2021年12月19日日曜日

はいりなさい

冬寒に いとこ迎える 庭仕度
2021.12.13
このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。(2ペテロ1・11)

  2021年を迎えて、一度も投稿せずに年を越そうとしている。それまでの年月のブログ三昧の日々はいったい私にとって何だったのかと思わざるを得ない。一方で別の観点から振り返れば、それだけ実生活に気持ちの余裕がなかったのかもしれない。

 ここまで書きながら、ブログから遠ざかったのが、ブログ投稿の書式がより緻密(?)になり、以前のように自由に投稿できなかったことが主たる原因であったことに思い至った。それは、今試し打ちしている文章が、まったくそれまでと同じように投稿できるようになったからである。まことに私にとっては大きなクリスマスプレゼントになった。もちろん、このことは私の「いのち」にかかわることでない。

 しかし、冒頭の聖句は今朝のクリスマス礼拝で朗読された聖書の一文であったが、私にとってこれぞほんとうのクリスマスプレゼントとなった。私はその時「豊かに」ということばに一瞬釘づけになったのだ。そして家に帰って来てからもう一度確かめてみた。ところが、みことばの意味するのは、豊かに「加えられた」とも書いてあり、それは「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵み」であることに改めて気づかされた。そう言えば、今日は、御国にはいる恵みを、何度も聖書朗読の箇所でお聞きした思いがしていた。

 そのひとつである「狭い門からはいりなさい」(マタイ7・13)というみことばは、イエス様ご自身の私たちへの呼びかけであることに気づく。イエス様は門の内に永遠のいのちを用意して待っていてくださる。それなのに、私たちはその門にはいることを躊躇(ちゅうちょ)しているのでないか。「はいりなさい」と言われるイエス様のやさしい声を何度も聞くことができるとは何という果報者であろうか。

2020年12月31日木曜日

新しい年もよろしくお願いします

白鷺を 追いつつ歩む 楽しさよ 古利根川を 妻と語らう

兄弟クワルトもよろしくと言っています。(ロマ書16・23)

 あっと言う間に大晦日を迎えてしまった。今年は「自己嫌悪」の思いが強くなり、このブログは8月以来、投稿しなくなった。ブログを始めたのは、泉あるところ1(2008年 6月開始)からなのだが、この12年間でもっとも投稿数の少ない年になってしまった。

 その原因としては「自己嫌悪」の他に、カーライルのクロムエルの紹介について確たるものが自身の内に持てなくなったことがある。そんなおり、二日ほど前に、内村鑑三の「ロマ書の研究(下)」を読んでいたら、たまたま次の文章に出会った。(同書第58講パウロの友人録より引用)

 カーライルのクロンウエル伝は、世にある伝記中の最も優秀なものであろう。彼はクロンウエルの書簡と演説をできるだけ多く蒐集(しゅうしゅう)し、それに説明を加えて、読者の了解に便ならしめて、これを世に提供したのである。ゆえに、題して『クロンウエル伝』といわず、『クロンウエルの書簡および演説』という。けだし彼もし自己の筆をもってクロンウエルの生涯をえがきださんか、読者はカーライルを通してクロンウエルを知ることとなりて、その知識は間接なるをまぬかれないであろう。

 しかし、もしクロンウエルの書簡と演説とをそのまま読者に提出するときは、人々は直ちにクロンウエルの姿に接するを得て、その知識は直接かつ純粋なるを得るであろう。カーライルはかく考えしゆえ、わざと自己を隠して、もっぱらクロンウエルだけを人の前に提出したのである。これ彼のクロンウエル伝の特に貴き理由である。まことに人の手紙ほどその人をよく表わすものはない。

 ロマ書のごときは一つの系統ある思想の大なる発表であるが、最後にこれら人名録を見て、これが一つの書簡としてこれらの人々に送られしものなることを知りて、この書が単なる論文にあらずして、生ける人より生ける人に送られし一つの生ける消息であることを知るのである。実にこの人名録はロマ書の価値と性質とを示すものである。

 もとより、以上の内村の文章は、ロマ書の本質を示すにありて、カーライルの「クロンウエル伝」への言及は単なる傍証として用いたに過ぎない。が、近頃、読んだ文章の中では私にとり、一服の清涼剤の役目を果たしてくれた。それはクロムエルに注目したことは間違いでなかったと思ったからである。また、ロマ書は毎日でも読むべきだとはかつてベック兄の書かれた書物(『神の愛』)で読んだことがある。その時、こんなむつかしい文章をと思っていたが、パウロのローマ人に宛てた手紙は(他の手紙もそうだし、聖書全体がすでにそうなのだが・・・)内村も言うごとく、生ける人の生ける人に送られた生ける消息であったことをこの年末ほんの少しだが、聖書通読の際に体験することができたからである。

