2025年1月21日火曜日

『財布君』と私たち

朝日浴び 新春の気 漲(みなぎ)れり  2025.1.4
 昨夕、家内の財布が見当たらなくなった。家内は、買い物袋、ポーチ、服のポケット、また部屋の中などありとあらゆるところを必死に探してみるが、どこからも出てきそうにない。そう言えば先週、友人が雑談の中で、自転車で外出して財布を落としたが、拾った人が警察に届けてくれて見つかったと嬉しそうに話したのを耳にしたばかりだった。その際、友人は「(悪いニュースばかり流れるが、)こんなふうに、世の中には正直に届けてくれる人がいるんだよね」と感にいると言わんばかりであった。それもそのはず、友人はその財布に大切なものを一切合切入れていたのだ。

 こんな時、いつもなら家内の失策をあげつらって私はガミガミ言うのだが、昨晩は我ながら、落ち着いていて、家内を責めるでなく、一緒になって、室内をなめるが如く、徹底的に探した。かれこれ一時間程度探したであろうか。それでも見つからない。こうなるとどこかで落としたに違いないと結論づけるしかなかった。記憶できない家内に代わり、財布の所在を遡って思い出すことにした。昼前、「ダスキン」の人が来て、家内がお金を払った。その後、自転車に乗り、古利根川べりの散歩に出かけ、その足で「ベルク」に買い物に出かけ、そこでも家内が代金を払った。自転車で家に戻る途中、何とかと言う薬チェーン店に立ち寄ったが、お目当ての品物がなく、買わずに店を出てきた。そこまで思い出せた。

 多分、その間のどこかで財布が落ちたのに違いない。でも見つからないだろうと、思いながら、先日の友人の話もあるので、とりあえず警察に電話した。受付の方が丁寧に応対してくださった。遺失物届けである。遺失物の内容を問われて家内が出たが、一枚のキャッシュカードが入っていることは確かだが、その他のものは思い出せなかった。生憎、警察には現時点では届いていないと言われ、万事休すであった。ただ、その時、「ベルク」や「ウエルシア」に立ち寄られたのなら、そちらのお店にも聞いてみられてはどうですか、と言われた。

 それで先ず、「ベルク」に電話したが、「(そのようなものは)ありません」という答えだった。「ウエルシア」では店内には入ったが、お目当ての品物がなく、買い物もせず、そのまま出てきたので、電話しても無駄だろうと思ったが、一か八かで電話した。しかし、何とそのお店に件(くだん)の財布はあった。その一報を耳にして家内も私もどんなに喜んだことか。家内は自分の不注意で夫にも迷惑をかけ、またキャッシュカード紛失届に銀行に赴かなければならないと覚悟していただけに大変な「救い」を体験したに違いない。

 買い物をしなかった「ウエルシア」にその財布(実は「小銭入れ」だったが)が届けられていたとは不思議だった。つらつら考えてみると、お金を持っていなかった私が家内から小銭入れを預かって、店内に入り、お目当ての品物がなく、店外で待っていた家内と合流して帰ってきたのではなかったか。その辺の記憶は家内には全然ないし、私にも記憶がない。ただ合理的な根拠を次々と時系列で詰めてみるとそうではないかと思った。

 財布の手渡しが駐車場で行われ、その際どちらかが意識しない形で『財布君』は私たちの手元を離れたに違いない。そして、通られた来客のどなたかに拾われ、お店の人に届けられ、のちに持ち主である私たちからの電話で、『財布君』は無事に私たちの元に帰ってきたのだ。数日前の友人の話に続き、また新たに人の善意を覚える昨夕の出来事となった。そして財布をなくした妻をいつものようには責めなかった私に、主なる神はすでに私の不注意だということを知らしめようとしておられたのではないだろうか。

 これらの文章の最後は私の推測であって、本当のところはどうだったかはわからない。ミステリーと言えばミステリーである。さて、このような失くしものとそれが見つかった時の喜びはこの上もないことはどなたも経験しておられるのではないだろうか。

