2023年7月27日木曜日

セミに学びたい

育ち行き 抜け殻残し セミ鳴きぬ
 夕方、散歩中、セミの殻を四個も見つけた。いずれもしっかりと葉末に落ちることなく、つかまっている。土を這い出したセミは、脱皮し飛び立つためにこの草をよじ登って行ったのだろう。そして、時至り、羽化し、今度は木の梢へと飛んでいったのだろうか。幼き頃、何度か羽化するセミを観察した。梅雨も開け、いよいよセミ時雨の季節とはなった。

 相変わらず、世相は悲惨な事件が続出している。人の罪のなせるわざとは言え、悲嘆この上もない。セミはせっせと己が人生をまっしぐらに歩み、生を終えている。人間だけがどうしてこんなに互いが憎しみあって生きねばならないのだろうか。聖さを求めて、愛し合って生きる道を神様は準備していてくださるのに。

神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。(新約聖書 ヨハネ第一の手紙4章9節〜10節、19節)

互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。(新約聖書 コロサイ人への手紙3章13節〜14節)

 そして、この愛は、セミが脱皮して新しい世界に飛び立ったように、私たちの人生には確かなゴールがあることを教えてくださっている。

私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。それを着たなら、私たちは裸の状態にはなることはないからです。確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。(新約聖書 コリント人への手紙第二5章1節〜5節)

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