 コロナ禍で始まり、大変なコロナ禍で年を越し、ますます人と人との接触が難しくなる中、パウロが「兄弟クワルトもよろしくと言っています」と一切の肩書き抜きのクワルトを、わが「兄弟」として(しかし、これこそ最大の賛辞である)ローマの愛する人々に紹介して書簡を閉じていることに大きな励ましをいただいた。新しい年、愛する方々を今まで以上に覚え、ともに心から主を賛美したい。

2020年8月15日土曜日

クロムエルの手紙(1650年8月3日)

エジンバラ・プリンセス通りの花園  2010.10

 過去二日間、クロムエルの手紙の中では私信とも言うべき手紙を紹介しましたが、今日は公的な手紙を紹介したいと思います。現代風にしようかとも思いましたが、やはり畔上氏の周到な訳文の方が雰囲気を味わっていただけるのではないかと思い、それを以下転写します。(『畔上賢造全集第9巻430〜431頁より引用。)

卿(けい)らよ

 卿らの我が軍の宣言に対する返答書拝見仕(つかまつ)り候。我が僧職はそれに答える辞を草したれば、同封にて送り申し候。

 この度のことにおいて卿らが神意に叶うか我らが神意に従えるかは、神の慈愛によりて定まることにて候。されば我らはこの結果をすべてを処理する全能者に任せ申し候。ただし我らは光明と慰安の日に増し加わるを知り、遠からずして神その大能を現わし給いて、万人これを認めることと確信致し候。

 卿らは我らを知らずして、我らの神のことについて、我らを審(さば)く。そして卿らは頑なにして巧みなる語をもって、人民の中に偏見を懐かしめたり。人民は、良心の問題については一人一人が神に対して責を負うべきなるを、あまりに卿らに盲従し過ぎたり。ーーこれ彼らを破滅に導くにあらざりかと、我らは危ぶみおり候。

 卿らは我らよりスコットランド人民に告げし公言を隠して人民に示さず。(彼らこれを見なば、我らの彼らに対する愛情をも知らん者をーーことに神を恐るる者は。)然れども我らは卿らより来る文書を自由に兵卒に示し候ゆえ、たくさんお送り越されたく候。余はこれを恐れず候。

 我らは人として各種の宣言公示をなすか、あるいは主のため主の民のためにこれをなすか?まことに我らは卿らの数を恐れず、また己にも信任を置かず候。我らは卿らの軍に対し得べし(神に祈る、我らをもって誇るものとなすなかれ)と信じおり候。 我ら卿らに近よりし以来、神は聖顔を隠し給いしことこれなく候。

 卿らの罪大なり。無辜の民の血を流すの責を受け給うなかれ。(卿らは王及び誓約を掩飾として民を欺き、民の眼を暗くせり。)卿らは他を非難し自己を神言の上に立てりと言う。卿らの言うところことごとく神言に応ぜるか、願わくは自らを欺き給うなかれ。教訓(いましめ)に教訓を加え、度(のり)に度を加うるも、主の語は、ある人には審判の語となりて後に倒れ、損なわれ、わなにかかりて捕らえられるべく候(イザヤ28:13)。使徒行伝第二章にあるが如く、世がもって狂気と認める霊的充実もあらん。また霊的酩酊(めいてい)と言わるる肉的信頼(誤解せる教えの上に立てる)もあり。死と立てし契約あり。陰府(よみ)と結びし契りあり(イザヤ28:15)。我ら卿らの契約をもってこの類となすにはあらず。されどこのことに於いて悪しき肉の人と同盟するも、なおかつ神の契約にして霊的なりと言い得べきや。願わくは三思せられたく候。

 イザヤ書第二十八章を五節より十五節まで読みて、命を与うるものは聖霊なることを知られたく候。主卿らと我らに聖意を為すの明を与え給わんことを祈る。願わくは神恩卿らの上にあれ、以上。

1650年8月3日           マッセルバラにて
                     オリヴァー・クロムエル

スコットランド国僧職総会御中
(もし総会開会中ならぬ時は僧職委員会へ)

