2024年4月29日月曜日

『母の最終講義』(最相葉月著)

 世の中、ゴールデンウイークということで、各地の行楽地は賑わっているようですね。こちらは愚直に普段どおり、いつもの古利根川散策を敢行しました。その土手に上がる上り口に鎮座ましましていたのが、ご存知この「キショウブ」というアヤメでした。珍しく同行者の家内が、「この花、撮ったら」というので撮りました。(いわゆるアヤメは紫色のものを言うそうですが・・・)

 昨日、最相葉月(さいしょう・はづき)さんの書かれた『母の最終講義』を図書館からお借りしました。最相葉月さんを初めて知ったのは、昨年末、彦根に帰ったときに、本屋さんで『証し 日本のキリスト者』というとても大部な本の存在に出会ったことがきっかけでした。総頁数1000余に達する本は新刊書の中でも圧巻でした。著者がどのような観点からこの日本のキリスト者を訪ねて、このような本を出版されたか大変興味を覚えていました。

 ところが東京新聞の4月7日の朝刊の「家族のこと話そう」というコーナーにこの方のお母様が認知症を患われ、その介護の状態が手短に語られていました。そして、『証』という本を表わすために費やした6年にわたる取材経験が、お母さんの介護の力の源になった旨書かれていました。

 それで今日一気に読み上げました。短いエッセーの集まりですから、大変読みやすいですし、それ以上に、しばし立ち止まって考えさせられることが数多くありました。最相さんは1963年生まれ、私は1943年生まれですから、ちょうど20歳ちがいですが、私より地についた「終活」の備えをしながら、文筆活動を続けておられる様子を窺い知ることができました。それだけでなく、同氏がたいへん謙虚な方であり、ご家族のこともご主人をふくめて必要最小限包み隠すことなく語られていることに、たいへん好感を覚えさせられました。

 私は1981年に父の認知症発症と死を経験しました。その時は、今のように認知症に関する知識のなかった時代で、無我夢中の毎日でしたが、それこそ毎日「聖書と祈り」の生活をとおして大変な危機を乗り越えさせていただきました。もちろん、父に対する愛が果たして十分であったかというと、申し訳ない思いがあります。(最相さんの思いは、それこそ私の思いの代弁でもありました)あれから40数年、すっかり世の中は変わり、コロナ禍も経験し、認知症に関する理解はより一層進んできているようです。しかし、果たしてどうなのでしょうか。

 最相さんがふと漏らしている次のような気づきは貴重だと思いました。同書129頁より

最後に、先の青年に教えてもらった「静穏の祈り」を紹介したい。アメリカの神学者、ラインホルト・ニーバーの言葉だ。「神よ、変えることのできないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、そして、変えられないものと変えるべきものを見分ける知恵を与えてください」

 認知症対策は家族間の大きな問題です。親子の間、夫婦の間、親しければ親しいほど、そのギャップに泣きたくなることは請け合いです。しかし、考えてみると、主なる神様はニーバーの言葉を借りるまでもなく、日々私たちにみことばを通して語りかけてくださっているのですね。

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(新約聖書 ピリピ人への手紙4章6〜7節)

知恵であるわたしは分別を住みかとする。そこには知識と思慮とがある。(旧約聖書 箴言8章12節)

2024年4月28日日曜日

復活と不屈の精神(3)

毎年決まってこの白薔薇は、都合百に達するでしょうか、次々と花びらを咲かせてくれます。それも二、三週間にわたって。ところが、今年初めて、私はこの白薔薇が甘くも薄い芳香を振りまいており、多くのミツバチが花から花へと渡り歩いていることに気づいたのです。散歩しては、美を求めて歩き回っている己にとり、灯台下暗しとはこのことを言うのでしょうね。春はいよいよ盛んです。せっせと蜜を求めて集まってくる昆虫の諸君に負けず歩まねばと思わされております。

第7章「復活と不屈の精神」の最終部分です。今日はイースター後4週目に入る聖日です。二千年前を想起するなら、まだまだイエス様が復活後、ご自身の生きている姿を現わしておられる期間に当たります。


 しかしながら、彼が忍ばなければならなかったのは、待つことだけではなかったのである。彼に対して競争意識を持っていたライバルの教師たちが、この間に、しだいにその地歩を占めていた。つまり、彼が監禁のうきめにあっている間に、彼らは、骨惜しみをせずに、パウロの回心者をせっせと自分の組に引き込んでいたのである。これはただ、自分たちの名声を求める手合いであった。

人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。(ピリピ1:15〜17)

 他人が自分の作品を粉々にし、生涯をかけた成果を不純な宣伝文句でだいなしにするのを、黙ってすわらされたまま見ているのは、耐えられないことである。パウロがのちにテモテに書き送った手紙の中には、その苦しみの反響がしるされている。「アジヤにいる人々はみな、私を離れて行きました」(第二テモテ1:15)。彼の入獄中に、ある教会から失われていった人々は、パウロをもってしても、再び連れ戻すことは、ついにできなかったようである。それにもかかわらず、彼の喜びは、決しておおい隠されることがなかった。彼は最後の復活の日に、完全に恥がすすがれることを信じて、待つことができた。しかも、その報いに対する希望のゆえに、彼は、純不純を問わず、キリストが宣べ伝えられることを喜びとすることができたのである。

 復活による不屈の精神は、失望と葛藤に悩む彼を、ささえ続けたのである。この手紙によると、パウロは更に、彼をねたむ兄弟たちが、彼をだしに、しかも彼がローマ帝国の政府によって不当な抑留生活をしいられているのをよいことにして弟子たちを集めていたことに対してと同時に、自分の内的な問題とも戦っていたことを暗示している。彼は、エパフロデトの病とともに彼に臨んだ「悲しみに悲しみ」(ピリピ2:25〜28)や、貧や飢えや乏しさ(4:12)、また、おそらく長びく獄中生活の緊張の結果と思われる内的葛藤についても、苦しさを訴えている。確かに投獄されてからは、以前と同じ強壮さを維持することができなかったであろう。強制された安逸と監禁の生活は、彼に法外な料金を要求したのである。しかも彼は、絶えざる微笑をもってそれに臨み、そのためにこの手紙は、キリスト者の喜びの書簡として知られるに至ったのである。彼は、すべての苦痛を、キリストの苦難にあずからせる特権として受け入れ、そこから、彼の復活の力を知る知識を得るに至ったのである。

 挫折や、見かけの失敗、また懐疑や闘争の渦の中で、この復活の希望は、彼の不屈の精神の源であった。こうして彼は、走者がたいまつを掲げて走り、次の走者に渡すまで走り続けるように、いのちの言葉を保ち続けた。それは、「そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができ」(ピリピ2:16)るためである。彼は悪しき時には特に、永遠を誇る、そそり立つ高嶺に目を留めて動かさずにいた。現在の苦難を、復活の暁がもたらす栄光とは比べるに足りない。彼の使命達成の途上のつまらないできごととみなしていたのである。それゆえ彼は、済んだ事柄は喜んで忘れ、目当てを目ざしてたゆみなく進んだのである。

 直接的な悪性の反対に対するより、一見たいしたことはないと思われる人生の挫折のほうが、普通は、より大いなる不屈の精神を必要とする。計画的な迫害は、当然予期しうることとして、それほど恐れるには足りない。イエスも助けを約束しておられる。助け手と考えられる人々のはりあい、自分が最も必要とされ、最も貢献しうると思えるときに、義務を果たす道を閉ざす、いわれのない投獄、また、ほかの人の必要のために心を集中させなければならないときに、魂を悩ます心痛や葛藤ーーこれらは私たちにとって最も耐えがたい事である。しかし、復活の希望は、このような問題に対しても勇気を与えてくれる。これらによって私たちは「キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかる」(ピリピ3:10)ことができるからである。

2024年4月27日土曜日

復活と不屈の精神(2)

今日は、これと言って良い被写体を見出せませんでした。その代わりと言っては何ですが、スケッチ帳に描かれていた一枚の絵を載せることにしました。絵の具でなく、クレヨンによる彩色の絵です。どう見ても古利根川とその川縁を描いたものと思われます。しかもこれからますます緑が濃くなっていく風景を描いたもののようです。筆致から推すと作者は家内のような気がしますが、本人は覚えがないと言うので、今となっては確かめる術がありません。

以下は、「復活と不屈の精神」の昨日の続きです。

 もちろん、キリストにある死人が、悪しき死人よりもさきによみがえらされるという点に、疑問の余地はない。ヨハネの黙示録20章4、5節は、このことを明らかにしている。

また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。

 この聖句が与えてくれる解釈の可能性に関する興味深いわき道にはいらなくても、私たちは、それが二つの復活を含意していることを知ることができるであろう。第一の復活には、キリストのために苦難を経た人々が加わる。彼らは、以前にどのような不面目な敗北を味わったにせよ、いまやキリストとともに支配者となるのである。そして、彼らのよみがえりは、「第一の復活」と呼ばれる。この第一のという区別は、必ずしも、それがごく少数の選ばれた人々だけの特権であるというように解釈されなければならないものではない。それは、義人の死者の復活は、悪人のそれと非常な間隔をおいており、そのとき復活する人は、キリストの僚友として御国における統治権にあずかる、ということを意味するだけなのかもしれない。このような、不敬けんな人を除外しているという意味で、これは、「死人の中からの復活」なのであり、それはまた、信者の中でもある序列の差を持つものであると考えられるのである。

 それでは、このように遠い未来の事が、どうして現在の必要に適用されうるのであろうか。

 実は、ピリピ人への手紙は、この復活の希望によって意中に創造された不屈の精神を、具体的に実証するものなのである。パウロは今、二十五年またはそれ以上にわたって心身を打ち込んできた労を、突然中断され、獄中の人となっている。彼からわいろを取ろうという下心を持つローマの官吏によって、すでに二年間も留め置かれているばかりか、彼自身カイザルに訴訟を起こすことによって、のっぴきならない立場に追い込まれていた。彼は、ピリピ人への手紙を書いたとき、すでに相当長く、おそらく二年はローマにとどまっており、しかも、釈放される目安は、全く立っていなかったのである。釈放という観点からは、その第1章における彼の言葉は悲観的である。「私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています」(ピリピ1:23)。彼は公判にもかけられていなかったようである。しかも、結果は、全く予断を許さなかったのである。彼は宙ぶらりんの状態であった。今死のことを言ったのかと思うと、次には、ピリピ人のところに「とどまり」、彼らのところへ行く、と宣べている(1:24〜26)。本式の告発も受けず、未来の見通しもなく置かれることは、疑いもなく、彼の神経をすり減らすものであったろう。しかし、彼の活発な生活が突然中断され、未来が暗雲にさえぎられているにもかかわらず、手紙の全体は、喜びの叫びを強く聞かせてくれるのである。復活による不屈の精神は、入獄中のパウロに、絶えざる勝利をもたらしていたのである。

2024年4月26日金曜日

復活と不屈の精神(1)

今日は記念日でした。それで、妻に「何の記念日だと思う」と聞いたところ、「わからない」と素直な答えが返ってきました。まあ、やむを得ないだろうなあーと思いました。その後、二人して妻のかかりつけの病院に出かけるため電車道を駅へと向かいました。久しぶりの駅道でしたが、途中線路際の舗装道路の隙間に花を見つけました。「すみれ(※)」でした。いつもこの数メートルの縁石の間に花を咲かせるので、決して珍しくはありませんが、妻が「すみれの花咲く頃」とハミングしてくれました。嬉しくなった私が、「なぜその歌詞を知っているの?」と聞くと、「宝塚の歌だ」と教えてくれました。記念日は、夜になって子どもたちが「おめでとう」とそれぞれLINEで寄越してくれました。この「記念日」は「すみれの花咲く頃だった」のですね。そんなロマンもなく、私にとってはただ一緒になれた喜びで一杯だった日でした。五十四年前のことです。老いが先行し、様々な不便が互いに生ずる今、そのことだけは忘れたくありません。

※ 「すみれ」について過去にもずいぶん書いていることに気づきました。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/04/blog-post_15.html
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2012/04/blog-post_17.html
まだまだありますので、上のはこ欄に「すみれ」と入力すると出てきますのでご関心のある方は覗いてみて下さい。

さて、新しい項目「復活と不屈の精神」は、全八章の章立ての中の第七章に相当するもので、第二章の「復活の予測」は飛ばしましたが、それを除くとあとは順番に写していますので、章としてはあと一章を残すものとなりました。メリル・C・テニー氏はこの標題で、パウロの例を通して、語ります。三回続きますし、今日の個所は訓詁学的なところもあり、理解するのにややこしいところがありますが、忍耐強くお読みくだされば感謝です。残り二回と合わせて、「ピリピ人への手紙」に表れているパウロの信仰の裏表を思う存分知らされたいものです。

どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。(ピリピ3:11)

 復活の力が個人の生活にどのように現われるかを示すものとしては、新約聖書全体を通しても、このパウロの自伝の寸描を記録しているピリピ人への手紙三章にまさるものはない。その中で彼は、自分の前歴について、かなり多くのことを明らかにしている。彼は好戦的なベニヤミン族出身のユダヤ人であり、手紙を一読すると、戦闘的な血筋を誇りに思っていたことがわかる。彼の幼名は、イスラエル初代の王の名を採って、サウロと言った。サウル王もまた、ベニヤミン族の出である。彼は、すっかりギリシア文明に圧倒された地方に住んでいたにもかかわらず、先祖伝来のアラム語と、古来のヘブル人の習慣とを固守した、厳格なヘブライ主義的ユダヤ人の仲間になっていた。律法の解釈においては、儀式関係の法規の遵守に特別やかましかったパリサイ主義の伝統を擁立した。ユダヤ人の信仰に対する熱狂的な義務感から、彼は、エルサレム外の諸都市においても、教会に対する迫害の規模を拡大していった。最も驚くべき事は、彼が、完全な律法の義を自分に対して主張することができると言っていることである。その事は、「律法による義についてならば非難されるところのない者です」(ピリピ3:6)と言っているところから知られる。ところが、その彼が、ダマスコの途上でキリストに引き止められてからは、それらのすべてを失念してしまったのである。律法に対する情熱は、いまやキリストに対する情熱に置き換えられた。生誕、家系、宗教教育、教団での地位のすべてを、彼は損失と思うに至った。ユダヤ教の中で獲得しえたであろう特権や地位に対する願望を、キリストにおいて彼に与えられた新しい信仰のために、完全に否定してしまったのである。

 ピリピ人への手紙は、パウロが回心してから三十年ほどして書かれたものである。この間に彼は、長期にわたってさまざまの経験をした。シリアのアンテオケを起点として、南部アジア、マケドニア、ギリシアの伝道の開拓に当たった。キリスト教神学とキリスト教文学との基礎を据えた。ローマ帝国の議会や官憲たちの前でも、そのていねいな無関心さや刺すような冷笑をものともせず、キリストのための弁明を試みてきた。石打ち、あざけり、誤解、無視の試練にも耐えてきた。しかも彼は、神が彼の魂の中に植え付けられた不屈の精神によって、前進を停滞させることがなかったのである。その不屈の精神は、攻撃をはね返す耐久力であった。彼はまた、ただ一つの燃えさかる野心のゆえに、ひるみやためらいを感ずることは、決してなかった。その野心は、彼の前進を促す動力であった。「どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです」(ピリピ3:11)。彼は復活への見通しが自分の魂の中に生み出した希望のうちに、尽きぬ勇気の源を持っていたのである。

 この聖句は、ギリシア語では、非常に変わっていると言える。「ただどうにかして、死人の中から復活に達したいのです」。日本語では「中からの」とはっきり表現されているが、それは、ギリシア語の「の」を補強するために付加された訳である。そしてここでは確かに「の」だけでは不十分なのである。それは、たとえば、「わたしはそのケーキをいただきましょう」と言う場合のような、あるあいまいさを残すからである。この例の場合には、それは、そこに出されているケーキの中の一つを取ることか、幾つか出されているものの中からケーキを取ることかのどちらの意味をも持つことができる。ここのギリシア語の「の」も、そのあいまいさを持っているのであるが、パウロは、この例でなら前者の意味で、死人の中からの復活において、彼を他の人とは別な者とする復活を望んでいる、と言っているのである。

