2024年3月31日日曜日

イースターおめでとうございます

 『キリストの復活(事実、キリストは、死人の中からよみがえった)』というメリル C.テニーが今から80年前、1944年に書いた本があります。そこでは、復活の事実、復活の予測、復活の信仰、復活の自由、復活の効力、復活の熱情、復活と不屈の精神、復活の最終目的と題して八つのことが連想的に語られています。その本の「はじめに」で著者は次のように書いていました。

例年のイースターの説教や、葬式の際に、軽く触れるだけで済まされるような、付随的な位置に甘んじさせられているのは、意外なことであり、残念なことでもあります。「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです」(新約聖書 第一コリント15章17節)。なぜ人は、復活を、たゆまず熱心に説いたり教えたりしないのでしょうか。この本は、読者のかたがたに、この真理の無尽蔵な鉱脈を更に探索していただくための、呼び水を提供しようとするものです。

    とありました。その言葉に励まされて、私もその鉱脈の探索の旅に出かけました。以下は、その本で著者が「復活の自由」と題して、これから述べようとしている文章のほんの出だしのものです。お読みくだされば幸いです。イースターおめでとうございます!

   イエス・キリストの死からの復活は、物理的現象として見るかぎり、いかにも目をそばだたせるものがあるが、実は、神の力が人間の必要に答えて適用されるとき、どのような結果が期待されるのかを、例証しているにすぎない。

    弱さと虚無感と腐敗を伴う肉体の死は、霊的な死の必然的な結果また実相を教えているものである。このことはしばしば聖書に述べられている。「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」(創世記2:17)。「悪者の悪はその者に帰する」(エゼキエル18:20)。「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)。これらの聖句、また他の多くの聖句は、肉体の死が実は、人が罪によって神から離れて行くときに、結果的に伴う霊的死という、より包括的帰結の一部分にしかすぎない、という事実を明示また例示している。

    死とは、奴隷的な立場を意味するものである。「罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です」(ヨハネ8:34)。私たちの犯す罪は、以前の罪にまして、強く、私たちを、奴隷的束縛の中にとりこにしてしまう。一つのうそを言えば、それを隠すために、またうそを言わなければならない。何か一つの欲情をいだけば、その犠牲者が望みを持ちえなくなるほどその習慣に縛られてしまうまで、それはより大きな満足を求めてやまない。こうした一つの悪は、雲のような恐れと葛藤とを生み出すのである。罪を犯す人は、こうして、自分の自由が幻想にしかすぎないということに気づかせられる。彼は法律にそむくことはしていないかもしれない。しかし、良心の呵責を免れることはできない。そして、彼の恐怖と習慣とは、彼を悩まし、その心の平和を奪うのである。

    イエスの復活が死に対する勝利を描写しているように、キリストの復活のいのちは、信者に、罪に対する勝利をもたらす。ローマ人への手紙八章で、パウロは、復活の原理がキリスト者生活の基礎となるべきものであるということを、類のない明晰さをもって説明している。七章で、律法の義が内的な分裂や心のひそかな欲情に対抗しうるものでないということを示してから、彼は復活の力がもたらす新しい自由を描いてみせる。彼はこの自由を、三つの面から論じている。 

2024年3月29日金曜日

さあ、この人です。

エッケホモ レンブラントの 刻みし画

 今日は午前は雨、その上、風もきつかった。歩いて五、六分の歯医者さんに行くのさえ、思いやられた。しかし、午後になると、空の一角に青空があらわれ、時間を追うごとに日差しがもどり、明るく暖かく、やっと春らしくなった。

 またしても東京新聞で恐縮だが、夕刊の大波小波欄に、ずっとこのところ続いている大谷フィーバーに対する疑問が直裁に述べられていた。その題名も「大谷、大谷、大谷?」であったが、要するに猫も杓子も浮かれていて、肝心の政治経済において、現在の日本が危険な方向に向かっていることに、無感覚では困るという慨嘆の文章であった。そして「なたね梅雨の晴れ間」とのペンネームがあった。読んでいて一々同意見なので嬉しかった。それだけでなく、今の天候は「なたね梅雨の晴れ間」なのだと合点することができた。

 さて、そんな一日であったが、今日は聖金曜日である。イエス・キリストが十字架にかけられた日である。そのことを考えようと、レンブラントの「エッチング・素描」集と友人の絵を眺めながら、以下の文章を味わった。(左の友人の絵にちなんで
  雨嵐 辛夷(こぶし)の花は 耐えたるや 

