2023年12月25日月曜日

MERRY CHRISTMAS

 今日は久しぶりに行きつけの歯医者さんに行きました。受付には美しい樅木をイメージした絵模様とともに、MERRY CHRISTMASの英文字が一際目立っていました。よく見ると、右側には、何やら英文が記されていました。大要次のような内容でした。

 悲しんだり怒ったりするのはやめましょう。微笑みと笑いに満たされましょう。だってサンタ・クロースがもうすぐやって来るんだから。世界中のすべての人がしあわせになるに違いありません。老いも若きもみんな同じ気持ちになれます。サンタ・クロースはすぐに来ます。

 まさしく、サンタさんのプレゼントを待ち焦がれ、ひとりのこどもは今まさにそのプレゼントを受けようとしています。満面に笑みを浮かべています。ちょうど今からほぼ40年前のワンシーンです。サンタに扮しているのは教会の牧師さんです。


 それからほぼ20年、上の写真は、幼稚園の会場を借りての、2005年子どもクリスマス会の写真です。子どもたちの前に立っているのはそれぞれ劇を演じた人々です。真ん中にヨセフ・マリヤ夫妻がいて、マリヤが赤ちゃんのイエス様を抱いています。そしてそのまわりに天使たちがいます。まさにクリスマスの再現です。照明が暗いのが残念ですが、みなさんが一体となってクリスマスを祝っています。


 そして、この写真が40年後の子どもクリスマス会、この23日に行なわれたクリスマス会の写真です。ZOOMでも見られるので、私はZOOMで参加し、家にいながら写真を撮りました。ちょうど、このときは子どもたちがハンドベルでクリスマスソングを披露していました。そのうち、やはり現場に行かなければと、急いで参加し、劇『舌切り雀』などを鑑賞し、主イエス様の御降誕の意味を味わうことができました。もちろん参加した人々はこどもだけでなく大人もふくめてプレゼントをもらってしあわせな気持ちに会場を散ずることができました。

 さて、クリスマスってどのように過ごせばいいのでしょう。スポルジョンは次のように語っています。大いに耳を傾け、主なる神様が、人類にくださった最大のプレゼント・イエス様をよりよく知りたいものです。

きょうベツレヘムに行き、驚く羊飼い、礼拝せる博士らとともに、ユダヤ人の王として生まれたまいしかたにお会いしようではないか。それは私たちが信仰により彼にあって富を求め、「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた」と歌い得るがためである。イエスは受肉されたエホバであり、われらの主、われらの神であり、さらにわれらの長兄であり友である。私たちは彼をあがめ、ほめたたえようではないか。

まず注意したいことは、彼が奇跡によって身ごもられたことであり他に例がない。すなわちおとめが身ごもって男の子を産んだというのである。最初の約束は「女のすえ」であり、男のすえではなかった。はじめに女が楽園喪失の罪を招いたため、今は女が楽園の回復者を迎え入れたのである。私たちの救い主は真に人であられたが、同時に神の御子であられた。聖なる幼な子の前にうやうやしく頭を下げようではないか。彼はその罪なきことによって、人間の喪失したいにしえの栄光を回復された。私たちは彼が私たちのうちに栄光の望みとなられるように祈ろうではないか。

また彼の両親がいやしき身分であったことを見落としてはならぬ。彼の母は「おとめ」と記されているのみで、女王とも女預言者とも、大金持ちの主婦であったとも記されてはいない。いかにも彼女の血管には王族の血が流れていた。また愚かな教育なき女でもなかった。なぜなら彼女は実に巧みに神をほめる歌を歌うことができたからである。しかし彼女の地位はなんとみすぼらしく、その婚約者はなんと貧しく、新しき王の誕生のための設備はなんと貧弱であったことか。

インマヌエルーー神は私たちの性格の中に、悲哀の中に、生涯の事業の中に、受くべき懲罰の中に、また私たちの墓の中に共にいまし、現在も私たちと共にいたもう。否、私たちは、復活に、昇天に、勝利に、そして輝かしき再臨において彼と共にいるのである。

(『朝ごとに』C.H.スポルジョン著360頁より引用)

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(新約聖書 ルカの福音書2章11節)

