収穫の秋がやっとやってきた! |
イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。・・・・」
(新約聖書 ルカ19・9)
エリコの町は金持ちザアカイの家、そこでこの事件は起こりました。主イエスの前に立って、彼は宣言します。—「私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」こうして男は、長い人生でこつこつと蓄えた身代を棒に振るのです。
それは間もなく町のうわさになります。さて、そこで大新聞の記者がザアカイのところへインタビューに来たとすれば、こんなことになるでしょう。—まず記者が質問します。「失礼ですが、ザアカイ氏。金庫を空っぽになさったというのは、どういう心境の変化ですか。」
ザアカイは答えます。「イエスのことはご存知ですな。実はあの方がここにお見えになったのです。」
記者—「率直に申し上げて、あなたはかなりあくどい商法でもうけなさったようですが。これはいわゆる償いということですか。」
ザアカイ(とても真剣な顔つきで)—「償い、ですって? 我々には、わずかひとつの罪でも償うことはできませんのだ。それはイエスにお会いした人なら、すぐにわかることなんですがね。しかし、イエスはどんな罪でもおゆるしになることができます。彼は、世の罪を除く神の小羊なのです。」
記者(驚いて)—「はあ。しかし、自分で償うことは何一つできないというのなら、どうしてまた、金庫を空になさったのです?」
ザアカイ(笑いながら)—「イエスが私を金から自由にしてくださったからですよ。私は金の奴隷でしたからね。」
ああ、主イエスよ! あなたは、力強いお恵みにより罪を消し去り、自由にしてくださるお方です。この恵みを我らにも味わわせてください。
アーメン
(『365日の主』ヴィルヘルム・ブッシュ著岸本綋訳10月3日より。)
0 件のコメント:
コメントを投稿