2015年3月2日月曜日

一冊の本(4)

『国籍を天に置いて 父の手紙』から

 上の写真は、今回『国籍を天に置いて』の編集作業の折り拝見したものであるが、一時代の落ち着いた雰囲気のいい貴重な写真である。この写真は長谷川周治氏の家で撮影されたものである。その間の事情は以下の長谷川氏が小林儀八郎氏に宛てた手紙にくわしい。頁数の関係で本の中では一部しか引用しなかったが、ここでは参考迄に全文を書き写した(なお、同書20頁以下には当時儀八郎氏の婚約者であった田中正子さんのその折りの乙女らしき気持ちが描かれている。)

 御地は如何でしょうか。彼の地に着く頃は多分戦争が始まっているかも知れぬなど申された予想が事実となりて我が愛する小林さんを戦渦の巷ロンドンに送り込み今年のクリスマスを迎えることと成りました。
 心ならずも久しく久しくご無沙汰致ししもの我知らぬまに早や聖誕日迄僅か一週間を余すのみと成りました。平に平に御宥し給われよ。こちらは殊に実業方面はくだらないことのみに○も日も忙しく、霊的にも心的にも肉的にもそれは余す処ないのですから。幾度か廃業を決意しましてもいざとなればなかなかやめられぬのです。どちらを見ても塗炭の苦しみにあえぐ態を見ながら悠々閑々無職でも居られねば、何かを選ばねばならず、さりとて早や初志不自由のためまさか庭掃きや門番にも雇われず、此の処複雑多岐の状態。凡骨の焦慮お笑い下されたし。昨日某所にて珍しきもの見て参りました。それは内村先生の遺筆です。一尺と二三尺大のもの数枚、「一日一生」「忿怒の神」「花星詩」「不恥福音」外有ったので垂涎やみ難く暮の大切な金を奮発して、否々家財の一切を擲っても求めたく思う。「不恥福音」の額面のものと「花星詩」の二枚を無理に分けて貰い我家の家宝と致しました。外に内村先生愛用のステッキあり、之は太い象牙の振りに籐の杖それと五分ばかりの金象眼の飾輪のハマってるものにです。それも故あって当分我家に移ることと成りました。
 これらのことを記したれば、多分大兄はカトリック的信仰の故なると御嗤い給わん。されどさにあらずです。現代の窮迫せる日本がそうさせたのです。つまり他の未信者の手に移り先生の遺物が世の無情なる連中のさらしものにさるるを憂いて僭越ながら之を引き取った由縁です。このクリスマスには拙宅にて皆さんの集会をいたし写真を得度と存じ居る共常に一枚を額に掲げたく思って居ります。
 次に倅真太郎儀に付種々のご心配おかけ致し ご勤務の大兄に対し社規にもとる様なことおさせ致しては面目之無き御申し越し御尤もと存じます。
 その後何か藤本先生より申し上げるやに聞き及び居かれとも、決して御懸念下され間敷ぬよう。実は十月盲腸炎にかかり大分苦しんだ様子も今回やっと治療費送付の願い叶い、今日送金の手運びと成りました。安心致し次第です。先般はロンドンニュース御恵送下されお礼申し上げます。何かと思い とも極度にレベルの下がった現日本には珍しきものも見当たらず。昨日貰い受けた内村先生自筆の原稿一箋、クリスマスお祝いのしるしにあげます。もっといい原稿ですといいのですが、之しか貰わなかったのでご免下さい。目下の日本は戦争よりも国内の物資問題につき大騒ぎです。一時は毎日の米炭さえ得られぬ状態。統制しまして上を下への混雑です。昨秋川喜田さんが遊びに来て、ビールの空瓶が一個二銭の公定価格だけれど、壊して硝子の潰しに売れば四銭になる。おすしのかんぴょうは一貫目新物七円の公定相場だけれど古物のは公定価格がないからみんな水をぶっかけてかびを生やして古物の様にしてくれと一貫目九円に売るとか申している笑い事のようなことが本物であり、無理が通って道理が引っ込み、闇が横行して光が隠れ、太陽は西より上り、川山に流るるかの如き有様、実に余命幾日もなき如き日本の現状を想えば戦慄を覚えます。
 寒気殊の外き酷しき東京は流感はやり(石炭ストーブ等節約のため)居ると言えども私宅一日さしたることも無くご休心下されたく。
 藤本先生もお元気です。田中さんも近く休暇○○とか申しております。岩井さんにはここしばらく、面会致さず然しクリスマスには来て下さる筈になって居ります。遥かに上よりの御祝福を祈り上げます。
                            早々  敬具
十二月十八日
                            長谷川周治
小林大兄

手紙の書かれた年代は1939年(昭和14年 )である。

遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。(箴言25・25)

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