クリスチャンのまずなすべき仕事は、だれの場合であっても、祈ることです。単純、明快です。ところが、ただ祈るだけでは足りないのではないかとわたしたちは思ってしまいます。神のためになにか大切なことをしたい、神にとって大切な人間になりたい、と思うのです。なにかを建設したい。人々を動員したい。わたしの力を示したい。影響力を行使したい・・・。そういったことに比べると、祈りはいかにも小さいことに思われるのです。ほとんど目にもつかない、小さいことに思われてしまいます。
けれども、イエスはそうは言われませんでした。イエスにとって、祈りはすべてでした。特権であり、同時に義務でした。責任であり、しかも権利でした。
祈りを最後の手段と考える傾向が、わたしたちにはあります。しかしイエスはそれを「戦い」の第一線に置くよう望まれました。ほかにどうすることもできないときに、わたしたちは祈ります。しかしイエスによれば、何をするよりも先に、まず祈るべきなのです。大部分の人は、すぐに結果を見ることができるような何かをしたがります。神にとって最もふさわしい時に、神が解決してくださるのを、わたしたちは待ちたくありません。神にとって「ふさわしい時」というのが、わたしの考えるふさわしい時と、あまり合わないことが多いからです。
そこで、わたしたちは神のお手伝いをしたがります。時には自分の祈りに自分で答えようとさえします。たくさんの人の目に神がよく映るようにすることができれば、もっと多くの人がクリスチャンになるのではないか、というようなことを考えます。そこで、神は祈りに答えてくださるということを証明して、神が寛大であられることを、人々に納得させようとします。神のイメージがもう少し立派なものになるよう手助けをすれば、もっとたくさんの人々を神の側に勝ち取ることができるのではないか。そして、神はそのことをわたしたちに期待していらっしゃる。そうではないか。
いいえ、そうではありません。神がわたしたちに期待していらっしゃるのは、祈ることです。いつでも祈り、そしてすべてについて祈るのです。喜びの時も、悲しみの時も、です。神について語るのではなく、神に向かって語りかけることを求めておられます。神のことを未信者に話すよりも、その前に彼らのことを神に語ってほしいと、神は思っておられます。
祈りは神がわたしたちに課しておられる日課ではありません。わたしたちのなすべき仕事です。なすべきただ一つの仕事です。祈りはわたしたちの聖なるわざです。単純で明白です。
(『「祈りの時」を変える黙想』のはしがきより。)
朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。(ルカ4・42、5・16)
2012年10月30日火曜日
あなたは主の全能の力を心ゆくまで体験しているか
ボーデン湖畔をミュンヘンへ向け走る 2010.10.12 |
「愛する主イエスさま。私たちはこの集いの期間を通して、あなたをよりよく知ることができますように、御名によって祈ります。 アーメン」
であったように記憶する。もちろんその他の言葉もあったであろう。しかし今となってはそれらはすっかり忘れてしまい、この祈りの言葉が今も私の耳朶に残るすべてとなっている。それは、私にとって、その方の祈りの眼目が主をよりよく知ることであったことに内心驚かされたからである。そこには人間的な矜持が一切なかったのである。ましてやそのように祈った当のドイツ人宣教師には、自分の手柄が功を奏して大挙せる日本人を連れてきたと言うような、自己満足的な思い、自己を誇る思い、故郷に錦を飾るという思いはいささかもなかったのである。
こんなことを思い出したのは、昨日に引き続いて引用するオズワルド・チェンバーズの本の中に酷似した文章が記されていたからである。題して
「祈ったことの結果として、今週わたしは神について何を学んだか。」
である。以下オズワルド・チェンバーズは次のように言っている。
祈り求めることについての重要な点は何かといえば、神をよりよく知ることができるようになるということに尽きます。
「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」(旧約聖書 詩篇37・4)
神ご自身を完全に知ることができるようになることを求めて、祈りつづけなさい。
