2023年8月28日月曜日

画竜点睛を欠く?

日差し背に 我が妹ともに 歩みたり
 いつまで、この暑さは続くのだろう。昨日は三月に一回行く、伊勢崎へと出かけた。暑さボケなのだろうか、絶対忘れることのない、「携帯」を忘れてしまった。その上、「聖書」も忘れてしまった。家を出る時は、二時間弱の電車内で、新約聖書のヘブル人への手紙をはじめからおわりまで通して読もうと、意気込んでいたのに・・・。その二つを欠くとは、私にとって「画竜点睛を欠く」思いであった。

 それはそうと、伊勢崎は今や日本の中でも高温を記録する有名地になっている。伊勢崎駅前の様子は時々、TVが放映する。駅に着いたが、いつも迎えに来てくださる車が見当たらない。「携帯」がないのでこれは大変だと思わされた。ジタバタしても今更どうなるものではない。その駅頭で五分ばかり待った。ところが、駅頭には冷水のシャワーが何箇所もあり、煙のようにして涼を与えてくれた。なかなか粋な計らいである。

 程なく車で迎えに来てくださった方に、その旨を話すと、「(駅頭にそのような仕掛けがあることを)知らなかった。いつも車を利用するので・・・」と言われた。みなさんと合流するなり、「聖書がない」と訴え、早速聖書を貸していただいた。礼拝・福音集会と滞りなく終わった。報告の時、一人の方が、ご両親の納骨とそこにいたった恵みを証してくださった。その後、司会をなさった、伊勢崎の集会に自身のかつての医院を提供してくださっているご主人が、台(メッセンジャーが話す)の上に活けてある花について、「(花を準備してくださった方が)話をしてくださるのでお聞きください」と言われた。

 花は三、四種類あっただろうか、黄色の花や、ピンクの花や色は同じでも花の形も違う、見るだけでもすばらしかったが、それぞれの花について、その方は花の名前、花言葉など話してくださった(※)。残念ながら、私は携帯は持っていず、写真も撮れない、一方、耳が補聴器つけていても十分聞き取れないので、せっかくの話もわからなかった。けれども先の伊勢崎駅の粋な計らいにまさるとも劣らない至福の時であった。総勢十三名の礼拝者であった。小さな集会である。しかし、そこにはお互いに心からなる交わりがある。これこそ主が私たちにくださる恵みだと思わされた。

 それだけでなく、帰る際には、花を活け、説明してくださった方から、ご親族の出版された一冊の歌集『音のたえま』という御本を託された。「読んでください、(返すのは)今度来られた時でいいですから」と言われた。帰りには、集会のご主人ご夫妻に駅まで送っていただいた(朝迎えに来てくださったのはそのご夫妻の長女の方だったが・・・)。

 いよいよ帰りである。二時前になったであろうか。前夜、メッセージの内容や、身辺に起こされているさまざまなことを考えて寝つかれなかった疲労を回復すべく、ここは眠るに限ると思っていた。ところがどうしたことか、『歌集 音のたえま』(初代田藤清風作 非売品)を手にし、結局、春日部までの車中で読み耽った。行きに「聖書」を忘れた私に、帰りには「歌集」が託されたのだ。その方の愛を思い、感謝した。そして、その夜であったか、駅に迎えに来てくださったお嬢さんからもLINEをとおしてであったが、「遠くからメッセージにきてくださって、ありがとうございます」と優しい心をいただいた。

 主は、この暑さの中でも、十分こうして互いに愛する交わり、友を与えてくださっているのだと思わされた。伊勢崎のメッセージの題名は「神の霊感」にさせていただいた。引用させていただいたみことばを書き記しておく。

※その後、その方から教えていただいた。ミニひまわり、藍、昼咲月見草の三種類であった。

聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(新約聖書 2テモテ3章16節)

0 件のコメント:

コメントを投稿