 以上が、クロムエル51歳の時の手紙である。この時クロムエルは16000名の兵を率いてイングランドとスコットランド国境のトゥイード川をわたり、エディンバラから8マイルの地点に迫ったが豪雨と補給不足に退却を余儀なくされていたようであります。マッセルバラはエジンバラ近郊の村です。さて、私はこの手紙の最後の言葉に大変心惹かれました。それはイエス様が「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。」(ヨハネ6:63)と言っておられるが、クロムエルは激戦の最中そのおことばを味わっており、上杉謙信の塩にまさりて余りあるイザヤ書28章の瞑想を勧めているところであります。

2020年8月14日金曜日

クロムエルの手紙(1638年)

蜜を求めて蝶舞う。振り返りて、我が人生もまた。

 親愛なる我が従妹へ

 粗野である私に対してつねに少なからぬ愛情を寄せてくださることを、この機会に感謝申し上げます。まことに貴女は私の手紙や友情に対して、過分なご芳情をくださっておられます。私は自らの愚鈍さを思い、貴女のこのお褒めの手紙をいただいて恥入っております。

 しかし、神様が私の霊魂になしてくださったことを公言して神様の御名を崇めることは、今日ただ今の私の確信であり、また将来もそうであります。神様は水の一滴もない、乾いた、不毛の地に泉を湧き起こしてくださることを私は確信いたしております。私はメシェクに住み、ケダルに宿っております。メシェクは延期を意味し、ケダルは暗黒を意味します(※)。しかし主は私を捨てられません。主は延期はされても、ついには主の幕屋まで、主の安息所まで私を連れて行ってくださると信じております。私の魂は長子キリストにつらなる会衆とともにあり、私の体は希望の中に宿っております。そして行為であろうと、苦難であろうと、私の神の御名が崇められますならば私は嬉しいのです。

 いかなる人がいらっしゃろうとも、私ほど神様のために身を呈して働かなければならない理由を持つ方はいらっしゃらないでしょう。私は給料をたっぷり前払いとして神様からいただいております。しかし一銭も神様のために私が儲けることができないことは明らかです。主はそのひとり子(=イエス・キリスト)において私を受け、私をして光の中に歩ましめてくださいました。主が光ですから、私たちは光の中を歩めるのです。私たちの暗黒を輝かしてくださるのは主です。主は聖顔(みかお)を私から隠すとは申されないのです。

 主は私に主の光のうちに光を見せてくださいました。暗いところに照らされた一つの光はその中に無限の慰めを持っていたのでございます。私のように暗い心を持っていた者を照らして下さった主の御名はまことにほむべきかな!

 貴女は私の過去の姿を知っておられるでしょう。そうです、私は暗黒の中に住み、暗黒を愛し、光明を憎んでおりました。私は罪人の首(かしら)であり、私は心から聖いことを憎んでおりました。ところが神様は私に慈悲を上から下さいました。ああ主の恵みの何という豊かさでしょうか。私のために主を賛美してください。私のうちに良きわざを創(はじ)められたことが、キリストの日にそれを完成してくださるように私のために祈ってください。

 マシャム家の人々によろしくお伝えください。みなさんの愛に負うところが多いのです。私は皆さんのために主を褒めあげます。また私の息子も皆さんのおかげで健全になりました。主を褒めあげます。願わくは今後も我が息子のために祈り、教えてやってください。また私のためにも。

 ご主人様にも、御妹様にもよろしくお伝えください。
これで名残惜しく筆を置きますが、主が貴女とともにあられますようにお祈り申し上げます。

 1638年10月13日         エライにて
                      オリヴアー・クロムエル

 エセクス、サー・ウイリヤム・マシャム方
  愛する従妹、セント・ジョン夫人様

※引用者注:詩篇120:5に「ああ、哀れな私よ。メシェクに寄留し、ケダルの天幕で暮らすとは」とあります。

 以上は、畔上賢造全集第9巻213頁からの引用である。ただし、格調高い畔上氏の翻訳文章は現代人には、今一つ理解が困難があると思われるので、あえて現代風に表現を改めた。なお、この手紙はクロムエル39歳の時のものである。59歳で召される彼の人生はその後の20年間もまた主の前に検証さるべき生涯であったろう。しかし、この手紙を解説するに際してカーライルは次のように述べている。これに関しては畔上氏の翻訳原文のまま転写する。