倫理的な貧しさのどん底で、祈り求めたことがありますか。
「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら・・・神に願いなさい」(新約聖書 ヤコブ1・5)
しかし、確かに知恵に欠けていることを、あなたは認めなければなりません。自己満足に陥っているときは、現実に直面することができないものです。
わたしたちがほかの人のために祈るとき、神の御霊はその人たちの無意識の領域に働きかけてくださいます。わたしたちのまったく知らない領域、わたしたちの祈っているその本人自身も、まったく知らない領域です。しかし時が経つにつれて、その人の意識した生活に、不安と心の乱れのしるしが見えはじめてきます。これまでは、自分が疲れ切ってしまうまで、その人に話しかけてきたのに、なかなか思うようにいきませんでした。失望してあきらめていたのです。しかし、もし祈りつづけているならば、ある日、その人と出会って、その人の心がやわらかくなっているのに気がつきます。質問をしたり、なにかを知りたいという願いを持っているのがわかります。そのようなとりなしこそ、悪魔の国に最も大きなダメージを与えるものです。最初の段階では、それはあまりにも目立たない、弱いものかもしれません。
もし理性が聖霊の光に照らされなかったならば、わたしたちはそのような祈りをしなかったことでしょう。しかし新約聖書が最も強調するのは、このような種類のとりなしです・・・あまり大げさに取り上げてはいけませんけれど。わたしたちは祈ることができるし、祈るといろいろなことが起こると考えるのは、愚かに見えるかもしれません。だが、どなたに向かって祈っているのか、思ってもみてください。わたしたちが何一つ知らないような、人格の最も深い所にある無意識の世界を理解してくださる神に、祈っているのです。その方がわたしたちに、祈るようにと命じられるのです。
(引用文は昨日に引き続いて『「祈りの時」を変える黙想』オズワルド・チェンバーズ著棚瀬多喜雄訳65〜66頁より)
そして、このオズワルド・チェンバーズの本を読むにつけ、冒頭ご紹介した祈りは、18年後の今日、主との交わりのうちにすべてを披瀝する、全能の神様に心から感謝する何よりも信頼の祈りであったことに気づかされたのである。
2012年10月29日月曜日
人にとってもっともたいせつなこと
鳩の降りた日 吉岡賢一画 |
「わたしは、世の光です」(新約聖書 ヨハネ8・12)
もしイエス・キリストを知らないと言うならば、それはわたしたちの責任です。イエスを知ろうとしなかったということです。ほんとうのところ、イエスが生きてそして死んだのかどうか、あるいは何かをしたのかどうか、そういったことがわたしと関わりがあると、わたしは思っているでしょうか。
多くのペテン師がいることは事実です。けれどもほんものがなければ偽物もありません。イエス・キリストは作り話でしょうか。いいえ、とんでもありません。この方によって人間がさばかれるのです。
「そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した・・・からである」(ヨハネ3・19)
わたしたちは、いま持っている光によってさばかれるのではなく、自分が受け入れようとしなかった光によって、さばかれます。そこにあるのに、それを見ようとしないならば、その責任を問われるのです。
一度イエスとお目にかかったならば、その人は以前と同じままではいられません。不滅の瞬間、つまり神の光を見るというその瞬間を、どう受け取るかに、わたしたちのさばきはかかっています。
(『「祈りの時」を変える黙想』オスワルド・チェンバーズ著棚瀬多喜雄訳42〜43頁より引用。東京で行われた二紀展は今日が最終日であった。吉岡さんから招待券をいただいていた。数日前から始まっているのにこれまでうっかりして行けなかった。今日念願が果たせた。ひいき目に見ている所為なのか、一番この作品が良かった。それにしても、もし招待を受けているのに行かないでいたら、どんな顔して吉岡さんと相対すれば良いのだろうか。人間同士でもそうなのに、ましてやイエスさまが招いておられるのにそれを断り続けていたとしたら、またイエスさまの光のうちを歩まないとしたら、私たちはイエスさまにお会いする時何という申し開きができるのだろう?)