「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む、その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(新約聖書 マタイの福音書1章23節)

2023年12月21日木曜日

天と地と人を写す写真の力

 今日は久しぶりに都心に出た。もっとも11月の勤労感謝の祝日にはいとこと会食のため、杉並に出かけたのだが・・・。でも都心という意識はなかった。それに比べると、「京橋」は都心に違いない。コロナ前は都心を通っては、吉祥寺まで週一のペースで足繁く通っていたのだが、ここ三、四年すっかり足が遠のいていた。そのうちに80歳という節目もいつしか通り越してしまった。あれやこれやでいささか都心行きは不安であった。

 目的は、知人から左の写真展の案内をいただいたので、出かけることにした。ちょうど開催期間は、私の帰省時期と重なり、出かけるとしたら、最終日の今日しかなかった。午後出かけることにして、午前中は賀状作りに精を出し、のんびり過ごしていたが、最終日の終了時間が午後2時となっていることに途中で気づき、少々慌てた。行かないとなると、折角案内状をくださった方に申し訳ないという思いが先立った。昼食もそこそこに家を出たが、電車を乗り継いで1時半には京橋駅に着いた。知人もおられるはずだと思うが最初は気がつかなかった。それよりは一枚一枚の「写真」のすばらしさに魅せられた。

 目は口ほどに物を言う、と言うが、「写真」という媒体がこんなにも多くのことを伝えてくれるとは思いもしなかった。日頃、ブログで写真を載せているが、その写真はあくまでも私の場合「飾り」に過ぎない。ところがこの「中国大陸を行く」という写真展はそれぞれの写真が語りかけてくるのだ。全体重をかけられ、それをどうこちらが反応すれば良いか心を探られるのだ。「来て良かった」と思った。

 写真展には、私のような鑑賞者がいることは当然なのだが、最終日とあって、写真を出しておられるカメラマンの方々もおられることに少しずつ気づき始めた。そのうちに懐かしい知人もおられることがわかった。早速駆け寄り挨拶したが、互いに握手しただけで終わった。あとでわかったが、その時、私は帽子を被り、マスクをしているので、知人には私が誰だかわからなかったようだ。気づくや、彼の出品作品の前で写真を撮ったりし、お互いにコロナ以来の再会を喜び合った。そして共通の友人が朝一番でお見えになっていたことも知ることになった。このことも不思議であった。

 鑑賞し終わって、帰ろうとしたら、主催者の方であろうか、その知人に「折角だから、この写真集をあげたら」と言っておられるようだった。見るとすごく立派な写真集だった。私は「お金を」と言ったが、「まあ、いいから。どっちみち見ていただくのが目的なのだから。それよりも荷物になるが、いい?」というようなことを言われたが、私は遠慮せずその本をいただいて帰りの途に着いた。『秘境探訪(中国少数民族地帯を行く)』(藍健二郎著)がその本であった。

 その後、私はその本が大判(120頁)なので、バックにも入れられず、むき出し状態のまま抱えながらの移動となった。そして、都内に行くときの長年の習慣で、私の足は古本屋へと自然に向かっていた。さすがに神保町はやめにして、時間も遅いので、江東区の南砂町の行きつけの古本屋だけにしたが、本を持って店内に立ち、掘り出し物を探すのには若干気が引けた(万引きしたと思われはしないかと思い)。ところで掘り出し物はこれと言ってなかったが、コロナ前にすでに目にしていた本が未だにあることを確かめて、内心安心した。機会があれば買えるからと思ったからだ。さて時間も経ち、寒さが身に染みてきたので、その店を出て、家路を急ぐことにした。その代わりに、帰りの車中で、ゆっくりその待望の写真集を手にすることができた。

 そして、圧倒された。たとえば、昨日の我がブログの「初雪の我が思い」がいっぺんに吹き飛んでしまう思いがした。すでにして昨晩は北国の豪雪の様を知るにつれ、我が思いは甘いと感ぜざるを得なくされていたのだが、もっと根底的な驚きであった。すなわち、自然の雄大さ、雪を抱く峨々たる山脈の鋭峰が写真集で表現されていたからである。改めて創造主のみわざに目を見張らされた。

