2010年10月31日日曜日

代理権威に服従する ウオッチマン・ニー

(Edinburgh Castle)
神がご自身のためにもろもろの権威を立てることは何と危険な冒険でしょう!  神の立てた権威が、神を間違って代行したとしたら、どれほど神は悩まなければならないことでしょう!  しかし、神はご自身の打ち立てる権威を確信されます。神が代理権威を立てる際の確信よりは、わたしたちが代理権威に服従する際の確信のほうがはるかに容易です。神が人に権威を与える際に確信しておられる以上に、わたしたちもやはり人に服従する際に確信すべきではないでしょうか?  

神が打ち立てられる際に確信しておられる権威に、わたしたちは服従する際に確信すべきです。もし間違いがあるとしたら、それはわたしの間違いではありません。それはその権威の間違いです。主は、すべての人はその上のもろもろの権威に従うべきであると言われます。困難は神の側よりもわたしたちの側にさらに多いのです。神が人にゆだねておられるなら、わたしたちもゆだねることができます。神がその委託について確信しておられるなら、わたしたちはさらに確信すべきです。

イエスは、・・・、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、彼ら(=弟子たち)に言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。・・・」(新約聖書ルカ9:47~48)

主が御父を代行することに何の問題もありません。なぜなら、父は主にあらゆるものを託されたからです。わたしたちが主を信じることは、御父を信じることです。しかし主の目には、これらの子どもたちでさえ主を代行しています。主はこれらの子どもたちにご自身を託すことができます。こういうわけで主は、これらの子どもたちを受け入れることは主を受け入れることであると言われたのです。

ルカによる福音書第10章16節で主は弟子たちを遣わし、彼らに言われました。「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。」弟子たちの言葉、命令、決定、意見は、すべて主を代行しました。主はすべての権威を弟子たちに託したことに、とても確信がありました。彼らが主の名の中で語ったことは何であれ、主は承認されました。弟子たちを退けることは、主を退けることでした。主は全き平安をもって彼らにご自身を託すことができました。主は、彼らがその言葉に注意すべきであるとか、出て行って語る際には失敗をすべきではない、などとは言われませんでした。主は彼らが失敗をして何かが起こるとしても少しも気にかけませんでした。主には、弟子たちに確信をもって権威を渡す信仰と勇気がありました。

しかし、ユダヤ人たちはそのようでありませんでした。彼らは疑い、言いました、「どうしてこんなことがあり得ようか。あなたが言ったことがみな正しいとどうして知ろうか、わたしたちはもっと考える必要がある!」。彼らはあえて信じようとはしませんでした。彼らは非常に恐れました。

仮に、あなたがある会社で一管理職として働いているとします。そしてあなたは一人の人を派遣して次のように言うとします、「あなたの最善を尽くしてしっかりやりなさい。あなたが行なうことは何であれ、わたしは承認します。人々があなたの言うことを聞くとき、それはわたしの言うことを聞くのです」。もしこうであるなら、あなたはおそらく彼に、毎日その仕事の報告をすることを要求するでしょう。それは、何かの間違いがあるといけないからです。

しかし、主はその代理者であるわたしたちに任せることができます。これは何と大きな信任でしょう!主がご自身の代理権威にそれほど信頼されるとしたら、わたしたちはさらに一層そのような権威に信頼すべきです。

ある人は、「もしその権威が間違いをしたらどうしますか?」と言うかも知れません。もし神が代理権威とした人たちに信頼されるとしたら、わたしたちはあえて服従します。その権威が間違いかどうかは、その人が主の御前で直接責任をとらなければならない問題です。権威に服従する者たちは、絶対に服従することだけが必要です。たとえ彼らが服従したことで間違いを犯したとしても、主はそれを罪と見なされません。主はその罪の責任を代理権威に問われます。

不従順は、背くことです。このゆえに、服従する者は神の御前で責任を持たなければなりません。この理由により、人間的要素は、服従とは何の関係もありません。もしわたしたちが人に服従しているだけなら、権威の意味は失われます。なおまた、神はすでに彼の代理権威を立てた以上、神はこの権威を維持しなければなりません。他の人たちが正しいか正しくないかは、彼らのことです。わたしが正しいか正しくないかは、わたしのことです。すべての人は主に対して自ら責任を負わなければなりません。

(『権威と服従』86~89頁の「わたしたちは代理権威に服従することに確信をもつべきである」より抜粋引用 )