「ここに人が霊魂を有せしこと、神とともに歩みしことの証がある。彼は「上へ召して賜うところの褒美を得んと標準(めあて)に向いて進」(ピリピ3:14)んだのである。一度神の道に従う、苦難窮乏何かあらん。恩恵既に足る、ただ己を殺して神の許に投ずる。生くるも死ぬるも主の思いのままである。これがクロムエルの信仰であった。読者よ、かかる経験を有するか。もし有せずば、現世(このよ)の行路は平安ならんも、天の光を宿すことは出来ぬ、天の光を放つことは出来ぬ。」

 1638年の手紙は、遺されている二百余通のうちの初めから二通目のものであるが、まことに彼の思い・信仰はイングランドの死命を制する要路にあっても、変わらなかったのではないかと思う。

2020年8月13日木曜日

クロムエルの手紙(1649年8月13日)

your most humble servant 署名・肖像


 畔上賢造という方がおられる。この方が大正初期に翻訳し発表されたカーライル著『クロムエル伝』がある。本ブログでも何度かご紹介したことがある小林儀八郎さんhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/02/blog-post_26.htmlが親しんでおられた著者である。今から10年ほど前に、同氏の全集を遺族の方から譲っていただいていたが、これまで書棚の片隅に置かれたままだった。ところが、最近知人になった方からクロムエルの話がたまたま出てきた。クロムエルについて自らも何らかの知見を得たいと思うようになった。その時にこのカーライル著『クロムエル伝』の存在を思い出し、ここ4、5日読んでいる。

 そんな時、またしても日々読んでいるブッシュさんの『365日の主』の昨日のところの冒頭で、権力者のひとつの例示としてクロムエルがフリードリッヒ・ウイルヘルム二世、ヒトラーとともに名前があげられていた。ブッシュさんは「怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる」(箴言16:32)という聖句のすばらしい解き明かしをなさっていた。

 確かに、クロムエルは「町を攻め取る」者であった。アイルランド、スコットランドと17世紀内乱状態のイングランドにあって「鉄騎兵隊」の指揮官として権力をほしいままにしたと言われてもしかたがないかもしれない。しかし、彼が自らの心を治めていなかったか?いなかった、と果たしてそう簡単に言ってしまっていいのだろうか、という思いがした。

 幸い、畔上さんはカーライルが紹介している200数十通の手紙を1600年代(我が国で言うと江戸時代初期に該当するが)当時にあわせ、訳しておられる。2020年の私たちにはそのままでは読みにくいかもしれないが、以下そのまま転写した。しかも1649年の8月13日の日にちだけは今日の日付のある手紙である。(以下は『畔上全集』9巻372頁より引用)

我が親愛なる娘よ〔子の嫁に対して〕

 御身の手紙ははなはだ喜ばし。私は御身を愛しおるもの、御身よりの贈り物は何によらず喜ばしく候(そうろう)。さればつまらぬご助言申し上げたく候。
 何よりも先づ神を求め神の御声を聞くことが大切にて候。御身にして怠るなくば主の声は耳または心に聞ゆるものにて候。御身の良人(おっと)をも勧めてこの態度を取らしめたまえ。現世の快楽や有形の事件を第二、第三とせられよ。キリストにおける信仰によってこれらの上に出られよ。然らずしては真にこれらを利用しまたは味わうこと出来がたく候。御身の淑徳(しゅくとく)増し、主にして救い主なるイエス・キリストを益々深く味わわんことを祈る。主は近し、これそのわざにて明らかに候。アイルランドにおける主の大恩恵は明らかにこれを示し候。委細は良人より聞きたまえ、我ら皆感謝の思いにあふれざるべからず。我らかかる恩恵について神を賛美せんには大いにキリストの精神を要し候。我が親しき娘よ、主御身を恵まんことを祈る。

1649年8月13日       ジョン号船上にて
                   御身の親愛なる父
                    オリヴァー・クロムエル

ハースレーに在る
 愛する娘ドロシー・クロムエルに

2020年8月10日月曜日

エル・ロイ(ごらんになる神)

テムズ川上空から(2010.10.14)※

 昨日の朝日新聞に編集委員の曽我豪氏が「戦後75年の夏・継がれゆく記憶」と題して、高峰秀子、古関裕而の戦争体験を述べ、一方で、今「エール」に出演中の二階堂ふみ(25)にどのように受け継がれていくかに触れながら、最後に「忘れず残したいと思う意思と聞いて継いでゆきたいと思う意思、その二つがあれば戦争の記憶は風化しない」とあった。