 さらに家に帰って落ち着いて鑑賞すると、今まで気づかなかったことに次々と目覚めさせられていく思いがした。写真集の帯には「卒寿の輝き」とあった。1930年生まれの藍さんのいのちをかけた写真集であることは次の帯文章でも伺える。

中国少数民族地帯と聞くと「神秘的」「未開の地」「経済が遅れている」と連想するのだろう それはそれで言えているかもしれない しかし、そこは別の意味で未知の世界であり、神秘的で、憧れの地なのだ 藍さんは80歳を超える年齢で四輪駆動車で普通の人たちがなかなか行かない秘境で合計7回、距離にして約二万キロもの旅を完成させた 藍さんの精神・意志・生き様はみんなにパワーを与えるに違いない!!!

 「老いて盛んなり」とは中々常人には及び難い境地だが、私はこの作品集を前にして、一方なぜか信仰者の歩みを同時に思うた。一つは以前ご紹介した「田藤清風」氏の生き様である。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/08/blog-post_29.html あと一つはモーセである。

こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。モーセが死んだときは120歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(旧約聖書 申命記34章5節〜7節)

初めに、神が天と地を創造した。(旧約聖書 創世記1章1節)

2023年12月20日水曜日

初雪の我が思い

初雪に 寒さものかは 千両
 二、三日故郷に帰っていた。月曜日の朝、気づいたら庭先に雪が舞い降りていた。いよいよ冬の到来である。帰り際、伊吹山はもちろんのこと、霊仙山(りょうぜんざん)など近くの山々もうっすらと雪化粧をしていたが、東海道線の彦根・関ヶ原間を東京方面に一歩、離れると雪は見られなかった。繁くこのあたりを旅する者には、今も不思議で、芭蕉に「おりおりに 伊吹を見ての 冬ごもり」の句があるほどである。寺田寅彦がそれにちなんだ名随筆を残している。地形と気流の妙なる組み合わせを明治時代の彦根測候所のデータをもとに分析した文章である。

 今回帰省したのは日曜日の近江八幡での礼拝に出席するためであった。礼拝は喜びの時であるし、すばらしいし、いつもその「賛美」やそこで読まれる「みことば」や「祈り」に大いに励まされる。そして、遠くから来て良かったと思わされる。ところが、そのあとが私にとっていつも苦痛になる。礼拝に続いて、福音集会というのがあり、そこで聖書のことばから示されたことを語るひとときがあるからである。普通それは「メッセージ」と言われているものなのだが、その当番に当たっていたからだ。私は、今年一年そのご奉仕に悩み続けてきた。そのメッセージが毎回、中々自分の思ったように、できないのだ。その日は近づく。時間は待ってくれない、どう語っていいか悩みに悩む。ただ座右には聖書があるから、ほんとうはそんなに困るはずがないのだが・・・。今回このご奉仕を終え、一年間のメッセージの機会はやっと終わった。今ホッとしている。

 そんな気持ちにはまだなっていず、日曜日のメッセージを、依然として、ああ語れば良かった、こう語れば良かったといつもながらの後悔をしていた月曜の朝、床から起きて見たのが、この雪景色であった。千両の赤や黄色の実はいつも冬の間、庭先を彩ってくれる。灯籠や石ばかりの庭で風情もあったものではない。小さい頃は、それでも梅もあり、つつじ、椿とそれなりに季節の移り変わりを感じさせてくれた。その庭に初雪が舞い降りていた。我が思いを包むかのように。残念ながら、覆い尽くすまでには至らなかったのだが・・・

 こちらに帰ってきて、自ら録音したものをもう一度聞き書きして、自己満足ではあるが、以前よりは「福音」をストレートに伝えられるようになってきているのを知って少し安心した。新しい年は、もっと聖書に親しもう、イエス様を心から愛し従おうと今思いを新たにしているところである。ちなみに近江八幡のメッセージの題名は「敬虔なる服従」で引用聖句は1ヨハネ2:15〜17で、結びの聖句は1テモテ3:16、4:7〜8であった。

