2010年10月16日土曜日

第3日 B.McCall Barbour書店

エジンバラに入って三日目。この日は朝から快晴であった。当初の私の思いではチェンバーズの生誕地アバディーンを訪ねるはずだった。ところが生憎、家内は連日の街歩きがこたえたか、これ以上、外には出られない様子で、とても電車でかの地まで出かけるのは無理だった。諦めてエジンバラ市内見学に精を出すことにした。

私は何としてもチェンバーズの足跡をたどりたいと思うし、家内はスコットランドのキリスト教文書を取り扱う書店に行きたいと願っていたようだ。しかし、この場合、主導権はもちろん夫の側にある。いくつかのチェンバーズゆかりの場所を私はすでに頭の中に入れていた。宿はエジンバラの南西にあったので中心街にはバス利用が好ましい。幸いエジンバラは二階建てのバスが何路線も沢山走っていて、四通八達できる。その上一日乗り放題のチケットは三ポンド(日本円にして400円程度か)で購入できた。勢い出かけることにした最初の目的地はエジンバラ大学だった。

エジンバラ大学こそチェンバーズが様々な碩学に出会い、彼が主イエス様からの召しと自己の芸術愛好の狭間の中で葛藤し続けた学の殿堂だ。以前からどうしてもこの大学を一目見たかった。しかし、意外やバスの中から簡単に見つかり、大学近くで下車することができ、やすやすと大学の中の最も古い場所に入れた。しかも構内の中心部は史跡保存のためであろうか柱石などが発掘中で、丁寧に扱われており、このところに学生時代のチェンバーズもいたかと思うと感無量であった。回廊を現在のエジンバラ大学の学生が多数行き交う。若い学徒とともにいることは何となく嬉しい思いがする。厚かましくも、資料館へ行き、ずばり、オズワルド・チェンバーズの資料を持ち出し、説明を求めたら、親切にある場所を教えてくれた。結局辿り着いたのは本部からさらに離れた図書館であったが。

さすがにそれ以上中に入る勇気もなく、チェンバーズの暮らした学生時代の雰囲気を肌身に感ずるだけで良しとした。さらに図書館を離れ、スコットが暮らした場所を見たりしているうちに、家内は歩き疲れて、もうこれ以上歩けない様子であった。疲れた足取りでバス停留所に向かおうとしていた。その時、何気なく通りの店の看板を見上げた。B.McCall Barbour Sound Christian Literatureと読めた。内心飛び上がらんばかりだった。これぞ、昨日路傍伝道していた方が私たちに教えてくれた書店名であった。住所こそ聞いていたが、広いエジンバラで、地図で探せば何とか尋ねあてることは可能と思っていたが、こうして一方的に書店の前に来るとは・・・。私たちにとっては天啓のごときできごとであった。

一階とあったが、一階にはそれらしきものは見当たらない。それもそのはず、一階とは日本で言う二階に当たるのだろう。勇気を出して狭い入り口から階段を上がった。上がり鼻にその書店はあった。足を踏み入れるや、一人の初老の男性が眼鏡越しにこちらを見る。客は私たちだけだった。私たちはすっかり興奮して次から次へと、私は本を、家内はキリスト教グッズ(賛美曲、カードなど)を探しにかかった。私の尊敬する方々の様々な書物を手にすることができた。F.B.マイヤー、スポルジョン、ウオッチマン・ニー、アンドリュー・マーレーなどである。残念ながらチェンバーズの本は「My Utmost for His Highest」しかなかった。余りにも私が様々なことを聞くので初老の男性はさらに別室にいた二人の方を呼んだ。白髪で上品な出でたちのスコットランド紳士であるお兄様とその妹様が現われ応対してくださった。

特に妹さんの方は私たちの訪問を殊のほか喜んでくださり、書店の由来について説明し、帰りがけには書店形成にいたる証のパンフレットまで下さった。お互いに人種を超えて抱きあわんばかりのフレンドリーな交わりを持つことができ、別れ際には「今度は『天国』で会いましょう」とまで言われたほどだった。家内も先ほどまでの足の痛みも忘れたかのように嬉々として姉妹との交わりを喜んだ。私たちは今回の何気なく始まったエジンバラ訪問がこの様な人々との生きた交わりにあったとは旅行前には微塵も想像しなかった。拙い貧しい祈りに主がこんなにも答えてくださることに改めて感謝したことは言うまでもない。

名残惜しい書店を辞し、次にはノックスゆかりの場所も訪れることができ、家内の顔もやっと立てることができた。ところが、その場所からはるか下に港湾が望見できた。私の食指は再び動き出し、港湾行きのバスを見つけ、出かけることにした。ところが、意外や時間はかかり、やっとの思いで港湾に出た。目で見る距離感とは大きな違いであった。それはともかく、そこで見た船舶の一つに、何とアバディーン行きの大型船舶があった。本来、この日に出かける目的地であった「アバディーン」にここで出会うとは。私はこの日アバディーンを訪れることはできなかったが、こうしてこの船舶の特徴ある赤色の胴体を見ることですべてを了解した気分になった。北海に面してエジンバラよりもさらに北東へ200kmほどある漁港の姿をある程度はMcCaslandの第三章A SCOTTISH BOYHOODで読んでいたからである。かくして三日目も主の祝福のうちに終わった。


あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(新約聖書 ガラテヤ3:26、28)

(写真上段はエジンバラ大学の構内、シンボルと思われるドーム型の屋根は画面反対側にあり、中庭を取り囲むような形で各教室が納められている。発掘が進んでいたのはその中庭に当たる部分で、画面の欄干の下の部分である。下段は言うまでもなくフォース湾に停泊中の船。画面を拡大してみていただければアバディーンの文字が読み取れるはずである。この紀行文の最初に掲載した空から見た光景は恐らくこの辺りの上空から見た姿であろう。)

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