谷口幸三郎作 1980年 |
自ら非常に博学で宗教的だと思っている一人の教職者(牧師などを指す)が天寿を全うして死んだ。疑いもなく彼は良い人だった。天使らが主によって彼のために定められた霊界の場所へ連れて行こうとして来た時に、彼を中間状態へ置いた。そこは彼の生活と信仰にとって益となるところだった。
天使らは言った。「あなたはここより上の階級に行く用意がまだ全くできていません。それでしばらくここにとどまり、私たちの仲間の働き人が教えるように主から命を受けていることを学んでもらわねばなりません。それが終わったなら、私たちは大喜びであなたと一緒にここより上の階級のところにお連れしましょう。」
教職者は言った。「私は一生の間、天国に至る道について人々に語って来た。私は今更何を学ぶ必要があると言うのか。私は何でも知っている。」
それから導き手である天使らが言った。「あなたより先に上の階級へと彼らは上っていきます。私たちは彼らを引き留めることはできません。しかし、あなたの質問には答えることができます。友よ。もし私たちが正直に話しても気を悪くなさらないで下さいね。あなたはここに自分一人がいると思っていらっしゃるが、主イエス様もここにいらっしゃるのですよ。あなたには見えないかもしれませんが・・・あなたが『私は何でも知っている』と言われたプライドがイエス様を見えなくさせているし、より高い上へと進むのを妨げているのです。へりくだりこそ高慢に効く薬です。そのことを実践なさい。そうすれば、あなたの願いはかなえられますよ」
このあと、天使たちの一人が彼に話して「今あなたより上に進んで行った人は学識もなく無名の人でした。あなたは彼を注意してみなかったかもしれませんね。彼はあなたの教会に出席している一人でしたよ。人々も彼を全然知りませんでした。なぜなら彼はありきたりの労働者であり、仕事のため遊ぶこともほとんどできませんでした。しかし彼の仕事場では彼が勤勉で正直な働き手として知られていました。クリスチャンとしての品性は彼と交わったすべての人に認められていました。その彼は戦争の時に、フランスへ召集されました。ある日、そこで負傷していた仲間を介抱していました。その時弾丸にあたって殺されたのです。
彼の死は突然でしたが、用意できていました。だからあなたがとどまらなければならない中間状態にとどまる必要はなかったのです。彼が上に進んだのは「えこひいき」でなく、霊的価値によるもので、彼が世にいる間、彼の祈りと謙遜との生活が霊界のために大いに準備されていたのです。今や彼は目的地に着いて喜んでおり、主の恵みにあって、救われ、永遠のいのちを与えてくださった主に感謝と讃美の声を上げているのです」
(以上は『霊界の黙示』の第6章の「天の住居」と「天の生活」の間に挿入されていた文章の私訳ですが、本来は5月19日の『霊界の黙示』(下)に掲載すべきものでした。ただ長くなるので勝手にカットしましたが、この文章があってこそ、「天の住居」と「天の生活」が生きてくるのです。読者諸氏にはもう一度、とくと『霊界の黙示』(下)を味読いただきたいと思います。謙遜は栄誉に先立つ(箴言15:33))