 世代を越えて、伝えることの尊さを思わされた。戦争体験ではなく、別の私的な経験で、ほんの少しだが、世代を越えて、伝えることの尊さを経験させていただいた。世がコロナ禍で騒いでいる5月下旬、愛する高校二年生の孫娘が急にコロナウイルスの病とは別の病を得て緊急入院をした。多くの方の祈りに支えられ、幸い7月には退院し、現在リハビリをしながら日常生活へと戻りつつある。そんな苦境にあった孫と最近LINEをとおしてメールの交換をする機会が与えられている。

 今回、私の孫に対する語りかけは25年前のことから、一気に60数年前に遡(さかのぼ)ることになった。25年前のこととは勤務校が思いもかけず夏の甲子園大会に出場した時の様々なエピソードの紹介であった。孫はもちろんそんなことは少しも知らないからびっくりしたことであろう。

 よせば良いのに、私は図に乗って、小学校6年の時の模型飛行機大会のことを話した(もちろんLINEのメールを使っての対話ではあるが・・・)概要は、その模型飛行機大会で、不器用極まりない私の飛行機が滞空時間がわずか50数秒で優勝した時の話だ。その日は風が強く、いつもは一分は優に超えるタイムで勝負が決まるのに、なぜか私の飛行機だけが墜落しないで最後まで飛び続けた。

 それだけでも私には驚きだったが、その時の褒美が何とほんものの飛行機に乗せてもらえるという景品つきだった。後にも先にもそんな話は聞いたことがなかった。私はこのビッグニュースを早速母に知らせようと急いで家に帰ったが、あの時ほど、自分の駆け足の遅さがうらめしかったことはない。とにかく「地に足がつかない」とはまさにその時の私の気持ちだった。

 そうして確か大津の皇子山に彦根から列車で担任の先生と二人して出かけ、プロベラ機に乗ったのだ。琵琶湖上を旋回して数分後に着陸し、あっと言う間に終わった。そのあと、帰ってから全校生徒の前で飛行機に乗った話をするように言われたし、作文を書くようにも言われた。その時、私は「みんなの家がマッチ箱のように見えました」とだけ言って降壇したように覚えている。

 先生方だったか、飛行機に乗ったんだから、乗った人しかわからない、もっとちがう話のしようがあるもんだと言われたように思う。私にしてみれば、本当言えば、飛行機に乗れるという話を聞いた時は先に書いたように、最初はうれしかったが、その日が近づいてくるに従って段々心細くなって来たのだ。大津への車中でもそのことばかり考えていた。「落ちたらどうしよう」と。ましてや、滑走路をガタガタと言わせて走っていくプロペラ機に身を任せている時なんかは、生きた心地がせず、先生が隣にいても恐ろしい思いだった。

 ところが、作文にもやはり自分のそのような内面の気持ちは書かずに、当たり前のことを書いた記憶がある。案の定、先生をふくめてみんなには不評判だった。それ以来「作文」というものは嫌なものだと思うようになった。孫にはこの内面の思いは伝えきれず、模型飛行機大会の事実だけを伝えた。特に自分がいかに模型飛行機をつくるのに竹ひごもうまく曲げられず、紙の貼り方も下手な誰の飛行機よりも稚拙(ちせつ)だったのに、優勝してほんものの飛行機に乗ったことだけを伝えた。

 孫は長いじいじの話を忍耐強く読んでくれたようだ。次のような感想を書いてくれた。「やっぱ見た目じゃなくて結果ってことなんだね」「じゃあ、じいじは一人で貴重な体験したってことだね!!!」ありがたい孫の感想だった。

 ところが昨日、今日とヴィルヘルム・ブッシュさんという方が箴言15:11「よみと滅びの淵とは主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと」を引用して書いておられることを読みながら、孫にもう一つの大切な事実〈結果が良ければ、すべて良しではなく、人の心の中の動機こそたいせつなのだ、主なる神さまはそこを見られるということ〉を知ってほしいと思わされた。それは不器用な一人の少年が、苦心しながらつくった模型飛行機に、法外なごほうびをくださったのは主なる神さまだったのでないかということである。強い風に誰よりも稚拙な模型飛行機だけが最後まで飛び続けたこと自身、この歳になっても未だに不思議でならない。ブッシュさんの今日の箇所を拝借して引用させていただこう。

 聖書(創世記16:13)の中に、子供をみごもった体で、荒野に迷い込んだひとりの母親のことが書かれています。渇ききり、絶望して、ついに彼女は死を覚悟します。その時突然、自分の名前が呼ばれます。それは神の御声でした。彼女はこのお方を「エル・ロイ」(ごらんになる神)と呼びました。

 主よ! あなたのあわれみに満ちたご臨在を感謝します。 アーメン

 「エル・ロイ」の神は、まさに冒頭の朝日新聞の曽我氏の言にしたがえば、忘れず残したいと思う意思と聞いて継いでゆきたいと思う意思により、歴史始まって以来、今日まで連綿として伝えられてきた、罪人に対して一方的なイエス・キリストの十字架をとおして示された愛そのものでないかと思わされた。

(※飛行機でエジンバラからロンドン上空を経由してフランクフルトに入った記憶がある。その時、機内から撮影した写真である。考えてみると10年前である!)

