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| ブローニュの森 2006.11.28(※) |
それは1538年、マルティン・ルターがカトリック教会と戦った時のことでした。「人は教会に行っていることによって天国に行けるというのではなく、ひとりひとりの心にキリストが生まれなければならない」というのがルターの主張でした。そのために、クリスマスの守り方も前と変わってきました。それぞれの家庭でクリスマスをどう過ごすか決めなければならなかったのです。
ルターの三人の子どもたちは、貧しい人たちへの贈り物を箱に詰め終わったところでした。ハンスとマルティンは喜んではしゃいでいましたが、レナと呼ばれているマグダレナはゆううつでした。台所からはこうばしいにおいがただよって来ます。ハンスは鼻にしわを寄せながら、「なんてよいにおいなんだろう。きょうがクリスマスだといいんだがなあ」と言いました。「そうだね」。おとうさんと同じ名まえのマルティンはそう言いながら、ふと気がつき、「どうしてそんなにゆううつなの」とおねえさんのレナに尋ねました。
レナは、鏡のはめ込んである高い壁、彫刻のある天井、あらい板の床を見回して、ため息をつきました。へやはきれいに掃除され、みがきたてられていたのですが、いつもと少しも変わっていません。「うちのどこを見ても、あしたがクリスマスだということを表わすものがないから悲しいのよ」とレナは言いました。「そんなことはないよ。あしたはみんなで教会に行くし、おかあさんは特別なごちそうを作っているじゃないか」。ハンスがこう言うと、マルティンも「それから、おとうさんはこの贈り物の箱をみんなにくれるよ」と、不服そうに言いました。
「わたしが言っているのは、そんなことじゃないの。おうちにだれかが尋ねて来たとき、あしたがイエスさまのお誕生日だということを思い出させてあげるものがないということなのよ」。「じゃあ、どうすればよいかおかあさんに聞いてみよう」。そう言いながらハンスは立ち上がり、奥のへやの方へ歩き出しました。「でも、おかあさんは今、やすんでいらっしゃるから、心配かけては悪いわ」。レナは、一日じゅう忙しく働いていたおかあさんのことを考えて言いました。
「おとうさんが帰って来れば、何か名案があるかもしれない」とマルティンが言いました。「そうだわ。きっと何か考えてくださるわ」。これを聞いたレナはうれしそうでした。おとうさんはなんでもできることをレナは思い出したのです!そして高い窓にのぼって、外をのぞいてみました。沈んで行く太陽の最後の光が、真っ白に雪でおおわれた庭にさし込んできました。家の回りには、これまた枝の一つ一つに雪を積もらせたもみの木が並んでいます。救い主をお迎えするために特別に整えられたような美しいきよい世界でした。
まもなく、おとうさんが、雪に深い足跡を残しながら、木の間の小道を帰って来ました。おとうさんなら、クリスマスを完全なものにするのに、どうすればよいか知っていらっしゃる、とレナは確信していました。
レナはおとうさんが大好きでした。そして、おとうさんが偉い人だということも知っていました。おとうさんは、だれでも読めるように、聖書をドイツ語に訳し、また、よい生活を送って天国に行くにはイエスさまを信じなければいけないと教えた人です。
「ぼくは、一年じゅうで、クリスマスがいちばんいいと思うなあ」とハンスが言いました。「そうね。クリスマスは、神さまがわたしたちのためにしてくださるすばらしいことのいちばん初めだって、おとうさんがおっしゃったわ」。レナは相づちを打ちました。そして、最初のクリスマスについて、おとうさんのしてくれた楽しいお話を思い浮かべて目を輝かせました。弟たちもまじめそうにうなずきました。彼らもその話を聞いていたのです。
(『アルフレッドとベード先生』ドロシィ.C .ハスキン著有賀英子訳26〜30頁から引用)
※前々回から掲載した二枚の写真と今日の写真は同じところで撮ったものだが、二十年前のものでうろ覚えでリュクサンブール公園としたが、どうも「ブローニュの森」が正解のようだ。
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(新約聖書 ヨハネの福音書3章3節)

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