棚雲の 見え隠れする 浅間山 2023.6.28 |
果たせるかな、高崎線車中ずっと全く気分がすぐれなかった。妻は心配して座席に横になるように勧めるのだが、できなかった。高崎から横川まで信越線に乗り換えてから、乗客も少なく、これ幸いとはじめて横になることができた。すると随分楽になった。しかも高崎駅から北高崎、群馬八幡とこちらが思っているより駅区間は長いのに気づいた。だから次駅である「安中」にさしかかるころはすっかり気分が良くなり、起き上がって「安中教会」はどのあたりにあるのだろうと窓越しに眺めることさえできた。
もちろん、今回の御代田行きは「安中訪問」が目的でなく、あくまでも5月以来、放置してある部屋の管理が目的であった。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/05/blog-post_5.html
だから、信越線の終点の横川駅で下車し、そこから碓氷峠を(バスで乗り)越え、軽井沢に入る。次に信濃鉄道で軽井沢から御代田まで乗り継ぐコースである。総乗車時間は延べ二時間半ほどであり、そこから現地へはさらに徒歩で一時間弱かかる。
こうして朝9時半ごろ春日部の自宅を出て、念願の場所には午後2時過ぎには着けた。さっそく、下仁田から来てくださった既知の大工さんに見ていただき、用事も終わった。私はすぐにでもとんぼがえりするつもりであり、妻には前もって十分言い聞かせておいた。ところが、妻はそのことはすっかり亡失しており、泊まるつもりでいた。そして、隣の奥さんに誘われたこともあって、夕食・朝食とたっぷりとお惣菜を買い込んできた。私は自らの目論見(計画)とまったく違うので、怒り心頭に発する思いで不愉快であった。
もちろん客観的に見るなら、折角の信州行きなのだから、ゆっくり美味しい空気でも吸って散策でもして、過ごすのが当然だと思う。だから妻のその思いは是であり、私が我意を通して機嫌が悪くなっていたに過ぎない。考えてみると、五十五年前、新婚旅行は信州だったが、その二日目だったか美ヶ原で早くも「けんか」になった。内容は覚えていないが、精々私のわがままのせいであったろう。残念ながら、五十五年経っても、私のわがままは健在だ。
結局、不承不承一日延期したが、それはそれで導きがあった。その件については明日記したい。さて今日は遠路長女が再び長躯、車でやって来て、ベニカナメの消毒、クーラーの掃除などを手早く手掛けて帰って行った。彼女も「思い立ったが吉日」を実行したのだろう? 昨日メールで「明日月曜日か、木曜日かそちらに行きたいのだがいいか」と突然報せて来ていたのだ。
未来は何があるかわからない。その未来に向かって人間は自ら良しとする道を選ぶ。「思い立つ」のだ。しかし、その行動の奥には言わずと知れた神様の無限の愛がある。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(旧約聖書 詩篇37篇5節)
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