2020年7月17日金曜日

母の面影


女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。(イザヤ49:15)

 昨日の東京新聞夕刊「大波小波」にこんな記事(「遠藤周作、母の『影』」)が載った。読んでいて思わず目を疑った。それは次の文句で始まっていたからだ。

 「母さんは他のものはあなたに与えることはできなかったけれど、普通の母親たちとちがって、自分の人生をあなたに与えることができるのだと・・・」

 これは全く我が母と同じでないかと思ったからである。しかし、読み進めながら、もう一つの事実に気がついた。それは人間としての矜持(きょうじ)に触れたくだりだ。それについては後に触れたいが、私は遠藤周作については全く何も知らないと言っていい。ただ中学だったか高校の時だったか、毎日新聞に彼の小説が連載されていて、その小説を母が熱心に読んでいて、私にも勧めてくれ、時たま私自身も読んだことがあった。確かガストン先生という愉快な人物が出て来て、何かしら「ペーソスとユーモア」というものを感じさせられたことを思い出す(※)。

 後年、私自身がキリスト者になり、そのことが知人にわかると、必ずと言っていいほど、遠藤周作の『沈黙』を相手の方は話してくださる。ところが小説好きであるはずの私は未だにこの有名な作品を読んだことがない。そこには間接的に聞こえてくる、遠藤のイエス様像が、私が聖書で親しんでいるイエス様とはまったくちがうからである。イエス様の死は決して「殉教死」ではないからである(「人の子が来たのは・・・多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである」マタイの福音書20:29)。

 それはともかく、大波小波の「友星」が指摘する以下の言及だ。

 遠藤周作の未発表小説『影に対して』が、『三田文学』夏季号に載った。読めば、すぐわかる。ただの未発表作品ではない。三人称小説だが、告白に近い。告白ゆえ、関係者に配慮して発表が断念され筐底(きょうてい)深く沈められたのだろう。
 私はパスカルの「メモワール」を想起した。自身にとって最も重大切実な回心体験について、パスカルは終生語らなかったが、死後、服の裏地に自筆メモが縫いこまれているのが発見された。「影に対して」は、遠藤の人生の裏地に縫いこまれた「メモワール」だったろう。母の音楽は子の文芸に受け継がれた。

 最初読んだ時、遠藤もパスカルも人間としての「矜持」に立ち、自らのたいせつな「告白」を封印している。そこへ行くと、私自身平気でこのブログなどで「告白」https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2011/05/blog-post_22.htmlをしている。それは私の人間としての軽さから来ることにちがいないと痛み入ったからである。しかし、この文章を写している間に、パスカルの「メモワール」をはたして「夕星」氏が言うように、回心体験を終生語らなかった証だと言えるのかという疑問が出て来た。

 パスカルの「回心体験」は私のこのブログhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/04/blog-post_22.htmlでも紹介しているし、私自身、パスカルに導かれるようにしてキリスト信仰を持つようになった経緯がある。聖書にはイエス様の一切が福音書に書かれている。また詩篇などにはそれこそ赤裸々な人間の気持ちが吐露されている。遠藤周作が未発表小説『影に対して』を筐底(きょうてい)深く沈めたのはわかるが、それと「メモワール」を同一視するのはやや飛躍しているのではないかと思った。

 パスカルの人間としての矜持は、肌身離さず、イエス・キリストへの思いを忘れまいとするそのただ一事にあったことではないだろうか。とまれ、近来心を動かされた「大波小波」であった。このような文化欄を持つ東京新聞はやはり捨てがたい。

(※念のため、図書館で調べたら遠藤周作文学全集5巻に「おバカさん」の題名で収録されていて、1959年3月26日から8月15日まで朝日新聞に連載とあった。私の高校2年の初め頃だとわかった。疑問なのは私の家では毎日新聞しか取っていなかったと思うのだが・・・。冒頭の写真は旧アルバムから出て来た母の写真。私が生まれる前の写真だと思う)