(エジンバラよさようなら、中央尖塔はエジンバラのシンボル) |
雨中、気さくなスコットランド気質の運転手さんにエジンバラを「queen's city」と勝手に造語し誉め、名残惜しそうに郊外の景色を眺めながらタクシーに身を任せた。2、30分で空港に着いた。料金は15.15ポンドであった。日本円にして2200円程度であろうか。大きなタクシーにゆったりと乗ることができ(後で自分たちの体が小さいのだと気づいたが)、重いスーツケースも気軽に運んでもらい、すべて快い思いを抱いてエジンバラを後にすることができたのは感謝であった。
チューリッヒ空港は久しぶりである。エジンバラからは途中ロンドン空港で乗り換えたが飛行会社はBA(イギリス航空)であり、当然日本人乗客は少なく果たして無事に行けるか不安だったが、スムーズに乗り継ぎもでき、空港にはすでに現地に一日早く来ておられたWご夫妻に迎え入れられてほっとした。その上、成田からチューリッヒに飛んだキリスト集会の方々よりは一足早く到着して、逆に一行をお迎えする立場に立った。
(ドイツ上空、アルプス山脈が姿を) |
一瞬、心に不安がよぎった。一軍の将が病気なのだ。しかし、その後の日々を通して、様々な困難のうちにあった「喜びの集い」が「主の計画」であることを確信せざるを得なかった。その後、日本に帰って、「祈りのハイド」(フランシス・A・マッゴー著 瀬尾要造訳)という作品を読んでいたら、次の箇所に行き当たった。
しかし、ハイド氏の病状は悪化していました。そのうえ、彼のミッションの年会は彼を招いていました。心配なので、私は彼を医者に連れて行きました。翌朝、医者は言いました。『心臓がひどい状態です。これまで、こんな悪い症状を見たことがない。左側にあるはずのものが右側に移動してしまっています。過労と緊張のため、こんなに悪化したのですから、普通の状態に回復するまでには、長期の厳重な安静が必要です。いったいあなたは、何をしてこられたのですか。』親愛なるハイド氏はひとことも語らず、にっこり笑っただけでした。けれども彼を知っている私たちは、その原因が、彼が導いている回心者のため、同労者のため、その友人のため、そしてインドの教会のために多くの涙をもって熱い祈りをささげた、日夜の絶え間ない祈りの生活のゆえであることを知っていました!」(同書63~64頁)
ハイド氏とベックさんを重ね合わさざるを得なかった。かつて、もう10数年以上前、初めてベックさんとともに400名ほどの日本人がドイツに行った時、ベックさんのささげた最初の祈りの言葉を思い出す。それは「主よ。こんなに大挙して日本人が来てくれました」という誇りに満ちたことばでなく、「主イエス様、(私は罪人の一人に過ぎません)あなたをより深く知りとう存じます。この集いでもどうぞよろしくお願いします。」という主へのくだりの祈りであった。
そのベックさんが今回病を押して喜びの集いを計画された。もちろんベックさん一人の計画ではない。日本・ドイツをはじめとする主にある多くの人の祈りが背後にある。何よりも次の主のことばの励ましがあることを、私はそれまでの夫婦だけの旅では決して知りえなかった、「計画」に対する、もっと深い主の導きを体験的に知った。
この確信をもって、私は次のような計画を立てました。・・・この計画を立てた私が、どうして軽率でありえたでしょう。それとも、私の計画は人間の計画であって、私にとっては、「しかり、しかり。」は同時に、「否、否。」なのでしょうか。・・・私たちが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり。」と同時に「否。」であるような方ではありません。この方には「しかり。」だけがあるのです。神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。(2コリント1:15、17、19、20)
かくて我々がフィリンゲンの宿舎の用意された暖かい部屋に退く頃、成田からミュンヘンまでの長時間飛行を経験し、その上5時間のバスを乗り継いで疲れきった後発グループも到着し、後は明日から始まる喜びの集いを待つのみになった。
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