『受難の七日間』(A.フィビガー著青山一浪訳)の「見よ、この人だ」の冒頭部分を転写してみる。

兵士たちがしばらくイエスをなぐさみものにしていると、総督がはいってきました。彼は兵士たちがもうイエスのむち打ちを終わったに相違ないと思いました。しかし彼は、かれらがどんなにイエスにふざけた王衣を着させたか、また、そういうすごい虐待の結果、イエスがどんなに哀れな様子をしておられるか、を見ると、急に彼の心中を、こんな考えがひらめきましたーーもしも私が、今のような様子の彼を連れて出て、みじめなままの彼を見せたら、どうだろうか。たぶん人々は、私の兵隊が彼を虐待したやり方に怒るだろう。彼はなんと言ってもユダヤ人なのだから。そして、たぶん、かれらもふびんに感じて、彼の釈放を要求することだろう。

ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出して来ます。あの人に何の罪も見られないということを、あなたがたに知らせるためです」(彼がこのことを言明したのは、これで四度目でした)。それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です。」と言った。(新約聖書 ヨハネの福音書19章4〜5節)

それで、権力のある総督と、哀れな犯罪人は、並んで、進み出ました。ユダヤ人たちがイエスを見た時、群集中に、言わばうめきが拡がりましたーー全く彼はひどい目にあったものです。「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような身ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(旧約聖書 イザヤ書53章2〜3節)その時かれらは、イエスの優しい善い言葉や、汚れのない生活や、彼がもたらされた愛の貢献を、考えたに相違ありません。ピラトはこれに気が付き、このあわれな人の手をつかんで、彼の席の前に引き出して言いました。Ecce homo!(さあ、この人です)。たぶん彼はそれを自国語のラテン語で言いましたーーみずからイエスの苦難と、その場の重大さに捕えられて。

さあ、この人です。

神聖な清らかな額にいばらの冠をかぶり、紫の衣を肩にかけ、手にまねごとの葦を持って、ピラトのそばに立っておられるイエスを、ごらんなさい。全世界の罪を負っておられるイエス、屠殺所に引かれる小羊を、ごらんなさい。見よ、神の小羊。

「さあ、この人です。」この言葉はパラダイスの園の中でも聞かれました。アダムが土で造られて、神の霊によって命を与えられ、栄光に満ちて現れた時です。そして神が見られたところ、それは、はなはだ良かったのです。さあ、この人です。この言葉は、アダムとエバが、罪を背負い、おびえて、うなだれながら、こっそり園から出る時、聞かれました。さあ、この人です。この言葉は、イエスがその聖金曜日に苦難をうけられた時、天で、あわれまれて、再びこだましました。さあ、この人です。この言葉は今、イエス・キリストの血で堕落の罪から清められて、再びパラダイスの光の栄光の衣にくるまれ罪人ひとりひとりに喜んで語られます。

神はどんなに天からあなたを見つめておられるか、考えてごらんなさい。墓場と永遠の滅びに向かっている罪人としてですか、それとも、天にのぼって行く、救われた罪人としてですか。「さあ、この人です。」と主の口から、あなたのことを語られる時、この言葉はどんなに聞こえるでしょうか。(以上、同書270頁より引用、一部引用者が表現を変えたところもある)

 さて、このようなピラトによる再三再四の呼びかけにもかかわらず、人々の「十字架につけろ」という声が勝つ。そしてイエスは十字架にかけられた。聖書はさらに次のように伝える。

 そこでピラトは、そのとき、イエスを十字架につけるため彼らに引き渡した。彼らはイエスを受け取った。そしてイエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所に出ていかれた。彼らはそこでイエスを十字架につけた。(新約聖書 ヨハネの福音書19章16〜18節)

 まことに聖金曜日とは大変な一日である。

ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。(新約聖書 ヨハネの福音書1章29節)

神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(新約聖書 2コリント5章21節)

2024年3月28日木曜日

「裏切り」の切実さ

神罰の 通り過ぐ日を 銘記する※
 今日はまた一転して寒くなった。こんな日はどうして過ごせばいいのだろうか。取り敢えず、図書館で借りている本の帯出期限がすでに三日も経過しているので返しに行った。その図書館へ行く途中に日本基督教団の教会の前を通ったら、看板が立て掛けてあり、ドキッとする標題がこれまた筆字で書かれていた。表題は『弟子の裏切り』とあり、「最後の晩餐記念礼拝本日午後7:30より」とも、その右脇に書かれていた。どのようなことが語られるのであろうか。

