2025年7月31日木曜日

三題噺(自然と世相を読む)

炎天下 ヘクサカズラの 花負けじ
 昨夕散歩中、足元に小さな花の花弁が見えた。すかさず、同行者に聞く。「ヘクサカズラ」と返って来た。草花の名辞がまたしてもスラスラと口をついて出てくることに驚くと同時に感謝する。それにしても余りの暑さに青息、吐息の私たちだのに、どうしてヘクサカズラはびくともしないでこんなにたくさんの花をつけているのだろうと、今日の午前中今一度確認を兼ねて行ってみた。茎がつる状に伸びているのであって、根はしっかりと河岸に近いところに根ざしていることがわかった、
輝けり カルガモ家族 真っ赤なり
 日没寸前、カルガモ家族が、夕陽に向かって泳いで行く。思わず、「真っ赤に燃えた・・・」という美空ひばりの歌唱を思い出した。昭和42年(1967年)のことだ。こんなに暑いと、今や太陽を恋の燃える象徴としてだけで歌い込むことはできなくなったのでないだろうか。それとも・・・
しがみつき 青味帯ぶ蝉 これからか
 今夏、初めて蝉の成虫を見つけた。まだ一部青味がかっており、脱皮してまもないかも知れない。この成虫の寿命は極めて短い。

 さて、昨日の東京新聞の佐藤正明さんの一口漫画は「しがみつく」という題名で、セミが木に止まっている姿を描写し、木の下では捕虫網を持った二人の男がセミを見上げている様子が描写されていた。
 もちろん、セミが石破首相、下の二人の男はどうみても麻生氏と茂木氏のように見える。その上、茂木氏らしき人物には「どのみち短命だから」と語らせている。その上、麻生氏は何やら言っているらしいが、それは音声とはなっていない。しかし、それにもかかわらず「辞ー」「辞ー」という声が木々の間から聞こえてくるという凝りようである。いうまでもなく、蝉の鳴き声は今や盛んになっているが、この一口漫画の「辞ー」「辞ー」はまさしくそれにあやかった揶揄のようだ。

 なお、同じ日の『本音のコラム』欄では斎藤美奈子氏が「石破おろしの傲慢」という題名で注目すべき論考を書いていた。自民党だけでなく、大手新聞紙(東京新聞をふくめ)が一様に石破おろしに走っているのは「石破やめるな」運動が市民から起こっていることの意味を顧み確かめずそのような結論に至っているとすれば、それは新聞紙の在り方として「傲慢」に他ならないと言っている。

 参院選の結果については、30日の夕刊『論壇時評』欄で中島岳志氏が「参政党躍進の背景は?」と題して、参政党の支持者が無党派層であったことを指摘し「既成政党は真摯に分析を」と呼びかけている。同時に隣の『大波小波』欄では「ディストピアの空気感を読む」という題名で匿名氏「木春菊」氏が参政党の政見はナチス政権の手法と同じ轍を踏むことになるのでないかと案じている。

 以上、7月にして暑い夏が連日続きますが、その中での自然を眺め、一方、参院選の結果あらわれた民意をいかに考えて良いか、能う限りの識者の論評に耳を傾ける日々です。明日から始まる8月は何が待っているのでしょうか。

主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。(旧約聖書 エレミヤ17章7〜8節)

2025年7月28日月曜日

叡明が初Vーー甲子園切符

『創立20周年記念誌』(埼玉県立越谷西高校)1998年刊行の表紙絵
 夏たけなわ、全国高校野球の出場校が次々決まっている。我が母校「彦根東」も一頃、甲子園出場が続いたが、このところすっかり駄目だ。そんな今朝、埼玉県の代表校が決まったニュースを新聞で知った。表題の通りだったが、縦書きの副見出しには「越谷から30年ぶり」と続いていた。同校は越谷市内にあるのだ。