 私は家内のなくし物を家内と一緒になって探したが、それは言うまでもなく、下の聖句にある女の人の「あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか」に促されての行動だった。だから、それが出てきた時の喜びを一瞬のうちだが、家内と共に共有できた。そこには拾ってくださった方の善意があっての結果だったことを覚える。それは小さな喜びであったが、ここでイエス様は、なくなった銀貨が見つかった人の喜びがたとえようもない喜びであったことを、私たちに注意させておられる。その喜びはまた「わき起こる」とも言っておられる。私たち自身が『財布君』であることを覚えたい。

女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(新約聖書 ルカの福音書15章8節〜10節)

2025年1月20日月曜日

甲乙付け難し

鴨くん ごめんね みんなで寛いでいたのにね 2025.1.11

 歌は人間生活に欠かせない。そこには、「詩」がある。漢字は言偏に寺を宛てている、まさしくそういうものであろう。ところでキリスト者生活にはこの歌が欠かせない。この一ヶ月間年末から年始にかけても、聖書輪読と散歩は日々欠かしたことのない日課としてきたが、それに少しずつ讃美を加え始めた。その中で出会ったのがかの有名な『いつくしみ深き友なるイエスは』(※)「と三度も繰り返される讃美歌312番である(今の世、この歌に思い当たらない方も、you tubeで存分に聴くことができますね)。この歌が生まれるにあたってはそれなりの一人の人間の心が、「詩」があった。そして今やその「詩」は全世界に伝えられるようになった。

 この機会に邦文で知ることのできるその「詩」を三つ順次にあげた。いずれの邦文も甲乙付け難しである。読者諸兄姉はどう思われるだろうか。

讃美歌312番の歌詞は

いつくしみ深き 友なるイエスは、罪とが憂いを  とり去りたもう。
こころの嘆きを 包まず述べて、などかは下さぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイエスは、我らの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、祈りにこたえて 慰めたまわん。

いつくしみ深き 友なるイエスは、かわらぬ愛もて 導きたもう。
世の友我らを 棄て去るときも、祈りに答えて 労(いたわ)りたまわん。

と、なっている。
聖歌607番の歌詞は

罪とがを荷のう 友なるイエスに 打ち明け得るとは いかなる幸ぞ。
安きのなき者 悩み負う者 友なるイエスをば 訪れよかし。

試みの朝(あした) 泣き明かす夜 気落ちせずすべて 打ち明けまつれ。
われらの弱きを 知れるきみのみ われらの涙の もとを読みたもう。

気疲れせし者 重荷負う者 隠れ家なる主に すがれ直ちに。
なが友は笑い 迫害すとも 主はなれを抱(いだ)き 慰めたまわん。

一方、キリスト集会が使用している『日々の歌』180番の歌詞は

心を主イエスに注ぎ出す時、主はいと優しく語らいたもう。
悩みと憂いに沈むその時、主イエスは呼ばれる、みそば近くに。

試みにもだえ涙する夜、痛む心をば主イエスの前に。
私の弱さも涙のもとも、優しい御手もて、抱きとめたもう。

重荷を負う者、疲れた者に、「来なさい」と主イエス呼びかけたもう。
浮世に責められ嘲られても、主はいつも我と、共にいたもう。

※原曲歌詞は”What a friend we have in Jesus ”Joseph Scriven

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、我らの避け所である。(旧約聖書 詩篇62篇8節)