 12弟子の一人ユダがイエス様を裏切ったことは恐らくすべての人が知らされている事実であろう。信頼している者に裏切られるということは穏やかなことではない。さて、今回、大谷翔平氏と水原一平氏との間の信頼関係が崩れる事柄が明らかになった。悲しくも痛ましい事件だと思う。

 私自身、たまたま韓国の初戦後か初戦を前にした大谷氏へのアメリカ記者のインタビューだったか忘れたが、それを見ていて、瞬間的に、「なぜ、水原氏は、インタビューに積極的に関わっていないのか」が気になっていた。まさかこんなことがあったのかとは思いもよらなかった。真相を明らかにするのは、それぞれの利害が錯綜し難しいとは思うが、昨日一昨日と『十戒』を見ていて、最後の方のシーンで第八戒の「盗むなかれ」に続いて、それを追っかけるようにして第九戒の「偽証するなかれ」が神の指で岩に描かれるシーンを見ながら、水原氏は明らかに第八戒を無視している。さればと言って、大谷氏は第九戒を犯していないと言い切れるのだろうかと思いながら見ていた。

 そのような時、東京新聞の昨日(3/27)「本音のコラム」欄で斎藤美奈子氏が『翔平と一平』と題して、次のように書いていた。最初と最後の部分の引用だけでは斎藤さんの真意を伝えるには不十分だと気が引けるが、以下抜粋して写させていただく。

スーパースターは一点の曇りもなく清廉潔白であってほしい。多くの人はそう願う。だが現実はそう単純ではない。・・・・疑惑を払拭した大谷は(社会人としての管理責任の甘さはダメージとして残るにしても)これでプレーに専念できるだろう。一方「嘘つき」のレッテルを貼られた水原氏に当面弁明の機会は与えられず、再起への道も険しいように思われる。大谷にも賭博の胴元とされるボイヤー氏にも優秀な弁護士がついている。ひとりで放り出された水原氏にこそ弁護人が必要だと思うのは理不尽だろうか。

 私は理不尽であろうとは決して思わない。現代人の誰もが寄ってたかって産み出し高めあげてきたヒーローに不利になることには手をつけないとしたら、それはそれで大問題だと思う。斎藤美奈子氏の指摘に両手をあげて賛成したい。

※言うまでもなく、この写真は映画『十戒』のワンシーンで、左側の貴婦人が「パロの娘(モーセの育ての親)」で右側にモーセが登場している。皆一様に深刻な面持ちがうかがえる。それもそのはず、外には神の裁きである死が家々を襲って叫び声が聞こえてくるからである。不安にかられて、青いスカーフを被った婦人がモーセに「通り過ぎるの?」と言葉を発しているが、その家のかもいや門にはいけにえの血が塗られているので、安全だと言っているのだろうか。これはイスラエル人がエジプトを脱出する際に主から命ぜられた「過越」の晩餐の一場面であった。今から4000年前のエジプトでの出来事である。それから2000年してイエス様が過越の小羊としてイスラエル・エルサレムに来られた。受難週の木曜日は聖木曜日とも言い、十字架の死を翌日に控えた主イエス様がユダをふくむ十二弟子と共に最後の晩餐を持たれた日である。

あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。(旧約聖書 出エジプト記12章13節)

みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言い出した。イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに、同じ鉢にパンを浸している者です。確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」(新約聖書 マルコの福音書14章18〜21節)

2024年3月27日水曜日

再び、古利根川とナイル川

川堤 桜並木の 開花待つ
 昨日、一昨日と雨にたたられたが、今日は久しぶりに朝から晴れた。午前中、髪を切っていただくために、友人のところに出かけた。この友人は前々回に少し触れた私の土地・家屋敷を探して来てくださった方であるが、彼の本職は床屋さんであり、長らく東京でお店を持っておられ、私は常連だった。辞められてからも、無理を言って切ってもらっている。途中、ある方の家の前を通ったら、見事に桜の花が咲いていた。お宅のご主人に許可を得て、写真を撮らせていただいたが、私とは違い、断りもなくほぼ同時に「賓客」がサッとやって来た。ヒヨドリであった。その狙いは「花より団子(?)」のようであった。