 ところで、先ほど、一年前のブログ記事https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2022/12/blog-post_22.htmlを見て驚いた。意味の不鮮明な文字を冒頭に書いていたからである。「嫉妬に燃えた不仁慈らが見出すことの出来なかったイエスの死の尊さを、偏見のないこの異邦人は見出し得たのである」という文章であるが、これでは読者は何のことかわからないはずである。「祭司長」と書くべきところを「不仁慈」と書いていて(パソコンの変換ミスであろうが)一年間も乙に澄ましていたからである。一年後にこの誤植を見出すとは、過誤があるのが私の常であると思うが、改めて、いかにも我が人生を集約しているかの思いにもさせられている。

「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。しかし、もし拒み、そむくなら、あなたがたは剣にのまれる。」と、主の御口が語られた。(旧約聖書 イザヤ書1:18〜20)

2023年12月1日金曜日

生きとし生けるものの願い

叢(くさむら)に イナゴ見つける のどかさよ
 あっという間に、師走に入った。熱い夏が長く、秋に入ったはいいが、例年よりははるかに短く、瞬く間に、北国の大雪情報に接する季節となった。月曜日(11/27)、川縁を散歩している時に、写真のいなごを見つけた。生きとし生けるものを発見すると何やら、ほっとする。「ああ、君もがんばっているんだね」と声をかけたくなる。

 そう言えば、昨今、古利根川には、川面に魚が飛び跳ねる姿をよく散見する。水鳥は鴨が「ピヨーピヨー」と声立てては、隊をなしながら、動き回っている。中には潜る連中もいる。いっぽう、鷺(さぎ)は悠然と立ち構えているようだが、あれは獲物を虎視眈々と狙っているのだろう。かと思うと「しらこばと」がこれみよがしに、川面をかすめては舞い上がり、優雅に飛び交っている。カラスも負けじとばかり、川中に入って行水をしている。我もまた、人の子として、この自然の豊かさを味わわせていただいている。

 こうしている最中にもウクライナで、パレスチナで戦争は絶えず、気候変動の影響は世界の最貧国を襲っていると言う。ひとときも安閑として過ごせぬ我が地球の姿を思う。それだけでなく、まわりには病で苦しんでいる同胞がたくさんおられる。いや我が健康体にも老いの衰えは隠しようがない。師走は、またクリスマスの季節でもある。2000年前に私たちの罪を贖(あがな)うために、神の子イエスが人となって地に降られたことを思う。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。・・・私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(新約聖書 ローマ人への手紙8章18節、22〜23節)

2023年11月28日火曜日

近況報告

冬間近 青緑朱 天地人(※) 
 40日間弱、ブログから遠ざかってしまった。イスラエルとハマスとの戦闘をどう考えていいのか、自分のうちで煩悶があり、結論の出ないまま、今に至っている。その間、実に様々な本に接した。読書体験としては近来にない多読になった。そこで考えたことをブログに書き留めたいとは思うのだが、それも気が進まずにいる。自分の理解力が追いつかず、もっと若い時にしっかり学んでいれば良かったのにと思うばかりである。

 けれども、思い切ってどんな本を読んだのか、思い出すままに書き留めてみる。先ずは、田中ひかるさんの『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)だった。田中ひかるさんの目を信じているだけに、私の偏見を改めて糾された思いがした。

 そのうちに袴田巌さんを巡る本を数冊読んだ。特に感銘を受けたのは『裁かれるのは我なり(袴田事件主任裁判官の39年目の真実)』(山平重樹著双葉社)と『袴田事件を裁いた男(無罪を確信しながらも死刑判決文を書いた元判事の転落と再生の43年)』(尾形誠規著朝日新聞出版)という二著だった。ある意味で対照的とも言えるこの二著はものごとを知ることのむつかしさ、人の姿の多面性を味わわされた。

 そして、とどのつまり『主よいつまでですか』(袴田巌著新教出版社)という獄中で書かれた文章を主体とする本に辿り着いた。袴田さんがどのようにして主イエス・キリストの救いを受け入れられているのかが知りたかったからである。(昨日の東京新聞朝刊にも、無罪へ「どこまでも勝つ戦い」と題する記事が掲載されていた。それにしても、どうしてこんなに冤罪が多いのか気になる。)