2024年12月17日火曜日

人よ、主を褒めよ

鴨の群れ ピヨー一声 従いぬ
 随分ブログから遠ざかってしまいました。この間、日常の生活はそれなりに続けておりました。古利根川縁の散歩は欠かさず行なっております。毎日のように目にするのは、写真の鴨諸君の姿です。家内が数えるところによると百五、六十匹はいるということです。大変な数です。彼らは絶えず群れをなして行動しています。誰かは定かではありませんが、先頭に立つと思われる鴨が「ピヨー」と実に可愛い号令(?)を発します。すると、それに合わせて彼らは行動するようです。時折、何かの拍子に一斉に飛び立ちます。その姿こそ壮観です。残念ながらタイミングが合わず、未だ一枚たりとも写真に収めたことがありません。けれども、鴨が一方向に向かって前進する姿は私にとって感銘深いものがあります。なぜなら、もし人が、不信仰を捨て、主の示される方向にまっしぐらに歩むことができたなら、こんなに幸いなことはないと思うからです。

 冬は寒く、例年は古利根川にまで足を伸ばしたことはなかったので、言うならば今冬は初体験の毎日です。何かカメラに収めるべき被写体はないかと探すのですが、中々見つかりません。その代わりになるべく二人で会話をするように心がけているのですが、それも最近は湿りがちで、気がついてみたら、口数の少なくなった家内と黙々と歩き続けることが多いです。そうならないよう気をつけて、いるのですが・・・。ただ、時折、家内がすれ違う方々と「こんにちは」と言葉を交わすのが私には救いとなっています。よく聞くと、先方が「こんにちは」と言われたので、自分もそれに応えたのだ、ということでした。私には全然聞こえなかっただけでしたが、それでも元気に反応しているのを知るのは嬉しいものです。。

 最近は私自身が「物」の名辞がすぐに出て来なくって、説明するのに難儀します。先日も病院に行くのに「マイナンバーカード」という言葉が出て来なく、「カードが」としか言えず、家内に「あの悪名高きカード」、と説明するのですが、かえって家内にはとんと通じず、しばらく経ってから、「個人番号カード」こと「マイナンバーカード」と名前が思い出せて一件落着となりました。それ以前は「キウイ」という言葉がどうしても出て来ず、そのキウイを、「切ると緑の果物で、丸いもの」とか、説明するのですが、中々通じず、ややあって家内から「ああ、キウイね」と正解をもらったのはいいが、私の中では「キウイ」は「キウリ」としか聞こえず、まさに名前を覚えるのにこれは幸いとばかりに頭の中で「木瓜」と置き換えてしまい、家内から「瓜」じゃない、「キウイ」だと訂正される始末です。

 一番困るのは人の名前です。これまで実にたくさんの方々と二人して交友を保って来、それぞれに素晴らしいお付き合いをさせていただいてきましたが、そのことを、説明するにも、お名前そのものが思い出せず、話にならないもどかしさが付き纏います。やっと名前が思い出せても、家内は過去のことはすっかり忘れているので、諦めざるを得ません。幸い、私自身はそれぞれの方々のその都度お出合いした写真を撮らせていただいているので、今後はその写真を整理して説明してみようかなと思うのですが・・・。でも過去を振り返ると、もう十分なほど主はたくさんの方々と交友関係を結ばせてくださって、恵んでくださったのだ、そのことを感謝しようと思っています。

 次の歌は「福音子ども讃美歌」の歌詞ですが、なぜか、今の私にぴったりです。多くのことを忘れても、イエス様のことを忘れなければ良いんだな、と思わされるからです。ましてや12月25日はクリスマスですね。この前も歯医者さんに治療に行ったら、クリスマスにちなんだデコレーションの絵とともになぜか英語で確か「I wish you a merry Christmas」と綴ってありました。I wish youはわかるんですが、「merry」ってどんな意味だろうと思っていましたら、翌る日の子どもクリスマス会で、遠くつくばから来てメッセージしてくださった方が、「メリー」は「楽しい」、「クリスマス」は「クリスト、すなわちイエス様、マスは『礼拝する』」という意味だよ、だからクリスマスはイエス様のお誕生を祝う日だよ」と子どもたちに説明していました。私は聞きながら、前日の「merry」というちょっとした小さな疑問にもすぐイエス様が答えてくださるんだと思えて内心嬉しくなりました。

