2015年3月9日月曜日

一冊の本(8)

やはりKさんの庭先、ご夫妻の結婚以来この紅梅はあると言う

 奥名修一氏は妻富栄さんを遺して戦死した。小林儀八郎さんは妻正子さんを遺して戦病死した。そして二人はともに三井物産の社員であり、課も同じであり、大所帯の会社の中にあって恐らく相見知る間柄であったと推察される。奥名修一氏の人柄は作家松本侑子氏によって、その細君である富栄さんがのちに太宰治と玉川上水に入水自殺することから小説の中で創作と言う形ではあるが描かれている。それに対して、儀八郎氏は50通余りの手紙を残された。今回の『国籍を天に置いて(父の手紙)』は愚直にその手紙を掲載したものである。

 そしてその手紙の中にはどれ一つと言ってもいいくらいに主イエス様への信仰の告白がない手紙はない。二三そのような個所を引っぱり出してみようか。1941年の10月30日の手紙の一節だ。
 
閑さえあれば私の思いはいつもマーチャンに行っている。マーチャンもそうだと思う。お互いに無くてはならぬものであることをハッキリと認識することが、之から先の永い生活にどんなに役立つことかを思えば有難いことである。今の日の恋しさなつかしさが、お互いの我儘を押えて更に緊密なる結合への力となることを信じ希望をもって又逢う日を待ち望む。地上の生活に於いて来るべき日の真の結ばれを味わさるるは生活を通しての信仰の註解である。(同書49頁)

 かと思うと、11月12日には次のような記述が見られる。

親父はもう何も要らない。唯子供の為に備えねばならぬ。子を育てることは我等に与えられし尊き義務であり、愚かなる自分でさえかく思いめぐらすことなれば、全能者がその御手になる人の子の一人がいかに罪深ければとて、これを滅ぼすことを喜びたもう筈のないことを学ぶ。育児は最もよき聖書注解たる点になりて実に大いなる恵みである。

父となる日の近づきて初めて神の御手になる我が身の尊さを知った。許婚者と共ならん日を願う者の如く、妻を待ち焦がるる夫の如く、子を探ぬる親の如くエホバ神は罪人を待ち給う。我等祈りを欠いてよかろうか?聖書を学ぶにおいて彼と交わることを怠って善かろうか?彼に至らでは我が魂遂に安きを得ざるは当然と言うべし。我等の子供と言えども無意味に生まれるのではない。ルカ伝1章をお読み下さい。主より与えられし使命に直面せる人に、主よりの力と悦びあらんことを。(同書61頁)

 このような記事に接すると、儀八郎さんの生活のただなかに主イエス様の御臨在があることを覚えざるを得ない。そして1942年の3月10日の上海へ妻子が海を越えて近づくのを待ちながら次のように記している。

大海の上に在す主が波を治め給うて、連絡船も無事である様祈るのみです。仕事も、さしも心配した仮決算もすんだが、決算をのぞんで、混沌たる前途を思えば、如何にすべきと迷いはするが「光あれ」と宣うて、光あらしめ給いしものが、此処にも秩序と順序を建てて下さる様祈りつつ進もうと思います。・・・よき経験となるもならぬも一に彼に頼るか、己に頼るかによって定まる様に思います。(同書91頁)

 作家の造型による鮮やかな人物の再現を見ることはないが、ここには正真正銘の主イエス様に頼り生かされた人の姿が手紙を通して直接生き生きと私たちに語りかける。そして、それを受け継いだお嬢さんたちの証が続き、その中からある点では山崎富栄氏と同じ境遇にありながら、戦後生き延びて一旦は捨てられた信仰(夫君とともに歩んだ)を最晩年再び取り戻し、天国に凱旋された正子さんの証が記録されている。それで十分ではないかと思う。

彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。(ヘブル11・4後半)

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