2010年10月28日木曜日

よみがえった希望 L.B.カウマン

(「人間をとる漁師にしてあげよう」 フィリンゲン・教会扉より)
悪名高いパリのこじきピエールは、来る日も来る日も、町かどに立って、哀れっぽい声で通行人に小銭をねだっていました。通行人は、ただもうこの忌まわしい社会の落伍者からのがれたいという気持ちから、気前よくピエールにお金をくれてやるのでした。

ピエールの立っている場所から何メートルも離れていない所に、有名な画家の仕事場がありました。画家は一日じゅう、魅せられたようにじっとこじきを見つめていました。とうとう彼は、ピエールをかいてみたいという欲望を押えることができなくなりました。彼は画架とカンバスを窓の近くに持ち出し、熱に浮かされたように夢中でかきだしました。

絵ができ上がって、それに満足すると、画家は窓を強くたたいてピエールの注意をひき、正面の入り口からはいって来るようにと合図しました。彼は無言のまま、ピエールを、掛け布でおおわれた画架の前に案内しました。彼が手で掛け布を払いのけると、掛け布は床に落ち、完成された作品が現れました。

「これはだれですか」。

ピエールは驚いて尋ねましたが、やがて、おぼろげながら、それがだれであるかがわかってきたらしく、あえぎながら、信ぜられないとでもいうように叫びました。

「私ですか」。
「私の見たこじきのピエールです」と画家は答えました。
「もしあなたがそのように見ておられるのなら、私はそのような人間になります」。


(金色の秋 フィリンゲンの池)
聖書には、姦淫の場でつかまえられた女の物語が生き生きと描かれています。彼女はさばかれ、刑を宣告されるために、宮に連れて来られました。彼女が優しいガリラヤの主の御前に立った時、主は彼女の落ち着きのない目を見つめられました。そして、そこに、打ちひしがれ、傷つけられた女を見られたのです。主のその長い注視は、女の内部に深く突き刺さりました。主は、平安(それは生ける救い主を信ずることによってもたらされるものです)を叫び求めている、罪に陥った魂を見られたのです。

イエスは、彼女を訴える者たちを、ひとりまたひとりと見つめられました。ついに彼らは、イエスに注視されて、自分たちの狡猾の罪を自覚し、彼女を非難することをやめて、こっそりと立ち去ってしまいました。

恐れに満ちた沈黙は、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」というイエスの低い声によって破られました。

この主のお言葉は、彼女にとって生涯の大憲章となりました。彼女は、自分をとらえていた罪のきずなから解放されました。いまや彼女は、頭を高く上げて、恥じることなく隣人たちの間を動き回ることができるようになったのです。

私たちの神は、なんと優しく、また親切であられることでしょう!彼は見捨てられた女をさげすむようなことはされませんでした。また、彼女に罪に満ちた過去を思い出させ、彼女を責めるようなこともされませんでした。そうではなく、できる限り優しく、彼女の心に希望をもたらすことばを語られたのです。

私といっしょに、ヨハネによる福音書1章42節の聖句を思い起こして下さい。「そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、『あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする』」。

イエスは私たちを、驚くほどに知っておられます。彼は私たちの心を知り、「あなたは・・・である」と言われます。もしこれが彼のお言葉の全部であるなら、私たちはなんという悲惨な、望みのない敗北の中に置かれることでしょう! しかしイエスは、そのすぐあとに、急いで、「あなたを・・・と・・・する」と付け加えられました。うぬぼれの強いシモンは、ペンテコステにおいて岩の人ペテロとなりました。私たちも、イエスが私たちの未来を形造られる時、喜んでそれにあずかる特権を持っています。イエスが「あなたは・・・である」と言っておられるだけでなく、「あなたを・・・と・・・する」と言っておられることを思い起こして下さい。

(『一握りの穂』松代幸太郎訳36~38頁より引用)