 言うまでもなく、この言葉は、彼が自分の救いを働きによって獲得しようとしている、と言うことを含意するものではない。彼はすぐ前で、自分は自分の義によってではなく、キリストの義によって救われることを求めた、と言っているからである。戦いが救いのためでないことは明白である。その点については、彼はすでに確信を持っている。それゆえ、ここでは報いのことを言っているのである。しかし復活は、報いと呼ばれるべきものであろうか。コリント人への第一の手紙15章22、51〜54節と、テサロニケ人への第一の手紙4章16節が教えていると思われるように、キリストにある者は究極においては皆復活するのであるとすれば、復活はどうして、よいわざの報いや不屈の精神をかきたてるものとなりうるのであろうか。もし、ある一つの学級の生徒が皆、あるほうびをもらうのだとすれば、それは成績に対する賞とは言えないであろう。

 聖書はこの問題に、一、二の個所で答えているように思える。ヘブル人への手紙11章35節には、迫害に耐えて忠実さを守り通した昔の聖徒について、こう書いてある、「女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました」。復活における程度の差が、ここには、苦難に対する報いとして設けられているように見える。この報いに対する見通しは、新しい契約の下にいるキリスト者に対してでなく、古い契約の下にいるヘブル人のキリスト者に対して与えられたものであった。しかし、もしこの手紙の読者に対して意味がなければ、このことが特記される理由はなかったであろうということは、言わずと知られるであろう。コリント人への第一の手紙15章23節は、各自が「おのおのにその順番が」あってよみがえると言っている。「順番」とは、どのようなものをさすのであろうか。順番は、ある人たちの席次の高さと優越性とを仮定している。テサロニケ人への第一の手紙4章16節は、「キリストにある死者が、まず初めによみがえり」と、彼らが、生存中の人よりは、少なくとも時間的にさきになると言っている。これらの聖句からすると、復活には、優越性や報いという点で段階があり、また、他の人より早くよみがえらされる人の中には、神への忠誠のゆえにさきに報いを与えられる人々が含まれていると考えることは、妥当なことであると思われる。

2024年4月25日木曜日

復活の熱情(3)大指導者

今日は、ベニカナメの剪定作業に汗を流しました。と言っても、小一時間というところでしょうか(実際は二時間ほど費やしましたが・・・)。長女が剪定ばさみ、脚立を積み込んで都下東大和から駆けつけてくれました。昨日は雨だったか(もはや記憶も定かでないボケ老人の感覚でしかありませんが)、明日はどうなのかわからない天候不順の折、今日しかないと思い定めて来てくれました。

昼食は有り合わせのものを長女自身が作って、「自作自演」っていうところでした。普段中々交われないお互いですから、食べることよりも、どうしても話が弾みますが、遠路ゆえ、それもままならず、二時過ぎには元来た道を急いで帰って行きました。

いつの頃からか、高齢世帯である私たち夫婦を心配して、様々な作業にかこつけてはご機嫌伺いに来てくれます。

今日の写真は庭のブルーベリーの写真です。ただし上の写真は随分昔の写真で自分としては気に入っている写真で、過去のブログにも登場しているはずです。それを見るといつの頃かわかるのですが、多分、今よりはもう少し後の頃だと思います。今日のブルーベリーは、左端の写真です。しかし、この前も雨にも関わらず、大きなヒヨドリがちゃっかりここに潜り込んで、花を食べにやって来ました。猿知恵ならぬ「鳥知恵」はすごいです。仕上がりのベニカナメも載せたかったのですが、まだまだ剪定が不十分で父(とっ)ちゃん刈りなので載せませんでした。

さて、「復活の熱情」は今日で終わりですが、大指導者とは言うまでもなく、イエス・キリストです。この方が、今に至るまでどのように働かれているかを聖書に則って著者は丁寧に説明しています。私は新約聖書二十七巻、特に「使徒の働き」をコンパクトにまとめ上げた叙述だと感心しました。お読みになるみなさんの上に神様の祝福が大いにあらんことを祈ります。


三 大指導者の熱情 

 人々は、指導者に好意を持つ。頭脳においてであろうと体力においてであろうと、他の人に抜きんでた人物は、常に人を引きつける。その人気が続くかぎり、彼が何を事としていようと、人々は、彼のために生き、また死のうとする。それが共産主義とスターリンであれ、大英帝国とチャーチルであれ、または他のどのような結びつきのものであれ、世界の人々は今日においても、平和と繁栄とを約束し、各自の理想を実現させてくれるような指導者を求めてやまない。

 復活のおかげで私たちは、名ざしうるあらゆる人物にまさる指導者を与えられている。時代も、事件も、悪意や失策も、彼を押えつけておくことはできない。このようにして、私たちは、メッセージを伝えるときに彼の権威を保証されているだけでなく、また、その企て自体に、彼の助力を仰ぐことができるのである。

 聖書は彼の指導の方法についてどのように述べているかを見ておこう。彼は弟子たちを、まず、新しい世界に直面させられた。エルサレムの二階座敷をあとに、この小さな群れは、文化的な、しかし冷笑的な世界に、十字架の福音を携えて進んでいったのである。異邦人にとっては、十字架につけられたユダヤ人を信ずればその人は救いを約束される、というような不合理な宗教行為は、愚の骨頂に聞こえた。ユダヤ人にとっては、木にかけられた者をなおメシヤと呼ぶことは、瀆神もはなはだしい主張であった。この群れのだれにとっても、この奇異な福音を、ギリシア哲学やユダヤ的律法宗教に負けない、世界宗教とする伝道計画を立てることは、不可能であった。その彼らを、よみがえりのキリストは、エルサレムに引き止めて、上よりの力を着せられるまでは待つように導かれたのである。彼は弟子たちに、メッセージを、あかし人として語るのであって、演説家、雄弁家として語るのではない、とさとされた。教会を建て上げるのは、主ご自身でなければならなかったのである。「主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた」(マルコ16:20)「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」(使徒2:47)。

 彼は、事をどのように進めるかについても、彼らを導き教えられた。御霊を通して、方針、組織、計画におけるあらゆる主要な変更事項が啓示されるように、取り計らわれたのである。教会の社会事業のための七役員の選任、異邦人伝道の開始、異邦人回心者の立場に関するエルサレム会議の議決、ローマ帝国の伝道のために通る道筋ーーすべては彼によって決定された。彼は必ずしも、そのしもべの死を免れさせてはおられない。そのようなときにさえ、働く人はなくても、働きが停滞するようなことはなかったのである。彼らのために、彼は時にはドアを開き、時にはドアを閉じられた。彼らが反対に直面したときは、大胆さを与えられた。こうして彼は、敗北の中からひねり出すようにして勝利を導き出し、ローマ帝国のすべての植民州で、奴隷のあばら家からカイザルの宮廷に至るまで、人々がよみがえりの主の福音を知り、信じ、愛するようにされたのである。使徒教会に犠牲的忠実さを喚起したもうた主の助力は、今日の私たちが仰ぐべきものでもある。よみがえりのキリストは、依然として前進を試みておられ、私たちがそれに歩調を合わせることを求めておられる。教会において、商店において、田畑において、会社において、更には、貧民くつにおいても、教室においても、アラビアの砂漠においても、チベットの山においても、また南米のジャングルにおいても、彼は、最初の弟子たちに求められたのと同じ無条件の信仰、同じ不動の忠誠を私たちにも期しておられる。また彼は最初の人々に与えられたのと同じ導きと同じ保護の手を差し伸べておられる。彼は死を征服されたかたであるゆえに、私たちを、その勝利の行進にあずからせ、また、熱心に、歓呼の声をあげつつ、彼に従う者とさせて下さるのである。

導きたまえ 永久(とあ)の君よ
進軍の日 今しきたれり
戦いの野の なが幕屋こそ
今よりのちの われらが住み家
なが御恵みに 強くせられて
備えの日は 今こそ成りね
永久の君よ われらが主よ
高く歌わん 戦いの歌を

導きたまえ 永久の君よ
従い行けば 恐れは去りぬ
恵みの御顔 われを守れば
朝日のごとくに 喜びあふる
十字の光に 照りいだされて
われらの旅路は 輝きぬ
勝利の冠 われらにあり
導きたまえ 大能の神よ
    (アーネスト・W・シャートレフ)

2024年4月24日水曜日

復活の熱情(2)最終的な権威


あちらこちらの街路のツツジの植え込みは、今時、赤と白で道行く私たちの心を弾ませてくれているのではないでしょうか。特に白色のツツジは、清楚な少女の出立ちをいつも思わされ、身を清められる思いが致します。

ところで、上記画面に見られるように、これまで堤上の桜の木々の下で、ひっそり出番を待っていた植え込みにも、陽が当たる時季がやってきたようです。赤いツツジが「こんにちは」と次々声をかけてくれるようになったからです。

赤いツツジの点描は、そのすぐ奥で、今を盛りとあたり一面に広がるタンポポの園とともに私たちに爽やかな笑顔を振りまくかのようでもあります。自然界は、一刻の猶予もなく、調和した美を私たちに提供してくれます。その自然の秩序は神様ご自身が私たちにくださっている大きな贈り物です。

今日の『キリストの復活』の「復活の熱情」にまつわるメリル・C・テニー氏の話は短いですが、世の権威にたちまさる主の権威がいかに最終的な権威であるかを語っています。その権威の熱情が如何なるものか少しでも知りたいものです。

二 最終的な権威の熱情

 伝えるに足るメッセージを持つということは、一つの事である。それと、メッセージを伝える権威を持つということとは、別な事である。セールスマンは、どんなによい品物を売り込もうとしているときにも、信用ある商社が自分の後ろだてとなっているということが確信できなければ、売り込みに熱心になることはできないものである。疑いと熱情とは、決して共存することができない。そうだとすれば、私たちがある重大な宣言ーー人は、そのメッセージを信じて救われるか、または、それを拒否することによって失われるか、二つのうちの一つを選択しなければならないという、猶予することを許さない重大な宣言ーーを携えて、海を渡り陸を越えて行くのは、いったいどのような権威に基づいてなのであろうか。

 よみがえりのキリストは、そのメッセージを伝えるにあたっての権威であられる。ペテロとヨハネは、足のなえた男をいやしたあとで、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」(使徒4:7)と尋問されたとき、こう答えた。

民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行なった良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。(使徒4:8〜10)

 復活は、イエスを、地のあらゆる権威の上にある神の右手に高く上らせた。それで彼の弟子たちは、自分たちを地上における彼の代表と考えて、彼らを沈黙させようとした彼以下のあらゆる君主たちや議会を、公然と無視する態度に出たのである。

 よみがえりのキリストは、語り手の伝えるメッセージを保護する権威でもあられる。彼が彼らに与えられた言葉、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」(ヨハネ20:21)と、増長したピラトに対する彼の返答、「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたがたはわたしに対して何の権威もありません」(ヨハネ19:11)とを比べていただきたい。御父が御子に対して、その働きが完成するまで、その身の保護を保証されたように、キリストは、彼の事業のために彼に従う者たちが出て行くとき、その安全を見守られるのである。キリストは彼らのために、獄屋のとびらをあけ、官憲らの裁判を導き、刑執行人のおのをそらせたもう(※)。弟子たちは、主がご自身のメッセージを尊重されると信じていたので、彼の名において、不可能事に敢然としていどんだのである。

※引用者註 著者が「キリストは彼らのために、獄屋のとびらをあけ、官憲らの裁判を導き、刑執行人のおのをそらせたもう」と要約している聖書個所はいったいどこの個所であろうかと思って調べたが、差し当たり、次の個所などが考えられるのではなかろうか。使徒5:22を中心とする前後の聖句。そして使徒12章。いずれもペテロが経験していることではある。ペテロはその「熱情」においては弟子中第一番であったが、主の預言(ルカ22:31)どおり、結局は主を裏切らざるを得なかった。その彼が復活の主に出会い、ペンテコステ(聖霊降臨)を経験し、全く別人の人となって、サンヒドリンでの尋問に対した。それは、まさに最終的な権威の熱情、「主イエスの熱情」に支えられてのことだと思わされた。繰り返しになるが、上記の最後の言葉「弟子たちは、主がご自身のメッセージを尊重されると信じていたので、彼の名において、不可能事に敢然としていどんだのである。」とは千金の重みを持つ言葉である。

2024年4月23日火曜日

復活の熱情(1)新しいメッセージ


今朝は、この花が目立ちました。毎年今頃決まって花を咲かせますが、庭に降り立って、この花の写真を撮るのは久しぶりです。名前は家人も知らないと申します。幸いなことに今ではiPhoneがその疑問に見事に答えてくれます。それによると、「オオツルボ」と言うそうです。この複雑な花弁(色の組み合わせといい、形状の様々の姿といい、その上、実に素晴らしいバランスを保ちながら環状に配置されている)が「いのち」の発露としてあらわされていることに深く敬意を表したいです。

復活のメッセージは、私たち一人一人が神を信じないという罪の証拠をイエス様のお体の傷跡として残していることと、それゆえにその方のよみがえりは、私たちに罪からの全き訣別という新しい生活への希望を与えてくれるものとして示されています。この二方面のメッセージは、この「オオツルボ」の開かれた花弁が示すように、すべての人に向かって開かれている、気高くも希望を抱かせるメッセージです。「新しいメッセージの熱情」と題して解き明かす、メリル・C・テニーの論述を引き続いて篤(とく)とご熟読くださいますように・・・。

一 新しいメッセージの熱情

 よみがえりのキリストというメッセージは、伝道における説教の核心をなすものである。イエスを、死人の中から復活したかたとして説いて投獄された、ペテロとヨハネとは、釈放されるやいなや、また同じ説教を試みた。パウロは、復活の福音の非常に有能な弁明を終えると、「この鎖は別として」(使徒26:29)、みんなの人がわたしのようになって下さることを、わたしは切望しているのです、と言って、その議論を結んだ。ただ強大な現実性だけが、彼らに、迫害や窮乏を乗り越えて世界伝道に進む、尽きることのない熱心さを与えることができたのである。

 この現実性において、第一に指摘されなければならない事実は、復活が罪の事実を証明するものだということである。イエスが墓の中にとどまっておられたならば、十字架は、手を焼かせた民衆先導者を法的に除去しただけのこと、あるいはおそらく、たいせつがられていたある教師の悲劇的な最後、あるいは悪くても、正義のひどい失策と見られただけで終わったであろう。このうち、今どの見解が採られるにしても、結局のところ、彼に対する刑の執行は、無知で偏屈な時代のへまとして説明し去られてしまうのである。死人の中からの復活だけが、次の事を決定的な事として立証する。すなわち、ナザレのイエスは、預言者たちがあらかじめ告げていたユダヤのメシヤであったということ、また、彼の神の子であるという主張が、詐欺師の根拠のない大言壮語ではなかったということ、更に、ユダヤ人と異邦人とがともに嘲笑し、退けた人物が、実は栄光の主であられたということである。「(あなたがたは)いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました」(使徒3:15)」と、ペテロは、議会の人々に言った。このひとつの行為を通して、神は、御子を死に追いやった人間の悪巧みと激情を、罪として、永遠に宣告されたのである。復活ののち、イエスは弟子たちに、「イエスは、その手と足をお見せになった」(ルカ24:40欄外)とあるが、それは、人間の罪が生み出したことの、無言の、しかし最も厳然とした証拠を示されたものであった。

 こうして弟子たちは、罪が決して理論上だけのものでなく、事実性を持つものであるということを思い知らされたのである。したがって、彼らの説教が、大づちの一撃のように、聞く者の心と良心に落ちかかり、悔い改めを激しく迫ったのは、少しも驚くにはあたらない。キリストがよみがえられたのなら、彼を死においやった罪は、まっこうから問題とされ、征服されなければならないのである。言いのがれや言い訳は許されない。それは直ちに解決されなければならないのである。