 午後は古利根川の堤の上を歩き、桜並木の蕾をゆっくり見歩いた。開花は予想よりは遅れているようだが、天気次第で一斉に花を咲かせるべく満を持しているように見えた。家に帰り、前夜に引き続き『十戒』の再視聴を試みた。レンタルで400円、48時間だが、いながらにして自宅で視聴できるとは大変なことである。視聴してみて、それまであやふやであった『十戒』の鑑賞の事実は判明した。ところどころのシーンを思い出すことができたからである。しかし、当時の私にはストーリー自身は奇想天外に見えて、何が何やらさっぱりわからなかったと思う。多分、十代後半ごろ劇場で鑑賞したのだろうから、それから数えると60年近く前のことになる。(映画場面は血に染まり始めるナイル川を目前にしたモーセ〈チャールトン・ヘストン〉とパロ〈ユル・ブリンナー〉)

 ナイル川の葦の茂みに置かれていた赤子の存在は、たまたま次女が2月に無事赤ちゃんを出産し、一か月ほど生活を共にしたので、この間いやというほど身近に覚えざるを得なかった。出エジプト記には次のように書かれている。

パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三ヶ月の間その子を隠しておいた。しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。(出エジプト記1:22〜2:3)

 何しろ育児を身近に覚えたのは、今回出産した次女の誕生以来、43年ぶりだが、赤ん坊は絶えず声を出して全身で泣く。いったいレビ夫妻はどのようにこの赤ちゃんの存在を隠しきれたのだろうか、という素朴な疑問と関心であった。結局この男の子はエジプト王パロの娘に拾いあげられ、エジプト王子となる。この男の子こそ、後のモーセであり、エジプトで奴隷生活を四百年間続けなければならなかったイスラエルの民120万人近くのリーダーとなり、民を大挙して脱出させることに成功する。

 『十戒』という映画は、この全歴史の動因者が、生けるまことの神であり、乳と蜜の流れる地へ向けての新生活スタートにあたり、神の言葉、神の意志である『十戒』を授けられたのだという、聖書の示す事実を丹念に追っている。十代のころ、私には奇想天外に思えたシーンはその後二十代後半に信仰者となった今の私には、もはやその躓きはなく、逆にこんな意味があったのかという新たな発見もたくさんあった。

 その私が二日間にわたり再視聴を試みたのにはひとつ訳があった。それは「パロの娘とレビの娘」と副題的に日曜日の市川でお語りしようとした私の「パロの娘」像と、この映画が描く「パロの娘」像が大いに異なっている点が気になったからである。映画制作は1956年でセシル・B・デミル監督だが、非常にヒューマンな姿勢が一貫して描かれている。私は、パロの娘が「水の中から、私がこの子を引き出したのです」とモーセと名づけた由縁にうかがえる、神様を抜きにした自意識過剰を問題にしたが、デミル監督の作品では、水の中から引き出されたモーセ自身がパロの娘である育ての親の愛を感謝してエジプト脱出の際にイスラエル人と一緒に同道することまで描いている。もちろん聖書が語らぬ事実である。それはデミル監督が神の示される道を尊重しながらも、極めて人道的な解釈をつけ、同時に映画鑑賞者のハートに訴えかけるに相応しいとして「創作」したのであろうと思う。(映画の左から「パロの娘」、モーセ、チッポラ)

 そのように私のように聖書の記述から一歩も出ないと考える信仰者の立場からすると、その点ではどうかなと思うが、これだけの大作を制作するハリウッド映画の力量は大したものだと感嘆せざるを得なかった。福音という観点で見るなら、『ベン・ハー』の方がはるかに直裁にイエス様を描き切っているが、この『十戒』はじっくりと鑑賞するに相応しい映画である。まだ視聴されていない方、すでに視聴された方もいらっしゃると思うが、座右に『出エジプト記』を置いて再視聴されることをお勧めする。(写真は散歩途中に拝見したお家の桜。実は、8年前に、玄関先からお子さんを送り出しているお母さんに出会った。何と25年前に彼女が高校2年生の時に私のクラスにいた生徒であった。奇遇を喜び、それ以来「元気かな」と思いながら、時々家の前を通らせていただいている。そのお宅に桜がこんなにも綺麗に咲いているとは思いもしなかった!)

