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私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。(2テモテ4・7)
三人のイタリア登山家たちがアルプス山脈を登りましたが、その冒険的な登山の途中ですべってしまいました。そして五時間も断崖絶壁にロープにささえられて下がっていました。そのロープがぷっつりと切れたが最後、死の谷深く落ちて行くことを知っていた彼らは、その五時間に、いったい何を考えたでしょう。
しかし、わたしたちはこの人たちと少しも変わらず、毎日を死と直面しながら生きているのです。考えてみればわたしたちのうち、だれも次の二十四時間を生きているかどうか知りません。このような考えにふと気がついたならば、わたしたちはどうするでしょうか。パウロは彼のキリスト者としての生活を通して、イエス・キリストの中に隠されているかぎり、少しも恐れることはないと信じていました。静かに過去をふりかえり、また、将来を見つめながら、「私は勇敢に戦い、信仰を守り通しました」と言っています。
パウロはよく戦いました。彼は自分という者と戦いに戦いました。幾度も幾度も自分の中にある古いアダムを十字架にはりつけました。そして、彼は自分の信じてやまない主イエス・キリストから与えられた力によって、勝利を与えられたのです。
パウロは、不信と、どん欲と、利己主義の世界と激しく戦いました。ダマスコへの道で回心した時以来、パウロはキリストのためにこの罪と不信との戦いを戦いとおしました。そして、神の恵みによって彼はどの戦いにも勝利を与えられました。
ことに、パウロは信仰を守りとおしたと、はっきり言いはなっています。ただ一つの信仰を信じたというだけではなく、信仰を守りとおしたと強調しています。神のみことばにもとづく、確固とした信仰をさして言っています。わたしたちの主、イエス・キリストについての事実の記録と、真理のもとを信じたのです。すなわち、イエスがこの世におくだりになったこと、律法を全うされ、十字架上におなくなりになり、死からよみがえられた主イエスを信じました。ある人々は、熱心に信じるのであれば何を信じてもかまわないといいます。しかし、パウロはけっしてそうは言っていません。神と神のことばから、パウロは次のようにガラテヤ人への手紙で言っています。「私たちであろうと、天の御使であろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです」。人はイエスの福音を信じることによってのみ救われます。神の聖なるみことばのうちに神によって示された真理を堅く守らなければなりません。ローマの土の獄の中にすわっていても、神の恵みによって、「私は信仰を守り通しました」とパウロは言い、彼に示された真理に忠実であったと言うことができたのです。
「私は走るべき道のりを走り終え」と言ったパウロは、彼の人生を神の栄光を表わすために用いました。彼の一生は忙しい一生でした。使徒行伝を読んだ人はだれでも、この使徒が成就した仕事を知って驚くでしょう。人間の目から見ると、パウロの一生はきびしい一生でした。コリント人にあてた手紙の中でパウロは「ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました」と語っています。それにもかかわらず、パウロの内的平安と満足から見るならば、パウロの一生はまことの満足にみちていました。心の底からしあわせであったこの人には、不満はありませんでした。彼は神の栄光のために生き抜いたのです。そして、その仕事を全うしました。彼はキリストについてのべ伝え、たゆむことなく、イエスの救いの福音を説きつづけました。
(『いこいのみぎわ』A・ドーフラー著松尾紀子訳138〜141頁より引用)
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