2010年10月18日月曜日

第4日 I can do without you.

第4日目も晴れていた。しかし家内の足の痛さは相変わらずであった。遠出は諦めて、バスをふんだんに利用してエジンバラ市内へと出かけることに決めた。ところで行き先は再び書店と決めた。前夜、書店主からいただいた証を読んで痛く感動したからである。

(ロイヤルマイル内に位置する書店)
証の文末は「今日も宣教はみことばから離れることなく続けられています。いつまでもこのことは変わることはありません!救いは悔い改めと、主イエス様の忝(かたじけな)くも、流される清い血潮によってきよくせられることを確信することによってのみ可能です。主イエス様こそ唯一の救い主です。主イエス様はすぐに再び来られます」と結ばれていた。日本に帰ってきてこのパンフはネットでも見られることを知った。(くわしくは以下のサイトをご覧いただきたい。)
https://mccallbarbour.co.uk/about/

さらにその本文には昨日お会いした兄と妹がそれぞれ幼い時に救われたことが書いてあった。「兄は5歳、妹はもっと年端も行かない時(直接お聞きしたところによると3歳半とのことであった)」と書いてあった。ますますこの兄妹の方と再び会いたい思いがふつふつと湧き上がり、また昨日、探すことを忘れていた本や、買い残した様々な日めくりのカレンダーのことなどを思い出したからである。

こうして書店の扉を押して二度目の再訪を果たした。今度は本を片っ端から探した。前日見逃していた垂涎の書物が沢山あった。もっと若ければ購入したところだが、諦めた。変わったところでは、三浦綾子の「塩狩峠」の英語版が置かれてあったり、またジェシー・ペン・ルイスやハヴァガルの伝記も見られた。残念ながら、お目当てのAngus I. Kinnearの書いたウオッチマン・ニーの評伝「Against the tide」は見つからなかった。(後日談だが、数日後ドイツ・フィリンゲンでドイツ語訳を見つけた)

再び書店主と会話を楽しみ、日本から「実を結ぶ命」の英語版を送ることを約束して別れた。(のちにドイツで合流したキリスト集会の方々にこの店主との話を紹介したところ、早速一人の姉妹がドイツにまで日本から持参した同書の英語版を譲ってくださった。その姉妹も何のために持って来たか、特別当てはなかったそうだ。お役に立てて嬉しいと言ってくださった。帰国後、早速その本と私が所持していたものを合わせ二冊を航空便でお送りした。今ごろは日本からスコットランド・エジンバラへと向かっているはずだ。)

(右手壇上から語るのはノックス?)
その後、平日はお昼12時を期して行なわれる聖ジャイル教会(St. Giles' Cathedral)のDaily Serviceに出かけた。ジョン・ノックスゆかりの教会である。みことばの朗読が行なわれていたようだ。エペソ書やルカ伝が読まれており、家内も私もルカ10:38~42のように聞いた。その箇所は以下の通りである。

主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:41~42)

(堂内のノックス像)
堂内には観光客がちらほら、聞いていたのは私たち夫婦以外には3、4名のみで、淋しかったが、私たちはみことばを聞けたので満足して外に出た。アダム・スミス像、ヒューム像の間を観光客を交えて人々が闊歩する。道路はひっきりなしに、スコットランド特有の二階建てバスが走り去る。オズワルド・チェンバーズの通った教会もあったが、さすがそこまでは手が回らなかった。昼食をプリンセス通りのマグドナルドで済ませた頃には再び家内はダウン。止むを得ず、夫婦別行動を迫られた。明日はエジンバラを離れる。私にはもう一つどうしても訪れたいところがあった。それはDavid McCaslandの次の文章に関わる場所だった。

ある晩秋の夕べ、オズワルドは心を集中することができなくなり、部屋を出て、ホリールード館の保護区にある王室公園に向かって東の方に歩いていた。祈りに夜を徹して過そうと決心して、エジンバラを一望の下に見渡す市内でもっとも高いところ、「アーサーズ シート」以外に独りになるところはないと考えたからである・・・(『Oswald Chambers: Abandoned To God』56頁)

(アーサーズシート)
私はそこがエジンバラのどこであるかを最初から探していて見当はつけていたが、そこにいたるバス路線は中々見つからなかった。何しろエジンバラ市内には二つの運行バス会社がそれぞれ40数路線にいたるバスを走らせているのだが中々コースをつかめなかったからである。滞在わずか三日ではあるが見学の最終日、やっとあたりをつけて35番バスに乗車、ほぼ近くまで行けた。そこからは徒歩であった。家内が一緒だと足手まどいになるが、幸い私一人であった。夕闇迫る中、目的地を目指して歩行を早めた。その場所はまさに樹木一本生えていない草地におおわれたところであった。頂上を極めたかったが、こういう場合は一人のこともあり、心細くなり遠巻きに見ながら帰らざるを得なかった。しかし、この山「アーサーズシート」での「祈り」を通してチェンバーズが大きな主からの声※を聞かされたことを想起し、改めてチェンバーズにより一歩近づいた思いと、もう一方では近づきがたい畏敬の思いを抱かされた。

(鬼気迫るようにそびえる岩山)
※he heard a voice that actually spoke these words, "I want you in My service-but I can do without you."(彼は「わたしはわたしの召しにあなたをつかせたい、しかしわたしはあなたの力なしでことを行なうことができる」と確かに語りかけるみ声を聞いたのだ。前掲書57頁より)

(日本に帰ってきて慶應義塾大学出版会が編集した米欧回覧実記「イギリス編」を調べたらその238頁に明治4年9月12日すなわちチェンバーズの生まれる二年前に特命全権大使一行がこの岩山に登山したことが書いてあった。途中怖くなって尻尾巻いて下山した私に武士の魂はさておき、キリスト者の魂のひとかけらもないことに恥じ入らされた。)

ほとんど道案内もないまま、子どもたちの愛の贈り物を通してここまで導かれた今回のエジンバラ観光だが、一日、一瞬として無駄がなく、それぞれに深い意味があることを感謝した。宿舎に当てたホテルは日本でネットでさぐり、どこかわからないままで予約したが、その場所もまさしく私たちの行動にふさわしい場所であった。都心とも言うべき大きな駅であるウェイヴァリー駅でなく小さなハイマーケット駅が近くにあり、空港には最も近い場所であったことに気づいた。のちにドイツで人間の「計画」についてはるかに深い思いを教えられたが、エジンバラ観光はかくして私たち夫婦が「計画」の意味を知る緒戦の役割を果たしてくれたのである。マリヤのように、なくてならないもの、みことばにじっと耳を傾けることを教わった日々であった。

0 件のコメント:

コメントを投稿