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| 山茶花の 満開目指す 寒中 |
このところ寒く、昨日などは風が強くとても古利根川にまで足を伸ばせないのだが、先日も妻がその古利根川で、鴨の群れを眺めながら、「よー、いとるわ。さむうないのかしら」と独言(ひとりごち)した。お互いに、同じ方言を使っての会話。何となく共に温泉に入っている心地だ。
昨日、次男がパリから、その故郷の様子を記したyou tubeを送ってきた。その中に一枚の写真があった(※)。私の小学校一年の時の写真だ。教室をバックに左端に担任の先生が立ち、教室の内外にクラスの子どもたちが、それぞれ思い思いの表情・姿態でカメラマンの方を見て写っていた。昭和25年、75年前の写真だ。田舎の子どもたちの着ている服装にも戦後すぐの生活が色濃く滲み出ている写真だ。その中にもちろん私もいる。窓ガラスに顔を押しつけている。その気質は今の私とそんなに変わらない。
後年、結婚してびっくりしたことがある。3歳下の妻の小学校一年の担任がまさしく私の一年の時のその担任の先生とまったく同じ先生だったからである。私の町と妻の町は互いに隣接しているが当然、互いの小学校は違う。確か、私が2年になる時、どこかに転勤なさった。転勤先が妻の町であったのだろう。私の町は宿場町で妻の町は完全な郷村である。だから若干言葉が違う(と、思い、私は妻を田舎者〈いなかもん〉扱いすることが多い)。しかし、「よおる」とか「いとる」とか、いずれも「居る」の変形言葉だが、他の地域の人が使う言葉とは明らかに違う方言だ。
だから、二人で交わす言葉にはお互いにキリスト者である共通点がある上に、生まれが同じという親近感がいつもある。まして今妻は認知症が進行している毎日である。その妻が漢字を引っ張り出して窓外の景色を見遣りながら、田舎言葉で話しかける。75年前、クラスの半分近くが外に出て先生と一緒に並んでいるのに対して、室内に残った者は窓を開け、乗り出したりしているが、一方、顔を窓に押しつけて私のようにみんなの仲間入りをしようとしている者もいる。
75年前の窓外を見やる私と、今窓外を妻と見やっている私は同じ私である。
※一月前であったろうか、次男が帰国し、私の郷里に入った。偶然市の出張所で出会った方と会話を交わしたようである。その方がパリに「故郷」の様子を描写したものをメールで送ってきてくださった。
主は羊毛のように雪を降らせ、灰のように霜をまかれる。主は氷をパンくずのように投げつける。だれがその寒さに耐ええようか。主が、みことばを送って、これらを溶かし、ご自分の風を吹かせると、水は流れる。(旧約聖書 詩篇147篇16〜18節)

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