2023年8月18日金曜日

彦根大手門橋から東京大手町へ

夏盛ん 涼求めて 屋形船
 故郷訪問を企画して訪れた、子どもたちの家族と初めて、屋形船(やかたぶね)なるものに乗った。この屋形船は彦根城の内堀をほぼ一周するもので、黒御門の橋が撤去され、土盛りされて道路になっているので、その手前でUターンし、出発点に戻ってくる全長40数分の行程であった。

 彦根城は高校・大学をとおして最低でも七年間、内堀を眺めては通っていたが、それがまさかこの歳になって堀中から石垣を間近に眺めることができるとは思ってもいなかった。江戸城と彦根城しか見られないと言う、「腰巻石垣」「鉢巻石垣」※についてガイドさんから説明があった。高校時代、中村直勝さんからお聞きしたお話をまたも思い出した。(※土塁と石垣を組み合わせた風景のうちに見られる。堀の水で土塁が崩れないように基礎部分を石垣で覆ったものを腰巻石垣、土塁の上にさらに石垣を積んだものを、鉢巻石垣という、鉢巻石垣の上には、土塁上には建てられない櫓なども建てることができた。

上部が鉢巻石垣、下部が腰巻き石垣

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/04/blog-post_16.html

黒御門前のUターンする屋形船に近づいてくる白鳥

 船を降りて、京橋口を出て、キャッスルロードをかすめたに過ぎない限られた時間の中での、彦根城の観光は終わり、午後は遠く甲賀流忍者の里を訪れた。50数年前、その近くで養護施設の保母として独身時代の家内が働いていた場所だった。子どもたち家族に車で連れて行ってもらったが、ちょっとした「ポツンと一軒家」に近づく心境だった。見渡す限り、田園風景豊かで、屏風のように取り巻く鈴鹿山系の山並みを見ながら、しばし昔のことなどを思い出していた。

 甲賀流忍者の里は、子ども連れが多く、元気盛りの年少の孫娘にとってエキサイティングなところであったような気がする。しばしの楽しみも、次の訪問地家内の実家挨拶・表敬訪問が控えていて、切り上げざるを得なかった。そして、その後、我が故郷に帰ったその足で、再び東京に向けての長躯の車の旅となった。折あしく、台風接近のニュースがおびただしく、私たち夫婦もこの際同乗しての家帰りとなった。そして朝の四時過ぎには東京に着いた。

 皇居のお堀のそばを車で帰ってきたが、10歳の孫娘が「東京にもいなかのようなところがあるのね」と言った。普段、東京都内に生活している孫娘にとっては、前日の「河内の風穴」見学をふくめ、この二日間は「田舎経験」であったのだ。その時、ポッと口から自然に出てきたのがこの言葉だった。おそらく脳裏に刻まれている彦根城のお堀と皇居のお堀が二重写しになっているのだろう。今回の旅行中に孫娘に、将来何になりたいのと聞いたら、「建築家」と答えていた。なぜと聞くと「工作が好きだから」と答えた。

 午前中、彦根城の大手門橋を屋形船に乗ってくぐっていたが、二十時間ほどのちには地下鉄の「大手町」駅まで送ってもらい、子どもたち家族とは別れた。二週連続で、長女家族と三男家族がわがふるさとを相次いで訪れてくれたが、やっと最終章を迎えることができた。五時半近くの半蔵門線の始発で春日部にまで無事に帰れた。

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。(新約聖書 ピリピ人への手紙2章13節、14節)

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