 一方、私は末盛千枝子さんの書かれた『「私」を受け容れて生きる(父と母の娘として)』(新潮社)を読む機会が与えられていた。不思議なことに、袴田さんも末盛さんもカトリック信仰の持ち主であった。その真実な生き方に共鳴し、共感するところがあったが、やはり私には今一歩両手をあげて喜べないところがあった。

 そうかと思うと、『嬉遊曲、鳴りやまず』(中丸美絵著 新潮社)という実に華麗な個性的な生き方を身につけて生涯を歩んだ斎藤秀雄も知ることになった。この方のバックボーンの一つにはやはりキリスト者の大きな影響があった。しかし、私にはこの方の歩みにもそのまま同調するわけにはいかなかった。

 それぞれ私たちは個々の人生を歩むのだから、私がこのように考えるのも当然と言えば当然と言えるのでないかと思う。そうした読書経験に、水をさすかのように起こっているのが、ウクライナとロシアの戦争を凌駕するかの勢いで、流れ込んで来て固唾を飲んで今も見守るしかないイスラエルとハマスの戦闘であった。

 こうとなってはもはや猶予はない。私は手当たり次第、以下の本などを渉猟せざるを得なくなった。『イスラエル』(臼杵陽著 岩波新書)『ライフ世界の大都市(3)』(タイムライフブックス)『物語 エルサレムの歴史(旧約聖書以前からパレスチナ和平まで)』(笈川博一著 中公新書)『地図で見るイスラエルハンドブック』(フレデリック・アンセル著鳥取絹子訳 原書房)『パレスチナを知るための60章』(臼杵陽・鈴木啓之編著 明石書店)。

 しかし、今もってイスラエルとハマスの戦闘の行く末を理解できないでいる。そんな私だが、今の世界、今の自分の姿を照射する確かなことばは以下に掲げる聖書のことば、これしかないと思っている。どのようにしてこのことばと現実に折り合いをつけるのか、多読の読書経験とともにこれからも考えていきたいと思っている。

※昨日、古利根川を散策していたら、鉄橋近くに、数人の方がそれぞれカメラを背に待ち構えておられた。そのうちに列車が右方向からあらわれた。東武野田線としては、いつも見慣れない朱色の車体であった。思わず私もiphoneで遠巻きながら仲間に加わった。「さて」と、その思いを俳句にと思ったが、絵心もなく意味のない駄句である。諒とせられたい。その後、迫田さんから「冬ぬくし」の季語を教えていただいた。したがって、「冬ぬくし 青緑朱 天地人」なら、少し「我が心」に近づいた?)

兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうしてイスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません。(新約聖書 ローマ人への手紙11章25節〜29節)

2023年10月21日土曜日

愛ありてこそ(下)

以下の記事は、昨日紹介した飯守恪太郎さんが、ゴットホルド・ベックさんのお嬢さんリンデの葬儀の時の挨拶で述べられたものである。(『実を結ぶ命』59頁より)

 私とベック一家との交わりは、家が近所ということもあって、早くも十年になろうとしています。しかし、親しく交わりを持つようになったのは、私と妻が主イエスを救い主として意識的に受け入れ、吉祥寺キリスト集会に集うようになってからです。そして、今度のリンデの召天のことは、ただ同じ集会の一員として以上に、二人の娘たちの心からの親しい友人の死であったため、感動的なできごとでした。私たちがどのようにリンデの状況を知り、私たちも祝福の中に導かれたか、たどってみたいと思います。

 七月十日朝八時、私たちが朝食をとろうとしていると、電話がなりました。『もしもし、恪さん、ゴットホルドです。おはようございます。実はリンデが病気なのです・・・・』ドイツは真夜中ごろです。ベック兄からの電話はシュトゥットガルト近郊にある彼の自宅からか、病院からか分かりませんでした。それは、ちょうど自動車による人身事故を知らされた時のショックと不安に似ていました。『きょうは、そちらは木曜日ですね。いつもの祈り会で祈っていただきたいのです。まだくわしくは分からないけれど、来週大きな手術をすることになりました。みんなで祈ってください』『はい、わかりました。きょうの祈り会で祈ります』『たぶん、がんではないかもしれないけれど・・・この十日間多くの検査をしたのですがよく分からないのです。二十四日に腹部を開いてみることになりました』三分間くらいの会話でした。