2012年10月27日土曜日
『カラマーゾフの兄弟』雑感
ざくろジャム |
ざくろの木 |
しかしこのことは、親から自分が生まれたのは分かるが、その親がまた自分と同じようにその親から生まれた存在であることを思い、親を子として眺める相対化の視点を持とうとしていると言えなくもない。家族生活において相対化は中々訪れないが、社会生活における他者との関わりは絶えざる相対化の過程の繰り返しだ。
先頃、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を一週間ほどかかって読み終えた。読み終えたと言った代物ではない。余りにも、重層的な話の展開で一つ一つの会話の内容の字面を追って行くのが精一杯でどこまで理解できたかもちろん心もとない。でもそんなことはどうでも良くなって行く、手に汗を握る話の展開である。人間生活の家族内の葛藤、そしてそれにお金がつきまとうと言う根源的なことがテーマであるからである。しかも父親殺しが、すべての証拠から見てほとんど真犯人と思われている長男ドミートリ—は本当は犯人でないことが読み進めて行くうちに明らかになる。
けれども陪審員の判断はドミートリーの有罪に旗をあげる。その矛盾、結末も明らかにならぬまま、最後の短いエピローグで話は末息子のアリョーシャと年少の子どもたちが未来に希望を持ちながら、しかもそれはどこまで確かか分からないがとにかくよみがえりのいのちにあずかるという形で終わる。
今回、そもそもこの本を読んだのは年若い友人からその中の「大審問官」の話を聞いたことがきっかけであった。その話は大変興味をそそる話であった。次男イワンの創作話である。しかし私には全体の中からどうしてもそれを位置づけたかった。それで無理を承知で読み始めたわけである。読み進むにつれ、人間精神の複雑性と奥深さに終始心が揺さぶられた。自らの無知も自覚しないまま断定的にものを言い、人を傷つけている存在者である自分に気づかされたことは大いなる収穫であった。
ただ、果たしてドストエフスキーが主にある信仰を確かに獲得していたキリスト者であるかは、大方の方々の結論、すなわちドストエフスキーはキリスト者であるという結論は私にはにわかに断じがたいと思った。(下記に記す聖書の最初の言葉は『カラマーゾフの兄弟』の見返しに著者が引用しているみことばである。その後に記すのは私がドストエフスキーは確かにキリスト教的であるかもしれないが、キリスト者であるか疑問を抱くドストエフスキーのエピローグに対置したいみことばである)
今回、好評を呼んだ亀山さんのものを購入し読んだ。文庫本で、5巻本だがそれぞれにしおり、巻末解説があり十分堪能できる作品となっている。しかも亀山氏の解説によるとこの小説は未完でどう考えても第二部の小説が著者によって予定されていたが、それが著者の死によって駄目になったと言う。かつて小説というと夏目漱石どまりであったが70にも手の届く段階で、このような作家がロシアにいることを知ることは驚異的な思いがした。と同時にロシア社会における風土と民族性はやはり日本人とは全く別次元の社会であることを思わされた。(日朝関係、日中関係、日露関係、日米関係の調整に戸惑うのはある意味で当然のような気がする)
大学二年生の時だったか、田舎の本屋で当時手に入らなかったドストエフスキー全集が陳列棚の上に埃をかぶってしかも箱がこわれているがほとんど揃っていたのを買い占めたことを思い出す。しかし今手許に残ったのはわずか『作家の日記』上下二巻だけだ。過去、ひとかどのドストエフスキー通のつもりでいた。しかしいずれも人々のドストエフスキー論を紐解いただけで自ら一冊の本も完読していなかったのである。長年の責務を果たした思いである。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(新約聖書 ヨハネ12・24)
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。(黙示録21・2)
2012年10月25日木曜日
御救いをお示しください!
2012.10.19 修善寺から見上げる富士山 by M.Miyashiro |
昨日の家庭集会である方とのお交わりの中で自然と胸に突き刺さって来た自らに対する問いと答えであった。「救い」とは多くの場合、自分の遭遇している状態(ある場合には逆境と言ってもいいかも知れない)が何らかの意味で改善することを意味している。確かに自分の今置かれているそのような有難くない状態が改善されることは本人にとっても周囲の者にとっても救いになることは間違いない。