 そして思いは自然と30年前へと引き戻された。30年前の日曜日、大宮公園球場で勤務校(越谷西高)の決勝戦が行われていた。当時常勝の勢いのあった大宮東高との試合だった。私は当日、神戸で福音集会のメッセージの御用があったので、残念ながら応援に行けなかった。

 やむをえず帰りの新幹線車内で、その結果が出るのを注視していた。テロップが流れ、いよいよ埼玉県大会の結果を知らされる時が来た。私は、勤務校が決勝戦に進出したのは法外のご褒美で、大宮東には勝てないと思っていたので、てっきり「大」という字が流れると覚悟していたが、何と「越」という字が見え始めた時は、感激のあまり、その場で万歳と叫びたい気持ちだった。しかし冷房の効いた車内は当然だが、シンと静まり返っており、私一人だけが心の内側からその感動で熱くジーンと燃え上がっていて、その思いを体内にしまっておくのに苦労した。後にも先にもそのような思いをしたのは初めてであった。

 甲子園行きが決まるや、それからが大変だった。何しろ全校生徒を、バスをチャーターして甲子園まで向かうのだから。しかも二回戦進出も果たした。26台の車に乗って昼夜敢行で出かけたのである。学校ぐるみで大変なエネルギーが資金面や組織面でも費やされた。それでも生徒、教員を越えた学校全体の一体感が醸成されたことは願ってもないプレゼントであった。

 その時、参加したH君が「俺何もしていないのに皆んなからおめでとうと言われるんだぜ。困るよ。でも、少し鼻高くなったけどな」と率直に喜びを語っていたのを覚えている。それは野球部の一人一人が試合に苦労しながら勝ったその勝利は、同じ高校にいる者というだけで、自らは何もしていないのに、その勝利の栄誉を共にいただくという恵みを味わった喜びだったのではないか(※)。みんなも同じ気持ちだったと思う。今年の夏の暑さは格別で閉口するが、30年前のバスでの応援団の二往復もかなりな暑さの中での強行スケジュールで、もうその頃から今日の暑さは始まっていたのかとさえ思ったりする。

 一方、30年前の甲子園行きは阪神大震災の爪痕がたくさん残っていて、バスで甲子園に入ることができず、途中電車に乗り換えてのアクセスとなった。生徒とともに具(つぶさ)に震災状況を知り、その後の地理の震災学習に活かそうと工夫したことも思い出した。なおエースピッチャーの鈴木功君は、「ドクターK」と言われていたが、私のクラスの生徒だった。ために甲子園球場で在阪の新聞社の方だったと思うが担任としてインタビューを受けた。「彼は野球部の猛練習の中にあっても、授業中惰眠を貪ることなく真剣で、成績も優秀です」と答えた。あまりにも面白みのない答えだったが、そうとしか言えなかった。

 30年後、叡明高校の皆さんは果たしてどのような甲子園生活を経験されるだろうか。きっと甲子園出場を通して野球部だけでなく、共に新たな歴史を校史に刻まれることと思う。異常な暑さの中、応援団の派遣そのものも大変なご苦労だと思います。ご健闘をお祈り申し上げます。

※「喜び」にはこんな喜び方もあるんだと思いながら、私はこのH君のことばを同じバスの中で聞いていたが、その時なぜか私は自らの「救い」を言われているような気がしてならなかった。それは、私の「救い」は、自らの行ないによるのでなく、イエス様の十字架の贖いの死(私の罪の身代わりの死)にあずかるものであって、自らの功績でなく、あくまでもイエス様の功績によるからである。だから、彼が野球部の人々の功績が自分のものとなっていることを素朴に言い表していることに大変な親しみを感じた。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(新約聖書 エペソ2章8〜9節)

2025年7月27日日曜日

盛夏、亦、草刈りの時なり

椋鳥の 餌豊かなり 草刈り場  
 古利根川は、今や青草がそれぞれ伸び放題である。歩道以外は笹を始めとする草木は、丈高く、散歩者の頭を越す勢いである。真夏ゆえ、散歩者は少ない。そんな人間様とはちがい、蝶々、トンボ、蝉、鳥たちが、その草木の間を、それぞれ忙しく立ち働いている(飛び回っている)。

