに持ち込まれた。その後、たくさんの方が室内に入ってこられ、食事の終わった私たちは他の方と交代すべく引き下がった。その内に新たに入ってこられた方々がいずれも喪服の姿であったので、これからどこかで葬儀があり、その待合のために入ってこられたものとばかり思っていた。

 ところが、そのうちに、一人の方から、「葬儀の終わりのお祈りをしてください」と依頼を受けた。私はどなたの葬儀かも知らないし、第一、平服でいたので、それを理由にお断りしたが、その方は「いや、そのままでいいから、お願いします」と言われ、葬儀がこのダイニングで行なわれることをいつの間にか納得していた。

 葬儀の直前に喪主らしき御婦人と、葬儀の段取りや集われた親族友人の紹介が同じテーブル内でなされ、私も遠巻きではあるが自然とその輪の中に入って行った。その内に少しずつどなたの葬儀か知るように導かれて行った。そして不図、その御婦人の横顔を拝見して、びっくりした。何年か前、私どもの家庭集会にお見えになったこともあり、その後もお会いするごとに親しく声をかけられる方であったからである。

 決して健康とは言えず、心の病をかかえて苦しんでおられる御婦人を思い出し、その方のご主人が召されたことを即座に了解させられた。そして、その葬儀がこれからこのダイニングで行なわれることを完全に納得させられたのである。私は思わず、この場面はあの中風の人がイエス様の面前に引き出すために、愛する人々が屋根を剥がし、つり降ろした場面を思い出した。その場面でイエス様は何よりも「あなたの罪は赦されました」という宣言をなさった。

 そしてその葬儀は集われた方々の讃美と聖書からのメッセージ、またヴァイオリンの讃美も加えてなごやかに行なわれた。私はそのような主の恵みの場に立ち会えたのであった。もちろん、その御婦人は突然ご主人を亡くされたのだからその悲しみは大きく尽きないと思うが、ご主人が主を信じられたことを証してくださった。皆さんの祈りに支えられ、愛に支えられたこの葬儀こそ、すべての形式にとらわれない「愛」の賜物であることを、この日、主は確と私に刻印されたのであった。

0 件のコメント:

コメントを投稿