しかし聖書が指し示す救いとはただそれだけだろうか。あるいはもっと突っ込んで言えば本当にそうなのだろうか。お話している間に全くそのようなことに尽きないことを悟らされた。またその席上での敬愛する兄弟のメッセージでは生まれながら盲目に生まれついた人がその原因を捜す、「犯人探し」が人間のなすすべてであるが、イエスさまは犯人探しより、もっと高次元の盲目であったその人自身の霊の眼を開いて下さる方であることが熱心に語られていた。
それに呼応するかのように、私もまたそのお交わりしている方に熱く、「救い 」は私たちが頭を下げて主のご主権を認めること、主イエスさまの身元に来るだけで「救われている」ことを確信できる性質のもので、それは私たちの待遇改善を必ずしも指すのでなく、それ以前に私たちの罪そのものの解決が主イエスさまの十字架の犠牲の死によって清算されている、それが「救い」ですとお話していた。果たしてこの私の考えは皆さんに納得していただけるものだろうか。
ところが、これからご紹介するヴィルヘルム・ブッシュ氏の霊想の今日の箇所のメッセージはまさしくその間の事情を直裁に示すものと思った。以下、いつものように抜粋させていただく。
人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。(新約聖書 ローマ3・28)
1915年、血気盛んな若者であった私は、軍隊に入れられました。当時は服装の規則が非常にやかましくて、街などで上官に出会うようなことがあると、全くあわててしまうのでした。つまり最初に反射的にすることは、帽子をつかんで、まっすぐにかぶり直し、あごひもをキュッと引っ張り、大急ぎでコートのボタンが全部かかっているかどうかを調べる、ということでした。
人と話をしていて、神の御名が口にされる瞬間、私はいつもこのことを思い出させられます。人は突然に初年兵のようにしゃちこばってしまいます。そして言います。「私の人生はきちんとしています!」と。時々は教会にも行くんだ、と力説します。数々の善行を話してくれます。つまりは、神の御前で身構えて見せるのです。
さて、聖書はそれに対して「なんとこっけいな空騒ぎかね。神には、我々の生涯がありのままに見えているのだから」と言います。そしてまた、「安心して自分自身に絶望しなさい。神の御前には、いずれ立てないのだ。だから神の御前で身構えるのはやめなさい。あなたが失われた者であることを、神はずっと以前からご承知だ」と語ります。
「自分自身に絶望せよ!」これは難しいことです。しかし、もし我々が真理を尊重するなら、神の御子の十字架を顧慮することはなんでもないことです。そして、そうするなら、このお方こそが、我々を神の前に「義とする」のだ、と悟ります。
聖なる、妥協なき神に、我々が何者であるか、また、何をしたか、ということで、取り入ろうとしてもむだです。しかし、もし—聖書の表現によると—我々がイエス・キリストの正義の外套をまとうなら、神に喜ばれるのです(イザヤ61・10)
主よ! この目を開いて、自分自身を見させ、あなたの御救いをお示しください。
アーメン
(引用箇所は『365日の主』301頁10月25日より)
2012年10月13日土曜日
わたしは小羊です
2003年 in Germany by T.Katagiri |
(イエスは言われた。)「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。」(新約聖書 ヨハネ10・27)
友人から、こんなかわいらしい話を聞きました。彼は小さな息子に、良き羊飼、主イエスのことを話しました。そして最後に、「お前もイエスさまの小羊になれるんだよ」と言ったそうです。
子供は黙って聞いていました。が、夜になってベッドに入ってから、坊やはこう祈ったそうです。「愛する主よ! ぼくをどうしても動物にするのでしたら、どうぞお馬にしてください!」
我々人間にはみな、そういうところがあります。少しでも抜きん出た存在でありたいと願うのです。神の国の、悲惨な十字架、それはあまり人気がありません。あの子供にとっても、「小羊」ははかばかしく思えず、さっそうたる駿馬が望ましかったのです。
さて、我らの主が、我らを羊にたとえられたのには、それなりの理由があったからです。彼はただにご自分の民ばかりか、すべての人を「羊」とお呼びになります。ただ主は、迷い、失われた羊と、救われて主の群れのものとなった羊とを区別なさるだけです。