子どもよどこを見てる 子どもよなにを見てる
気をつけなさい 天から見てる
お方がいるのですよ


子どもよなにを聞いてる 子どもよなにを聞いてる
あなたのために十字架にかかり
イエスさまは死んだのよ

子どもよなにをしてる 子どもよなにをしてる
ただイエスさまのみことば聞くの
しずかに聞いていましょ

子どもよだれにたよる 子どもよだれにたよる
イエスさまだけが天のお国へ
入れてくださるのです (ふくいん子どもさんびか22)

 さて、話を私と家内が日課としている「散歩」に戻し、アダムがエバを得る以前に、名辞と助け手にちなんで経験した一連の聖句を思い浮かべましたので、下に紹介しておきます。このアダムの孤独にも主はちゃんと答えてくださっているのですね。

 鴨たちはピヨーという一声にみなが信頼して従い、孤独からの解放を経験しています。「人よ、主を褒めよ」とはクリスマスの時期、「孤独」をかこつ私たちに、主が発せられる一大音声(呼びかけ)ではないでしょうか。すべての人がその思いに浸られますようにとお祈りしたいです。

神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。(創世記2章19〜22節)

2024年12月4日水曜日

思い新たなり、師走のひととき

 12月に入って、のどかな日が続いています。ありがたいことです。これがいつまで続くのやら、いずれ寒い日々が来るかと思うと、今のうちにこの暖に浸っていたいという思いにさせられるのは果たして私だけでしょうか。午前中のわずかな時間の散歩ですが、梢から聞こえてくるたくさんの小鳥の囀りに耳を澄ませることができます。河岸を見れば、日向ぼっこをする鴨の群れ(彼らは時折思い思いに泳ぎ遊ぶかにも見えるのですが、後掲の亀もその仲間です)、また抜かりなく餌を求めて河岸を歩き回る白鷺も眺められます。確か、漱石の言葉だったと思うのですが、「午前中の創作は、午後の愉悦をもたらす」とありましたが、こちらは凡人で、かつ老残の身、散歩のひとときは、身をしていかに体力を維持するかだけに腐心している有様です。

 そんな今朝の散歩中、またしても躓きそうになりました。10日ほど前、躓き、しこたま足を強打し医者にもかかったほどにもかかわらず、性懲りもなく、同じ過ちを繰り返しています。まったく我ながら情けないです。先日の同窓会の席でも、皆さんに「躓かれませんように」とご注進申し上げたばかりなのですが、この様(ざま)で、話になりません。そこへ行くと、同行の家内は幸いそのようなことがないのは年齢差三歳の違いですかね(※)。

 今や短期記憶のできない家内と、補聴器なしには耳の不自由な私とでは、二人で一人前だと、これまで、やや自嘲気味に今の夫婦関係をなぞってきましたが、最近、肝心の私自身の記憶も怪しくなって来ました。それだけでなく思い込み、思い違いが激しく、この歳になって、自らの自己像も大いに修正されるべきだと思うようになりました。その上、昨日の閣議で、認知症施策の指針となる基本計画が決定され、新聞報道によれば、「急速な高齢化で認知症は『いまや誰もがなり得る』とし、みんなが支え合う共生社会の実現に向け取り組みを推進すると明記した」とありました。そこまで認知症は喫緊の全国民的課題になっていると思わざるを得ませんでした。

のんびりと 親がめ子がめ 日向ぼこ
 省みますれば、43年前の11月29日に、父は六十九歳で今でいう認知症を患って召されました。当時は原因もわからず、治療法と言うより、対応の仕方もわからず、家族としての認知症患者の父を抱え、混乱するばかりの悩みと苦悶の八ヶ月でしたが、ただひたすら主なる神様の救いと助けを祈る日々でした。その時の気持ちは、裸一貫荒野を行く心境でしたが、不思議と主のご支配は完全で、振り返れば「恵み」ばかりでした。

