今日は肌寒い一日になりそうだった。関東では積りはしないが雪が降っていると今朝電話の向こうから家人が告げてきた。関西とは言え、この地方は気流が鈴鹿山系、また南北に走る福井にかけて山脈が走るため一部日本海の影響を受ける独特の地勢下にある。芭蕉が「をりをりに伊吹を見てや冬籠」と詠んだ地だ。ところが今日は関東に比べ、日本海側は晴れると天気予報が告げているとも家人は言っていた。
確かに、午後窓の外を見やると、雲の合間に青空が広がっているのが見えた。喜び勇んで戸外に出た。一人の少年が隣地の石段の上に何やら置いて描き込んでいる姿が目に入ってきた。突然ガラガラっと戸を開けたので、さぞかしびっくりさせたであろうと思いきや、落ち着いたもので、黙礼さえするかの仕草を見せた。こちらはこの地の主とは言え、多年他郷にいる身だ。少年とは言え、見慣れぬ人が不意に留守宅と思われる家から出てきたのを不審に思っても当然の当方の出方であった。
当てもなく散歩に出かけようと思っていたので、少年の方に歩み寄った。絵を描いているように見えた少年は実は国語の教科書をノートに写しているのだった。「何してるの?」と聞くと少年は「家出してきた」と答えた。少年のたたずんでいる場所は、私の少年時代にはとても入れない場所だった。隣家は家の親戚ではあるが、大変な大地主で、蔵が幾つも軒並みを並べていて、中学の頃二階の窓からたくさんある蔵を眺めるのが精一杯であった。
その場所は今や時代が変わり、その大地主の一族はとっくの昔に土地を市に寄贈し、東京に移り住んでしまった。今はその跡地にたくさんの住宅が立ち並ぶように変わったが、昔小作人の方々が米を運んだであろう倉庫口の石段は今もかすかに残っている。もはやその少年が知る由もない石段であろう。そこで飛び出てきたことばが先ほどの「家出」という言葉であった。
「どこから家出して来たの?」と聞くと、「あっち」と石段の隣地とは反対の方角を指す。そちらの方は私の記憶だと「Oさん」しかない。「Oさん?」と訊くと、そうだと言う。途端に少年が可愛くなってきた。わが少年時代を思い出す。おかずが気に入らないと言うと、母はその気に入らないおかずを毎食ごとに出す。互いの根競べであった。さぞかし、その程度の争いであろう。親の言うことはよく聞くんだよと言うべきだったが、何も言わず立ち去った。
ややあって散歩の帰り道、その「Oさん」の家の前を通った。二人のご婦人が立ち話をしておられた。見るともなく見ていると、一人の方は当然その家の方に違いない。どこか少年と体型や顔立ちが似ていた。家に帰って来たら先ほどの少年はもうその場にはいなかった。家出を止めて家に帰ったのでないか。少年は小学校3年生だと言っていた。名前は何と言うのと聞くと、教えてくれた。「いくみ」と言うらしい。「いく」は体育の「育」だと言ったが、「み」はわからないと言っていた。明日から学校だとも言っていた。
少年が健やかに成長できますように。
それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。(ルカ2・51〜52)
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