2023年8月29日火曜日

初代田藤清風氏の歌集(上)

スイスイと 船に寄り来る 白鳥

  歌とは不思議なものだ。歌は魂に安らぎを与える。昨日述べた通り、霊肉とも疲れおる、帰りの電車内で、一冊の歌集は我が心を占領した。どんな短歌が記されていたか、延べ数百句に及ぶ作歌から適宜に選んでみた。

1915年(大正4年)36歳
暑き日を母はゆきます一すじに悲しかりけりたゞ一すじに
              (母没す)

しみじみと言ひ残しましし言の葉の思い出でられ胸せまりくる
              (同 前)

1918年(大正7年)39歳
生まれきてたちまちゆきぬみ使いのかはりの玉となれやみどり児
              (匡彦2月生れ3月没す)

1923年(大正12年)44歳
だしねけに降るは瓦よ大なみよたつは砂塵よ人の叫びよ
              (震災)

ありやなしや心にかかる雲わけて青山のはに月は出にけり
              (同 前 父の安否を気遣う)

肩をはり巨人いかるにさも似たり入道雲に炎うつりて
              (同 前)

夢かともかつは思へど耳にきき目に見るものはうつつ世にして
              (同 前)

石の柱まれに残りて人のわざ嘲る如し大なみのあと
              (同 前)

1946年(昭和21年)57歳
師は病むと降るさみだれにおとなへば庭のダリヤは咲きてかつ散る
              (三浦直正師 逝去)

とひくれば庭の草木はそれながらむなしきやどり君はいまさず
              (同 前)

なれのたまいづくにあるも尋ねあひわびごといはん我世果てなば
              (とき子死去)

あわれみの神きこしめして登喜のためいのるせつなる父の願ひを
              (同 前)

ああ神よみし給へさきはへませ世を早よふせし登喜子のたまを
              (同 前)

1950年(昭和25年)61歳
深さをば尋ね尋ねて神の道たえず歩みし君はゆきます
              (野口幽香刀自永眠)

かぐわしき香り残りてゆきし君のみ足のあとをいざやたどらん
              (同 前)

君の霊に供えし花の香もたかくきさきの宮もみ名をあふがるる
              (同 前)

(引用者注釈 野口幽香は著者が出席した教会の創設に深く関わった人物である。くわしくは次のサイトを参照せられたし。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E5%B9%BD%E9%A6%99 

なお、『野口幽香の生涯』という本があり、絶版だが、国立国会図書館のデジタルライブラリーで読むことができる。サイトは以下である。https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001219892-00 )

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。(新約聖書 ヘブル人への手紙11章13節)

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