2010年10月22日金曜日

第7日 山々も主の御前に喜び歌え

(登山列車の中から。牛は右の方にも一二頭いる)
すでに日本を離れて7日目(現地時間10/8Fri)になる。エジンバラにいた時には、一日も早く日本食が欲しいと思っていたのに、ドイツのフィリンゲンの食事に少しずつ順応し、肉類やたくさんの乳製品、それに豊富な野菜と、バランスに飛んだ食事で、英気を養うように変えられている。不思議なものだ。この日はアルプス行きとなって、早朝まだ明けやらぬうちからそわそわ準備にかかる。

何度経験してもバスに乗って出かけるのは心がはしゃぐものだ。ましてアルプス行きだ。隣の人と会話を楽しみながら窓外の景色を眺めていると夢のような思いがする。ところがそんな思いに反してどうも空の雲行きは怪しかった。雨さえぱらつく気配だ。途中、このままでは今日はアルプス行きは中止で「ベルン観光」に切り替わるかもしれないと内心心配した。ところが国境を越え山国であるスイスに入りアルプス山に近づくと平地のドイツでの天候と打って変わり、嘘のように晴れ渡っていた。万歳!皆の気分も一気に高揚する。

二時間超バスに乗った上、目的地のふもとの登山列車の駅ヴィルダースヴィル(Wilderswill 標高600m)に着きフィリンゲンの宿舎のシュベスターさん達が用意してくださった食事をにわかスタンドをつくり各自昼食になった。10月上旬とは言え、日本を出る時は寒いことを予想して、防寒用のジャンパーを用意してきたのでそれを着こんでのアルプス行きだったが、脱ぎ捨てねばならないほど暖かで戸外の食事も苦にならない。そう言えばエジンバラでも暖かかった。気候異変はヨーロッパでも現われている。地球は一体として病んでいるのだ。

その後、登山列車二両に分散して100名の者が頂上駅のシーニゲプラッテ(Schynige Platte)まで更におよそ50分ほどの行程を満喫した。右に左に曲がりながら眼前に迫るユングフラウはじめアルプスの名峰にそれぞれ息を呑む。自然界の創造のみわざの頂点だ。しかし、今朝読んだ詩篇には次のようにあった。

(アイガー・ミュンヒなど主峰)
新しい歌を主に歌え。
主は、奇しいわざをなさった。
主は御救いを知らしめ、
その義を国々の前に現わされた。
全地よ。主に喜び叫べ。
海と、それに満ちているもの。
世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。
もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。
山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。
確かに、主は地をさばくために来られる。
主は義をもって世界をさばき、
公正をもって国々の民を、さばかれる。(詩篇98)

「山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。」とある。名峰の前に無にも等しい私たち。しかし創造主はこの罪人をご自身の御子イエスの血潮を通して救い、ご自身の義を現わされる。その前に山々も主の御前で喜ぶとあるのだ。

山上で散策しながら、それぞれのところで、各自が好むままに写真に納まる。どの顔も晴れやかである。こんな時には言葉は要らないようだ。互いが大きな自然の中に抱かれているからだろうか。下山の時刻が来て再び登山列車でもと来た道を下る。今度は今まで気づくことの少なかった、ふもとの青い水をたたえたブリエンツ湖(Brienzersee)が山の木立から見え隠れするのや、移牧の牛が草を食む斜面を見ては、歓声を上げる。同じような登山列車が赤色などの車体を鮮やかに見せながら後ろ前と上り下りするのも見える。下山は早い。


再び長時間のバスで帰り道を急ぎながら、宿舎へと戻ったのは6時を過ぎていただろうか。しかし、到着早々間髪をいれず夕食の合図がなる。着替えもそこそこに皆食堂に集まる。今晩はどの人と一緒に食事をしようかな、となるべく今まで触れたことのない人と隣席につくように場所を選ぶ。そうかと思うと逆にいつもじっと離れない人もいる。何もかも自由である。快い疲れで食事もはかどり、互いに打ち解けあい会話も弾む。そういう中で集った人々の間に朝、祈り会をもってはどうかという話が自然と盛り上がってきた。もちろん参加は自由である。かくしていよいよ集いも佳境に入る気配を見せる。第8日目はこうして終わった。

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