2010年10月27日水曜日

第11日 栄光の主を仰ぎ見る喜び

(ナナカマド スコットランド・エジンバラにて)
いよいよ、最終日第11日目(現地10/12Tue)について述べる時が来た。この日は集会も何もなく朝早くから二コースに別れ、チューリッヒ空港、ミュンヘン空港へ向かい帰国への旅路を急ぐことになっていた。現地にはなお30名の方が残られ、引き続いて日本から来られる後半のグループの方と更に一週間「喜びの集い」を持たれることになっている。朝8時の出発を控えたあわただしく、気ぜわしい早朝、去る者、留まる者を問わず集まり、祈り会がこの日も持たれた。ただ6時15分から始まる早朝の祈り会に果たして人々は集まって来れるのかと思ったが、ほとんどの方が集まられた。30分間、それぞれが賛美し、聖書のみことばを味わい、出席者が輪になって心を合わせ祈った。一人でできないことも、友と励ましあいながらできることがある。期間中途中からではあったが実施され、良き習慣となったこの祈り会は、私たちにとって大きな財産となった。

去り難いフィリンゲンの宿舎であったが、台所などで奉仕されたシュベスター(英語でシスターに当たる)や現地に残る人々の暖かい見送りを受けて私たちは一路日本へとそれぞれの空港へ出かけた。私たちの帰りのコースはミュンヘン空港に向かうものであった。宿舎からは4時間ほどかかった。最初はボーデン湖畔を走り、その後南ドイツの平原を横断する旅であった。車窓の両側には黄葉した樹木や延々とぶどう畑やりんご畑が展開し、黒いぶどうの実、赤いりんごがその緑野に彩を添えて点在する。私のこの感覚は、ドイツ人が日本の水田風景を見て感嘆することがあるとしたら、その感覚と好一対をなすものではないだろうか。

空港に着き、およそ12時間ほどの飛行時間、考えることはこの12日間の旅のすべてであった。一つ一つの事象は風の如く飛び去って今や記憶のかなたにある。しかし主なる神様が生きて働かれるお方であることは旅の前と後とでは大いに異なって、私にとってよりリアルな実在感を持って迫ってくるのであった。長い長いと思う空の旅はどなたも経験されることと思うが、帰りは、「帰心矢の如し」のことばのとおり早いものだ。成田空港に無事到着した折には再び日本の雑然とした風景の中に放り込まれた思いがしたが、これこそ現実だと思い歩足を強める。

到着ロビーを歩く時、「喜びの集い」でお声をかけたかったお一人で中々お交わりする機会のなかったその方から、思いもかけないことばをいただいた。「○○さんは真珠婚だったのですね。おめでとうございます。実は私たちもそうなんですよ。夫は13年前に亡くなりましたが、1970年の10月に結婚したのですよ」という言葉だった。確かに家内は自らの証の際に少しだけこのことに触れた。それを聞き知られたのであろう。しかし、ご自身の悲しみ、寂しさを越えてこのように祝福してくださることを嬉しく聞くことができた。出発する前にはただ結婚40周年(1970.4.26)だと周りの者に言われ互いに出てきたが40周年に呼名があること、しかもそれが「真珠」という素晴らしい名前を冠していることをこの時初めて知った。その後、ネットで調べてみたら、実際はその方の勘違いで真珠婚は30周年で、40周年はルビー婚だと知った。

今回の旅は私たちは口で言うほど特別自分たちの結婚40周年を意識していたわけではない。しかし、このお方の何気ない言葉を通して、旅の間ずっと気になっていた、ご主人を亡くしたり、様々な事情でご主人と別れたりして一人淋しく参加されているが、ともに主イエス様に愛され愛する方々が多くおられることを思った。また体のご不自由なご主人がいかに手厚い奥様の介護のもとで行動されているか、また同じように体のご不自由なご婦人がまわりの方の助けをいただきながら行動されるかをつぶさに見させていただいた。たとえどんなに夫婦が健在であってもいずれの日にかその関係は解消される。その時私たちはそれらの方々の寂しさを本当に自分のものとすることができるのだろう。

病を押して参加され、先週木曜日後半の「ドイツ喜びの集い」を終えてお帰りになったベックさんは今日入院されることになった。そのベックさんが、「大変ですけれど嬉しい」と題して、昨日、次のみことばをもとに新築なった吉祥寺の会堂でメッセージされた。

あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだますように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。(2コリント6:4~10)

そしてメッセージを閉じるにあたり、一つのバッハのエピソードを紹介され、次のような意味のことを語られた。それは召される直前バッハは目が見えなくなったが、ある時目が見えたそうだ。その時奥さんが一輪の美しい薔薇を示し、「あなた、この薔薇が見えますか」と言われたら、「見えるよ」と言い、続いて「お前と私がもうじき見るであろう薔薇に比べたら、この薔薇は言うに足りない。もうじきお前と私が聞くであろう音楽に比べればこの世の音楽は言うに足りない。そして私はこの目で主、イエス・キリストご自身を見る。」と答えたそうです。これこそ信仰の確信に満ちたことばでないでしょうか、と。