 キリストの復活は、真の救いの保証である。彼の傷跡は、罪のためのあがないが完成していることを物語っている。使徒行伝十三章には、有名な、ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの説教が載せられている。それは、彼の伝道説教の典型的なものの一つと考えられている。彼は、長い歴史的な議論の終わりを、キリストの死と復活の叙述で最高潮にまで盛り上げ、次の言葉でその説教を結んでいる。

ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです(義と認められるのです)。 (使徒13:38〜39)

 キリストのよみがえりは、律法の要求が残らず満足させられたことを意味する。キリストのよみがえりは、人類の反逆に対する寛大な神の恵みにあふれる回答なのである。キリストのよみがえりは、「ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(ヘブル7:25)ということを意味しているのである。

 よみがえりのキリストは、不死の証拠である。キリスト抜きの不死は、よく見積もっても夢にしかすぎない。人々はそれを、可能性であると論じ、蓋然(がいぜん)性であると考え、ほんとうなら良いのにと望んだ。しかし、その点に関する、最善の、最も理論的な思想の表出も、ついには実現の可能性のないものと判断されるのが常であった。「プラトンよ、あなたはまことによく推論を重ねた。しかし・・・」というのが、多くの思想家たちの態度であった。それに反して、イエスは、不死について論じようとしてはおられない。ただ、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」(ヨハネ11:25〜26)と言われただけである。彼は墓からよみがえられたとき、ご自分の言葉を確証された。不死は、彼においては、一つの確かな事なのである。

 このようなメッセージに、真の熱情がかきたてられるのは、当然のことである。罪が真であるならば、人は非常な危険の中にいるのであって、それから救出されなければならない。だれかの家が燃えていたなら、私たちはその家の人を起こして、彼が焼け死んでしまうことのないようにするであろう。しかし、その人の霊的危険に対してなら、私たちは、それほどの関心を寄せなくてもよいのであろうか。もし救いが真であるならば、私たちは、人の益になるよい知らせを持っていることになる。そのよい知らせを持って友人を訪ねるのは、うれしいことである。それでも、永遠の現実を宣べ伝える特権に対してならば、あまり感興をわかさなくてもよいのだろうか。不死が真であるならば、私たちは、失意の人たちにも希望があることを教えることができる。それでも私たちは、そんなものを伝えることには熱心にはなれないと言うのであろうか。復活のメッセージの現実は、私たちの生活に、新しい妙味を添えてくれるものなのである。

2024年4月22日月曜日

復活の熱情(序)

庭先のクレマチスが、いつの間にか花を咲かせているのに、気づきました。私は、その余りにも、解放的な開花ぶりにはいつもびっくりさせられます。(もっと、お淑やかに、花を咲かせていけばいいのにと思って・・・)しかし、こんなに美しい花弁をじっと我慢していたとしたら、時満ちてパッとばかりに花を咲かせるのも当然なのでしょうね。

復活を実地に経験した弟子たちは、失意、絶望の中から熱情の使徒に変えられます。彼らなら、「クレマチス」のこの心に共鳴することでしょう。引き続いてメリル・C・テニーの『キリストの復活』の第六章「復活の熱情」からの引用です。

神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。(使徒2:32)

 ある日曜日の午後おそく、いくじなさそうな、落胆しきった十人の男たちが、エルサレムのとある二階の座敷に、ふさぎ込んですわっていた。三日前に、彼らの愛する師、また希望の柱であった指導者のイエスが、ユダヤの最高聖職者たちとローマ総督との決議によって。殺されてしまったのである。この不意のできごとに、彼らはただ、悲嘆にくれるばかりであった。幸いなきのうの記憶も、ただ連想のかなたのものであった。的を射るようなたとえ、不正に対する批判の鋭鋒、また、明察に基づくその教えの持つ威厳ーーすべては過去のものであった。罪のゆるし、永続的な心の平和、御国の到来について、彼が与えられた約束も、今では価値のないものに思えた。「彼の墓は悪者どもとともに設けられた」(イザヤ53:9)者が罪をゆるすということが、どうしてありえようか。恥辱の十字架の上で苦悶の死を遂げた者が心の平和を与えるということが、どうして可能であろうか。自分をさえ救いえなかった者に、どうして御国の到来を説く資格があると言えよう。永遠の義に対する彼らの信仰さえ、今では動揺せざるを得ない。義にして主権者なる神が、彼のように全き生涯を送った者を、あのような死の苦難にあわせられようとは、とても考えることができなかったからである。

 明らかに、彼らの集会は、彼らの熱心さの告別式をしか意味しえないものであった。彼らは、偉大なメッセージを持ち、よい動機に励まされて、事をしてきたように思っていたが、イエスの死とともに、いっさいは、穴のあいた風船のようにしぼんでしまったのである。イエスが民衆の眼前で、あの恥辱の死を遂げられたため、彼らは、彼を弁護するために声をあげることさえ控えた。それに、彼に忠誠を誓った者として身を現わすことは、あの際、危険であった。しかも彼らは、イエスに出会う前の自分たちに戻ることもできずにいた。それにしては彼は、あまりにも深い、打ち消しがたい印象を彼らに与えたのである。絶望の苦々しさと、思い出ーーそれも悲しい思い出ーーしかないであろう未来の殺伐さとのために、彼らは、人生や仕事に対する励みや熱を、すべて奪われてしまったのである。

 そのとき突然、集まりの暗がりの中で、彼らはだれかの存在に気づいた。彼らの耳に、聞きなれたかたの声が響いて来たのである。「平安があなたがたにあるように」ーーそして、まさにイエスが、彼らの前に立っておられるではないか。彼らは、自分たちの五感を信ずることができなかったため、彼に仰天し、自分たちは何か強い幻覚に襲われたのではないかと、互いに驚き合った。しかし、そうではなかった!

 「御手御足には傷を受け
     わきには刺し傷」

 傷跡を認めて、「弟子たちは、主を見て喜んだ」(ヨハネ20:20)。よみがえりのキリストの現実性が、彼らの態度を全く変えたのである。悲しみは喜びに、恐れは信仰に、そして落胆は希望に所を譲った。また、主とともに持った過去の経験も、彼が生きておられたことにより、あるつきまとう記憶というようなものではなく、動的な力として感ぜられるようになった。

 失意の人たちに、よみがえりのキリストが現われたもうことによって、彼らの中には、新しい熱情が生まれた。そしてそれは、ペンテコステの風にあおられて、ついには、教会の樹立を促すものとなったのである。真のキリスト教が存在する所には、どこにでも、真実の熱情のたぎりが見受けられる。キリストの福音は、ディレッタントがたいくつしのぎにもてあそんだり、学識者たちが、その個人に対する呼びかけにもかかわらず、超然として議論しえたりするものではない。それは真であるかないかのいずれかである。しかも、真でなければ、永遠に放棄されてもしかたのないものである。しかし、もし真であるならば、それは、私たちが衷心からそれを信奉し、また、無限の熱意をこめて、地の果てに至るまでそれを宣べ伝えることを、要求するのである。もし人々が、ただの人、しかも限られた期間だけ官位につく人の選挙に対して、熱狂的になりうるとすれば、神によって、救い主またさばき主になることを定められ、その身分を保証された、よみがえりのキリストの現実性に対して、私たちが熱情を示すのは、当然のことではないだろうか。

2024年4月21日日曜日

復活の効力(3)身体の効力


今朝も新しい訪問客がありました。昨日の彼女の美しさに目を見はりましたが、今日の彼はより鮮やかでした。その上、花の間を離れることなく丹念に蜜を吸っていました。飛び石伝いという言葉がありますが、まさしく花園を飛び回る彼の姿はそうでした。

さて、「復活の効力」の最終項目は、からだに及ぶと、最後の復活に働くことは当然として、今生かされている生身のからだにも及ぶのだと、パウロの証を著者は深く読み込んでいます。

 三 身体の効力

 復活の力は、この現存のからだにも適用されうるものである。

もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。(ローマ8:11)

 多くのよい注釈者たちは、この聖句を、最後の復活に対してだけ適用される言葉であるとしている。そうだとすれば、死から立ち上がるのは、「死ぬべきからだ」であるということになる。確かにそのような解釈は可能である。だが他方では、「死にやすい」という意味を持つ「死ぬべき」(ギリシア語thneta)という言葉が、なぜ、すでに死んでいるからだに用いられなければならないかについて、少し困難を感じさせられる。もし、神の御霊が宿っているのなら、なぜそれを、死体と認めなければならないのであろうか。なぜ、神の活動を、私たちの肉体に関するかぎり、未来の復活に限定しなければならないのであろうか。私たちは、ここで用いられている「死ぬべき」と「生かし」という二つの言葉が、コリント人への第一の手紙十五章でも使われており、そこで言及されているのは、明らかに最後の復活のことであるということを、認めるのをよしとする。しかし、この聖句の前後関係から、未来よりは現在に対して適用されるべきであるということは、明らかではないだろうか。「生かしてくださるのです」という語句を、ただ究極における肉体の更新をさすものとするよりは、ここでは、信者の現在の肉体生活における御霊の継続的な働きを描写するものと見るほうが好ましいと思われるのである。

 もちろん、神のみことばは、現在のからだがそのまま不死のものとなることを保証してはいない。私たちの生存中に主が来られるのでなければ、私たちは、他の人々と同様、やはり地のちりに化さなければならない。しかし、この聖句は、明りょうに、内住したもう神の霊が、私たちにキリストの復活の力を適用させることによって、私たちの現在の肉体に新しい生理的な力を分与することができ、また、分与しようとしておられる、という意味を含んでいるように見える。御霊は、私たちが地上における神のためのわざをなし終えるまで、随時必要に応じてそうすることがおできになり、またそうして下さるのである。

 パウロは、コリント人への第二の手紙において、彼がアジアにいた時のある経験に言及している。「私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました」(第二コリント1:8〜9)。その経験がどんなものであったか、私たちは知らない。病気であったか、非常な迫害であったか、ほかの何かであったか、私たちには知らされていない。たいせつな事は、そのとき彼が自分を頼みとせず、「死者をよみがえらせてくださる神により頼んだ」ことである。そのために彼は、更に幾年もの間有益な苦労をすることができるように、救い出されたのである。彼の生涯は、この力によって生き抜かれた。なぜなら彼が、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」(第二コリント12:9)と言われた神を信じたからである。

 言うまでもなく、この力は、私たちに、罰を受けることなく神の生理的法則を無視した生活をすることを許すものではなく、また、むちゃな肉体の使用を保証するものでもない。しかし、私たちが、神の奉仕のため、また神の命令のゆえに、すべてを費やし、なおかつ弱さのゆえに自分にはこれ以上の事ができないと感ずるときに、御霊はその力によって、普通ならとうてい望みえないことをもなしうるように、私たちの肉体を更新し、その有用さを増して下さるのである。クリスチャン・ライフは、魂だけでなく、からだをも新鮮にしてくれるのである。

2024年4月20日土曜日

復活の効力(2)知的な効力


出がけに一羽のアゲハ蝶の来訪を受けました。玄関先の植え込みの花がお目当てのようでした。もちろん、彼女はじっとはしていません。数秒後にはどこかへ飛んで行きました。考えてみると彼らほど姿態を次々変えて行く生き物はいませんね。この一枚の静止画面を見ているだけの感想ですが、改めてその衣装の素晴らしさと花との調和に驚かされます。

さて、今日の個所は、いっそのこと省こうと思った作品でした。しかし、何度も読み返すうちに、自らの無知、無能を思い知りました。第二次世界大戦中に物されたと思われるこれらの著者の論稿は、当時鬼畜米英とばかりに「撃ちてし止まん」と意気盛んだった日本人による戦後の翻訳によって紹介されていることを思うと感無量の思いがします。

二 知的な効力

 私たちが新しい生活の場に向かって行くとき、それに相当する結果が、その思考生活にも見られなければならない。コロサイ人への手紙三章は、このことを明白に表現している。

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい 。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されてあるからです。(コロサイ3:1〜3)

 ここで「思いなさい」と訳されている言葉は、思考過程のことではなく、思想内容に言及しているものである。だからこれは、今日の平たい言葉で言えば、「この問題をどう思いますか」と言うような場合に私たちの持つ概念を含んでいる。言うまでもなく、これは、「あなたの意見はどうですか」とか、「あなたの考えはどういうことですか」という質問を意味している。復活の力によって、思考は、新しい分野に対して開かれ、新しい内容を盛り込まれるのである。

 こうして、キリスト者は、救われていない人々の心をとらえているような事柄に、その心を煩わされるようなことはなくなる。かんばしくない浮薄な読み物や、肉性を扇動するような芸術、また、低級な激情をあおるような音楽ーーつまり、よみがえりのキリストという基準に調和しないすべてのものを、彼はその思考から遠ざけてしまうのである。

 これは決して、霊妙な、実行不可能な事柄ではない。あらゆる価値ある思想、また、人類の発展に寄与しうるあらゆる知的、美的な努力は、新しい光ーー復活の光ーーの下で、十分に可能であるばかりか、正しい評価もできるのである。欧米の最も偉大な音楽、過去十九世紀の間に生み出された最良の芸術、私たちの最も強力な自由に根ざす政治哲学、最高の文学、など、人生を愉快なものとし、美的、霊的特性の向上に貢献した業績はすべて、直接間接に、よみがえりのキリストに従った人々によってもたらされたものである。

 それだけではなく、思考は更に、復活によって、新しい力を与えられる。数年前、著者は、あるひとりの男を知っていた。彼は教育もなく、回心するまでは、そのような限られた履歴で、完全に満足しきっていた。学問などには、ほとんど関心がないように見えた。また、彼の無関心さは、彼が標準英語につゆほどの考慮も示していないことによって、だれにでも歴然としていた。回心とともに、彼は目ざめた。そして、数年後には、力強い説経者となり、また、将来を期待される神学者となったのである。死が彼の生涯を縮めなかったならば、彼はおそらく、この時代の有数な指導者のひとりになったと思われる。神の復活の力は、いかなる凡庸な人物をも変えて、思想において幅と深さとを兼ね備えた者を生み出すことができるのである。

2024年4月19日金曜日

復活の効力(1)霊的な効力(下)

名残惜し 航跡さやか 鴨夫婦
いつの間にか、川からは鴨たちがいなくなっています。そんな折り、遠目にも鮮やかな二つの波模様が交わることなく、川面に扇形の弧を描きながら、動いているのが見えました。二羽の鴨による航跡でした。数少なくなってきた水鳥のデモンストレーションを久方ぶりに見る思いでした。

今日の引用個所は昨日の「霊的な効力」と題する文章の続きの部分です。冒頭の「死人をその足で立たせようとした」とは、象徴的な言い回しであります。私自身の経験で恐縮ですが、かれこれ50数年以上前、昼飯を春日部駅東口前のラーメン店で食べたことがあります。その時、私は一人でしたが、食べ物のために、主に感謝の祈りをささげて食べました。その時、周りの人たちは、そんな私と違って笑いに興じながら皆楽しげに立派な食事をなさっていました。瞬間、確かに私は一人だし貧しい者だが、神様に祈って食事をしている、一人ではない。周りの方々は仲間がいて楽しげである。彼我(ひが)の違いはどこにあるのだろうかという思いでした。それは、たとえ、その食卓がどんなに立派であろうと、主を心の中に迎えていなければ、その食事は単に肉体が動いているだけであって、すなわち「死人」の動きに過ぎないのではないだろうかという素朴な思いでした。もともと信仰からは縁遠い者であった私が、そのような行動を取ったのもキリストの復活を通して与えられた霊的な効力の一例なのではないだろうかと思い、敢えて、今日の引用の前に「私見」を書かせていただきました。