 今、認知症について、国民的理解が進む中で、我がこととして新たな決意のもと、どのように向き合っていけば良いのか、主イエス様の知恵と助けを叫び求めながら歩みたいと思わされています。
 
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(旧約聖書 詩篇107篇1節)

2024年11月30日土曜日

この日は、我が自戒の日なり


 今日で11月も終わりです。昔、31日に満たない月を覚えるため、「二四六九十一(西向く侍)」と教えられました。そのためか、私には、不思議と何となくこの11月30日で今年も終わりだという思いにさせられる日です。それは私にとって12月師走に入る前に、一年の歩みを振り返りながら、もうここまで来てしまった、もう後戻りできないという切迫感にさえ一瞬とらわれる不思議な日です。そんなこともあって昨日の出来事をめぐって大いに考えさせられる日となりました。

 昨日、私は高校の同窓会に5年ぶりに出席するため新橋まで出かけました(3年間ほどコロナ禍のため、実施されず、昨年は実施されたようですが、たまたま私には案内が来ませんでしたので欠席していました)。前日まで、先週の土曜日からの二泊三日の郷土帰りの強行軍が災いしてか、体調がずっとすぐれず何度も行くのを断念しようと思いました。結局、土壇場まで、逡巡に逡巡を重ねながら、勇を鼓して出かけることにしたのです。結果は、幸い体も守られ、かえって元気が与えられ、家に帰って来ました。出席者は私をふくめ21名(男性16名、女性5名)でした。

 都合三時間の間を利用してそれぞれが近況報告をしました。普通の集まりと違って。お互いに同年なので、今更、歳を経たことの苦しさを訴えるでもなく、その置かれた状態でどのように今生きているかの証、それに互いが耳をそばだてる集いだったように思います。それはもうほとんど全員が八十余年の年月を経て満身創痍の身であり(たとえ自分は健康であっても配偶者が健康を失っていたりしている場合もあり)、そのことにおいては一人の例外もないからであります。

 分けても寂しく思わされたのは、やはり多くの物故者のお名前を知らされたことでした。それぞれの方との関わりを思い出すにつけ、それらの人々とはもはや語り得ない、もう逝ってしまったという寂寥感は覆うべくもありませんでした。特に生前元気であり、会の主メンバーの一人でもあったM氏が10月に亡くなり、彼の奥様が写真をもって我々の集まりに「主人が喜ぶだろう」と言って参加されたのには、痛々しい思いがしました。もちろん、皆さん、奥様の来会を喜ばれ、それぞれが同君との思い出を語る貴重なひとときとなったことは言うまでもありません。

 一方私は、何とか同窓生の方に、「イエス様は、私たちのように座して死を待つばかりになっている人間に、ご自分のいのちと引き換えに永遠のいのちを与えてくださったお方だ」と個人的にご紹介したいと思っていましたが、そのような機会は与えられませんでした。

 ただ、皆さんと三々五々別れる時に、以前から私に「福音」について聞いてこられた方が今回の同窓会にも出席されていましたので、その方にだけは「死は終わりではない」というベック兄のメッセージの載っている小冊子をお渡ししました。私としては、何とかその小冊子がその方にとって「福音」となるようにと祈るばかりです。

 このように、わずか三時間の同窓会でしたが、来年度の幹事は早速その場で決められ、今日は今日で、手際良く、昨日の会計報告がメールで送られて来ました。今、私は許されれば来年の同窓会にも、出席したいと思わされています。冒頭、11月の末日に当たり、考えさせられる点がありましたと述べましたが、過去のブログ記事をこの機会に再読してみて、忘れていることばかりで、その時には切実に思い、決心して同窓会に出席していたのに、今ではいい加減になって、すっかり初心を忘れていることを自戒せざるを得ませんでした(※)。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/12/blog-post_9.html
覚えていなかったのですが、上記ブログでM氏について少し触れていたのです。そこから換算するとM氏はまさに10年余り、病に伏しておられたことになります。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2018/06/blog-post_23.html

