勢いよく花を咲かせる大手鞠(階段はモラ美術館への入口) |
1969年3月12日。交通事故にあった。1994年6月22日。継母が召された。ちょうどこの間は25年間である。その四半世紀とは果たして「束の間」だったのだろうか。たまたま今回、先週の日立行きといい、昨日のKさんとの出会いといい、二週連続して1991年の出来事を端無くも思い出す形になり、歳月の移ろいは振り返る時には短いと結論せざるを得なくなった。
しかし、交通事故にあった時や結婚した時、当方は26、7歳であったせいもあろうが、その先に待ち構えていたのは、そのことを考えると何とも言いようのない鉛の錘りのような圧迫感を感ぜざるを得ない長い長い25年間であった思いがする。結婚生活、家族生活をめぐり、おもに私に主因がある、私たち夫婦と継母との関係をめぐる愛憎の問題であった。
交通事故にあったのは、私たちの結婚に双方の両親が反対するという難問に直面しての結果であった。両親の反対は、まず妻の実家から出てきたものだ。妻の実家は昔の庄屋で代々宗門改めを実行していた家柄である。一家からキリスト者を出すわけにはいかないと考えていた。ところがその長女がヤソにかぶれた。だから私がヤソをやめるように説得してほしい、もしそうでなく、私までもがヤソに染まるなら、まことにもって申し訳ないから、破談にしてほしいという要請であった。
一方、私の家はそのような旧家ではない。むしろ外観だけではあるが、近代的な住宅構造を備えた開明的な家であった。ところが、継母はやはり猛烈に反対した。この家の先祖を守るために嫁いで来た。それなのに継子がいくら好きだからといってキリスト者を嫁に迎えるのはけしからんという継母にとっては、自らの本質的な問題をカモフラージュするのにもってこいの武器となった。こうして両家の両親は不思議な形で同盟を結んだ感があった。
ところが、結婚を望む私に対して肝心の妻の方が弱気になっており、自分は身を引くとまで言い出した。納まらぬのは、私の内にある「信教の自由」であった。錦の御旗を振りかざして何とかこの難局を乗り越えんとばかりに、一人精神は高揚していた。その翌日交通事故にあった。上から来る鞭であった。鞭は有効であった。この鞭を通し、ごう慢極まりない私は初めて主イエス様の前に砕かれ、悔い改めの祈りをする(創世記15・5)。
しかし愛の鞭はその後も必要であった。交通事故で二三ヵ月病臥した私を心配して、継母は取るものも取りあえず北関東の地にやってきた。しかし、私はその場で即座に追い返した。継母でなく、婚約者を寄越せと言い張って(旧約聖書2サムエル13章)。今考えると何と横暴であったことだろうかと思う。継母は私に完全に裏切られたと思った。
継母の反対はますます色濃くなって行った。結婚式の当日の朝までその反対は続いた。父までも烈火の如く怒らせる事態を引き起こしたからである。実は前日結婚式に使うエンゲージリングを京都駅で降りる際に、列車内の網棚に置き忘れて、気がついたのは、京都市内の教会でリハーサルを行なっている最中であった。慌てて電話したところ幸い大阪駅にあると言う。結局大阪まで取りに出かける羽目になり、家に戻ったのは結婚式当日の午前零時をまわったころであった。それやこれやで身支度もできず、無精髭は延ばしたまま出席した。
喜ばしい結婚式であるはずなのに、教会でのキリスト教結婚式に賛成できないでいる両家の両親は何とも言えない苦虫を潰しているという奇妙な写真がその事実を今に伝える。あとなぜかオールバック姿で無精髭をはやしていたため、恐らくその部分だけ写真屋が修正したと思われるあとがありありと残っている二度と見ることのできぬ新郎の姿とはち切れんばかりの若さに身を包んでいる新婦の二人の出で立ちの写真である。もちろん二人にとってはそんなことはどうでもいいことであった。人生の中でこれほど手放しで嬉しいときはなかった。
しかし、その日から苦難が始まった。継母は家内を家に寄せつけず、ある時は私までもが家を鍵締めされ、どこからも入れないという憂き目に立ち至った。どう考えても、家を捨てざるを得なかった。
その継母が25年後には主イエス様を救い主として心に受け入れ、家内に励まされながら、天に召されて行った。まことに主のなさることは時空を越えて素晴らしい。誰にも解決不能な愛憎の関係にあった継母と私たち夫婦の間にまことの平和を下さったからである。
それにしても、25年の月日の入口にあたる結婚と出口にあたる継母の召天の年月は、20歳の時に私が自ら蒔いた罪の結果の刈り取りをしなければならない年月ともなった。相変わらずわがままである私に、主は必要な鞭を今も与え続けていて下さる。
このようにして大学の先輩夫妻が場所を提供して下さった交わりの場は、同行して下さったK夫妻の愛に満ちた起居動作をとおしても、三家族のそれぞれが心を開き、自由に交わり、新しい気づきを与える初めての出会いや、また50年ぶりに経験する新しい進化せる交わりとなった。
意欲満ち 進化経営 を唱える 先輩に主 の導きあれ
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。(ガラテヤ6・7〜10)