お聞きしていて目頭が熱くなった。これは病の中、何よりも主イエス様の再臨に備え、天国を仰ぎ見るベックさんの信仰のすべてを物語っているからである。このことを事、私たちの結婚というものに当てはめて考えるなら、たとえ、地上での結婚の恵みがどんなに素晴らしくても、どちらかが先に召されれば、その喜びはいずれは崩れ去る。しかし永遠の天の御国に住まう確信を夫婦がともに備えているなら、その喜びは永遠に続くことを証している。そのようなご夫婦にとって目に見える現実(地上での一時的な別れ)は取るに足りないと言えるのだ。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ローマ8:18)


もし年数だけで私たちがルビー婚を自負しており、堅固な主イエスキリストの十字架に信頼する信仰の上に立っていないなら、それらは砂上の楼閣に過ぎない。これが、愚かな私たち夫婦にベックさんを通して与えられたみことばの真理であることを証してこの稿を閉じる。長い間愚考につきあってくださった目に見えない読者の方々に同じ神様の祝福がありますようにと祈るばかりである。

2010年10月26日火曜日

第10日 二人して40キロ以上

(フィリンゲンの城壁の塔に描かれた騎士)
子どもたち五人の祈りと愛のささげものによって、はるばるヨーロッパまで来ることのできた、今回のヨーロッパ訪問も、いよいよこの日の「喜びの集い」が最後になった。午前中と夜と二度の集会があったが(後述)、昼間は宿舎から出てフィリンゲンへ繰り出し、それぞれ最後の観光と買い物に時間を費やした。

ところが「ルビー婚」を自他共に認める私にとっては中々この時は苦い時となってしまった。午後の出発時点で私が家内とは別行動を取ってしまったからである。私自身は家内の足が痛んでいるから一緒に行動することを最初から諦めていた。だから、多くの人々の一人として家内がバスで乗り込んだのに、数人の方とフィリンゲンへの徒歩行をともにしたからである。何年か前、家内と家内の高校時代の同級生3人とともに5人でフィリンゲンまで小川を見ながら散策した思い出が忘れられなかったからである。

結局5、6人の方との楽しい散策の後、辿り着いた午後の数時間はフィリンゲン特有の城壁に囲まれた囲域(決して広くない)を歩いているに過ぎず、他の方々とは何回もお会いするのに、なぜかその間家内と一度も会うことがなかった。会うことができたのは観光も終わり近くなって、バス停に人々が集まって来た時であった。家内は別のご婦人と一緒で楽しそうに、それぞれ大きな買い物袋を提げての姿で現われた。その時、家内にすべて買い物を押し付け、その上、重い物をずっと持たせ続けてしまったことを知り、私に初めて悔恨の思いが湧き上がってきた。せめてもの穴埋めとばかり、すぐ走り寄って早速買い物袋を持ち、帰りは一緒にバスに乗って帰ってきた。

(家内と再会した場所に咲いていたバラ)
私たち夫婦は、100人の方々とそれぞれ親しくなりたいと、思っていた。もちろん、それらの方々の多くの人々とは日頃からお交わりをいただき親しくしていただいているが、全く初対面の方も数えてみれば20数名いらっしゃった。だから、夫婦別行動になるのはお互いの間で最初から暗黙の了解であった。そのこと自身には悔いは残らないが、夫として配慮が欠けていたと思わざるを得なかった。

振り返ってみれば、午前中は二人の方がメッセージしてくださったが、その中でイエス様の次のみことばが語られていた。

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。(ヨハネ13:34~35)

その方は、私たちの互いの間にその愛が流れてくるように、私たちは十字架の主イエス様に従い、祈り求めるべきだ。そしてそれが御霊の一致であり、それは決して夢物語でなく、同じ御霊から流れ出てくる主イエス様の具体的な愛の表われであると語られた。そして、そのような愛の体験をさせられる者とは、もう一人の方が引用してくださった次のみことばのように自らの心の貧しさを心底自覚している者ではないだろうか、と思わされた。

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(マタイ5:3)