 私たちの散歩は平々凡々たる散歩だが、時折、妻が私より先に自然風景の異変に気づくことがある。今回もそうであった。今日の写真は、その妻が最初に見つけた椋鳥の集団である。遠くから見ると黒雲のように密集している椋鳥であった。私は写真を撮るのに夢中だったが、妻は数を数えていた(事実をおさえるのに二つの目だけではなく、四つの目が知覚するのは幸いである)。百十数羽だと言う。大変な数である。この間にも椋鳥はじっとしていない。さっさと餌を啄んでは外敵(近寄る私たち)を恐れてすぐ飛び立ってしまう。ゴッホの作品にカラスが翔び立つ絵があったように記憶するが、そのようであった。辛うじて撮影したのが上の写真である。川は画面上部の草地の向こう側に、流れており、手前が土手であるから、河川敷が意外に広いことに改めて気づかされる。

 この「草刈り場」について書く気になったのは今朝の東京新聞の投書欄の「私のイラスト」(清野百合子さん【埼玉県久喜市在住】作)を目にしたことによる。そこには
 どっこい さっさと 刈れ刈れ 栗橋草刈り唄 だって
と書かれ、襷姿の人々が鎌などを持ちながら、踊る姿が上手に描かれていた。

 この歌詞の文句は、久喜市栗橋の「坂東栗橋感懐」に詳しく書かれている。https://rkato.sakura.ne.jp/Chor%20Glanz/bando_kurihashi_kankai4.pdf 大変な労働歌である。「ドッコイ サッサト 刈れ刈れ」とは何と臨場感あふれる唄であろうことか。その草刈り場の跡をめがけて鳥たちが群がる。彼らはこうして食を得る。まさに主イエス様のおことば「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです」(新約聖書 マタイの福音書6章26節)の通りである。

 こうした草刈り場に残された各種草木の「穂ばらみ」こそ、椋鳥の格好の食べ物なのだろう。だから百十数羽の椋鳥が一斉に駆け付けたのである。しかし、この「穂ばらみ」を始めとする収穫の「穂」「実」の扱いについて、私たち人間に対する、天の父であり、主なる神様である方からなる、美しい勧めが、聖書には書いてある。最後にそのみことばを写してみる。

あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神。である。(旧約聖書 レビ記19章9〜10節)

2025年7月23日水曜日

続「紛失物語」ーーイクソスの鍵

平和裡に イクソスの鍵 戻りたり※
 またしても「紛失物語」である。昨晩、散歩、買い物を終えて、いざ家に入ろうとしたら、妻が「『鍵』がない」、と言う。そう言われてみると、何となく家を出る時に悪い予感がしていた。

 この夏は暑いので、どうしても散歩時間は夕方の5時台、6時台になりがちである。そのあとで買い物をして夕飯の支度をする。昨晩は家に辿り着いたら、7時前になっていた。ほぼ日没過ぎて夕闇があたり一面を支配し始めている時だ。 

 「鍵」がなくては家に入れない。いくら家の主人であろうと入れない。恨めしいことこの上ない。やむを得ず、携帯で合鍵を持っている次女に電話する。一時間ほどで駆けつけてくれた。待っている間、妻は庭先でウロウロしていたが、私は自転車で再び、たどった道を抜かりなく確かめた。でも路上には見つからなかった。

 念のため最後に買い物をしたスーパーのレジのあたりも確かめたが、やはりなかった。それでサービスコーナーにも尋ねたが届いていないと言われる。それでも藁にもすがる思いで、確信はなかったが、家の「鍵」を店内で落としたと言い、こちらの携帯番号を知らせた。

 昔なら、失くした妻にガミガミ言うところだが、もう言わなくなった。それよりも遠くから車で合鍵を持って駆けつけてくれた次女に、感謝し、二時間遅れの夕食となった。夜9時半ごろ、スーパーから電話があり、「お宅の『鍵』でないですか」と問い合わせがあった。しかし、この時、先方の説明は私たちの「鍵」の状態と一致しなかった。

