2024年1月30日火曜日

地の極の開拓者(結)

寄せ合う絵 温もり伝う 冬画廊(※)
 今朝の東京新聞の「風来語」欄で、久しぶりに小出宣昭主筆の「三人称の命」と題するエッセーに接した。その中で「想像力」の大切さに触れて、能登半島震災に対する義援活動の活発さに期待し、一方でかつて「日本人は天性親切で、お互いよく助け合うが、それはたいてい、互いに知り合いである場合に限る」と見抜いた明治時代に来日したドイツ人医師ベルツの言葉も紹介していた。このような彼我の違いはどこから来るのであろうか。それはやはり「福音」が浸透しているかいないかにあると私は考えざるを得ない。以下『地の極の開拓者』の最終章「愛と忍耐との結ぶ実」(抜粋文章にせざるを得なかったのだが)を読み考え続けたい。

 ヘルンフートに移住した11人の人々はあたかもエルサレムに在りし11人の使徒らを思わしめる。『だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか』(ゼカリヤ4章10節)彼らが移住した5年後においてはわずか三百に過ぎぬ一群であった。10年後には正式にツィンツェンドルフ伯爵が群れの監督となったが、1760年にこの世を去るまで23年間彼らの良き指導者であり保護者であった。その指導力は実に記録以上のものがあった。彼は毎朝、日々の格言として新しい聖句を選び出したばかりでなく、数名宛の組を定めて、毎時間連続の祈りを続けさせたのである。兄弟たちは彼の死後もその指導者の精神を受け継いだ。ハルレにおける「芥子種」はヘルンフート における「ディアスポラ」にまで発展した。彼らの原則はその名のように「分散(ディアスポラ)」である。ヘルンフートの開拓後10年にして移住者600を数えたが、ドーバーが西インドに出発したのを始めとしてグリーンランド、ラプランド、アメリカ、アフリカなどにも移住を開始した。それが百五十年後には百三十の宣教基地と三百余名の宣教師と、その五倍に相当する支援者の群れを有するに至った。

 彼らの最初の教会としての団結は、宗教改革以前よりも存在していたが、それがツィンツェンドルフ伯爵の領地の中に新しくよみがえり、彼ら自らは「一致兄弟団」と称していた。彼らは何処へ行くともその単純なる信仰をもって一貫し、また主なる神からなる上よりのことに対する服従を固執したのである。しかしながら彼らはやかましい信仰箇条に縛られてはいなかった。ただ次のような言葉にすべてを言い表していたのである。
「根本的なことには一致、枝葉の問題には自由、しかし万事は愛をもって・・・」

そして、遠隔の地にあって奉仕した宣教師たちの精神について著者は「能力ある神の言」と題して、次のように述べている。

 第一は忍耐深く神を待ち望むしもべたちの信仰を神は嘉(よみ)し給うということである。宣教師の生涯は奉仕の生涯であり、献身の生涯である。神はあらゆる失望と、失敗と見える事柄を変えて、その善しとし給う時に祝福となし給う。

 第二は聖書がどんな異なった言語に翻訳せられたとしても、常に人類に対する神のメッセージを伝えているということである。聖書の中には救いに至らしめる神の能力が依然として存している。サリナム川の黒人から、北アメリカの森の中のインディアン、凍った海辺に住むエスキモーに至るまで、またアフリカ内部の迷信深い人々にまで世界のあらゆる国々の大衆に対して神の書物たる聖書は同じメッセージをもたらしているのである。神はその書を尊ばれる。

 神の使者たちは静かな深い信仰をもって、聖言が彼の幻を実現せしむべき大いなる日の黎明をもたらすことを確信して忍耐し期待しつつ戦っているのである。『見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどのおおぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立って、「小羊に栄光あれ」と大声で叫ぶ』(黙示録7章9節)日を待ちつつ。

 モラビアンの群れが宣教的教会として卓越せる秘密は、煎じ詰めれば次の三つである。
第一は宣教者的精神である。彼らは失われし世界に対する負債の福音的基礎に立ち、即決的服従(註:すぐ従うという意味であろう)の精神に満ち満ちていたのである。
第二は最も困難かつ、最も希望なき宣教地に向かって優先的に選出する開拓者精神である。
第三は神に是認される熱心である。モラヴィアンたちの生涯には世俗的野心はなかった。ただ救霊ーー感化主義にあらずーーこれが原則であった。信徒数の増加は直接的目標ではなかった。すなわち回心者の数を数えることよりも、数の中の質を重んじたのである。彼らが最も少数、かつ貧しい立場にありながら常に宣教事業の先鋒であり得たのは、その聖き生活と、不断の祈りと、喜んで与えることと、しもべである精神の涵養と、兄弟愛の実行のゆえであった。
 新しき使徒行伝の一章は、このような愛と忍耐の実をもって綴られたのである。

このようにしてこの『宣教物語 地の極の開拓者』は157頁の小編を閉じている。私はこの小編を読みながら、「地の極」とは確かにチベットの人々、一方酷寒の地に住むエスキモーの人々など実に様々な、私たちが普段接しえない人々、それこそ「三人称の命」(小出宣昭)に他ならない人々の生活を思うことが出来た。そして、創造主がその命を捨ててまで愛された愛の対象であったことを思えば、宣教師の方々が様々な労苦に耐えて命を捨ててまで福音を伝えられる姿に頭を下げざるを得なかった。すなわち、そこには誰もが踏み込まない地への「開拓」であることの困難さを知った。しかし、私の思いはそこにとどまらず、私自身が主なる神様にとって「地の極」「開拓」されるべき存在であることに思い至った。それこそ、まさに「起承転結」の私の「結」である。

All have sinned, but the Lord Jesus can save!(by McCall Barbour)

※先日、畏友谷口幸三郎さんの個展に伺って、撮影させていただいた作品の一つである。題名は「電車をみたあと」とあった。なお、赤字の英文については明日解説したい。『宣教物語 地の極の開拓者』は絶版で手に入らない。ただ国会図書館にはデジタル化されており会員手続きを取っておられる方ならインターネットで読むことができる。

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