わが故郷高宮宿(中山道界隈) |
振り返って見ると高校三年の時から結婚するまでがちょうど10年という年数である。その高三の夏である。母はすでに病魔に冒されていて立ち上がれなかった。弟を枕辺に招き、理学部進学を主張してやまない頑固な私を座らせ、二人で説得しにかかった。叔父は自らが卒業した彦根の大学への進学を勧めた。叔父は私に対して「衣食足りて礼節を知る」と言うではないか。理学部にこだわる必要はない、と言う考えであった。それに対して私は「人はパンだけで生くるにあらず。」と突っ張ねた。その様子はオープンリールのテープレコーダーで録音しており、継母が召されるまで大事に保管していたが、その時何かのはずみで処分してしまった。そのテープには母の肉声が病臥していた座敷の畳を這いずりまわるが如き低い音声で録音されていたはずである。
小学校の時付属中学への進学を画策したほどの教育ママであった母であったが、現実を深く認識していた。私の進学希望に対して、何とか自分が生きている間に大学進学を果たせてやりたいと思い、よりランクの低い可能性のある大学への進学を助言した。その助言も無視した。案の定受験は失敗した。母はその年の5月に亡くなった。父との二人の生活が始まった。食事つくりは私の分担となった。ところが父が結核になった。私は病気が移っては困るとばかり、薄情にもその時初めて京都での予備校暮らしを考えた。夏8月京都での下宿生活が始まった。三人のいとこはそれぞれ私の目ざす大学の大学生で、同じ京都で闊達な学生生活を楽しんでいた。
しかし、ここでも私のわがままは現われ、結局予備校へは一月ほど行っただけで、いつの間にか行かなくなり大徳寺の下宿で「勉強」していた。来春には念願の大学に入れると、さしたる努力もせず、夢だけが膨らんでいた。高校の担任は一年浪人したら入れると言っていた。そのことばを盾に取っていた感がある。のちに自ら教師になってみてわかったことだが、教師は生徒を励ますためにそういうことを平気で言うのだ。ところが自惚れの私はそのことがわからなかった。案の定、再び受験に失敗した。さすがにこの時は頭が真っ白になった。どうしていいかわからなくなり、伯父の前で大泣きに泣いた。
伯父はその私の悲しみを見るに見かねて、彦根の大学の夜間への受験がまだできる。そこを受けてみろと進言して下さった。すぐそうした。そしてその彦根の大学への通学が始まった。昼間の学生と顔を合わせることもあり、かつての高校の同級生と会うとみじめになった。昼間はバイトをすることにした。中学校の親友がバイト先を紹介してくれた。金物屋の帳簿付けであった。仕事は家の人の足手惑いになることもあったが、お金をいただく喜びを味わった。この頃は創価学会の折伏活動が激しくその餌食になりそうだったが、合理性を重んずる私の性質上そうはならなかった。
一方、彦根の大学は夜間とは言え、昼間の大学の教授たちがそのまま講義をする。何ら遜色はなかった。新聞部に入り、その当時上程された大学管理法案を批判する論説を書いたりした。その論説が目にとまったのか、「民青」への加入を何度か勧められたが、私は共産党の杓子定規的な行き方が合点できず、彼らの主張は共鳴できるが断った。その内、昼間の仕事、またこのまま経済学部への進学をするとなると、一生こんな無味乾燥な生活を続けるのかと前途を考えると悲観的になった。
10月になった。私は意を決して再び理学部受験を考えるようになった。そして今回は理学部以外にも農学部や工業教員養成所も視野に入れた。そして残るは二期の大学である彦根の大学を父の希望もあって受験することにした。今回は背水の陣を敷き、それまでの勉強と打って変わって受験勉強に勤しんだ。それと相前後して、私は父のお嫁さん探しに懸命であった。その話は何度か暗礁に乗り上げながら、4月の神社での神前結婚式と具体化して行ったのである。
振り返れば、高校三年の卒業の年に母が亡くなり、それゆえに受けた様々な試練であったが、その大半は私自身のわがまま勝手な性格が色濃く支配しているように思う。しかし本当に私自身の真価が問われたのはこの後始まる継母との生活、彦根での大学生活であったことを知る。この4年間ほど私にとって最も大切な時期はなかった。主なる神様は、この自己中心で傲慢な者を愛の腕でじっとご自分のところに帰って来ることを待って下さっていたのだ。
現に私が叔父に言った言葉は象徴的でさえある。私が言った言葉は聖書のことばであったが、私はそのことは知らなかった。しかも肝心の後半の言葉は脱落していた。全文は次の言葉である。
人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる(マタイ4・4)
前半のことばはともかく、後半のことばは無神論者の私には納得できないことばであったであろう。しかし、10年と言う年月を通して私はこのイエス様のことばを全面的に受け入れる者と変えられた。
人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(箴言14・12)
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3・6)
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