集会、観光、食事と様々な場面で、私たち100名の者は互いに、このように自分のありのままの姿をさらけ出しながら、一方で日毎にささげる祈りと日々与えられるみことばを通して一人一人が確実に変えられて行くのがわかったのでないだろうか。最後の夕食となったメニューは今となっては忘れてしまったが、繰り返し訪れてくる食事のたびに各自が皿を持ち、自分の好きなものを乗せ、テーブルに戻っては、口にパンや肉をほおばりながら、食事のたびに組み合わせの変わる方々と交歓を楽しみながら、日々語り合う至福の時であった。

この日、夜に持たれた最後の集会では、この集会に10人余の人が参加された一家族の方々によるメッセージと証が行なわれた。一家の家長である兄弟が引用されたみことばは「主の祈り」のところであった。

みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。(マタイ6:10)

家長の方のこの祈りは、ご自分の姉君夫妻やもう一人の姉君の参加になり、一方二人の子どもをかかえる働き盛りの若夫婦の参加となった。それだけでなく、お嬢さんの姑さん、またご友人も参加されたのである。それらの人々を前に正直に、それぞれ両親夫婦、娘夫婦の家族建設に至る蹉跌と主にあるあわれみ祝福がある時は涙を交えて語られた。

長かった私たちの海外旅行第10日目(現地10/11)もこうして終わり、この後、部屋に戻り明日の出発のためにパッキングに入った。。くれぐれも20キロは越えないようにと言われたが、私の方がややオーバーして、何とか2人合わせて40キロに納めた。しかし私たちが受けた祝福は40キロ以上であった。

2010年10月25日月曜日

第9日 聖なる日、日曜日

(アイドリンゲン・ムッターハウスの賛美:photo by K.Aotani)
昨日の日曜日(10/24)は家の近くの幼稚園の体育館で110数名の方たちとともに主イエス様を礼拝する恵みにあずかった。その前の週の日曜日(10/17)は家内の亡父、亡祖母の年忌に出席するため滋賀の生家に帰っていた。さらにその一週間前(10/10)はドイツ、その二週間前(10/3)はスコットランドと、この4週間の間に、私たち夫婦は数千キロを移動したことになる。

私はあなたの御前から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます。(詩篇139:7~10)

日曜日は礼拝の日である。イエス・キリストを信ずる前に、私にとって信仰を持つ上で障害の一つになったのは、この日曜の存在であった。それまで日曜は午前中は一週間の労働の疲れを癒すためのくつろぎの時間であり、自由に過ごすことのできる天下御免の日だった。その余暇を音楽を聞いたり、映画を見たり、時には東京まで出かけ美術館などに行く時間にあてていた(その当時は足利に住んでいたが)。ところが日曜午後になるとそろそろ授業のことが心配になり、来るべき週の備えのためにあわてて準備に専念するのが落ちだった。その私の生活パターンは、もし「日曜礼拝」というものを受け入れるなら完全に崩されてしまう。

そんな私に結婚前の家内が熱心に教会への出席を勧めた。愛は強しである。愛はそんな私の思いを打ち壊したからである。逆に教会に行ってみると、そこでは人々が暖かく迎えてくれた。また何よりも礼拝に参加することを通して「いのち」の洗濯ができるような清々しい思いになった。いつの間にか勧めらて行くといういやいやながらの状態から、自ら進んで出かけるように変えられていた。

こうして40年前に結婚してからは二人して日曜日に教会で礼拝を守るということは当たり前になった。もちろん折角の日曜日が礼拝に出席するために、初めの頃は授業の準備が十分できないということも生じた。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。(出エジプト20:8)

これが、主イエスを信じようと信じまいと、すべての人間に、生けるまことの神様が私たち一人一人に求めておられるご命令である。そのことに触れてベック兄は『神の聖なる戒め』130頁で次のように書いている。

一生涯における日曜日というものは、その人にとって大変大きな財産であり、そしてまた同時に大きな責任を伴ったものであると言えましょう。たとえば70歳になった人は、それまでの人生において10年間に等しい日曜日を持ったことになるわけです。あなたはおいくつですか。あなたはすでに何年間分の日曜日を持ったことになるのでしょうか。そしてあなたはそれをどのように用いたのでしょうか。誰一人として主の御座の前で言い訳をすることはできません。「私たちはそのための時間がありませんでした。」と言うのが、神のみことばを避けたい現代人の言い訳ですが、それは主の御前に何の言い訳にもなりません。