 次の週の木曜日には、手術の結果を知らせる電話がありました。こちらは夕方の五時頃でした。『もしもし・・・がんでした。全体に広がっていて手の施しようがなかったので、そのまま閉じました。手遅れで医学的にはまったく絶望だということです。意識ははっきりしています。皆さんに続けて祈ってくださるように、くれぐれもお願いしてください』。

 その日の夕食の時、妻や娘たちの目がうるんでいました。

 私たちは、八月上旬から九月上旬まで、ドイツ各地の人々やキリスト集会の人々に会うためのキャラバン伝道旅行に参加する予定でした。そして、町田市の星淑子姉、白木みどり姉、それに私たち家族(息子一人、娘二人)は、八月十二日、成田からその目的をはたすべく予定通り出発しました。

 三十三時間の飛行の後、フランクフルトに着くと、ベック夫妻と娘さんたちが、私たちを迎えて下さいました。リンデの病状の容易ならぬにもかかわらず、ご家族と私たちの気持ちは不思議なくらい静かでした。お宅までの二時間のドライブの車中でも、神への圧倒的な感謝と平安が支配していたようでした。召しを待つ彼女を見て思ったことは、私たちの目的は主イエスであり、イエス様は私たちの感じているよりも近くにおられ、礼拝せざるを得ないということでした。

 彼女は、子供のような信頼と従順によって静かにベッドの上で目を開き、熱のためピンク色の頬に微笑を浮かべて、一人一人に挨拶をしました。私は思わずこう言ったのです。『日本にいるみんなのために祈って下さい。私たちはあなたを心から愛しています』と。彼女は大きく何度もうなずいてくれました。彼女の態度には、よく病人に見受けられがちな同情やあわれみをさそうようなものは、何もありませんでした。彼女の瞳は全身で神の御顔を見続けていて人間の同情など入る余地がなかったのでしょう。

 帰国後、私の二人の娘たちは、来るべき日に、天国で彼女との永遠の再会を待ちつつ、日常生活でも以前とは違った張りとリズムを持って過ごしているようです。私たち夫婦も言葉ではうまく表現できないのですが、目ざす目的地が身近に感じられ、今日明日という一日一日がそのための準備であると思うようになったのです。愛するお方の前で恐れかしこむしもべでありたいものです。私は、黙示録の『さあ、花嫁はその用意ができたのだから』という一節が好きです。花婿なるイエスは花嫁である私たちをご自分の血潮によって受け入れて下さるという確信と平安の上にたって、日々生活をしています。

以上が、リンデの葬儀の時(1980年)に述べられた挨拶である。40余年前とは言え、私は、ここに主をひたすら愛する、純潔な魂の痕跡を見る。そして、そこには私たちの罪の身代わりに十字架にかかって血を流された主イエス様への感謝の思いが語られている。もちろん、生死を超越した生き方を保証する復活された主を知るがゆえに天国の確信がその挨拶の基調となっている。主を愛すれば愛するほど、人を愛する思いも増し加えられるのでないだろうか。

たまたまイスラエル人の歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ氏のインタビュー(報道ステーション徳永有美アナウンサーによる)をユーチューブの配信で見たが、イスラエルとハマス、そこには双方における憎しみが勝利している現状が述べられていた。「憎しみ」に立ち勝るのは「愛」であると思わざるを得ない。

私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊(主イエス)の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。(新約聖書 黙示録19章7節)

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。(新約聖書 1ヨハネ4章19節)

私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの父なる神に感謝しています。それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。(新約聖書 コロサイ1章3〜4節)

2023年10月20日金曜日

愛ありてこそ(上)

鶏頭の 堂々たるは 愛のゆえ
 10日ほど前、古利根川を散歩中にこの鶏頭を目にした。そのあたりには草花が少なく、えらくしっかりと立っている姿に思わず敬意を表したくなって、しゃがんでカメラに収めた。すると、通りすがりの方が、うしろの方から「その花は主人が水やりを続けているのよ」と声をかけて来られた。ふっと見上げると、何とその方はいつも一緒に礼拝をしている方ではないか。