 一夜経ち、私はどうしてもその「鍵」の所在が気になってしょうがなかった。暑い日盛りの時間だったが、ここは何としても捜すべしと決心し、妻を家に残したまま、再び念入りに昨日の自転車と散歩の全コースを丹念に捜した。捜しながら、イエス様の譬え話を繰り返し思わざるを得なかった。百匹の羊のうち一匹がいなくなったら、飼い主はいなくなった一匹のために念入りに捜さないだろうか、そしてもし見つかったら大喜びするだろう、そのようにわたしのもとから離れて失われた人がわたしのもとに帰ってきたら大喜びするんだという有名な話だ。

 いったい「鍵」はどこにいるんだろうかと、自転車道はもちろんのこと、散歩道に入ってからは生い茂る草道もあり、捜すのは並大抵じゃないと思いながらも、私どもの手から離れてしまった「鍵」はいったいどこにいってしまったのだろうと繰り返し思わされた。イエス様もそのようにして罪人であり失われた者であった私を捜してくださったのだなと思いながら熱心に捜した。結局全行程捜しに捜したが見つからなかった。

 最後に買い物をしたスーパーにもう一度立ち寄って、昨晩電話をしていただいた、「鍵」の実物を確かめさせてもらった。昨晩の方の説明によると「リングに二つの鍵が繋がっているものですよ」という話だった。私は「いや一つの鍵です」と言うので食い違っていた。

 ところがご対面よろしく、係の方が持って来られた「鍵」はまさしく私どもの「鍵」であった。私はその瞬間、再びその「鍵」に巡り会えた喜びを味わった。無機物なのに、まるで人間のように愛おしい思いさえした。妻がどんなに喜ぶだろうかとも思った。係の方々も喜んでくださり、失くなったものがこうして見つかることは文句なしにみんなが喜べることなんだとさらに嬉しくなった。

 日々の経験を通してイエス様はどんなに私たちにご自身の愛を示してくださっているのか、この日も改めて感じさせていただいた。

※上の写真がその「鍵」である。私どもは家の「鍵」の飾りとして魚の形をしたイクソスを用いていた。たまたまその「鍵」を落とし物として保管されたお店の方は魚の形をしたものも「鍵」だと思い、二つの鍵が一つのリングで繋がっていると思われたので、話がまったく通じなかったのである。「イクソスとギリシヤ語が書いてあるでしょう」と言えば、すぐお店の方にわかってもらえたのに、私は「青い飾りの一つの鍵です」と言うだけだったので話が全く通じなかったのである(平常、妻が用いる鍵でその程度しか認識していなかった)。なおイクソスとは「イエス・キリスト 神の子 救い主」を表わす頭文字を並べたもので、同時に「魚」を意味し、迫害下にあった初代キリスト者にとっては、大切なお互いの暗号のようなものだった。これからは「青い飾りの鍵」でなく、「イクソスの鍵」と言おうと思う。

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(新約聖書 マタイの福音書6章7〜8節)

2025年7月22日火曜日

石破首相への退陣要求

 今週の日曜日(7/20)は参議院選挙の投票日でした。当日は私にとっては礼拝の日に当たりましたが、近くの施設が借りられず、電車に乗って隣の市へと出かけました。暑い最中、外出そのものが危険視される日でした。だから、礼拝を終えて、家に戻って再び投票会場に行くのはしんどいので、懐中にあらかじめ投票用紙を用意して出かけました。礼拝中には投票のことなどすっかり忘れていました。それでも帰りの道では家と駅の中間点に位置する投票所に行くことができました。投票の「秘密」で妻がどの党の誰に投票したかは聞かず仕舞でした。もちろん私自身の投票先も妻には話してはいません。