私たちが海外に出てすでに9日目にあたる日(現地10/10)は私たちがドイツで多くの方々と礼拝を持つ日になった。礼拝の中でイエス・キリストの贖罪を象徴するパンとぶどう液にあずかり、その後の福音集会ではドイツ人の方から「主イエス様の心構えとは」と題して適切なみことばをいただいた。

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。(ピリピ2:3~7)

そして100人余りの日本人はさらに午後二時からフィリンゲンから7、80km離れたアイドリンゲンというベックさんを生み出したムッターハウスの地での集会へと参加するためバスで長躯二時間かけて出かけた。

そのバスの中、私は隣席の方とともに、その方が練習のときに録音された音を頼りに今日ご披露する賛美のテナー部分を繰り返し練習した。周りの女性たちもいつの間にかその私たちの熱意に動かされてソプラノやアルトの部分を歌って協力してくれた。調子に乗った私たちはさらに熱心になり、バスの後部座席に陣取った私たちの賛美はにわかにバス全体を支配するまでに至った。その内にいつも合唱をしている女性たちの間から「本番になったら声が出なくなるといけませんから、この辺でやめたほうが良いですよ」と助言をいただく程だった。

(tea time: photo by k.Aotani)
こうして和やかなバスの交わりののち目的地に着いた。早速ベックさんのドイツ語によるメッセージ、そして二人の日本人の方々の通訳つきの証と続く。初めの方は、長年、主に従って来られたが今はみことばのみに頼り、みことばがすべてのすべてだと「みことば」を証された。一方ドバイに駐在している商社マンの方はご自身がどのようにして信仰を持つに至ったかを証し、「ここにいらっしゃるすべての方が主イエス様を信じて、一緒に天国へ行きましょう」と結ばれた。

最後が日本人による賛美二曲だった。ピアノ伴奏による混声四部合唱に青谷友香里さんのヴァイオリンの演奏が加わる。「再び主が来られる時迫る。その日、空は輝き、主を告げる。待ち望むその時よ、われらは空に上げられ、雲の中主とともに御国に上る喜び。」と賛美した。あんなに練習したのに肝心のテナーである自分は全く音が取れずに苦労する。しかし、ヴァイオリンの音色がいやが上にも天を憧れて上るようだった。すべてが終わった後、ムッターハウスの責任者の方から「今、私たちは天国にいるようだ」と最大の賛辞をいただいた。

その後は交わりのためのコーヒータイムだった。それぞれ数テーブルに分かれての、ドイツ人の方を交えての、身振り手振りよろしくカタコト英語で話しかけるお交わりとなった。何度か来ているので顔見知りの方もおられるのだが、ドイツ語が話せず、英語も自由に話せないのはもどかしい。別れがたい交わりもお開きになり、次男夫妻もパリへと帰ってゆく。

宿舎に帰っても、日曜日ともに主を礼拝、賛美できた喜びに満たされていた。そして私たちの間にはより一層の親密感、「天国」の住人とせられている一体感が増し加わった。夕食の交わりはその証で満ちていた。夜、部屋に退いて床に着くときも、賛美で歌った「天国」のメロディーがいつまでも体中をめぐっている。昼間、ドイツ人の方とは中々コミュニケーションが取れず苦労したことを思い起こす。それでも天国では「天国語」で話すと言う。その時、今度は「天国語」がものを言うのだろう。そう言えばあのスコットランドの主にある姉妹も「今度は天国で会いましょう」だった。

日曜日は天の御国を何よりも思う時だと合点する。かくしてわが「ルビー婚」の旅もそろそろフィナーレに近づく。残すは後二日になった。

2010年10月24日日曜日

喜び 

(リーガルベコニア エジンバラにて)
「わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。」(ヨハネ15:11)

もしだれかが、幸福なクリスチャンになる方法はと尋ねたら、主は簡明にこう答えられるであろう。「わたしがぶどうの木と枝について、これまで話して来たのは、わたしの喜びがあなたがたの中にあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。わたしにとどまり、わたしをしてあなたがたにとどまらせることです。それによってあなたがたはわたしの喜びを持つことができます」。すべて健全な生活は喜びに満たされていて美しいものである。枝としてりっぱに生きたいものだ。それによって私たちはキリストの喜びをいっぱいに受けることができるに違いない。