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。(旧約聖書 イザヤ書55章9節)

2024年3月26日火曜日

『神は我が栄え』

身代わりの 主の受難 日々新た
 以前にもこの場の写真を載せたことがある(※1)。今週日曜日(3/24)、市川で礼拝の始まる前に、右側に貼られた美しくも気品に満ちた縦書きの筆字に、刮目し、気を引き締めさせられた。快い緊張であった。本ブログですでに述べているように、『出エジプト記』をとにかく酒枝さんの御本も座右に置きながら、19章まではほぼ読み終えた喜びが体内にみなぎっており、そのことを少しでもお話ししたいとの思いで、いつになく心が昂っていたからである。

 この『出エジプト記』を読むに際し、参考にしたあと数冊の書籍をもあげねばならないが、今回はこの酒枝さんのご本に絞って、読了した。その御本のあとがきは次のように記されている。

第四巻「出エジプト記講義」は、1973(昭和48)年2月から1977(昭和52)年7月まで、待晨誌上に三十八回にわたって連載されたものである。これは著者自身の筆になる最後の聖書講義である(※2)。

1957(昭和32)年、「アブラハムの生涯」に着手した著者の願いは、アブラハムの召命からカナン入りまでのイスラエルの歴史を、出来るかぎり具体的・写実的に再現することにあった。それは著者にとって、聖書の真理とは決して抽象原理ではなく、飽くまでも選民イスラエルの歴史と、その中での各個人の生涯を通して顕された恩寵の真理だったからである。この願いは、しかしながら著者の病気により、出エジプト記19章、十戒下賜の直前まででストップしたのである。

 このあとがきを通して、御著書がなるには少なくともほぼ四年にわたっていることがわかる。昨日今日、あるいは一月や二月で出エジプト記を読み終えての思索ではない。しかもそれは単なる四年の月日ではなく、おそらく著者の生涯にわたる思索があっての本であったと推察する。それにしても何としても、十戒下賜とそれ以降のところを著者の健筆を通して読みたかった。それはないものねだりと言うべきものだろう。

 しかし、私たちには聖書そのものがある。私の今回の学びは「神は我が栄え」と題して出エジプト記1:22〜2:2を引用聖句とさせていただいたが、お話ししながら、私には胸中、一つの副題が絶えず念頭にあった。それは「パロの娘とレビの娘」とも言うべき事情である(※3)。聖書は万人に開かれている。虚心坦懐に聖書を読めば、そこからいのちの泉はこんこんと湧きいづる。

※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/01/blog-post_9.html

※2 「待晨」とは「たいしん」と読む。夜明けを待つという意味であろう。2ペテロ1:19をはじめとしてこれにちなんだ聖句はたくさんある。

※3 パロの娘はナイル河畔の葦の籠に置かれていた、レビの娘の男の子を引き上げ、モーセと名づけた。その意味は「水の中から、私がこの子を引き出したのです」という意味だった。確かにそうだと思う。しかしそれだけであろうか。生けるまことの神様が介在されての事蹟であるに違いない。一方、パロ王の男の子をナイルに投ぜよと言った命令に従わず、飽くまでも神様のお教えに忠実で、やむをえず最後はナイル川に男の子を置かざるを得なかったレビの娘は、一切のご加護を主なる神様に願ったのだ。そしてこのレビの娘の本名は出エジプト記6:20や民数記26:59で明らかにされているが、「ヨケベデ」である。その名前は「神は我が栄え」とレビがつけたであろう名前である。パロの娘とレビの娘との違いを垣間見る思いがする。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(新約聖書 2テモテ3:16)

私の泉はことごとく、あなたにある。(旧約聖書詩篇87篇7節) 

2024年3月25日月曜日

御恵みの一端

山茱萸 微動だにせず 春告げぬ   
 我が土地は、当時2DKの団地に住まい、子沢山のため部屋数も少なく、困っていたときに、ひとりの方が見るに見かねて、探してきてくださった土地である。私には一軒家のその住まい・土地は余りにも立派過ぎて、身分不相応なので、その方のご好意には感謝しつつ、硬く辞退した。ところが、どっこいその地に結局もう50年近く住みついている。