 死人をその足で立たせようとした、ある昔のローマ人の話が伝えられている。彼は、むだな試みを何度もくり返したが、とうとう愛想をつかして投げ出してしまい、こう言った、”Deest aliquid intus"ーー「ふぬけめが!」。死体に必要なのは、支柱ではなくて、新しいいのちである。新生していない人に必要なものも、目新しい人生観ではなく、内的な動力でなければならない。

 この必要な動力は、キリストにおいて供給されている。神のいのちが死の力を殺し、キリストを墓から復帰させたように、それは、私たちすべての中に働いている罪の力を殺してくれる。イエスの復活後にも、死はこの地上から姿を消してはいない。しかし、いまや私たちは、それが打ちのめされた冥加の尽きた敵であり、その運命をのがれることのできないものであると言うことを、知っている。キリストが死を征服されたので、それはもはや無敵ではなく、最後には完敗を喫しなければならないのである。罪は依然として私たちにまつわりついている。私たちから除去されてはいない。しかし、復活のいのちは、その力を中性化させて、私たちを新しい者とすることができるのである。救いとは、単なる死体の改善ではなく、復活である。

 それだけではない。新生以前に絶やされた一生命の生き返り以上の、全く新しいいのちの創造を意味するものである。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(第二コリント5:17)。新しい動機、新しい習慣、新しい見方、新しい欲望ーーすべてが彼の内に創造され、彼は、新しい活動に従事し、新しい目標に向かって前進する者となるのである。パウロはしばしば、「新しい人」という言葉を口にする。それは、復活の力が彼の内に作用して、その人格を全く新しい内容のものとする、ということを意味している。

 この力は、ある人たちに対しては、直ちに、目をみはらせるような効果を現わす。だらしのない無知が、旺盛な知識欲に道を譲る。無愛想な自己主義が、犠牲的な愛に変ぼうする。道徳的面での腐敗は、清潔に変身し、不正直は廉潔になる。その人の存在がすっかり別のものになったのであるから、彼の変化をだれもが認める。

 他の人々の場合は、その効果がこれほど目を引くものではないかもしれない。しかし、だからと言って、それが現実的でないというわけではない。常にある体裁を保ってきたために、外的行為に急激な変化が認められることはないであろう。しかし、与えられたいのちに相違はない。過去に犯した罪からであろうと、未来に犯すかもしれない罪からであろうと、救いの力と不思議さと純粋性とに、相違のあるはずはない。復活の効力は、その人の霊性の実りによって明らかである。

 新生によってこのように新しい人が創造されるとすぐに、その人は、自分が生活の新しい場を必要としていることに気がつく。ひよこが、孵化の瞬間、殻を破って、外部の光と空気の世界に出て来るように、キリスト者は、魂にキリストの復活の力を受けるとき、新しい生活の場にその足を踏み出すのである。ローマ人への手紙六章は、この点を、罪に対して死んだ者はもはやその中に生き続けることはできないという表現によって、明らかにしてくれる。なぜなら、

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ6:4)

 復活した人は、復活のふんい気を必要としている。わしが、家禽(きん)といっしょに納屋の前庭で遊ぶ生活に満足できず、山の高峰や、空気も希薄な光り輝く大空に舞いかけるように、私たちも、ひとたび罪の死のさまから起こされると、罪深い交際や環境に満足できなくなるのである。私たちは、神に向かうように起こされたのである。

2024年4月18日木曜日

復活の効力(1)霊的な効力(上)

沢ぐるみ 蛙(かわず)啼く声 聞きおりて
春はいよいよ本番である。あらゆる植物が一斉にそれぞれの開花へと向かっている。桜はまだまだその前哨戦であり、その大旗手だったのかもしれない。水量たっぷりの川を眺めながら、様々な草花の成育を身に感じながら今朝も散歩に励んだ。それだけでなく、今夜の雨をすでに予見するかのように、川辺であろうか、どこからともなく、蛙が快い啼き声を聞かせてくれた。

今日以降の復活の記事は正直言って、私にとって、理解するのに困難を感じた。それで予定を変更して、違う記事に差し替えようかと何度も思い、最後まで迷った。しかし、自然界の新生命の誕生に立ち会っているこの季節こそ、「復活」を考察するには最適だとも思い、何とか踏みとどまった。火曜日には私どもの孫である新生児のその後を見舞ってきたばかりで、こちらの方の体験は、まさに霊の人の誕生の仔細を説明している下記の文章を理解するには役立った。新生児は生まれ出たこの世に適応する全てを獲得していたからだ。耳があり、目があり、手足を力一杯動かしていた。まさに新生命そのものだった。


一 霊的な効力

 復活の力の第一義的価値は、私たちからすれば、その霊的な面における効力にある。しかし、こういうことは、実際の歴史的事実性を否定するものではない。エペソ人への手紙一章十九、二十節のパウロの祈りには、こう書いてある。

神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて・・・。(新約聖書 エペソ人への手紙 1章19〜20節) 

 この祈りは、未来ではなく、現在の経験を豊かにするためにささげられたものである。この聖句によると、キリストの復活は、驚異の念をいだかせても実用には不向きであると考えざるを得ない、博物館のこっとう品のような、私たちの現実生活には関係を持ちえない孤立したできごとではない。そうではなく、復活は、神のいのちの、この物理的世界における具体的効力の証明であり、ひいては、現世において、おもに霊的な世界の生活に適用されるものなのである。新生は、霊の人の復活にほかならない。神の働きはここから始まるのである。

 新約聖書には、多くのたとえが、新生の説明に使用されている。ヨハネは、生物学的な誕生を例とした。その福音書三章には、イエスがニコデモに語られた言葉が、次のように引用されている、「あなたがたは新しく生まれなければならない」(7節)。幼児が、無条件の潜在性を持ち、またその形成にあずかって力があるいろいろな影響力に耐えうるものとして、肉体の世界に生まれて来るように、私たちも、新しい世界での各種の新しい接触に耐えうるものとして、霊の世界に足を踏み入れるのである。ペテロも、この思想を反映させ、特に復活とそれを結びつけて考えている。

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。(1ペテロ1:3)

 生まれ変わりは、復活ときわめて重大なかかわりあいを持っているのである。

 パウロも多くのたとえを使用している。彼はキリスト者に対して、「古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てる」こと、また、「造り主に似せられてますます新しくされ、真の知識に至る」ことを勧めている(コロサイ3:9〜10)。ここでは、以前の生活が、どうしても新しい着物と取り替えられなければならない古い着物にたとえられている。パウロはまた、テサロニケ人たちが「偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになった」とも言う(第一テサロニケ1:9〜10)。更に、疎遠だった人々の和解、子としての身分を得ること、法的に義とされること、という表現をも使用する。これらのたとえの一つ一つは、救いのある面を表わすものである。しかし、彼が最もよく使用しているのは、復活のたとえである。新生していない人は死人ーー意志を伝えることも、反応を示すこともできず、また自分のために何をすることもできない死人ーーにたとえられている。

あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、ーーあなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。ーーキリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペソ2:1〜6)

2024年4月17日水曜日

復活の効力(序)

往く春や 白さも白し 花ありて
今年のイースターから日を数えてみると、今日は十七日目になる。イースターの日に青春18切符で、東海道線の鈍行に乗り、西下した。その際(長い乗車)時間潰しのために、一冊の薄い本『キリストの復活』(1962年初版)を携行した。少しずつ読んでいったが、中々難解であった(※)。しかし、こうして読み進めていってみると、著者はいったい何を言わんとしているのか、最後まで読み通したいと思うように変えられていった。二章「復活の予測」は後回しにし、先ず四章「復活の自由」を読み、その後一章「復活の事実」、三章「復活の信仰」と読み進めてきたが、今日から五章「復活の効力」という題名の個所を読んでみることにする。

考えてみると、イエス様は使徒の働きの以下の記述

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。(使徒1:3)

によると、復活後四十日間、姿を現されたことがわかる。その伝にしたがい、今の時間に当てはめると、まだまだ主はご健在なのだ。なぜなら今日は十七日目だから。まだ復活後の生活は二十三日間続き、生きておられることになる。いよいよ、主の復活の意味をメリル・C・テニー氏の記述に従って考えていきたい。以下は五章「復活の効力」の序文である。

 私たちのほとんどは、復活を、今ここに存在する現実とはおよそ無縁なある事、と考えている。それは、時の功で今では、美しいが現実的ではない、ほとんど伝説的になった遠い昔の一事件、または、現世という地平線のはるかかなたに想像することさえ容易に許さない、未来をひたすらに望ませる、一個の信仰箇条といった程度のものとされている。しかしほんとうは、キリストが、歴史の一点で、死人の中から復活されたということは、神が私たちの中で今日に至るまで及ぼし続けておられる力についての、人間に対する最もめざましい例証にほかならない。それは、形式においては、私たちの現在の経験を越えたものである。しかし、質においては、異なるものではない。客観的に表現するとすれば、私たちはそれを、次のようなものであると信じている。すなわち、それは、キリストの人格において立証された時間とともに変化することを特徴とするもので、キリストにあって死んだ者がよみがえるいつの日にか、再び現わされるものである。しかし、主観的に言えば、その力は、今ここで、ありふれた生活条件の中で、いくらでも手に入れることのできるものである。

※この本は私が1970年、洗礼を受ける前に、買い求めたもので、自分がどの程度理解したのか覚えていない。いや、理解できていなかった。それから程なくして結婚に導かれている。結婚相手は何よりも私の洗礼を願っていた。私の洗礼は、結婚条件を満たすための滑り込みセーフの洗礼であった。そういう意味では、このわずか91頁の小冊子(定価100円)は、当時の私がキリスト信仰について右も左もわからないまま、とにかく「真理」を飲み込んだ本である。ただし、この本は当時のキリスト者が信仰良書選のトップバッターとして出版したくらいだから、かなり信頼のおける本ではなかったかと思う。

神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて・・・。(新約聖書 エペソ人への手紙 1章19〜20節) 

2024年4月16日火曜日

復活の信仰(4)卓越性に対する

メリル・C・テニーの『キリストの復活』は第3章として「復活の信仰」を四つの点に分けて、すなわち、1(キリストの)約束に対する信仰 2(キリストの)人格に対する信仰 3(キリストの)目的に対する信仰 4(キリストの)卓越性に対する信仰を表しているが、今日の個所はその最後の個所である。

その「卓越性」にちなんで、「卓越」とは何か、考えてみたが、身の回りにその例がないことに思い当たり、これは困ったわいと思わざるを得なかった。かろうじて大谷翔平氏が卓越したホームランバッターであったことや、富士山が日本一高い山であることはわかったが、それ以上考えが進まなかった。ましてや春の風物でそのようなものを見つけるのは難しかった。ただ道沿いの、あるお宅の庭に芍薬(しゃくやく)が見事に咲き揃っているのには、目を見張らされた。カメラに収めたかったが、「盗撮(?)」の恐れゆえ遠慮した。その代わり空を見上げたら、今夕の空は三様に分かれており、その一部の雲を見上げているうちに、自らの「卑小さ」を示された。卓越性を知ろうとする前にまず己の卑小さを認めよと神様から言われているような気がして随分楽になった。未だかつて死を克服した人間は誰一人としていない。それを成し遂げられたイエス・キリストの卓越性に私たちはもっともっと目が開かれる必要があるのではないか。以下、メリル氏の論述に耳を傾けたい。

四 卓越性に対する信仰

 彼が今も生きておられるとすれば、私たちは彼をどのように評価するであろうか。その死と復活とによって、彼が人々の救い主であり、私たちすべての運命を解くおかたであるとすれば、私たちは彼をどのように遇するであろうか。 

 彼は、私たちの思考の中心に置かれなければならない。時代から時代へ、人々は、宇宙のなぞを解こうと努力してきた。私たちはどこから来たのか。私たちはなぜ今生きているのか。そして、どこに向かって進んでいるのか。これらの問題にはっきり答えうるおかたが、ここにおられるのである。彼は、ご自分が神から出て来たこと、神のみこころをなそうとしていること、また、神のみもとに帰ることを知っておられた。そのようなかたとして、彼は私たちに、人間は神によって創造されたのであり、それも神に奉仕するために造られたのであり、また、彼は御自ら備えに行かれる場所を彼らにわかち与えられる、と教えられた。私たちの生活の秘密を解くすべてのかぎは、彼の腰帯に下げられており、彼との関係に入れられるとき、私たちは、困惑の種にことかかないこの世界での、自分の正しい位置を、見いだすことができるのである。彼は、私たちの人生観の主位を占める価値を十分に持ちたもうおかたである。彼こそ、「死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです」(コロサイ1:18)

 彼は、私たちの生活の中心におられなければならない。ひとりの人物を、私たちすべての者の行為の模範とし、また、私たちすべての者の倫理の基準とするのは、おかしく思えるかもしれない。しかし、そのことは神の御定めなのである。「神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによってこのことの確証をすべての人にお与えになったのです」(使徒17:31)。復活は、神が彼を全生活の基準として承認しておられたことの確証である。私たちは、神のさばきの座の前で、彼によってさばかれ、量られるのである。

 したがって、復活によってイエス・キリストは、他のあらゆる指導者と区別される。彼らは、神および義務について、また、外なるあるいは内なる世界について、多くのことを語りえた。その多くは、賢明な、価値あるものではあったが、その言葉をもってしては、私たちの人生の秘義はついに解かれなかったのである。しかし、人々が議論を沸かせていたとき、彼は事を実行された。人々が人生の意味を論じていたときに、彼は死からよみがえられた。このようにして彼は、信仰の確実な基礎を提示しておられるのである。「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです」(ヨハネ14:19)。

 物議をかもしだすかもしれないが、この途方もない事実は、私たちの反応を待って、今も私たちの面前に置かれている。私たちの態度は、信仰か不信仰かのいずれかである。この際、他の立場をとることはできない。そして私たちの運命は、この選択にかけられている。みことばは言っている、「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:9〜10)。きょう彼を信ずる者となっていただきたい。彼は、私たちの罪のために死なれた。しかし、私たちのために取りなし、私たちをささえるために生き、また私たちをご自身のみもとにおらせようとして、再臨の時を待っておられるのである。

「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(新約聖書 コリント人への手紙第一 15章55〜57節)

2024年4月15日月曜日

復活の信仰(3)目的に対する


年甲斐もなく、家の近くを走っている列車を、待ち構えて撮った。東武沿線に住んでいるので、鉄道マニアがよく線路沿いの柵にへばりついてはカメラを向けておられるのを何度も拝見してきた。まさか自宅において自分がそれらの人となるとは思いも寄らなかった。先週水曜日に日光に出かけたが、それはそれで目的を果たせたが、土曜日に「新美の巨人」という番組で「春の旅、日光江戸の美」とあったのでいったいどんな日光の風景を写しているのだろうかと期待して見た。ところがその番組名には続きがあった。「列車東武鉄道スペーシアX」とあったのだ。うっかりこれを見落としていた。だから、私の期待に反したものであった。第一「青春18切符」利用の日光行きとスペーシアX利用の日光行きとは土台、出発点からして条件が違っていた。

もちろん、かと言ってその番組を見たことがそもそも全面的に無駄だったわけではない。私の知らない世界を知ることができたのは有益であった。それだけでなく、次男の勧めもあって日曜日の夜には情熱大陸という番組で「特急やくも箱根遊覧船斬新なデザインと内装」という番組まで視聴するハメになった。スペーシアXにしろ、特急やくも箱根遊覧船にしろ、様々な社会の必要を考慮しながら、作品は誕生しているのだ。デザイナーはその一翼を担っているのだと理解した。

イエス様は目的をもって、33年というその短い人生を終えられた。しかし、そこには〈復活〉という大きな目的があった。その目的はすべて私たちのためであった。短いながらも下記のメリル・C・テニー氏の叙述はそのことを明らかに示している。