なぜ主は我々を「羊」とお呼びになるのでしょう。たぶん、我々が全く方向感覚を持たないからでしょう。この世に関することなら、曲がりなりにも進んで行けるのですが、我々の生涯の、永遠の目的ということになると、まるで途方に暮れてしまいます。だから、羊飼が必要なのです。とすれば、イエスが我らの羊飼となられたことは、なんと幸いなことでしょう。子供のようになって、「わたしはイエスの小羊。/この良き羊飼を/絶えず、絶えず、喜びます・・・・」と賛美しない限り、どんなに力を尽しても、本当の人生を歩んで行くことはできません。
この生けるお方、イエスは、今もこの世の道を歩みつつ、羊飼の声を放たれます。多くの人にとって、その御声は、彼ら自身、あるいは、人々の声によってかき消されてしまいます。しかし—「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。」
主よ! 我らを投げ出してしまわれないので、感謝します。
アーメン (『365日の主』ヴィルヘルム・ブッシュ著岸本綋訳 10月13日から引用)
2012年10月8日月曜日
メゾソプラノリサイタル
ユングフラウを目前に 2010.10.8 |
昨晩も「日々の歌」の歌詞をもとに賛美していたら、楽譜がないので勝手に節回しをつけてとんでもない歌となっている。聞いている家内は思わず、吹き出した。そして「やっぱり音痴なのね」と宣った。それには訳がある。私の実母は自分は音痴で音楽が駄目だとよく言っており、好きな音楽と言うと広川虎造の浪花節であったし、よくって春日八郎の流行歌であった。そんな音楽環境で育ったため、楽譜は読めないし、ハーモニカひとつひけなかった。でも今から振り返ると父はハーモニカを器用に演奏していた。だから父譲りであるなら少し望みがあると言うところか。
そんな音楽環境の中にある私だがなぜか大学ではグリークラブに二年ほどいた。でもセカンドテナーというパートが面白くなく、それだけの理由ではないが、途中で止めてしまった。だから音楽には絶えず劣等感が附き纏う。でも不思議なことに子どもたちはそれぞれ音楽に強い。これは家内の影響だろう。
肝心のリサイタルに話を戻す。リサイタルはドイツ歌曲である。テーマは「希望に寄す (An die Hoffnung)」であった。二部構成で第一部はヘルダリンの詩による歌曲でH.アイスラー、M.レーガー、H.ロイターという作曲家によるものであった。歌い手の衣装・顔つきを通して、何やらただならぬものを感じた。歌詞を見ると決してそうではないのだが。
ところが第二部に入ると衣装は変わり、歌い手の表情は柔和になり、何となくほっとした。それもそのはず、「聖歌と教会カンタータ・アリア 」というJ.S.バッハとM.レーガーの作曲の数々の作品であった。何曲かはどこかで聞いたことのある旋律で、じっとプログラムに紹介されているドイツ語を追っていった。途中マタイ受難曲のあの懐かしいメロディーの曲かと思ったがそうではなかった。
私はもっぱらプログラムを追うばかりであったが、家内は今回が一番良かったと帰りの車内で盛んに言っていた。それは第二部だというのだ。また一緒に来ていただいた81歳になる遠縁にあたるご婦人は「ドイツが日本に来たみたいですね」とリサイタルの直後、歌われた姉妹のお父様に挨拶された。
アンコール曲はいつも楽しみだが、三曲あった。メンデルスゾーンの「歌の翼に」、そして、聖歌184番 さめよ日は近し フィリップ・ニコライ(1556〜1608)作詞・作曲 バッハ編曲、ヘンデルの「主よ、感謝す Dank sei dir, Herr」であった。何度聞いても彼女のメゾソプラノは深みがあり、その信仰にあふれる賛美はわが心を洗い、癒す。
わずか二時間にも満たない一夜である。伴奏者に人を得ていて、難解な歌曲にそれなりのニュアンスとユーモラスが更に付け加わえられ心地よい。最後に10周年を迎えたことの感謝の思いが演奏者から肉声で語られた。ご一緒したそのご婦人は教養ある方で「日本で外国の文化を外国の文化として紹介するのは最も難しいのですよ」と途中休憩のときおっしゃられた。彼女の来年のリサイタルがまた新たな志を得てスタートしていることだろう。研鑽を祈る者である。それとともに我が音痴の生活にも終止符を打ちたいが・・・果たして、それは・・・
キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。(新約聖書 コロサイ3・16)
2012年10月5日金曜日
主はまつわりつく罪の重荷をほどいてくださった!
