2010年10月23日土曜日

第8日 キリストをかしらとする神の家族

(集会の合間、談笑する人々 photo by Keiko Aotani)
日が経つにつれ人間の記憶は薄れてゆく。しかし、この日のことは忘れることはないだろう。理由は後で書く。すでに海外旅行に出て第8日目(現地時間10/9Sat)になっていた。この日は一旦パリに帰った次男夫妻が集会に参加するためドイツに来る日だった。すでに前夜にはポーランドで仕事をしている次男と同世代のご夫妻もお子さんを連れてフィリンゲンの宿舎に入り、先に参加されているご両親、弟さん家族と合流しておられた。

ところがこの日は期せずしてその両家族が午前、夜の集会でそれぞれメッセージや証をすることになった。午前中は前夜合流されたご家族がそれぞれ4名で話され、司会はご長男がされた。仕事の関係でドイツにも数年おり、ドイツ喜びの集いの常連の方である。このご家族は全員がキリスト者として導かれている。一家の長であるご主人は昨日のアルプス観光に触れ「山々をも造られた偉大な創造主である主と人間の関係」について語られた。御巣高山の飛行機事故は有名だが同社の客室乗務員として自らもその飛行機の何時間か前に乗っており、死に対する備えのないことを、ベックさんとの交わりを通して悟り、素直に主イエス様に救いを求め、救われたと証される。

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(1テモテ2:4)

そのようにして作り上げられたクリスチャン家庭であったが、成長期にあった二人の男の子のしつけ・教育をめぐって母親と息子たちの間にどのようなバトルがあったか親の立場、子どもの立場から語られた。今だから語れる話も多いし、苦しかった当時と違い、今は客観視できる余裕がある。だからお聞きしていて、ほほえましくもあり、家庭の暖かさを思わされた。そして親子関係の葛藤も、聖書がなければ決して解決できなかったことが証される。そして、今や人の親となっているご子息たちは、まずそれぞれ夫婦の関係を築き上げるのに、どのようにして主イエス様に対してへりくだり、整えられつつあるかを証された。

(談話室 photo by Keiko Aotani)
集会のあと明日に控えたアイドリンゲンでの賛美のために特に男性陣は特訓を受ける。けれども何度練習しても音が取れない。練習したという時間が積み重ねられるだけで中味が追いつかない。一案を講じた方が練習の模様をそのまま録音された。その後追い込みにこれがどれだけ武器になったことか。

昼食を終え、午後3時からコーヒータイムがあり、自由な交わりがなされたが、男性陣はまとまってドイツ人の方を囲んでの集いとなった。次男夫妻はまだ姿を現わさない。パリから電車で来るから時間がかかるのはやむをえない。ところが彼らは夜の集会のことは何も知らされていない。やきもきする。それだけでなく、私自身のメッセージが全然まとまらないのだ。これには困った。引用聖句は与えられたのだが、読めば読むほど自分の聖書理解が不十分であることが露呈してきたのだ。とうとうコーヒータイムも出ずして、祈る思いで聖書を繰り返し読む。その内、次男夫妻が到着する。彼らも事の次第を知らされてあわてただろうが、こちらはそれどころでないというパニック状態だった。
(集会場  photo by Keiko Aotani)
とうとう夕食も取らず、部屋にこもる。次男たちも同様だったようだ。そしてあっと言う間に集会の時間になった。次男自身は司会だと思っていたが土壇場で「証」と知らされ、再びギクッとする。司会は会社から褒賞休暇をいただいて来られた方がしてくださった。

トップバッターの私は、しどろもどろそのまま、以下のみことばを中心に語る。

あなたがたは、ある程度は、私たちを理解しているのですから、私たちの主イエスの日には、あなたがたが私たちの誇りであるように、私たちもあなたがたの誇りであるということを、さらに十分に理解してくださるよう望むのです。(2コリント1:14)

これはパウロという使徒がコリントの教会の人々との間に持とうとした信頼関係を象徴する大切なみことばだ。集会に参加している私たちひとりひとりもまたこのパウロの言の如く神様の子ども、キリストのからだとして互いに愛し愛される関係でありたいという思いで語った。

話し終えてほっとして席に着くと今度は妻が証をした。子どもたちの子育て(主への悔い改めと主からいただいた祝福)について証をした。次に紙婚を二ヵ月後に迎えるお嫁さんが証した。結婚までのいきさつ、二人の夫婦関係への樹立に対する主のあわれみなどを述べ、みことばを紹介するものだった。最後は夫である次男だった。用意のない彼が何を言うか案じたが、日曜日のエジンバラで私たち四人(ルビー婚の私たちと紙婚の次男たち)で持った礼拝の時に与えられたみことばルツ記2・4、2・12を開き、さらに次のみことばを読んだ。

主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない(箴言10:22)

そして最後に夫婦に関するみことばエペソ5:20~33を朗読した。

妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも自分の妻を愛しなさい。(エペソ5:22,25)

案じていた集会もこうして主が祝福して下さり終わった。終わって司会者の方と次男夫妻はほとんど初対面であったが、互いに仕事の上での共通の知り合いがいることが判明した。その上、今回の休暇は勤めておられる会社のパリ支店開業何十周年かのお祝いが関連していると知らされ、ここにも見えないところで働いている主の導きを思わされた。

私にとっては何よりも長い長い一日だったが、苦労した甲斐のある一日であった。そして両家の証は期せずして主を愛する家族に対する主の大きなあわれみを考えさせられる内容だった。何よりもルビー婚の私たちに対する主からのメッセージでもあった。

0 件のコメント:

コメントを投稿