三 目的に対する信仰

 イエスの地上の生涯は、短くはあったが、目的とかみ合わされていた。その目的を彼は、弟子たちがあの偉大な告白によって、彼をメシヤまたは神の子として見るという態度を確立したすぐあとで、彼らに宣言された。「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえられなければならないことを弟子たちに示し始められた」(マタイ16:21)。彼の言葉づかいは、死と復活とが彼の生涯の主要目的であるということを明らかにしている。同じ印象は、福音書全体の構造からも感じさせられる。と言うのは、彼の生涯の最後の一週だけに、記者たちの叙述の三分の一がさかれているからである。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(マルコ10:45)。

 彼は、ご自分の死が、人間の運命に独特な効果を及ぼすということを教えられた。だが、彼の死が、道徳的な価値において、他のいかなる宗教の教師の死よりも大きいのはなぜか。同じ事は、ソクラテスについては言えないのだろうか。彼はその命を、人類の進歩とアテネの青年の利益になるように、ささげたのではないか。イエスがただ死なれただけであったなら、その死は、殉教者の死、または時代に先んじた一預言者の悲劇的な最後と受け取られたであろう。しかしそれでは、罪人の救い主のあがないの死と呼ぶことはできないのである。あがないは、死んだ者の価値に基礎を持つものであって、死の事実によるものではない。そして、復活によって証拠だてられるような彼の人格の特異性こそ、彼の死が単なる英雄的行為ではないということを、はっきりと立証するものなのである。「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」(ローマ4:25)。 

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(新約聖書 エペソ人への手紙2章8〜10節)

2024年4月14日日曜日

復活の信仰(2)人格に対する

川堤 ひときわ目立つ 八重桜
今夕は暑くもなく、寒くもなく、散歩には好適で、吹く風に揺られては、ひらひらと舞い降りる桜吹雪の中を、なぜかまるで王朝の貴人になった思いで歩けました。川堤は徐々に葉桜に移行しているのが遠目にもわかりました。そんな中で対岸にひときわ、赤い花木の群が目立ちました。何の花だろうと橋を渡って近寄りましたが、ご存知「八重桜」でした。蕾がたくさんあり、これから立派な花びらを見せてくれるのでしょうか。八重桜には「風格」がありました。「風格」に惹かれて重い足を引きずって近寄った甲斐がありました。

さて、「復活の信仰」は、前回の「イエス様の約束に対する信仰」に引き続くもので、「イエス様の人格に対する信仰」とは何かを明らかにしています。風格ならぬ、人格にあらわれたイエス様の真骨頂を味わいたいものです。

 二 人格に対する信仰

 イエスがほんとうに死からよみがえられたのであれば、その事によって彼は、すべての人と区別されるべきである。確かに、死から蘇生した人は数多くいるであろう。しかし、記録で知られるかぎり、死後、イエスのようにその力を及ぼしえた者はなく、また、自分は死後、自らの力によってその生命を再び手に入れる、と主張した者はない。ひとりとして、自分の復活を予告した者はないのである。彼らが個人的に予期していたところからするかぎり、死からの復活は、彼らの生涯の完成を意味するものでも、予告しうるたぐいのものでもなかったのである。イエスの場合だけは例外であった。彼は死と復活のことを、友人の家庭を訪問する計画を果たすときのように、平静に、しかも確実な事として語られたのである。

 旧約聖書の預言者の中には、イエスよりも長い説教の記録を残している者が大ぜいいる。また、量的な基盤に立てば、ユダヤ教の歴史の中で、イエスと少なくとも同列視される者もかなりいた。そのある者は、キリストの奇跡に匹敵する、幾つもの奇跡を行なった。それで人々は、イエスのことを、「エリヤ」か「あの預言者」ではないかと、いつも尋ねていたのである。なぜ彼だけが、イスラエルの預言者たちの偉大な相続人の中で、特に例外とされなければならないのであろうか。

 答えは、彼自身の弟子たちの言葉によって知られるであろう。彼らも、預言者について親しく学んでおり、今日の私たちと同様、その言葉や意義を疑問視したことはない。彼らは、預言者が強大な勢力を持っていた国土、また、過去一世紀の私たちと違って預言者の時代以来文明にたいした変化のない国土に生きた者として、イエス以前のすべての預言者の主張とイエスの主張とを、非常に公正に査定することができたにちがいない。彼らはまた、イエスが、殉教の死を遂げた預言者たちとは違う最後を遂げられるとは思っていなかったであろう。彼らは、イエスの予告にもかかわらず、彼が死からよみがえることについて、針の先ほどの期待も持っていなかったからである。ところが、弟子の集団の中で最も信仰に動かされにくい、最も悲観的なトマスでさえ、復活のイエスを見たてまつり、主はまことに生きておられると悟ったとき、「私の主、私の神」と叫ばざるを得なかったのである。この言葉は、彼が、ナザレのイエスの内には他の預言者たちには望みえない神性が宿っているということを確信して、口にしたものである、と考えないかぎり、ユダヤ人の言うはずのない言葉である。パウロによれば、キリストは、「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方」(新約聖書 ローマ人への手紙1章4節)である。彼が死の手に拘束され続けることは、不可能なことであった。死は彼に対して、なんらの権利も持たないからである。彼は、ちりにとらわれていることがおできにならないのである。

2024年4月13日土曜日

復活の信仰(1)約束に対する

アヴィニヨン橋 2006.11
今日の写真は随分昔の過去ものを選びました。パリ在住の次男に連れられて、南仏まで旅した貴重な写真の一つです。この橋を撮影するため三枚撮っていましたが、この最後の写真には鳥が数羽写っていました。今の私ならば飛び上がらんばかりに喜んだでしょうに。橋はどうしても向こう岸まで届いていなければ、橋にはなりませんね。そこには隠された歴史事情があるのでしょうが、私には約束が空約束に終わった象徴だと勝手に読み込んでいます。イエス様の約束は果たしてどうなのでしょうか。

1 約束に対する信仰

 歴史を見ると、多くの指導者たちが口約を事としてきたことがわかる。そのあるものは成就されたが、他のものは不履行に終わった。イエスが現われて、教えをたれ、説教をし、いやしの奇跡を開始されたとき、その国の指導者たちは、彼に対してまゆをひそめた。彼はいったい、どんな権利があって民衆の指導者になろうとしているのだろうか。イエスに集まる人気をねたんで、彼らはついに、彼の信任状を人に調べさせた。

 イエスは返事として、一言、次のように答えられた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」(ヨハネ2:19)。(彼の敵対者たちは、言うまでもなく、彼を誤解した。彼らは、イエスがエルサレムの丘を飾る神殿をさしてそういわれたのだと思ったのであるが、彼が語っておられたのは、ご自身のからだとしての神殿のことだったのである)

 また他の機会に、彼らがイエスにしるしを求めたとき、彼はこう答えられた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです」(マタイ12:39〜40)

 このように彼は二度にわたって、ご自分の復活を、自分の身分を保証するものとして、無条件で、ご自分が死の中から再びよみがえって来ることを約束されたのである、

 もし彼がこの途方もない約束を履行されなかったとすれば、私たちはすぐに、彼に対する信仰を投げ出してしまうであろう。それが条件付きの結局その場限りの予報であったなら、条件がぴったり合わなかったというような苦情を申し立てることもできたであろう。ところが、彼が二度までも、このできごとを自らその使命の至上の証拠また象徴と見る、と断言されたところからすれば、私たちは、彼の全約束に対する信仰はこの特殊なできごとの真実性に根ざしていると言うことができるのである 。

 この信任状の主要性は、信仰を否定する世界の人々によっても承認されている。フランスの啓蒙期時代のことであるが、ひとりの男が、皮肉屋で無神論者のタレーランのところに来て、「わたしは新しい宗教を広めようと思っているのですが、首相としてのあなたの署名をお願いできませんか」と言った。彼はまた、自分の宗派のために、どうしたら大衆の支持を獲得することができるか、知恵を貸してほしいと頼んだ。そのときタレーランは「わたしならあなたに、自分を十字架につけ、三日目によみがえってみせることをお勧めしますね」と答えたと言われている。そうすることができれば、彼の成功は疑いなしだと言うのである。その人にそれをなす力がなかったことは言うまでもない。そして彼の新宗教は、そのまま忘却のかなたに流されてしまった。しかしイエスはまさに、死に、そしてよみがえられたのである。また、彼の約束は、彼が生きていたもうことによって、今でも効果を期待することができるのである。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。(新約聖書 ローマ人への手紙4章20〜21節)

2024年4月12日金曜日

復活の信仰(序)

川堤 桜桜に 埋められて(※)
今年の桜もそろそろ見納めの時期を迎えているのだろうか。花びらが無数に撒き散らされ、地面に帰って行く。そのような潔(いさぎよ)い花の姿は、私たち人間の良き見本である。林芙美子は「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と女の一生に投影したということだ。しかし、果たしてそれだけであろうか。『キリストの復活』と題されるメリル・C・テニー氏の著作は第三章として「復活の信仰」を述べている。引き続いて、聖書から「復活」の意味を教えられたい。


 ある美しい夏の日に、ひとりの男が、とあるりんご畑に寝ころんで、過ぎ行く雲の流れを目で追っていた。ちょうどそのとき、近くの木からりんごが落ちて来て、危うく彼は、もう少しで顔をやられるところであった。このような事は、異常なできごとと呼ぶにしては、確かに、あまりに平凡すぎる。りんごは、この男の生まれる前から、何千何百万となく落ち続けて来たからである。しかし、この場合のりんごの落下は、いささか特別であると言うことができた。と言うのは、それをきっかけとして、アイザック・ニュートン卿は、今日私たちが物理的世界の理解の基礎を構成すると考える偉大な物理学の諸法則を、幾つか公式にすることができたからである。果実の落下という事実に違いがあったのではない。しかし、ニュートンの鋭敏な頭脳は、この事実の背後には何かがあるということを見抜き、また、それと関連性を持つ諸原則を慎重に分析して、彼なりにその意義を解明させたのである。

 復活の事実は、物理学の諸法則の公式化を促した事実よりも、はるかに意義のあるものであるということを思えば、私たちは、その意味の解明をなおざりにすることはできないのである。確かに、事実は偶然に発生するものではない。それらは、背後にあってそれらを支配する原則、勢力、力を物語るものである。もし、キリストの復活という驚嘆に値するできごとが現実に起こったのであるなら、それは、その発生事実の背後で、その時まではわずかしかあるいは全然証拠を確認することのできなかったある新しい力が、実は世界に作用しているのだということを、意味するものでなければならない。更に、その事実に公正な解釈を施そうとするなら、私たちは、その事をしるす記録と、その事実に基づいて発生した教えとに手がかりを求めて、解釈に誤りのないようにしなければならない。復活は、イエスの人格と不離不即の関係にあるゆえに、彼を連想させる意義を持っていると思われるからである。

 パウロは、復活の事実は、キリストの人格に対する信仰を要求するものであると言っている。確かに、そのようにしてよみがえった者がいるとするなら、それがだれであれ、彼を人類一般の伍列に置くことは、妥当ではない。もし彼が、他の人々と違い、死を征服されたという点で、彼ら以上の人物であるとすれば、彼は、私たちがその指導に服することを求め、また、私たちが彼に最高の忠誠を誓うことを要求する権利を持たれるのである。復活は、私たちの信仰に、どのように挑戦しているのであろうか。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/03/blog-post_28.html 

もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(新約聖書 第一コリント人への手紙 15章17節)

2024年4月11日木曜日

閑話休題

「石」を図案化した街灯から山並を仰ぐ(鉢石町)
 昨日は、この写真の左側にある山を綺麗に撮影したいと思って出かけた。私のところから中々見られないので、是非近くで撮影したいものだと胸膨らませて出かけた。ところが、近づいても肝心の山頂にはなぜか雲が常につきまとい、残念ながら撮影できなかった。代わりにその右側のこの山容で我慢しなければならなかった。

 もう一つの期待があった。それは昔お世話になった家をもう一度訪ねて見たいという思いだった。駅から上り勾配の大通りを、かつて路面電車が走っていたころを思い出しながら、歩いたが、すっかり往来が変わっており、こちらの記憶も定かでなく、中々場所がつかめなかった。17年前にこの家の最後になる方の葬儀に来た当時(※)とはすっかり変わっていたのだ。やむを得ず、往来の図書館にはいって、司書の方のお手を煩わせることになった。おかげで場所はすぐ知ることができたが、お家はすっかり新しくされていて、昔の面影はなかった。また、突然お訪ねしたので、玄関先で短く挨拶をして帰って来た。

 途中、多くの外国人観光客と混じって、歩きに歩き、何度も上り下りしたが、ほとんど疲れを感じなかった。手元のApple Watchが普段のエネルギー消費量の倍だと表示を出したのに驚いたくらいだった。もう少し長くいたかったが、昼間の晴れ間が少しずつ崩れ、雲が空を覆うようになり、ひんやりして来たので帰宅を急いだ。そう言えば山岳のこの地の天気は崩れやすかった覚えがある。

 こうして我が「消化切符」の一日は終わった。終えてみて、この地を選んだ思いを改めて問わざるを得なかった。そして、自分自身がこの地から遠ざかることはあっても、決して近寄ろうとはしなかった過去の自らの所業に気づかされた。しかし、そんな私の忘恩の態度にも関わらず、今はいないこのお家のお一人お一人の愛を受けて、今の自分があるのだという感謝であった。

 1966年(昭和41年)夏に、関西からはるばるこの家に泊めてもらいに来て、教員採用試験の準備をし、受験し、合格できた。それは元々、私の実家から、この地の酒屋に嫁いだ方がいるという、家が取り持つ縁が始まりだった。血は通ってはいないが、そんなことはお構いなしに関東に不案内でかつ滋賀の田舎者を手厚くもてなしてくださった恩を新たに感ずることができた。  

 そして全く不思議なことに、それはこれとは無関係に、家内がまだ私を十分に知らないときだが、翌年の1967年(昭和42年)の夏にこの地の山裾の奥地にある湖のもとで行なわれたバイブルキャンプにやはり関西から出席して、彼女の人生を180度変えられていた。いやー、それだけでなく、江戸時代、彼女の出身地の滋賀県犬上郡甲良町の甲良豊後守(こうらぶんごのかみ)・宗広(むねひろ)がこの地の社殿の棟梁であったことを思うと、この土地が私たちにとって特別縁の深い土地だったと思わざるを得ない。

 私はかつての自分が、人を恐れ、神を愛することなく、この家の人をふくめ「後退(消極)の人生」を送ってしまったように思えてならない。そうではなく、いつも置かれている環境の中、精一杯、神を愛し、人を愛するように、今更でもないが「前進(積極)の人生」を歩ませていただきたいと思わされて帰って来た。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/01/blog-post_28.html

ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが、主のご計画にあずかったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(新約聖書 ローマ人への手紙 11章33〜36節) 

2024年4月10日水曜日

復活の事実(6)

「消化試合」という言葉がありますが、私にとって今日は「青春18切符」の使用期限最終日でした。合計5枚の切符は、この日までに未使用のまま2枚残していました。そのため、今日はこのJR一日乗り放題の切符を有効に使いました。言うならば、私の「消化切符」でした。写真はその帰りに車窓から写したものです。実は行き帰りとも車窓から見えたのは次々と展開してやまない沿線の桜並木の美しさでした。残念ながら、私の脳裏に残っているだけで写真には収められませんでした。ただ、振り返って見ると、今日の列車旅行の目的地は私にとってやはり記念すべき土地でした!