クリスチャンはまた(わたしの夢の中で)歩きはじめた。彼の進むべき道の両側には石垣があって、それは「救いの石垣」と呼ばれていた。そこで、彼は走りだしたが、背中の荷物のため、なかなか思うように走れなかった。それでもがんばって、十字架の立っている場所の近くまで走りつづけた。その十字架の下のところには、墓穴がひとつ口を開けていた。
クリスチャンが十字架の前までのぼってきたその瞬間、いままでしょってきた重荷が肩からすべり落ち、ころころころがって、墓穴に落ちこみ、まったく見えなくなってしまった。
そのときのクリスチャンのよろこびは、どんなだっただろう。彼はうきうきと、いかにも楽しそうに言った、「主はその悲しみによってわたしに安息を与え、その死によってわたしに命を与えてくださった。」
それから、しばらくのあいだ、彼はじっと立っていた。十字架を見上げただけで、背中の重荷が取れてしまうとは—そう思うと、畏怖の念に打たれざるをえなかったからである。三度あるいは四度、彼は十字架と墓穴とを見つめた。すると、目に涙があふれてきた。
こうして泣きながら立っていると、おどろいたことに、三人の輝く天使たちが近づいてきて、その中のひとりが言った、「平安があなたにあるように! 神の恵みにより、あなたの罪はゆるされた。」つぎに、第二の天使が歩みよって、彼のぼろ服をぬがせ、代わりに新しい衣を着せてくれた。それから三人目の天使が、彼の額にしるしをつけ、また、封印のついた巻物を与えて、「走りながらもこれを読み、天国の門に着いたら、さし出すように。」と命じた。それから、天使たちは去っていった。
クリスチャンは、よろこびのあまり三度とびあがり、それからこう歌いながら進んでいった。
いやそれよりもむしろ祝福は、
わたしのために、そこで、恥辱をうけられたお方である!
( 『天の都をさして』ジョン・バニヤン作 ロバート・ローソン画 柳生直行訳24〜26頁引用 すぐ書房版。最後の歌の歌詞だけは『わがすべてなるキリスト』ハーバート・クラッグ著42頁より拝借。)
クリスチャンが十字架の前までのぼってきたその瞬間、いままでしょってきた重荷が肩からすべり落ち、ころころころがって、墓穴に落ちこみ、まったく見えなくなってしまった。
そのときのクリスチャンのよろこびは、どんなだっただろう。彼はうきうきと、いかにも楽しそうに言った、「主はその悲しみによってわたしに安息を与え、その死によってわたしに命を与えてくださった。」
それから、しばらくのあいだ、彼はじっと立っていた。十字架を見上げただけで、背中の重荷が取れてしまうとは—そう思うと、畏怖の念に打たれざるをえなかったからである。三度あるいは四度、彼は十字架と墓穴とを見つめた。すると、目に涙があふれてきた。
こうして泣きながら立っていると、おどろいたことに、三人の輝く天使たちが近づいてきて、その中のひとりが言った、「平安があなたにあるように! 神の恵みにより、あなたの罪はゆるされた。」つぎに、第二の天使が歩みよって、彼のぼろ服をぬがせ、代わりに新しい衣を着せてくれた。それから三人目の天使が、彼の額にしるしをつけ、また、封印のついた巻物を与えて、「走りながらもこれを読み、天国の門に着いたら、さし出すように。」と命じた。それから、天使たちは去っていった。
クリスチャンは、よろこびのあまり三度とびあがり、それからこう歌いながら進んでいった。
こんなに遠くまで、わたしの罪を負って苦しんできた
わたしのおちいっていた悲しみを何がらくにしてくれただろう、
何もなかった。
何もなかった。
やっとわたしはここへ来た、これは何というところだろう!
ここはわたしの祝福の初まりであるにちがいない
ここでわたしの背中から重荷がおちるにちがいない
ここでわたしにゆわえつけられている糸が解けるにちがいない
祝福された十字架! 祝福された墓場!