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(新約聖書 ローマ人への手紙 6章23節)

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(新約聖書 1コリント15章19〜20節) 

2024年11月26日火曜日

紺碧の空よ

伏しし母 紺碧の空 眺め居り
 昨日は全国的にすごい快晴に恵まれたのではないでしょうか。私は二泊三日の予定で郷里に戻っていました。前の週には次男が車で帰っていましたが、生憎天候が悪く、庭の葉刈りをやってもらえませんでした。次の週にあたる24日(日)近江八幡での礼拝出席のため、帰るので今度こそ是非葉刈りをしていただきたいと望んでいました。危ぶまれた天候でしたが、結果は昨日の月曜日、見違えるばかりの青空でした。

 小さな庭であり、主要な樹木(もちの木、金木犀、山茶花)も三本ですから、三時間半ほど、二人の方で葉刈りをしてくださり、綺麗さっぱりとした庭になりました。庭の中身を紹介するでなく、あくまでも空の青さを味わいたく、このような構図の写真になってしまいました。以前には、と言っても何十年も前には、正面の屋根の向こうに、元の庭の一部であったのか、松の木が形よく枝振りを見せていたのですが・・・。いつの間にか、歳取ると、そんなこともすっかり忘れてしまっています。

 建築を生業としている次男は何とか、この家屋が生かされないかと考えていてくれます。奥に覗いている倉がいつの建造物なのかは知らないのですが、少なくとも本屋は私の年齢に先行すること3、4年ですので、人間に例えれば今80歳半ばを越えています。そもそもその庭にしたって私の小さい頃には梅の木が手水鉢に接して植えられていました。その木が枯れてダメになった時の母の落胆ぶりを思い出します。ツツジは石組みのまさる庭にあって可憐で綺麗な花を今も咲かせてくれていますが・・・

 若くして不治の病にかかり44歳で亡くなっていった母は、最晩年寝室から庭に面する座敷に移り伏し、この庭を眺めながら、世間から女だてらにと嫌味を言われても、お家再興のためにと建造を決意した自らの家を思い、何を考えていたのでしょうか。庭を取り巻く壁は、まさに空の青をベースにして、それも塗り壁は平面でなくやや凹凸のある塗り壁でした。それは座敷の襖(山並みと空をモチーフにした)と相まって綺麗なものでした。先ごろも一足早く故郷入りを果たした次男が、口を注ぐごとに、その美観と造作の丁寧さを語ってくれました。母は、80数年を隔てて、今その孫がその良さを味わい、何とかこの家を残したいと考えていることを知ったら何と思うでしょうか。

 私もこの家を出立してから、いろんな住生活を経験して来ました。浪人時代にはミゼットハウスという1960年代に流行ったプレハブ住宅に住んだこともあります(大徳寺の一塔頭に下宿した時です)。かと思えば教員になって下宿したのは山裾に位置した農家の2階でした。五右衛門風呂でした。私にとっては全く初体験で驚くことばかりでした。その後、同僚に誘われて演劇活動に加わった時、舞台で、大道具よろしく、簡単にセットされる家屋の姿を身直に体験するたびに、それまでの私の住生活の考えは根底から覆されました。それは、家はどんな家でもいいんだ、住めればいいんだ、問題はそこでどんな生活を歩むのかということだ、と。このことは少なからず、私が主の救いを求めていたことと並行した心の動きとなっていたのかも知れません。

 気がついてみたら、故郷のこの家を出てからは、先ほどの農家の二階生活に端を発し、その後由緒ある旅荘(栃木県足利市の巌華園)の一隅の洋間を使わせていただいた生活、県営住宅、校長官舎、2DKの団地生活、3LDKの団地生活、一軒家の中古住宅、そして新築して現在住んでいる積水ハウスによる家屋と8回とその住生活を経験させていただいて来ました。