ところで、今日の「復活の事実」は同項目の最後のものとなりました。読んでいただくとお分かり願えると思いますが、後半に著者が指摘する三つの指摘はたいへん重要だと思いました。言うならば、この指摘は消化試合的なものでは決してありません。全力投球的なものです。是非、丁寧にお読みくだされば幸いです。

五 不本意な人たちによる証言

 復活の事実が、指導されることによってあるいは感情的な傾向によって、信ずる方向に導かれた人々にのみ、弁護されたのであれば、私たちはそれを希望的思考の所産とすることもできよう。しかしながら、過去の経歴や性向からしてそれに反発するような人々が、その真実さを承認しなければならなかったとしたら、私たちは、いっそうそれを信ずべきである。

 まだ古い話ではないが、フランク・モリソンという名で、「石を動かしたのはだれか」と題する本を著した人がいる。彼はそこで、イエスの生涯の最後の一週間を、分析的に論じている。彼は、復活に対する信仰の幻想を打破するという目的を、誓いをこめて立て、研究を始めた。その証拠を詳細に検討するならば、この信仰の愚かしさは、おのずから立証されるであろうと考え、聖書の霊感というようなことは意にも介さず、純粋に合理主義的な立場に立って研究を進めたのであるが、四福音書の証拠は、他のいかなる重力の作用もなく、彼を、出発したときの目的とは正反対の結論に追いやったのであった。彼はすべての事実を綿密に調査したのち、次のような説明をしている。

 そしてやはり、著者の考えるところによれば、どうしても、使徒信条の中で非常に論議された「三日目に死よりよみがえり」という文句には、非常に意義深い歴史的根拠があると考えられるのである。

 この証言は、十八世紀のギルバート・ウェストや、他の著者たちの経験とも、合致するものである。このようにして、キリスト教信仰に敵対的であった人たちが、この最も信じにくいとされている奇跡を信ぜざるを得なかったとするなら、私たちの信仰が単なるお人好しの果実であると、どうして言うことができよう。

 しかし、復活が事実だとしても、それがなんだ、と言う人もいるであろう。言うまでもなく、日が夜に続くように、復活には確かに、ある必然的結果が伴っている。

 第一に、もしイエス・キリストが、週の最初の日の朝、生きて墓からよみがえられたのであるならば、彼は、きょうも生きておられるのである。私たちは、単に、十九世紀前に英雄的な死を遂げた一人物の理想化された記憶を胸にいだいているのでもなく、また、教理体系の複合体を擬人化させて礼拝しているのでもない。彼はきょうも生きておられるのである。そして、世界における彼の事業は、今日においても、着々と進められている。目には見えないが、彼は決して非現実的ではなく、依然として人間の人格形成に携わっておられ、また、形あるものとして私たちとともにおられるわけではないが、依然として、指導と教えとに当たっておられるのである。

 第二に、復活によって、彼は他のすべての人とは違うことが主張されている。他の人たちは、よい生活を全うしたであろう。しかし、彼らの徳が神に喜ばれたということが、復活という形で公認されたことはない。他の人々は、英雄として死を全うしたかもしれない。しかし、その英雄行為は悲劇に終わった。それは、墓にのみ込まれたままだからである。他の人々は、偉大なことを約した。しかし、まだその約束を履行しないうちに世を去った。だが、キリストについては、「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された」(ローマ1:4)と言われることができたのである。彼が他のすべての者にまさる永遠の優越性を保持されるおかたであるということは、ただこの一つの偉大な勝利によって確立されている。

 最後に、私たちは彼に対するのに、生けるおかたに対するようにしなければならない。私たちは、歴史の地平線のかなたで姿をかき消してしまったかたの理想に忠実な者となることを求められているのではない。また、律法の定めによって罪のゆるしを求めているのでもない。ある運動や機構に奉仕しているのでもない。審判のときに、一束の倫理的な教条に対決させられているのでもないのである。「あなたはわたしを愛しますか」ーーこれが、よみがえられたキリストの、ぐらついた弟子に対する質問であった。それは、全人格を傾けて忠誠を誓いなさいという呼びかけである。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(第一ヨハネ1:9)「わたしは社会で、何をすることができますか」というようなことではなく、「あなたはわたしに何を求めておられるのですか」ということこそ、新回心者の問いでなければならない。また、「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです」(使徒7:31)ということは、確実な未来に対する展望である。

 ヨセフの庭園の、からになった墓という、この途方もない、しかし最もよく認識された歴史の事実から、キリスト教の核心をなす教えであり、また、死に脅かされている世界に対する永遠の希望である、よみがえられたキリストに対する動的な信仰が、生まれて来るのである。

2024年4月9日火曜日

復活の事実(5)

花曇 桜下の詩歌 誦じる
今日は、天気予報どおり、朝からすごい雨、風である。それを見越して昨日は古利根川沿いの桜並木を、花見を兼ねての散歩に励んだ。日曜日ほどではないが、たくさんの方が桜の木の下で、それぞれ思い思いに筵を延べては舌鼓しつつ会話に興じておられた。また、いつもになく、キャンバスに向かって絵筆を走らせる方々が数人おられた。もちろんカメラを手にして桜を懸命にとらえておられる方があちらこちらに散見された。当方も一枚だけ撮影した。改めて桜の花びらの麗しさにうっとりさせられた。やはり桜は日本の至宝である。
『キリストの復活』の証言は続く。タイミング良く、某大学の入学式の様子をYouTubeで拝見した。院長なる方が、新入生に、平易な言葉で「世の光、地の塩」たらんことを期待する告示を述べておられた。このミッションスクールの存在も、言うならば、本日の四 教会の起源の証言にふくまれると言えなくもない。

三 殉教者の証言

 証言は、価値という観点から言えば、決して証人の人格を上回るものではない。この点で、これらの証人たちは、どれほど確固としたものを示すことができたであろうか。彼らのあかしを掲載している記録そのものは、彼らが、復活が芽ばえさせた信仰のために、あらゆる窮乏に耐えたことを物語ってくれる。石うち、むちうち、投獄、国外追放、貝殻裁判、財産没収など、あらゆる種類の虐待が彼らの分け前であった。しかもこれは、彼らの説教の受動的な効果、彼らが予期せず、その前から逃走しなければならなかったような一つの結果だったのではなく、まさに、彼らが慕い、その所信を宣べ伝えるために、当時の官憲の面前で公然といどんだ戦いだったのである。

 しかし、これに対しては、彼らは他の場合と同様狂信者だったからしたまでで、狂信者であれば、事実の裏づけを持っていようといまいと、どんなことでも主張することができたのだ、という反論が申し立てられるかもしれない。まさしくしかりである。しかし人は、自ら真理と信ずる虚偽のためになら死んでも、自ら虚偽であると知っていることのためには死なない。もしイエスが決して死からよみがえられなかったのなら、彼らは、その事を知る機会に何度か巡り合っていたと思われる。イエスのからだが十字架からおろされてから七週間たったときに、彼らはエルサレムの町で、このイエスがよみがえられたことを大胆に説き、しかも、この主張のために、生命と自由と名声とのいっさいをかけていたのである。歴史の記録の中には、イエスの敵が彼のからだを作製したとか、また、その敵対者たちが、そのからだは依然として墓の中にあったのだということを証明する具体的な証拠を持っていたとかいうことをにおわせるものは全くない。もし、イエスの友人たちがからだを移動させたのであれば、それをにおわせるようなうわさが、線香の火花ほども立たず、イエスに最も身近な従者たちの説教を脅かさなかったというのは、どういうことであろうか。彼らは、復活を宣べ伝えるとき、その不正直によっていっさいを喪失しても、得るところは何もなかったのである。彼らが虚偽だと知っている事を故意に宣べ伝えたのだと信ずること、あるいは、彼らがその名声、同郷人の中での立場、また自由のすべてを、このある不確実な事のために犠牲にしたのだと信ずることは、イエスはよみがえられたという彼らの主要な主張を事実として承認することよりも、より大きな努力を要するものである。

四 教会の起源による証言

 キリストのからだごと死からよみがえられたかどうかという問題に対する態度とは無関係に、キリスト教会の存在は、すべての人の承知しているところである。歴史家、不可知論者、キリスト者のいかんを問わず、教会が十九世紀という長期間にわたって、社会、経済、政治、宗教的な世界の動きに、強力な影響力を及ぼしてきたことについては、異論がない。そして、この種の精神的運動には、すべて、あるはじまりがある。回教は、マホメットの個人的な影響力と教えにまでさかのぼることができる。仏教も、悉達多、釈迦牟尼の教えをまって発生したものである。キリスト教と、なんらかの意味で並列されるものすべてについて、その運動のそれ自体に関する証言は、その発生の説明が求められている場合には、まじめに考察されている。もし、キリスト教についてだけそれができないとすれば、私たちはどうして公正であると言えるだろうか。もしこの運動が、他のすべてと比較して独特なものとして、キリストの復活に起源があると主張しているならば、私たちは、復活を否定するとすればキリスト教を十分に納得させてくれる他の理由を見いださなければならない。

 キリストの復活を信じていない歴史家たちも、この事実は確認している。キリストの肉体の復活を信じてはいないが、その学問的見識においては疑義をいだかれたことのないF・J・フォークス・ジャクソンは、その著書「異邦人キリスト教の興隆」において、次のように述べている。

イエスが死に渡されたもうたのちに、墓からよみがえられたということは、疑問視されるかもしれない。しかし、すべての人は、彼の直接の従者たちが、彼がまさによみがえられたと信じていた、という命題には、同意しなければならない。また、最も初期のキリスト教文書が著される以前から、この事は、その集団の公認の所信であった。事実、復活の信仰なくして、宗教としてのキリスト教が存在しはじめることは決してなかったであろう。

 この信仰の原因はなんであろうか。復活を宣べ伝えた人々は、心理的な巧みをもてあそんだり、哲学的な白昼夢にうつつを抜かしたりしているのではない。彼らの経験の中には、このような革命的な主張をするようにと彼らに迫る何ものかがあったにちがいないのである。もし、一度この復活という単純な事実を認めさえしたら、すべては明白になる。そうしなければ、私たちは永久的な難題をかかえ込まなければならないのである。それとも、復活が私たちの直接経験しうる事柄の範囲外の事実に属するということのゆえに、その発生事実の確かさを認める代わりに、復活を否定する不確実さを採るほうが、より合理的だと考えられるのであろうか。

私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。(新約聖書 ペテロの手紙第一 1章16節)

2024年4月8日月曜日

復活の事実(4)

雨上がり セキレイを追う 春散歩
何の変哲もない写真である。セキレイを撮影しようとして撮ったものである。被写体として最も撮りにくいものの一つである。苦労して収めてもこの程度である。ところが、昨晩のNHK『ダーウイン』ではたまたま「翡翠(カワセミ)」の特集をやっていた。みなさん一様にすごいカメラ(望遠レンズの)を手に撮影されている姿を見て、我がiPhone撮影は児戯にすぎないと思い知らされた。それにしてもセキレイは絶え間なく、人に近づくように見えて、「チチッチー」と鳴きながら遠ざかり、途端に飛んでいくかわいい鳥である。このようなセキレイがいたことは確かである。写真がそれを示す。果たして、イエスのよみがえりはどのようにして証明されるのだろうか。引き続いてメリル・C・テニー氏の主張に耳を傾けたい。

二 生ける証人による証言

 文献というものはいくらでも捏造することができるという反論がなされるならば、私たちは、もう一つの資料をさし示すことができる。それは生きた証人がいたという事実である。コリント人への第一の手紙十五章は、紀元54年、パウロによって書かれたものであるが、そこに私たちは、当時生きており、しかもパウロによるならば、復活の真実性をあかしすることのできる人々の名簿を持っている。(略)その個所によると、パウロは、五つの、人物および集団を証人としてあげうるものとしている。

 第一の人はケパである。この人物はペテロをさすものと思われている。ケパというのはアラム語名で、ペテロというのは、それに相当するギリシア語である。全使徒の中でもペテロは、イエスに最も身近なひとりであった。そのような者として、彼は確かに、イエスを彼と認知することができ、場合によっては、彼の欺まん的な演出を見抜くこともできたと思われる。パウロは、このケパにイエスは「現れ」たもうたのだと主張している。もしだれかが、イエスの死後、イエスのふりをして見せて、彼がよみがえったのだという幻想を創成させようとしたのなら、まさしく、この忠実な、彼と懇意な間柄にあった追従者が、その変ぼうを見破らずにはおかなかったであろう。しかし、そのようなことはなかった。このペテロは、その生涯と任務を、イエスはよみがえられたという事実にかけていた。そして、彼が「私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました」と言ったことが記録されているのである。(使徒10:41)

 第二の証人は、「十二人」の群れである。この「十二人」という用語は、正確な数をさすものではなく、おそらく、大ざっぱな集団をさすものであったろう。イスカリオテのユダは、主の復活後、彼らとともにいなかったからである。ひとりで証言するときには、まちがいがありうるかもしれないが、十一人で証言するときには、確かにその度合いは少なくなるであろう。仮に、彼らがキリストのよみがえりを期待していたならば、キリストがそうされなかったとしても、彼らが互いに感情を刺激し合って、彼はよみがえられたのだと考えるようになった、と仮定することができよう。そうだとすれば、復活は単なる希望的思考の所産にしかすぎなくなる。ところが、この集団に関する叙述の中には、彼らがほんとうにイエスのよみがえりを期待していたことを示すような暗示は、一つとしてないのである。十字架の刑に続く日々は、期待によってではなく、恐怖の感情によって支配されていた。しかも、イエスの現われは、この感を深めたのである。

 これらの人々が、突然その恐怖から解放され、おじけづいていた一団の仲間が、恐れを知らない説教者の哨兵隊に急遽変ぼうした事実は、その変化を生み出した何事かがそのとき、起こったということを、暗示するものである。

 第三の証人は、そのころ集まっていた五百人以上の兄弟たちの群れである。リンカーンはかつて、このようなことを言った、「人はある種の人を、いつまでもばかすことができるし、またあるときにはすべての人がばかされることもある。しかし人は、すべての人をいつまでもばかし続けることはできない」。五百人以上の人を同時にばかすような幻覚を創生させ、しかも、非常にうまくそれをやってのけて、二十五年のちにもなおその人たちに、イエスはよみがえられたと言うことのほうに分があると、進んで主張させることができたとしたら、そのこと自体がまさに奇跡と見なされるべきである。

 第四の証人は、ヤコブである。ヤコブは、主の兄弟であった。ヨハネによる福音書によると、彼も、他の主の兄弟たちも、主が公生涯の伝道に携わっておられたときには、彼を信じていなかったとある。私たちの友人は、忠実であってくれるかもしれない。しかし、彼らが私たちの人徳に対してする証言は、私たちの敵対者たちの証言に比べるなら、それほど信頼できるものではない。今友人が私たちに賛辞を与えてくれるとするなら、彼らの判断は、無意識のうちにその友情によってゆがめられているかもしれないのである。しかし、今私たちの敵が私たちを賞賛し、私たちの主張を認めてくれるとするなら、その証言は真実であるという可能性は、非常に濃いものであると言わなければならない。この手紙が書かれたとき、ヤコブは生存していた。それゆえ、イエスはよみがえられたと言う彼の証言は、彼が以前イエスの同志ではなく反対者であったという事実に照らして、より一層確固としたものだという感を深めてくれるものである。(中略)。

 最後の証人は、パウロ自身である。彼は、キリストが「月足らずに生まれた」者に対するように自分に現われたもうた、と主張している。この言及は、彼のダマスコ途上での経験に対するものであって、彼はそのとき回心したのである。このときこの人物に見られた、人生目的と性格上の唐突な変容は、適切な説明を要するものである。この、衆人にその才幹をうたわれていた、ガマリエルの青年門下生は、徹底的なユダヤ教の訓練を受けていたため、あのナザレ人の従者たちを、十字架で処刑された一ペテン師にかつがれた犠牲者とみなしていた。そして、神の御前の自分の立場ということに満足してなどいられるものかとばかりに、熱狂に駆り立てられて、自分に反対する者の絶滅を図るという極端さにまで暴走したのであった。そうであるなら、彼が、自ら根絶を誓ったその信仰に、不意に転向しているという事実は、いったいどのように説明されるべきであろうか。今彼の言葉をいくらかでも信用するとすれば、私たちは、この注目に値する心理的現象に関して彼が自ら下している説明を聞いて、よみがえりのキリストの顕現が、彼の中にこのような変化をつくり出したという事実を、認めなければならないのである。

キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。(新約聖書 コリント人への手紙第一 15章5〜8節)

2024年4月7日日曜日

復活の事実(3)

新緑 蘇芳の蕾 赤添える
家を出るときというのは、とかく慌ただしい。今朝もその例に漏れなかった。しかしこの赤い小さな蕾は私の目を惹きつけて離さなかった。こんな小さな蕾が10粒も咲いているとは・・・。同行者の家内に名前を聞いてみる。「わからない」と答えが返ってきた。そんなはずはない、わからないはずはないと思いながらも、家から出た。

実は、その直前、郵便受けの下に顔を出している草花が気になって、家内に尋ねてみた。即座に「十二単(じゅうにひとえ)」と教えてくれた。まさに十二単にふさわしい装いで、昔の人は良くぞ名づけたりと感心していた。それにしても家内は草花の名前をよく知っている。そのたびに、家内の両親の存在を覚える。その家族が草花を愛で、それにちなむ童謡などを共に歌ったのではないか。それが八十に近くなっても残っているのだ。そこに行くと、私は皆目ダメである。幼い時に、田畑、野原を両親とともに歩んだ記憶がないせいかもしれない。

それはそうと、私には家内が冒頭の木と花を知らないはずはないと思い、外出から帰って、その木を前に、私なりに以前家内が言っていた名前を必死に思い出した。そして「蘇芳(すおう)」という名前まで引き出せた。早速、ネットで調べてみるとほぼその通りだったし、以前家内がそのように教えてくれたと確信した。

キリストの復活は事実である。その記録は文献としての聖書にある。そのことをメリル・C・テニー氏は以下のように語っている。細かくかつ必要な議論がなされているが、少しでも読みやすくするため、文意を損ねない程度に一部を省略し載せたつもりである。諒とせられたい。なお、最後の聖句は引用者が選んで載せた。


1 文献による記録

 ナザレのイエスの生涯に関して、いくらかでも、明らかに彼の業績を伝えてくれる記録としては、ただ、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる聖書の福音書があるだけである。(中略)これら四つの福音書は、キリスト教の最も早い時期に書かれたものと考えられており、第一世紀の終結以前に完成していたことに、疑いの余地はない。事実、おそらくそれらは、イエスを個人的に見た人々がまだ生きていたうちに著されたであろうと思われる。そして、最初それらを読んだ人々によって、信頼のおけるものとして、広く受け入れられていたのである。実際、その記述内容に、本質的に正確さを欠く点があるとは思えない。

 更に、イエスの生前の記述を見れば、それらが、古代の文学の多くの特徴である気まぐれな英雄崇拝的修飾から、目をみはらせるほど、全く解放されているということも明らかである。(中略)それらが最初、イエスを神として礼拝した人々の群れの中で執筆され使用されたという事実を考慮に入れるとき(略)、福音書が、イエスに対する追憶を、記録されているだけの奇跡にとどめ、より多くの奇跡で粉飾しなかったということは、驚くべきことである。記者たちは、解説とか解釈といったたぐいのものを、比較的少数にとどめている。と言うことは、彼らが、キリストの言葉や行為のあるものだけを伝えて、そこから読者が自分なりの結論を引き出すように配慮していたことを意味する。

 福音書は四書とも皆、この復活の事実を認めている。ささいな点に関して、詳細には不一致が認められるにしても、すべては、キリストが死なれたという偉大な事実においては一致が見られる。更に、彼が埋葬されたこと、三日目の朝墓が空虚になっていることが発見されたこと、その後彼が弟子たちに現われたもうたことについても、意見は一致している。これらの点に関して、彼らは同じ証言をしているのである。

 小さな不一致と言ったが、それらも、決して、証言が偽りであることを指摘するものではない。もし四人の証人が、それぞれ法廷に引き出されたとき、四人とも全く同じ話を、全く同じ言葉で語ったならば、判事は、証人たちが罪になる合議をたくらんだと思うであろうし、事実、そのような嫌疑は妥当である。どんな証人でも、ある特定の事件に対して、ふたり同じ証言をなしうるものではない。特に、彼らの神経が緊張を経験しており、自分たちが目撃したことによって本心から驚いているときには、そうである。

 あるとき、著者は修史学の教室に出ていた。ある日のこと、その教授が、一かかえの紙の山を教室に持ち込んで来て、皆に配った。そして言った。「今配った書類の束は、いろいろな歴史的事件の原典資料の写しです。きょうは、この中から、証人たちがなんと言っているかを見て、起こったとおりのことを書き出して下さい」。その一つの束には、五つの異なった、レキシントンとコンコードにおける戦闘(※)の記述があった。それらはあの1775年の4月19日の運命の衝突に参加していた見証人たちの日誌や書類に含まれていた記述である。どれを比べてみても、詳細においては、二つとして同じものはない。あるものなどは、その主張する事実と突き合わせてみると、全く正反対のことを言っているようにさえ見えるのである。この証人たちが完全に一致することができなかったということを理由に、実はこの場所ではこの戦闘は起こらなかったのだと結論することは正しいことであろうか。もちろんそれは、不条理なことである。それは実際に起こったことであり、わずかながらその証拠が、今日まで残っているからである。(中略)。

 復活に関しても同様である。詳細なある点を、一連の事件として、系列のわくの中に入れることは困難である。しかし、墓が空虚になっていたという意味深長な事実は、同志によっても、等しく確認されているのであり、また、その後、生きておられる主が現われたもうたということも、すべての文献が確証するものとして、否定することができないのである。

※アメリカ独立戦争における戦いを指す。

週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。はいってみると、主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、といわれたでしょう。」女たちはイエスのみことばを思い出した。(新約聖書 ルカの福音書24:1〜8)

2024年4月6日土曜日

復活の事実(2)

水仙と フェンス越しに 見合いする
ここは埼玉県総合治水事務所(※)の一角である。このフェンスの向こうがその敷地であり、ひとり生えであろうか、水仙が四輪、花を咲かせていた。こちらは公道を散歩している。そして魅入られて近づく。一方、近づいて来る私の姿は水仙にはどのように見えているのだろうか、とつい想像したくなる。水仙は何もことさら、ここで取り上げるまでもなく、身近な草花で、それこそ冬から春にかけて私たちの季節への期待を先取り、しかも見届けるかのようにいつまでも咲いてくれている。桜の花のようには持て囃されないが、中々どうしていい花である。

さて、今日もお約束どおり、昨日の文章の続きを転写する。文章は決して読みやすい文章ではない。魅入られるようなものではないかもしれないが、上の私の感想ではないが、この文章は、水仙がフェンス越しに私を見ているように、私たちをじっと見つめているような気がする。その奥には生けるまことの神様の目がある。翻訳者の個人名が明記されていないが、おそらく、松代幸太郎氏らであろう、昭和37年(1962年)、信仰良書選のトップバッターとして世に出た出版物である。私にとっては、まさに以降10年弱の魂の咆哮するとば口にさしかかっていた時期の作品である。

 復活がこのように、信仰のための事実上の基礎として、主要なものであるということは、キリスト教教会の最初の説教者たちには、はっきりと理解されていた。未信者に対して語られた使徒行伝の十三の説教のうち、八つは、復活を、中心的教理、また、論争の余地のない信仰の証拠として、強く主張している。他の三つには、使徒行伝二十二章の民衆に対する説教において、パウロが、自分はよみがえりのキリストと話をかわしたことがあると主張しているところからもうかがわれるように、そのことが明らかに含意されている。残りの二つ、復活が述べられておらず、暗示されてもいない場合は、たとえば、ピリポと宦官の会話の例のように(使徒8:26〜38)、明らかに、他の問題が優先的に扱われなければならなかったのである。しかも、この場合においてさえ、復活について言及されていないということは、ピリポがそれについて何も語らなかったということを意味するわけではない。と言うのは、その個所では、彼の話の出発点が明らかにされているだけであって、そのあとのことについては、「この聖句から始めて、イエスのことを宣べ伝えた」と、総括的な表現がなされているだけだからである。使徒行伝の中で、語られたことの断片としてではなく、その全部を一つのものとして記録している、最も有名な二つの説教ーーペンテコステの時のペテロの説教(使徒二章)と、ピシデヤのアンテオケの会堂でのパウロの説教(使徒13:16〜41)ーーは、直接復活に基づいて語られたものであり、議論の相当な部分を、この事のためにさいている。コリント人への第一の手紙十五章においても、パウロは、いかなる種類の復活をも認めまいとしていた人々に挑戦して、答えを与えている。彼は反論の中に、私たちは、復活こそ、他の多くの事実の中でも特にキリスト教の主要な骨組みを形成する最も重要な事実であり、彼が事実その説教で、復活に、それにふさわしい主要な位置を与えているということを見るのである。

 復活が主位に置かれる理由は、決して、突き止めにくいものではない。故J・グレシャム・メイチェン博士がかつて述べたように、キリスト教は、概念の複合体の上に形成されたものではなく、歴史の事実の上に基づくものである。もし私たちの信仰が、単なる善意の思想家の案出した、他の体系よりも一貫性のある哲学といった程度のものでしかなければ、それは、時を経れば、更に優秀な思想家が編み出す他の体系によって先を越されるか、または、他の集団の人と比べてよくも悪くもない一群の人々の信念にしかすぎないと言って、論争の種となるだけであろう。世界観としては、それは、他のすべての、この世界を体系化させ克服するある方法形成のための、人間的な努力と考えられる世界観に伍する位置を占めるものである。しかし、キリスト教は、世界観以上のものである。それは超自然的な人格神が、歴史の明確なできごとを通して、人間の事態に介入されたことを説明するものである。そして、復活こそは、超自然的な神の生命が、平常の人間生活が営まれている時間、空間の連続の中に接点を持ち、その現実と力が、争われたり否定されたりすることを決して許さないものであるということを、決定的に印象づけるものである。

 このような途方もない主張が、具体的に立証されなければならないことは、言うまでもないであろう。それが真実でなければならないとすれば、復活は、キリスト教の礎石であるばかりか、歴史上の最も重大な事実でもなければならない。とすれば、この墓からのキリスト復活の物語が、単なる無益な伝説でもなく、また、ある宗派宗教の宣伝という目的から故意に創作された話でもないということを示すために、どんな証拠があげられるであろうか。その回答として、私たちは、その真実性をあかしするものとして五つの異なった明白な証言を提出することにしよう。

https://www.pref.saitama.lg.jp/b1015/123jimusyonoannaizu.html

もしキリストがよみがえられなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(新約聖書 1コリント15:17〜19) 

2024年4月5日金曜日

復活の事実(1)

旧彦根高等商業学校講堂
彦根はまだ寒く、彦根東高校の前あたりのこの一木だけが花びらを見せてくれました。」と四月二日のブログに書きましたが、「群盲象を撫でる」とは言うではないか、あれは自分の狭い知見であって、ほんとうに、そう言っていいのだろうかと、心配になり、翌日、もう一度城周りの開花の様子を確認に出かけました。果たして、それ以外に花びらが開花している桜の木がたくさんあるではありませんか、たいへん恥入りました。ただ一方で、同日のNHKテレビニュースで同日に彦根気象台(※)が開花宣言を出したことを知り、少しホッとしました

ところが、その確認が目的で出かけた序でに、足を伸ばした大学構内の様子をこれまた「私は迂闊にも大学から彦根城の天守閣が見えることを今の今まで知らなかった。」と書いたがほんとうにそうと言っていいのだろうか、とこれまた疑問に思いました。そして当時は今ほど「彦根城」に注目する時代でもなく、また大学構内の配置も変わり、見えなかったのかもしれない。同時に自分の特別な一身上の悩み・煩悶を抱えていたため、目で見ていても全く意識していなかったというのが真相なのかと思いました。

このような様々な悩みから救い出されたのが私のキリスト信仰でした。そして今回ご紹介しているメリル・C・テニーの『キリストの復活』は私が1970年1月18日から読み始めた本であることが裏表紙に書き留めていた日付からわかりました。この記録からすると、洗礼を受ける(70.3.30)前、結婚する(70.4.26)前、二、三ヶ月前に手に取って読み始めたようですが、内容はさっぱり覚えていません。いったいこんな難しい文章を理解できたのだろうかと自分でも思います。しかし、今になってやっと理解できるようになったので、転写してみようと思います。皆さんも、我慢して引き続きお読みくだされば、幸いです。言うまでもなく、前回まで引用しましたのは、その本の第4章 復活の自由 からの引用でしたが、「復活の事実」が証明されていなければ、「復活の自由」は絵に描いた餅に過ぎません。以下は同書の第1章 復活の事実 からの引用です。「復活の事実」について聖書がどのように証言しているかを一緒に追ってみましょう。

 福音的なキリスト教信者であるならば、だれでも、どのような時代に生き、どのように特殊な教理を強調する教会に属していようと、普通、キリスト教信仰を持っていることを認められるためには、ある種の真理を告白することが不可欠であると考えられてきた。

 人格的な自己啓示の神の存在、この神の御子の位格における受肉、このイエス・キリストが処女から生まれたもうたこと、そして、信ずる者に罪のゆるしを与えるために、カルバリの十字架上で身代わりの死を遂げられたこと、肉体をもって復活されたこと、昇天されたこと、勝利のうちに再び来られること、彼に対する信仰によって救いが与えられること、また、彼を信ずる者にとって、生活をきよく守ることが必要であることーーこれらの根本的な信仰は、アーチの礎石のように、キリスト教の名で通っている歴史的神学の上部構造をささえているものである。

 ところが、一般の同意するところとなっている信仰のこの構造が、今日、非常な攻撃の的となっているのである。軍隊が戦線を、その主要地点を頑強に死守することによって、突破されないようにしているとすれば、私たちも、信仰の立場を強調することによって、その信仰を最もよく弁護することができるのである。そのためには、その主要な立場というものがどんなものであるかを、知らなければならない。それらの教えの中で、最も主要なものはなんであろうか。

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと・・・・(新約聖書 1コリント15:3〜4)

 この引用聖句は、キリスト教信仰の弁護のために書かれたものである。コリントの合理主義者たちは、超自然というようなことは不可能であると、口々に言っていた。彼らは、復活を否定しても、除かれるのはキリスト教信仰のこぶくらいなものだ、としか感じていなかった。そうすることが、実は、頸(けい)動脈を切開するにも等しいことであることを悟っていなかったのである。

 私たちのキリスト教信仰で最も重要な教えは、すぐに共感を呼び起こす、神聖な神秘に包まれた処女降誕でもなく、また、神の愛とゆるしを荒れすさんだ世界にもたらした、あの血の流されたカルバリでのあがないでもない。それは、イエス・キリストが死の中から、肉体を携えて復活して来られたということである。復活なくして、処女降誕はどうして信ぜられよう。復活がなければ、望みもなく、死にのみ込まれたあの生物的奇跡を、一個の生命の起源として信ずる理由はないのである。同様に、復活なくしてあがないはない。あがないとしてのキリストの死の価値は、死なれたおかたの身分にかかっている。仮に、彼も他のすべての人間と同じく死に屈して、ついにそれに勝つことがなかったとすれば、彼の死は、殉教者とか英雄の死のたぐいと見られたであろう。しかし、それでは、その死が他の人々に救いをもたらすということは、全く不可能なのである。復活こそは、彼が他の人とは別な者であるということをきわだって見せ、また、彼の生涯のすべての事実にそれぞれの異なった価値を認めさせるものである。

※彦根には昔から測候所があり、寺田寅彦は、この気象台の情報をたよりに名随筆をあらわしています。寺田寅彦随筆集第二巻(岩波文庫)所収の「伊吹山の句について」がそれです。

2024年4月4日木曜日

復活の自由(3)罪の腐敗からの(下)