 そのくせ、家に戻ってからは夜8時の各テレビ局の報道に釘付けになっておりました。選挙結果は各メディアの事前の予想通りで、国民民主党、参政党の大躍進で、自公は参議院で過半数を獲得できず、47議席で終わりました。あっと言う間の勝負でした。時あたかも大相撲名古屋場所が開かれていますが、強いと思っていた力士が呆気なく負けると、様々な原因が分析され、なるほどと合点するものです。当然、選挙結果の分析が今それぞれの立場で語られています。

 選挙は日本全国中の有権者がそれぞれ投票した結果です。これには従わざるを得ませんね。私にとっては理不尽と思われる参政党の躍進も民意がもたらしたものですから、それなりに尊重せざるを得ないと今は思わされています。もともと「参政党」というネーミングから受け取れた「政治参加」というニュアンスゆえに人々の注目を得ているのだろうというのが漠然とした私の印象でした(「三権分立」を解することのない「政治参加」を標榜する素人集団ゆえの魅力、それゆえに「危なっかさ」があるのではいか、いずれ馬脚をあらわすのでないかという危惧)。しかし、それが外国人排斥の運動を進めていることを知り、これは良くないと思いました。もちろん今もそう思っています。

 ただ現実に私たちの地域社会に外国人の方々が身近に住み、プラス・マイナスをふくめて日々様々な思いを持たせられていることはおそらく全国津々浦々の日本人のすべてが経験している事実です。そこに光をあてたことは参政党の功績だと思います。排外主義は望みませんが・・・。一方で痛切な物価高生活の中で経済をどう立て直すかの対策も与野党それぞれの主張が並行したままで決着がつかず終わってしまいそうです。

 このような政治状況で石破首相がどのような政治判断を下すか注目されましたが、「続投表明」がなされました。それに対して「石破首相への退陣要求(※)」が内外から日毎に奔出しているようです。そのような中で一昨日の20日、すなわち投票日の東京新聞の『首相の一日』記録の記事が私の目を引きました。

【午前】9時38分、東京・丸の内のパレスホテル東京、理容室「ヒロ銀座パレスホテル東京店」で散髪。10時30分 東京・富士見の富士見町教会、主日礼拝に参加。11時55分、公邸・・・

 首相は何と、私とほぼ同じ時間に場所は違いますが、礼拝していたのです。いったい、そこでどんなメッセージを聞かれたのか、知りたく同教会がyou tubeで配信していましたので聞かせていただきました。ここでは詳しく語れませんが、私にとっては実にタイムリーなメッセージでした。果たして首相にとってはどうだったのでしょうか。ここ数日間の首相の表情は何とも言えない苦渋に満ちた顔つきとなっていますが、主日礼拝の中で聞かれた聖書のことばが石破首相の霊の糧となっていることを信じます。

 そして、日本の政治が漂流しないで民主主義の王道を歩めるように祈りたいです。ちなみに富士見教会の主日礼拝で開かれた聖句を最後に書き加えておきます。

※なお、この一人に京都選出参議院議員の西田昌司さんがおられ、もちろん一切面識はありませんが、私より14年後に同じ学窓を巣立った人です。石破首相については昨年の10月30日のブログで「石破首相の舵取り」という題名で書かせていただいています。よろしかったらそちらもご覧ください。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/10/blog-post_30.html

イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16:24〜25)

2025年7月18日金曜日

今時の世相を憂う

こぞの夏 蝉の抜け殻 早や見つく※
 「全学連は国際共産主義の手先である」1960(昭和35)年当時、高校生の私が耳にした当時の岸首相の言であった(と思う)。それに対して、私はまわらぬ舌で語るが如く、ペンパルとして紹介されていたカナダの日系二世の方に、「決してそうではない。みんな祖国に戦争の惨禍を二度と味わわせたくないから、反対しているのだ」と言う旨の英文を認めて送った。その返事はいただけなかったが、それが当時の高校生の一般的な風潮でなかったかと懐かしく思い出す。なぜそのような認識を持ったか、振り返ってみると、何と言っても新聞の力ではなかったかと思う。そんなに新聞をくわしく読んだ覚えはないが、少なくとも新聞が社会の公器としてその役割を十分果たしていた時であったと思う。