 振り返れば振り返るほど、我が身がこうして生かされて来たのは、住生活を振り返るだけでもすべて我が力によるのでないという思いです。母は若くして、お家再興のために家を新築しました。しかし、自らその生涯を全うできずに、一人息子を残し、自ら建て上げた家を残し、去っていかざるを得ませんでした。これらのことは、母にとって人間的に見れば無念だったと思います。

 紺碧の空は、彦根地方ではそう度々経験できる空でないように記憶しています。しかし、私にとってこの紺碧の空は、それだけにとどまるものでなく、一身を投げ打って誠意を尽くして生き続けた母も「救い」に加えられて住んでいるに違いない天の御国を思わせるものでした。主なる神様は、この紺碧の空をも造り、今も私たちが主イエス様による罪からの救いを体験して、ともに主とあい見(まみ)えることを願っておられると思うからであります。母には、その生前に、その福音を私の口から伝えられませんでした。しかし、病をとおして必死にその罪と死からの「救い」を求めていた彼女を、全知全能の主が放って置かれるはずがなかったと思うのであります(※)。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(新約聖書 1テサロニケ4章16〜17節)

2024年11月15日金曜日

「あなたは私の助け、私を助け出す方」

君や知る 我が蹉跌(さてつ)時 神語る
 今日は、日々、聖書に養われて歩ませていただいている者として、どんな経験をしているかについて、その一端をお話させていただきます。私にとって、新聞は毎朝欠かせない読み物ですが、一方朝夕の食事の前に決まって朗読することにしている『日々の光』(※)は新聞では得られない心の宝物です。たとえば、昨日(11月14日)の朝には次の御言葉が記されていました。

あなたは私の助け、私を助け出す方。わが神よ、遅れないでください。(旧約聖書 詩篇40篇17節)

 随分と短いセンテンスで、一読了解の文章です。ところで、私にとって 、詩篇40篇全篇(わずか17節しかありませんが)は懐かしい思い出が込められた詩篇なのです。その最後の節がこの御言葉でした。私はこの節を朗読しながら、新たな感慨にとらわれたのです。そのことは最後に触れるとして、詩篇40篇に関して、少しばかり過去の記憶をたどらせていただきます。

 想えば、1990年教会を出て、出たはいいけれども、頼るべき何物も持ち合わせず、不安のどん底に落とされていた時に、主が私の心の内側に向かって静かに語りかけてくださった御言葉がこの詩篇40篇だったのです。

 その当時も今と同じように家内と一節ずつ交互に輪読する習慣を持っていました。ところが、ある日の朝、私は一節ずつ読み上げるごとに、己が罪が示される思いがしてならなかったのです。もう逃げも隠れもできない、私の主に対する不信仰の思い・罪(主を信じていると言いながら、そのくせ心の底では信じ切っていない罪)が、白日のもとに全部曝け出された思いがしたからです。しかし、読み進めて行くうちに、そんなどうしようもない私を主なる神様は赦してくださっていたのだという、まったく思いもかけない主の愛に満たされて、私のうちにとめどもない「悔い改め」と「感謝」の涙となって溢れ出て来たのです。一緒に輪読していた家内にはどう映ったかわかりませんが、私は恥も外聞もなく、ただ泣き伏すばかりで、声にもならず、この詩篇40篇を何とか最後まで輪読し終えることで精一杯だったのです。その中でも中心にあった御言葉は次のものでした。

あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえもお求めになりませんでした。(詩篇40篇6節)

 今から振り返ってみると、当時、私の問題点は、クリスチャンらしく歩まねばならないという思いに囚われていて、主なる神様であるイエス様が私たちの罪滅ぼしのために十字架上で流された血潮の価値について考えることも、もちろん感謝することも少なかったように思います。その私に主なる神様はこの6節の御言葉を通して、「あなたのいけにえは必要なし、わたしがあなたの罪のいけにえになっているのだよ」、と語りかけてくださったのです。