 一人生えとばかり思っていたが、そうか、そんな愛の支えがあっての鶏頭だったのか、と思わされた。一方、そのお世話をなさった方が、身近な人だったとは驚いた。途端にその鶏頭は二重に親しい草花となった。

 そう言えば、かつては現役時代、電車の中で毎日見かける方は、声を掛け合うわけではないが、私にとっては結構「仲間」だった。今や、それは散歩道で行き交う人たちに変わっている。何らかの形で定年退職した人々が健康のために歩いているのだろう。たまたま声をかけて来た方は知人であったが、そうでない方が圧倒的に多い。二度とお会いしない散歩道かもしれない。行き交う人の健康と幸せを祈る者でありたい。「袖擦り合うのも多生の縁」と言うではないか。

 かと思えば、このようなこともあった。バス車内でのことである。1994年10月、初めてドイツに一週間余の予定で、みなさん(200名)と共に聖書を中心とする「喜びの集い」に出かけたことがある。その旅行は空路東京からミュンヘンを目指すものだった。飛行も無事に終わり、いよいよ西南ドイツの現地(ミヘルスブルク)へと高速バスに乗り、アウトバーンを中継都市になるシュツットガルトを目指して走った。ノンストップだった。

 ところが、途中で私はにわかに便意を催した。私があまりにも苦しそうなので一緒に行った家内も大変心配した。ところが、どうしてか知らないが、私の座席の前方にいた方が、そのことを知られたのであろう、バケツに新聞紙のようなものを用意して、動くバス内で私の座席に近づいて来て「兄弟! この中にしなさい」「私がかこってあげるから」「匂いも大丈夫だから」と言ってくださった。

 そのあまりにもとんでもないアドバイスを聞くや、度肝を抜かれた私は途端に便意を感じなくなり、無事シュツットガルトまでの長時間のバス乗車に耐えることができた。思わず命拾いした思いだった。30年余り前のことを思い出したのは、他でもない、最近『嬉遊曲鳴りやまず』(中丸美繪著新潮社1996年刊行)という斎藤秀雄の生涯を描いた作品を読んでいたら、次のようなことが書いてあったことによる。

 斎藤が練習に打ち込んでいるときには、たった一言ですら言葉を差しはさめない雰囲気があった。小用を申し出ることができなかったために、練習場でお漏らしをしてしまった、後には日本を代表するヴァイオリニストになる小学生もいた。その時、指揮の飯守泰次郎がワイシャツを貸した。それは大人用のシャツだから裾は膝まできていた。(同書267頁)

 文中の飯守泰次郎さんは今年の8月15日に召されたが、斎藤秀雄(先生)の最後のお弟子さんと言ってもいい方だったが、音楽を愛しいのちをささげた斎藤秀雄の鬼気迫る「子供のための音楽教室」中のエピソードに違いない。私はこの話を知って、兄弟とは良く似る者だなあーと思わされた。それと言うのも、先ほどの、便意を催し七転八倒していた私を助けてくださった方は、その泰次郎さんのお兄さんの飯守恪太郎さんであったからである。

 困っている人を助けるためには何でもやるという気概、そこに類(たぐい)稀なるユーモアの世界が同時に用意されているのを、お二人の態度から教えられる。

 今日、国際紛争はウクライナ地方に、イスラエル・パレスチナ地方にと頻発し、全世界が固唾を飲んで見守るばかりである。弱者に多大なる犠牲を強いている戦争を、誰も止められない。窮地に陥って、互いに角突き合わせているばかりである。

 鶏頭は一人で立っていたのではない。水を注ぐ人がいたのだ。その水ももともと天から与えられたものである。私にとって堂々と見えた鶏頭も、主なる神の愛のしからしめる鶏頭であった。万物を統べ治めておられる主なる神の前に頭を下げる者が集えば争いはないはずだ。

島々よ。わたしの前で静まれ。(旧約聖書 イザヤ書41章1節)
あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。(新約聖書 ローマ人への手紙14章4節)
立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(新約聖書 1コリント10章12節)