多くのクリスチャンは、キリストに全面的にとどまる生涯は、緊張と苦痛の多い努力の生涯であると考えている。私たちの中にあるキリストのいのちに絶えず服従するならば、そのような緊張と努力をする必要がなくなるということがわからないでいる。このような人には、「わたしはわたしへの完全な服従のほかには枝から何も求めません。わたしは枝のあるべき姿を守り続けることを約束します」という、このたとえ話の最初のことばさえわかっていないのだ。神の愛の中におられるみ子に、絶えず私たちのいのちを支えていただくことを知るのは、絶えざる喜びでなくて何であろうか。

私たちはキリストご自身の喜びを、私たちの喜びとしなければならない。ところでキリストの喜びとは何であろうか。キリストの喜びはただ愛する喜びだけである。愛する喜び以上の喜びはない。それは父の愛を受け、それにとどまる喜びであり、次にこの愛を罪人である私たちの上に注ぐところの喜びである。キリストが私たちと分け合うことを望んでおられるのはこの喜びにほかならない。この喜びはまた私たちが周囲の人々を愛し、その人々のために生きる喜びとなるのである。これはまさにまことの枝になる喜びである。これはつまり、ほかの人のために実を結ぶ目的でキリストの愛の中に私たち自身をゆだねてしまうことである。キリストのいのちを受け入れよ。なぜならキリストの喜びは私たちの喜びであり、キリストのように愛する喜びであり、キリストの愛によって愛する喜びであるからだ。

神だけがすべての喜びの源であることが忘れられがちなのは何と悲しいことではないか。ほんとうに幸福になるただ一つの道は、「わたしの大きな喜びである神」(詩篇43:4)のみこころといつくしみをできるだけ多く自分のものとすることである。

信仰とは、日々の生活の、ことばで言い表すことのできない喜びを意味しているのである。しかし多くの人々がそういう喜びを得ることができないでいると嘆くのはどうしたことであろうか。それはキリストの愛の中にとどまるような喜びがほかにないことを信じないからである。どうかキリストの声がひとりひとりの、特に若いクリスチャンの心を動かし、キリストの喜びがただ一つのまことの喜びであり、その喜びの中に住むただ一つの確かな方法は、キリストの中に枝としてとどまることであると、はっきり信じさせることができますように。私たちが喜びに満たされないのは、私たちが天のぶどうの木をまだ正しく理解しない証拠である。もっと深い喜びを得たいという願いは、私たちにもっと素直に、もっと十分にキリストの愛の中にとどまるようにとしきりに語りかけている。

(ドイツ平原に広がるぶどう畑、バスの中から)
祈り

「『わたしの喜びとあなたの喜び』。ぶどうの木として、また枝として、あなたの喜びは私の中にあり、私の喜びはあなたの中にあります。枝の中にはぶどうの木のすべての喜びがあり、それによって私たちの喜びは満たされます。聖なる主よ。あなたの喜びで私を満たしてください。愛される喜び、愛によって祝福される喜び、愛する喜び、ほかの人々を祝福する喜びで私を満たしてください。アーメン」。

(『まことのぶどうの木』安部赳夫訳103~107頁より引用。一箇所訳を変えたところがある。)

2010年10月23日土曜日

第8日 キリストをかしらとする神の家族

(集会の合間、談笑する人々 photo by Keiko Aotani)
日が経つにつれ人間の記憶は薄れてゆく。しかし、この日のことは忘れることはないだろう。理由は後で書く。すでに海外旅行に出て第8日目(現地時間10/9Sat)になっていた。この日は一旦パリに帰った次男夫妻が集会に参加するためドイツに来る日だった。すでに前夜にはポーランドで仕事をしている次男と同世代のご夫妻もお子さんを連れてフィリンゲンの宿舎に入り、先に参加されているご両親、弟さん家族と合流しておられた。

ところがこの日は期せずしてその両家族が午前、夜の集会でそれぞれメッセージや証をすることになった。午前中は前夜合流されたご家族がそれぞれ4名で話され、司会はご長男がされた。仕事の関係でドイツにも数年おり、ドイツ喜びの集いの常連の方である。このご家族は全員がキリスト者として導かれている。一家の長であるご主人は昨日のアルプス観光に触れ「山々をも造られた偉大な創造主である主と人間の関係」について語られた。御巣高山の飛行機事故は有名だが同社の客室乗務員として自らもその飛行機の何時間か前に乗っており、死に対する備えのないことを、ベックさんとの交わりを通して悟り、素直に主イエス様に救いを求め、救われたと証される。