100年前の建物と400余年前のお城(※1)
今回の四泊五日の帰省(「青春18切符」を使用しての旅行日二日をふくむのだが)は、同窓会出席以外は全く何の計画も立てないものであった。親戚をも訪ねず、日を過ごした。こちらにいる時に、『出エジプト記』の世界に浸り、それは「過越(すぎこし)」の頂点でもあったが、それは同時に受難週とイースターを迎える良き準備の時でもあった。あわただしく、こちらを出る時には、カバンに三冊の本(※2)を忍ばせていた。その中の一冊が『キリストの復活』(メリル・C・テニー著)であった。その中の第4章の「復活の自由」をせっせとiPadを駆使してブログ作成を敢行した。結果的に我流ではあるが、その操作方法を少しは会得できた。

それよりも、私にとって、彼が明らかにした三つの自由を味わうことができたのは何よりも幸いであった。それは①罪の宣告からの自由、②罪の強制からの自由、③罪の腐敗からの自由である。そして火曜日に思い切って、母校を訪ねた意味がわかった。それは春この大学に入学した頃のことを鮮やかに思い出したからである。まさに内に汚れ切った自我を抱え、苦しみに苦しんでいた。やり場のない怒り、出口のない怒り、その癖、まったく罪の虜(とりこ)奴隷であった。

そこから自分は救出された、そしてこれからも救出されるという喜びであった。私は過去の罪の宣告から自由にされた。現在及ばずながらかつての自分が経験した罪の強制から自由にされつつある。そして、これから先、いつこの世の生を終えようとも罪の腐敗から完全に自由にされるのだ。そしてそれを可能としてくださるのが主イエス・キリストの十字架の死と三日後の復活であることをメリル・C・テニーの書物を転写する中で確信できた。

以下は、そのテニーの「罪の腐敗からの自由」の、昨日に続く部分である。

 私たちは、この(復活という)「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの」(1コリント2:9)をどうすれば例証できるであろうか。

   ある人が今、次元が二つしかない世界に住んでいるとしよう。この人は前後左右に動くことはできる。しかし、上下に動くことはできない。彼は、チェスの目の上を動き回る人のように、平面の上で動き、その全意識は、二次元の空間を規制する物理運動の規則によって条件づけられている。ここで、三次元の世界からの存在が、この二次元の世界にはいって来たとする。前者(二次元の世界の者)にとって後者は、その活動内容を問題外とするにしても、存在そのものが当惑の種であろう。後者が前者の視野を横切って、大またに歩くのは、前者にとっては、一連の足跡の出現と消滅としか映らない。後者は、二次元の空間では不可能な、三次元の空間における運動に従事しているため、奇跡的に見える。

   復活のいのちの現われは、確かに、私たちの現在の思考の世界に、生活の新しい平面または次元の導入を意味するものであろう。これは、罪は神に対する違反であるという特性を無視してそれは人間の生活を制限するという面だけを強調しようとするものではない。しかしそれは、神の力の完全なまた最後的な効果は、三次元の者が二次元の世界に与える不思議の感に比較されるような、人間生活における不思議を生み出す、ということを意味している。そこには、現在のあらゆる制約からの解放と、腐敗からの自由とがある。それは、この世における最上のものすら、顔色なからしめるものである。

   この自由は決して、単なる願望から出た夢想ではない。神は終わりのことを初めから計画しておられる。「神はあらかじめ知っておられる人々を、御子の姿に似た者にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました」(ローマ8:29〜30)

   すなわち、神の目には、わざは、すでに完成したものとして映っているのである。私たちがそのすべてを、経験として実感していないまでのことである。罪の宣告からの自由の事実については、私たちは、結構あかしを立てることができるであろう。私たちは今その確信を持っている。しかし今は、罪の強制からの自由に日々導き入れられている。罪の強制力が弱まれば弱まるほど、私たちの神による自由は大きくなる。しかも、私たちは、あの最後的な、罪の腐敗からの自由の栄光をも待ち望んでいる。「すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる」(黙示21:27)と言われている永遠なる自由の都の一員に、いつの日か加えられることを知って、それを待ち望んでいるのである。

※1 私は迂闊にも大学から彦根城の天守閣が見えることを今の今まで知らなかった。今回、特別意味もなく、大学構内を歩いていたら、遠く上方に何やら家のようなものが見えるので、一体何だろうと、思ったら、天守閣であった。しかも、良く見えるのは大学の本部正面玄関先からであった。考えてみると、私には縁のないところであったのだ。「道理で」と自分に変な納得をさせた。それだけでなく、当時の私が大学よりも、あるいは外なる世界よりも、自分の内側にいる御し難き自分、汚れた自分を持て余して、その精神は内側へ内側へと向いていた事実の一つの傍証かもしれないと思った。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/05/blog-post_30.html

※2 あと二冊の本とは、『イースターの朝のできごと』(フランク・モリソン著)『海辺のキリスト』(ハンス・リルエ著)であるが、それぞれ本ブログで過去に紹介している。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/04/blog-post_05.html

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/11/blog-post.htm

2024年4月3日水曜日

復活の自由(3)罪の腐敗からの(上)

大学前のお堀に遊ぶ四羽の白鳥ら 4/2
今朝はあいにく朝から雨である。昨日はそれを見越し、午前中は除草、午後は短時間だが、駅から大学まで歩いた。往復4、5キロなのだろうか。彦根は閑静で落ち着いて見える。都会の喧騒とは程遠い。大学前のお堀にこんな光景が見られるとは思いもしなかった。吉永小百合主演の「青い山脈」のロケはこの堀向こうの彦根西中などが中心である。同窓会で友が彦根が懐かしかったらDVD で是非見るべしと宣っていた。今流行りの「ひこにゃん」にはお目にかからなかった。以下はイースター以来、読んでいる『キリストの復活』(メリルCテニー著)の昨日の続きである。

   罪は敗北以上のものである。それは腐敗を意味している。それは、つづれ織りを醜くするよごれや切り傷のようなものではなく、菌状腫で繊維にはいり込んで行ってそれをだいなしにしてしまう、白かびのようなものである。また、罪の猛威は決して、ひととなりや経験だけに限定されるものではない。全被造物がその被害をこうむるのである。聖書は「自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた」天使たちについて語っている(ユダ6)この聖句が、どのような違反をばく然と暗示しているにしても、天使の世界の秩序が罪によって着色されたことは明らかである。人類も、個人としても全体としても、罪に染まってしまった。「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました」(旧約聖書 詩篇51篇5節)。物理的世界さえ、その影響の外にはない。「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生じ……」(創世記3:17〜18)とは、人間の罪の初めに、大地に向けて宣告された言葉である。

   この「世界」を、どの範囲に限定して解釈すべきかは、明白でない。それを人類の領域に限らなければならないとは考えられない。それが有形的宇宙のすべてを含むかどうかは疑問である。だが一つの事だけは明らかである。もし、私たちのすみかである宇宙が一つの統一体であるならば、そのどの部分も、他の部分に影響を及ぼさずに腐敗することはない、ということである。私たちが、この巨大な宇宙は相互に作用し合い、相関関係を維持しながら存在しているということを、知れば知るほど、それがどのようにであるかは理解できないにしても、罪がそのすべてに影響を及ぼしているということは、理解しやすくなるであろう。聖書にも、罪の腐敗が、私たちの想像を越えて、はるか広範囲にはびこっていることの暗示が幾つかある。

   次の個所に注意していただきたい、

「それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます」(新約聖書 ローマ8:20〜23)。

   からだのあがない、すなわち復活は、ここで、腐敗のなわめをのがれて神の子の栄光の自由に救い入れられることに等しいと言われている。これは、復活の日が、全自然に対して、自由の新しい調べをかなでるということを意味するのであろうか。老朽と腐敗とが、いずこにおいても停止してしまうということは、考えられないことではないだろうか。とりとめのない極端な空想を働かせても想像できないような新しい世界が、それでもいつの日にかこつ然と実現するということは、ありうるのだろうか。

   おそらくこの見通しは、保証の域を超えた思弁の世界に足を踏み込んだものであろう。十分考えうる事でも、なかなか実現には至らないものである。しかし、人間が不死と不朽を享受しているときに、他の生命形態あるいは有形的被造物の世界では、衰弱と腐敗とが進行する、というような世界はもっと不合理である。もしこれが空想を働かせすぎたものであるなら、私たちは少なくとも、次のように言うことができよう。人間関係の世界における罪の腐敗は、まもなく除去されるであろう。それとともに、それに誘発された原因結果の悪化、奴隷化の鎖も、永久に葬り去られるであろうと。復活は、まさしく、古きをしのぐ新しい世界の平面を導入するものなのである。

2024年4月2日火曜日

復活の自由(2)罪の強制からの


彦根城の桜  2024 4/1
彦根はまだ寒く、彦根東高校の前あたりのこの一木だけが花びらを見せてくれました。今回旅行中で、iPad で入力を試みておりますが、やはり不便ですね。思うように入力できません。同窓会では、友人との貴重なお交わりが与えられました。まさしく、今日のテーマ「我、悩めるかな」とこの二、三ヶ月前に奥様に先立たれ、ひとりで「終活」に励んでおられる方と肝胆相照らす、極めて濃密な交わりを得ました。さて、ブログは昨日の続きです。

   復活の原理は、更に多くのことをする。

   私たちは罪のために、ただ罪の判決を宣告されるだけでなく、悪に誘われて行く。それでパウロは、その内的状態について、次のように言っているのである。「私には自分のしていることがわかりません。私は自分のしたいと思うことをしているのではなく、自分の憎むことを行なっているからです。……ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです」(ローマ7:15、17)。彼ははっきりと、自分のしている事は悪であることを知っていた。そして、悪を避けて正しい事をしようとしたのである。言わば、彼はいやおうなしに罪を犯す。これは自分の力で誘惑に抵抗しようとするすべての人の経験である。そうは言うものの、罪の忌まわしい奴隷としてとどまることを避けようとすればするほど、ますます成功がおぼつかなくなり、自分の立場が耐えられなくなるということは、意外な成り行きと言わざるを得ない。この人物が、「私は、ほんとうにみじめな人間です」(ローマ7:14)と叫びだすのは、当然のことである。

   いったい解決策はあるのだろうか。

   ある。「いのちの御霊の原理」である。それは、よみがえりのキリストの力にほかならない。罪の原理がその力によって絶やされることはないであろうが、少なくとも、相殺され、損失が補われ、そして神の神の御霊の力によって、神の意志をなすことができるようになるのである。

   一つのたとえで要点を示してみよう。ある地所に、多くの木が植えられていたとする。土地は豊かで、肥沃であったが、木におおわれていたので、草ははえていない。所有者は、万策を尽くして芝ふを造ろうとしたが、だめであった。成長しないのである。失敗したのは、芝ふの種が無力だからでもなく、また、土壌に草をはえさせる素地がないからでもない。ただ、木の陰が濃すぎるうえに、木が土壌から、草の養分をも吸い尽くしているため、草を育てる養分が残されていないからであった。

   私たちについても同じ事が言える。復活のいのちの優勢な力は、罪の原理と相殺し合うばかりか、それを征服してしまうのである。後者は、依然として、私たちとともに存在を続ける。「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにはありません」(1ヨハネ1:8)。罪は存在し続ける。しかし、神のいのちの力のために、それは押えられたまま、何をすることもできないのである。「私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。……しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです」(ローマ7:4〜6)

    復活のいのちをこのように当てはめることによって、私たちは、日々勝利を経験するのである。罪はなお私たちとともにあるかもしれない。それは、不信仰の瞬間には、私たちに失態を演じさせるかもしれない。しかし、内なるキリストにある新しいいのちは、その強制力から私たちを解放してくれるのである。

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。……このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリストイエスにあって生きた者だと、思いなさい」(ローマ6:6、11)

2024年4月1日月曜日

復活の自由(1)罪の宣告からの


昨日、本日4月1日に開催される大学の同窓会に出席するために、1日早く、彦根駅に降り立った。駅前の百貨店の垂れ幕に驚いた。私たちの同窓会をこんなふうに前日から歓迎しているのかと一瞬思ったからである。そんなはずはない。今日再び駅前に降り、見たら右の垂れ幕、すなわち「彦根高商云々」の垂れ幕はなかった。要するに、昨年度、町を挙げて祝賀行事をやっていたんだろう。100年前の「高商」の誘致には地元の熱い希望、支援があった。その行事も昨日の3月31日で終了したということであったのだろう。ところで、同窓会の出席者は40名であった。141名が同窓生総数である。物故者は年々増えていく。かつて本ブログに何度となく書いたように、この大学なかりせば、今の私はない。感謝と自戒の念を込めてて昨日の続きをお贈りする。

そういうわけで、以下の文章は、昨日に引き続き、『キリストの復活』からの引用である。

こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。(新約聖書ローマ人八章一節)

    前の章(7章)で、パウロは、人間は外面では正しく見えるかもしれないが、内面では罪の法則の奴隷であることを指摘した。彼はある程度は、自分の衝動の表現を抑制することができるであろうが、とにかく、内的な悪しき心の動きを抑制することはできない。そのうえ、言うまでもなく、「聖なる、正しい、良い」律法が、これらの罪への欲情を、いっそう刺激するのである。パウロがここで、結果を生むものとして引用している戒めが、殺人や姦淫や盗みを禁ずるものではなくて、むさぼりを戒めるものであることは、深長な意味を持っている。それは、内的な殺人にほかならないのである。殺人は目に見えるが、むさぼりは見えない。 

    したがって、罪とは、人が犯すある特定の行為ではなく、本質的には、彼のものであると言われ、また彼を罪の宣告に悩ませる、内的な動機をさすものである。行為の流れは、すでに源において汚されている。そして神はそれを、罪に定めておられるのである。「私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある人間です」(ローマ7:14)。動機や意向が完全によいと言えるような状態は、もはや決して望むことはできない。よさそうに見えても、裏面に悪を隠しているか、または、いっさいが不正であるかのどちらかである。罪はそのままでは、純潔な実体の中にはいり込んで来た単なる異質的なものではない。それは、人間の全存在を毒し、腐敗させる伝染力である。この事実のために、私たちは、永遠に失われてしまう者と定められているのである。それゆえ、恵み以外の何ものも、私たちを救うことはできない。腐った果実の中にも、どこかによい所があるように、悪人にも、どこかによい所はあるであろう。しかし、悪は結局その「よいもの」に風味をつけてしまうので、それは実用には役だたないものとなってしまうのである。

    この事態を改善することのできるただ一つの望みは、古きを駆逐する新しいいのちの導入である。救いーーまたは救いの主観的適用としての聖化ーーは、実に、死人の中での復活のいのちの活動を意味するものである。罪に対処するには、それを死に至らしめる以外に手はない。新しいいのちが、その立場を得なければおならないのである。

ある人が罪を犯し、死刑を宣告されたとしよう。刑が執行され、医者が死を公示する。そのあとで彼に新しいいのちが注入され、彼は再び立ち上がり、この世での生活を再び始めるところまできた、と仮定しよう。彼は死んでいるのであるから、法律的には、古い宣告の束縛を受けることがなく、新しいいのちは、彼に、新出発の保証を与えているのである。彼はもはや、古い宣告の下にはいない。彼はまさに新しい生活を始めることができ、しかも、昔の記録に煩わされることもないのである。

    実は、キリストを信ずる人の霊的生活においては、このとおりの事が行なわれるのである。キリストの復活のいのちが、彼の新しい生涯の出発点となる。バンヤンは、キリスト者の生活を題材にしたあの有名な寓話で、巡礼者のクリスチャンが、滅びの町から神の町へ、どのようにして、その歩みを妨げる大きな罪の袋を背負い、疲れ、憔悴しきって、その道をとぼとぼと歩いて行ったかを物語っている。ついに彼は十字架のもとに来た。そして、彼が十字架を見上げたところ、袋は背中から落ちて、丘をころげ落ち、とある空虚な墓の中に姿を消した。そして彼は、二度とそれを見ることがなかったのである。罪がのみ込まれてしまったこと、そして彼がもはや罪の宣告の下にはいないことを意味するものであった。