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| パリ市内のリュクサンブール公園で 2006年11月28日 |
私自身も妻が認知症を患い、外出にも気を配らねばならない日々を送っている。しかし、そのような試みのうちにも、主なる神様のことばである聖書を毎日、妻と輪読しては大いに慰めと励ましと将来への希望に満たされている。私自身、27歳に至るまでは、無神論者で「信仰」というものをもっとも忌諱していた張本人である。いや27歳と言わず、この数ヵ月前まで「信仰」に正しい位置を与えていなかった。
その考えに大いなる訂正を求められたのが今回同期会の方々のどなたかにお渡ししたいと思い制作したこのブログの記事より構成した以下の四編だった。
1 キリスト教とその疑問(私の宗教迷論)※1
2 東京36会 ※2
3 この日は我が自戒の日なり ※3
4 救いの道 ※4
この1はかつての出身高校の新聞に当時高校2年生であった滝本さんが投稿された記事をそのまま抜粋して写させていただいたものである。滝本さんがその後どのように人生を送られたかは公の記事以外は知る由もないが、ここまで真剣にキリスト教を考えておられることに大変感嘆している。
それに対して、2、3は詰まらない私の雑文を載せたものであるが、最後の4「救いの道」こそ今回私が同期生の方々に是非読んでいただきたいと思い、編集した文章である。
先に「信仰」に正しい位置を与えていなかったという私の述懐は偽らぬ私の気持ちである。形の上では信仰生活55年にわたる生活を送っていたにもかかわらずである。何も信仰生活に時間がかかると言おうとしているのでない。素直な幼児の心さえあればいつでも「信仰」は持てる。そのことを是非同期生の方々に味わっていただきたいと、今回長編になるが、この「救いの道」を加えさせていただいた。
同期会は午後3時前には解散した。次回は40回目で早々と幹事の方も決まった。新幹事は浩君ともう一人の方に決まったが、この方は常連の方だが、まだ一度も個人的にお話ししたことはない。しかし互いに奇縁(血縁、地縁)がある。来年、互いに健康であれば、67年目にして交わりが許されることであろう。
小冊子5冊は浩君と私の右隣に座られた方と、前々からその救いを祈っている方お二人と、新たにかつて同期会で「道中記」を紹介してくださった方にお渡しすることができた。
※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/05/blog-post_28.html
なお、文中に登場するマッソン宣教師は私よりも早く信仰を持った高校の同級生の方が公私ともにお世話になった方であった。
※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/12/blog-post_9.html
※3 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/11/blog-post_30.html
※4 この文章は8回シリーズで長編だが、第一回目が、2013年の2月19日で、その後3月15日から3月21日まで合計7回連続して載せている。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/02/blog-post_19.html
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/03/blog-post_4889.html
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネの福音書3章16節)

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