 全く有難いことでした。それだけでなく、さらに12節の御言葉を通して自らの罪をはっきりと自覚したのです。

数えきれないほどのわざわいが私を取り囲み、私の咎が私に追いついたので、私は見ることさえできません。それは私の髪の毛よりも多く、私の心も私を見捨てました。(詩篇40篇12節)

最初、私が自覚した罪・咎は一つか二つほどでした。しかし詩篇の作者は、「私の髪の毛よりも多く、私の心も私を見捨てました。」と言っているではありませんか、私のいい加減な悔い改めでなく、作者は全面的な悔い改めの告白をしているんです。そして、もうここまでくれば、主なる神様の前に、私は「全面降伏」をせざるを得ませんでした。さらに御言葉は次のように語っていたのです。

あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「主をあがめよう。」と、いつも言いますように。(詩篇40篇16節)

「これだ!」、と思いました。教会生活に別れを告げ、行き先も知らず出てしまった私に対して、この御言葉ほど慰めに満ちた御言葉はありませんでした。ここでは「慕い求める」人、「救いを愛する」人がいるのです。これからは私も心を入れ替えて、自己中心の自分でなく、主を中心とした集まりを、持たせていただきたい、その群れを主は喜んでくださるのだという確信でした。

これぞ、教会生活に別れを告げた私に対する主の餞(はなむけ)の言葉でした。

 そうして、集会生活34年は、とっくの昔に教会生活20年を凌駕する年月を経てしまいました。そして集会生活において、再び、教会生活では想像もし得ない問題、異なる問題に今度は悩まされるようになりました。そうした挙句、私たち集会の原点は何であったのかという熱心な問いが今週の水曜日(13日)のリフレッシュ集会でも出されました。私も当事者として発言を求められましたが、そこでは必ずしも適切に答えられたわけではありませんでした。

 その翌朝、14日の朝にたまたま開かされた聖句が『日々の光』が提供する冒頭の短い御言葉でした。私は34年前に味わった詩篇40篇が、どうして最後このような「あなたは私の助け、私を助け出す方。わが神よ、遅れないでください。」という嘆願で終わっているのか長年疑問を持ったままで、それ以上考えようとはしませんでしたが、34年目にしてこの御言葉に対して初めて真正面に向かえるような気がしたのです。この嘆願こそ、やはり詩篇40篇が必要としていた人の思いが集約されていると受け止められたからです。34年目にして初めて知る発見でした。

 このように、聖書は慣れ親しんで、その挙句、古びて滅び去るものではありません。慣れ親しめば、慣れ親しむだけ味が出てくるものです。そして必ず、「悔い改め」と「いのち」に連なるより一層の「喜び」を保証する「神の言葉」です。これからもこの聖書といういのちの糧をいただきながら歩みたいと念じております。それだけでなく、一人でも多くの方が聖書に親しまれ、今生かされている主のいのちの恵みを体感されんことを切に祈っております。

※かつて、私は『日々の光』の原書にあたる英語版『DAILY LIGHT』を古本屋の捨て本の中に見つけ、百円で購入したことがあり、その表紙扉に1794年と記してありました。230年前のその年号がその本の出発点でないかと睨(にら)んでおりましたが、不思議なことに、昨日『日々の光』の日本語版でご尽力いただいたK氏とそのことをふくめてお電話でお話しする機会を得ましたが、まさにその通りでした。K氏によると日本では大正14年ごろに文語訳聖書を基にする版が邦訳されていたのではないかということでした。このように、今や私たち、日本のキリスト者にも、お馴染みの本になっていますが、元をただせば、イギリス・ロンドンのSAMUEL BAGSTER AND SONS LIMITED社が1794年に編集し発行したものであります。だから、全聖書からのバランスの取れた適切な引用に満ちている、この手軽な本は、サムエル・バーガー父子の大変な祈りによる犠牲があったものと推察し、その存在をK氏とともに主に感謝したことでした。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(新約聖書 2テモテ3章16節)

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(旧約聖書 詩篇119篇105節)