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(1テモテ2:4)

そのようにして作り上げられたクリスチャン家庭であったが、成長期にあった二人の男の子のしつけ・教育をめぐって母親と息子たちの間にどのようなバトルがあったか親の立場、子どもの立場から語られた。今だから語れる話も多いし、苦しかった当時と違い、今は客観視できる余裕がある。だからお聞きしていて、ほほえましくもあり、家庭の暖かさを思わされた。そして親子関係の葛藤も、聖書がなければ決して解決できなかったことが証される。そして、今や人の親となっているご子息たちは、まずそれぞれ夫婦の関係を築き上げるのに、どのようにして主イエス様に対してへりくだり、整えられつつあるかを証された。

(談話室 photo by Keiko Aotani)
集会のあと明日に控えたアイドリンゲンでの賛美のために特に男性陣は特訓を受ける。けれども何度練習しても音が取れない。練習したという時間が積み重ねられるだけで中味が追いつかない。一案を講じた方が練習の模様をそのまま録音された。その後追い込みにこれがどれだけ武器になったことか。

昼食を終え、午後3時からコーヒータイムがあり、自由な交わりがなされたが、男性陣はまとまってドイツ人の方を囲んでの集いとなった。次男夫妻はまだ姿を現わさない。パリから電車で来るから時間がかかるのはやむをえない。ところが彼らは夜の集会のことは何も知らされていない。やきもきする。それだけでなく、私自身のメッセージが全然まとまらないのだ。これには困った。引用聖句は与えられたのだが、読めば読むほど自分の聖書理解が不十分であることが露呈してきたのだ。とうとうコーヒータイムも出ずして、祈る思いで聖書を繰り返し読む。その内、次男夫妻が到着する。彼らも事の次第を知らされてあわてただろうが、こちらはそれどころでないというパニック状態だった。
(集会場  photo by Keiko Aotani)
とうとう夕食も取らず、部屋にこもる。次男たちも同様だったようだ。そしてあっと言う間に集会の時間になった。次男自身は司会だと思っていたが土壇場で「証」と知らされ、再びギクッとする。司会は会社から褒賞休暇をいただいて来られた方がしてくださった。

トップバッターの私は、しどろもどろそのまま、以下のみことばを中心に語る。

あなたがたは、ある程度は、私たちを理解しているのですから、私たちの主イエスの日には、あなたがたが私たちの誇りであるように、私たちもあなたがたの誇りであるということを、さらに十分に理解してくださるよう望むのです。(2コリント1:14)

これはパウロという使徒がコリントの教会の人々との間に持とうとした信頼関係を象徴する大切なみことばだ。集会に参加している私たちひとりひとりもまたこのパウロの言の如く神様の子ども、キリストのからだとして互いに愛し愛される関係でありたいという思いで語った。

話し終えてほっとして席に着くと今度は妻が証をした。子どもたちの子育て(主への悔い改めと主からいただいた祝福)について証をした。次に紙婚を二ヵ月後に迎えるお嫁さんが証した。結婚までのいきさつ、二人の夫婦関係への樹立に対する主のあわれみなどを述べ、みことばを紹介するものだった。最後は夫である次男だった。用意のない彼が何を言うか案じたが、日曜日のエジンバラで私たち四人(ルビー婚の私たちと紙婚の次男たち)で持った礼拝の時に与えられたみことばルツ記2・4、2・12を開き、さらに次のみことばを読んだ。

主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない(箴言10:22)

そして最後に夫婦に関するみことばエペソ5:20~33を朗読した。

妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも自分の妻を愛しなさい。(エペソ5:22,25)

案じていた集会もこうして主が祝福して下さり終わった。終わって司会者の方と次男夫妻はほとんど初対面であったが、互いに仕事の上での共通の知り合いがいることが判明した。その上、今回の休暇は勤めておられる会社のパリ支店開業何十周年かのお祝いが関連していると知らされ、ここにも見えないところで働いている主の導きを思わされた。

私にとっては何よりも長い長い一日だったが、苦労した甲斐のある一日であった。そして両家の証は期せずして主を愛する家族に対する主の大きなあわれみを考えさせられる内容だった。何よりもルビー婚の私たちに対する主からのメッセージでもあった。