 ところが、あれから65年、世の中はすっかり変わった。第一、高校生にも選挙権が与えられた。その若者たちは、新聞でなくSNSがその情報源だと聞く。そのような中で、根拠のない(と思われる)排外主義が大手をふって世の中を席巻していると聞く。いつの時代も高校生の純真な心はそんなに変わらない(と思いたい)。今、踏みとどまって、何が正しいのか考えてほしい。遅まきながら、私の購読している東京新聞も多方面からその現象にメスを入れて報道している。外国人受容の方策について、日本人同士の様々な差別(感情)を放置したままで一足飛びに、議論がなされても決してためにならない。

 参議院選挙の結果、どのような政治世界が待っているか予断を許さないが、たとえどのような結果が出ようとも、一人一人の議員の方々が、政治家として歩む使命をまっとうして現実的で意味のある国会討論が活発になされ、政策が決定されることを期待したい。

※いつの間にか、蝉の声が樹木の梢の茂みから静かに聞こえて来る季節になった。蝉は地中からはみ出て、木々を登り、抜け殻を残し、巣立って行ったのだろう。栄枯盛衰、人の一生をモノの見事に体現させてくれる通過点の姿である。もはや我も抜け殻を残すのみ。一方、白粉花の可憐な次の姿もある。

河岸に 白粉花の 紅映ゆる

ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。(旧約聖書 申命記24:21)

2025年7月16日水曜日

モンシロチョウに寄せて

風そよぎ モンシロチョウ 舞い飛べり
「自由空間」という言葉がある。一匹のモンシロチョウが笹の葉や紫詰草やクローバーなど密生する空間を、自由自在に飛びまわっていた。その姿をキャッチすべくiphoneを片手に追いかけた。ところが、彼の描く航路には中々追いつけない。その航跡を描けるなら描いてみたい。せめてその羽を広げた優雅な肢体を撮りたいと思うのだが、これが中々どうして果たせない。

 辛うじて、笹の葉につかまって一休みする姿を撮ることができた。写真で見ると、笹の葉にしっかりと2本の足(?)を伸ばし、つかまっている(側面で見ているだけだが、反対側にも他の足があり、しっかりと伸ばしているのだろう。そうしないとバランスが崩れる)。全部横向きだから仔細はわからない。しかし、これまた口から出ているのか、頭の先にあるのか、2本の鋭角とも言うべきものが見える。あたり一面、圧倒的な緑が支配する中で、黒い触覚のようなものが見える。このような表現しかできない、昆虫をまったく知らない私の戯言(ざれごと)だ。

 モンシロチョウではないが、小学校一年か二年の時、学芸会で、「ミツバチ」の役柄を与えられて、舞台の上で、女の子たちが演ずる花の間を、次々と飛んでまわったことを思い出した。何かセリフを言ったはずだが、そのセリフはとんと覚えていない。幕の袖の下の向こう側の観客席では多くの父兄の方々が見ておられた。その学芸会が終わると、決まって評が下されていた。中には口さがない評もあり、それを母から聞くのも嫌だったが、母が丹精込めてつくってくれた羽をバタバタひらめかせながら、飛んで行った時、それまでの緊張から解放された気分を味わったことも確かだった。

 モンシロチョウに限らず、今やさまざまな蝶が目まぐるしく飛びまわっている。もちろん花の蜜を求めてだろう。暑さ一点張りのこの季節、彼らにとってはさぞや無限とも言える草花の間を今日も飛びまわることだろう。どんなセリフを口走っているのだろうか。そう言えば、ここ4、5日の間だが、静かな蝉の声が樹木の間から、集団の声となって聞こえ始めている。なぜか、静かな蝉の声に私は安堵の思いを覚える。生きとし生けるものの盛んな季節へと確実に世界は進んでいると思うからだ。

狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(旧約聖書 イザヤ11:6〜9)