いやそれよりもむしろ祝福は、
( 『天の都をさして』ジョン・バニヤン作 ロバート・ローソン画 柳生直行訳24〜26頁引用 すぐ書房版。最後の歌の歌詞だけは『わがすべてなるキリスト』ハーバート・クラッグ著42頁より拝借。)
2012年10月3日水曜日
自由になった金持ち
収穫の秋がやっとやってきた! |
イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。・・・・」
(新約聖書 ルカ19・9)
エリコの町は金持ちザアカイの家、そこでこの事件は起こりました。主イエスの前に立って、彼は宣言します。—「私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」こうして男は、長い人生でこつこつと蓄えた身代を棒に振るのです。
それは間もなく町のうわさになります。さて、そこで大新聞の記者がザアカイのところへインタビューに来たとすれば、こんなことになるでしょう。—まず記者が質問します。「失礼ですが、ザアカイ氏。金庫を空っぽになさったというのは、どういう心境の変化ですか。」
ザアカイは答えます。「イエスのことはご存知ですな。実はあの方がここにお見えになったのです。」
記者—「率直に申し上げて、あなたはかなりあくどい商法でもうけなさったようですが。これはいわゆる償いということですか。」
ザアカイ(とても真剣な顔つきで)—「償い、ですって? 我々には、わずかひとつの罪でも償うことはできませんのだ。それはイエスにお会いした人なら、すぐにわかることなんですがね。しかし、イエスはどんな罪でもおゆるしになることができます。彼は、世の罪を除く神の小羊なのです。」
記者(驚いて)—「はあ。しかし、自分で償うことは何一つできないというのなら、どうしてまた、金庫を空になさったのです?」
ザアカイ(笑いながら)—「イエスが私を金から自由にしてくださったからですよ。私は金の奴隷でしたからね。」
ああ、主イエスよ! あなたは、力強いお恵みにより罪を消し去り、自由にしてくださるお方です。この恵みを我らにも味わわせてください。
アーメン
(『365日の主』ヴィルヘルム・ブッシュ著岸本綋訳10月3日より。)
2012年10月1日月曜日
鑑三の日記
今日の浅間山 御代田・追分間 車窓より |
正午少し前に強震を感じた。浅間山噴火の前兆にあらずやと思うて驚いた。しかるに少しもその様子なく、あるいは東京方面の激震にあらずやと思い心配した。夜半にいたり予想どおりなることを知らされて驚いた。東南の空遥かに火焔の揚がるを見た。東京に在る妻子家族の身の上を思い、心配に堪えなかった。夜中幾回となく祈った。そして祈った後に大いなる平安を感じ、黎明まで安眠した。
2日(日) 晴
危険を冒しても東京に帰ることに決心した。羽仁元吉、石原兵永の二君とともに午前10時10分の汽車にて軽井沢を発し、午後4時荒川鉄橋近き川口町駅に下車した。それより病める足を引きづりながら夜10時柏木の家に達した。家屋に比較的軽少の損害ありし外に、家族、同居人、召使いの者の髪一本も害われざるを見て感謝の涙を禁じ得なかった。強震来襲の恐れ未だ絶えず、家族とともに露営した。離れて彼らの身の上を案ずるよりも、彼らとともに危険の地に在るの、いかばかり幸いなるかを覚えた。
3日(月) 雨
震動やまず。食物わずかに三日分を残すのみ、その供給に苦心した。近隣相助けて相互の慰安と安全とを計った。放火のおそれありとて各家警衛の任にあたった。
4日(火) 晴
震動昨夜来三四回感じたのみであった。比較的に静かなる日であった。大手町衛生会講堂の焼失を確かめて悲しかった。我が愛する大ピヤノと大オルガンとは同時に灰に化したのである。我が満四年間の霊的戦闘の行われしアリーナ(闘技場)であった。今は過去の歴史として残るのみである。鳴呼(ああ)我が懐かしき衛生会講堂よ。
5日(水) 晴
呆然としている。恐ろしき話をたくさんに聞かせらる。東京は一日にして、日本国の首府たるの栄誉を奪われたのである。天使が剣を提げて裁判(さばき)を全市の上に行うたように感ずる。しかしこれは恵みの裁判(さばき)であると信ずる。東京は今より宗教道徳の中心となって全国を支配するであろう。東京が潰れたのではない。「芸術と恋愛と」の東京が潰れたのである。我らの説教をもってしては到底行うこと能わざる大改造を、神は地震と火とをもって行ない給うたのである。「その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます」とあるその日が来たのである(2ペテロ3・12、13)。玄関の入り口に次のごとく張り出した。
今は悲惨を語るべき時ではありません。希望を語るべき時であります。夜はすでに過ぎて光が臨んだのであります。皆様光に向かってお進みなさい。殺さんための打撃ではありません、救わんための名医の施した手術であります。感謝してこれを受けて、健康にお進みなさい。
我が民の罪悪を責むるの時は既に過ぎた。今より後はイザヤ書40章以下の預言者となり、彼らを慰め、彼らの蒙りし傷を癒さねばならない。「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」と。
(『聖書の研究』第279号1923年10月10日発行より引用。この当時、内村はかつての愛弟子有島武郎の情死を体験している。本文中の「芸術と恋愛と」の東京と彼が書いているのはそのことが背景になっている。震災の時、川口から上野までは列車また不通であったのだろう。徒歩で実に6時間かけて柏木に帰っていることが分かる)
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