 土地は東南の角地で、まったく日当たりがいい。関東の冬は、外でいかに北風が激しく吹いていても、日差しが強い晴れの日は、室内に陽が差し込めば、まさしく部屋は温室に変わり、別天地の心地すらする。

 その東南の地でも最も庭木の東南角に生えいでているのがこの山茱萸(さんしゅゆ)の木の花と実である。すでにこのような姿を見せてからでも、すでに一月以上命運を保っている。不思議なことに今日のような雨が降り、ほとんど陽が刺さない時も、今冬二回ほど襲ってきた雪の日にも、耐えてこの特徴ある黄色い花を咲かせてくれている。決して派手な木ではないが、じっくりと春を知らせてくれる貴重な木である。

感謝をもって主に歌え。
立琴でわれらの神にほめ歌を歌え。
神は雲で天をおおい、
地のために雨を備え、
また、山々に草を生えさせ、
獣に、また、鳴く烏の子に
食物を与える方。
神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。
主を恐れる者と
御恵みを待ち望む者とを主は喜ばれる。
  (旧約聖書 詩篇147篇7〜11)

2024年3月22日金曜日

春嵐と古利根川

春嵐 波立て進む 鴨の群れ
 このところ、日差しが一段と豊かになってきた。しかし、一方では「まだまだ気が早いぞよ」とばかりに、連日冷たい北風が春嵐となって吹き荒れている。こんな時に、散歩を試みるのは愚の骨頂なのだろうか。いつもどおりに、古利根川に近づいた。途端にゴーゴーと風音がした。「青空に 雄叫び上げる 春嵐 」と詠まざるを得なかった。歌の世界は現場で生まれるものと実感した。今朝の迫田さんのホームページ(※1)には美しい鳥の写真が載っていた。そこには春の光が鳥に差し込んでいる様が詠み込まれていた。千葉と埼玉では隣県同士なのだが、春は各地で様々な風景を見せているのだなと思わざるを得なかった。

丘に上がる鴨
 ところで、今朝からこの鴨の姿を何とか俳句に詠み込めないものかとあれやこれやで頭をひねくりまわしていたが、一つの真実に思い至った。それは一般に「水鳥」と言われている鳥の、生活圏を知っての発見だった。「陸海空」とは、防衛に必ず登場する三軍の名称だが、水鳥はまさに一身にして「陸海空」を生活圏に収めている覇者なのではないかという思いである。左隣の上の写真はまさに陸地の鴨である。この写真では五羽程度しかとらえてはいないが、実は画面の右側にも左側にも鴨はいたのである。彼らは丘に上がって、せっせと春の若草を餌にしてだろうか、一様に啄んでいたのである。左一羽が最後まで頑張っているが・・・。他の鴨は私が近づいたので、そろそろ逃げの態勢を取り始めているのだ。

飛び立つ鴨
 次の瞬間、彼らは一様に飛び立った。もはや、春嵐ものかはとばかり、川央(かわなか)へと・・・。最初の写真をよく見るとわかるのだが、手前に左岸が、向こう側に右岸がそれぞれ写っている。鴨たちは果たして向こう側にまで行ったのだろうか。そこまでは確かめなかったが、川央こそ彼らの生活の中心であるからして、そこは安住の地ではなかろうか。時たま、川内の魚だけでは足りず、ビタミン不足を補う(?)ために、河岸まで遠征していたのに、不意の闖入者に驚いて逃げ帰ったのであろうか。そう言えば、この時、一声が聞こえていた。あの「ヒョーオー」という独特の行軍指令(?)である。左上の写真は今まさに飛び立ったばかりの写真である。

 遠く世界一の長大なナイル川で全世界の耳目を集めざるを得なかったことが起きたこと(※2)に比べれば、古利根川のごとき、小さな小さな世界である。しかし、たとえどんなに小さくてもそこにも主の御目は届いていることを思うと襟を正さざるを得ない。なお、一番下の聖書の引用はナイル川より引き出されたかのモーセが述べた主の真実性をあらわすみことばである。

※1 なお同氏の写真は以下のサイトで観察できる。https://www.sakota575.com/%E4%BD%9C%E5%93%81%E5%B1%95%E7%A4%BA%E5%AE%A4%E2%91%A1/

※2 しかし、この出エジプトの出来事は『十戒』の映画の素材としては有名であるが、世界史からは完全に無視されている。

主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々のうちで最も数が少なかった。(旧約聖書 申命記7章7節)