2018年2月9日金曜日
天恵ここに実りたる
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。(マタイ6:26)
久しぶりに、友を訪ねた。数ヶ月ぶりである。途中、川辺に十数羽のかわいいカモの子が土手にたむろしているのを見かけた。慌てて自転車を降りて、iPhoneを構える。カモの子は一斉に川へと移動する。もれなく飛び立ち、川面に思い思いの姿で、もはや人を恐れる必要もなく、それぞれがスイスイと川の中を泳ぐ。彼らの天下だ。
友人のうちはまだ先だが、今日は暖かく、ゆっくり自転車を走らせる。途中、闘病中の別の知人の側を通り彼のことを思い出す。人間、薄情なもので遠ざかるといつしか忘れる。その方のことを思い出すことができただけでも幸いだ。帰りに寄ろうと思った。
さて、友は元気だった。でもお互いに喋らない。その辺は心得たものである。その内に友人はベッドにあるボロボロになりかけている紙切れを振りかざして何やら話した。手繰り寄せてみると、それは彼の故郷の同窓生の住所録のようなものだった。何十年前であろうか、彼がいた小平市で塾を始めたようで、塾の広告を出している。私の知らない彼の過去があった。と、そこに町歌が掲載してあるのに気づいた。
ひなを抱え うみねこの
愛のさけびに 朝明けて
埠頭に鉱山に 生気満つ
心も踊る この歩み
我らは誇る 我が田老
海には海の なりわいを
天恵ここに 実りたる
新興の旗 うち振りて
我らは讃えん 我が田老
手をとり共に 幾度か
津波の中に 起ち上り
いま楽園を 築きたる
世紀の偉業 仰ぎ見よ
我らは愛す 我が田老
実はこの歌は三番もあるのだが、それは省かせていただいたが、早速、彼に歌ってもらった。望郷の念止みがたい中で、今は心身の自由を奪われてしまった友人だが、最後に冒頭の聖句を読んで共にお祈りして辞去することにした。けれども、彼は必ず祈りの後アーメンと言う。感謝これにまさるものはない。
昨日のスポルジョンの文章のわかりにくい部分の「人を他よりすぐれたものとしない恵みは、価値なきにせ物である。」はひょっとしてこの間の事情をも言っているのではなかろうか。ちなみに原文を以下に掲げておく。
The grace which does not make a man better than others is a worthless counterfeit.
帰りに最初申し上げた別の知人の家を訪ねたが生憎お留守であった。
2018年2月8日木曜日
「救いとは何か」
一年前の今ごろ。今年はこのような日溜まりは少ない。 |
彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となる。(マタイ1・21)
「救いとは何か」と問うならば、多くの人は「地獄から救われ、天国に移されることです」と答えるであろう。これは救いの一つの結果であるが、救いという恵みの十分の一も表わしていない。私たちの主イエス・キリストが、すべての彼の民を来たるべき怒りからあがなわれるのは真実である。彼は、その民がみずからの上に招いた恐るべき刑罰から彼らを救いたもう。しかし彼の勝利は、以上述べたことよりもはるかに完全なものである。彼はその民を「そのもろもろの罪から」救いたもう。おお、最悪の敵より救う妙なる救いよ!
キリストは救いのみわざをなされるとき、サタンをその位から落としてサタンの支配を根絶される。もし罪が朽つべき肉体を支配しているならば、その人は真のクリスチャンではない。罪は私たちのうちにある。その罪は私たちの霊が栄光の世界にはいるまでは、決して完全に駆逐することはできない。だが罪は決して支配権を持つことはない。支配に対する戦いはあるだろう。すなわち、神が打ち立てられた新しいおきてと精神に対する反抗があろう。しかし罪が勝利を得て、絶対的に私たちの性質を支配することは決してない。キリストが心の支配者となられ、罪は克服されねばならない。ユダ族のししは勝利を得、龍は投げ落とされるでであろう。
信仰を告白せる者よ、あなたの罪は征服されているか。もし、あなたの生活がきよくないならば、あなたの心は変化していない。あなたの心が変化していないとすれば、あなたは救われていない。救い主があなたをきよめず、新たにせず、罪に対する憎悪と聖さに対する愛を与えておられないならば、彼はあなたのうちに、いささかも救いのみわざをなしてはおられない。人を他よりすぐれたものとしない恵みは、価値なきにせ物である。
キリストはその民を罪あるままに救われたのではなく、罪から救いたもうた。「きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。」「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ。」もし罪から救われなかったならば、どうして神の民の中に数えられることができよう。主よ、今この瞬間にも、私をすべての悪より救い、救い主をあがめさせたまえ。
(『夕ごとに』C.H.スポルジョン著松代幸太郎訳 2月8日の項。昨日はブログ氏にとって新たなスタートの日であった。ところが今日は今日で知人の誕生日と先ほどお聞きした。その方に祝意を表して、昨日に引き続いてスポルジョン氏のこの高名な著書からの引用となった。安直な「救い」が横行していないか。内外にそのことを問われる思いがした。)
2018年2月7日水曜日
天からのプレゼント
![]() |
蠟梅に 嫗と祈る 至福あり |
その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。(黙示録11:12)
この言葉を預言的に考えず、私たちの偉大な先駆者がきよめられた民を招かれるものとして考えよう。時至れば、すべての信者に「天から大きな声が」聞こえ、「ここに上ってきなさい」と言うであろう。これは聖徒にとっては、喜ばしき期待の題目でなければならない。私たちが父なる神のみもとに行くために、この世を去る時が来るのを恐れるのではなく、むしろ解放の時を待ち望むべきである。
我が心は御座にいますかたと共にありて
時のいたるをひたすらに待ちわぶ
「立ちて来たれ」との御声を聞くを
かたときだにも待たぬ日はなし
私たちは墓の中に呼びくだされるのではなく、空中に呼び上げられる。天で生まれた私たちの霊は、当然ふるさとなる空をなつかしむ。しかし天からの招きは忍耐深く待たねばならない。神は私たちに、「ここに登ってきなさい」と言う最善の時を知りたもう。私たちは強き愛に迫られて、次のように叫ぶであろう。
「万軍の主よ、波は今あなたとの間をへだてるが
やがて私たちすべてを、天に運び行かん」
しかし、あくまでも忍耐しなければならない。神は精密な知恵をもって、あがなわれた者たちがいつまでこの地上にとどまるのが最もよいかを、定めておられる。実に、天に「後悔」が存在するとすれば、天の聖徒らはこの地上にもっと長く生き、もっと多くの善行をなさなかったことを嘆くであろう。ああ主の穀倉にさらに多くの収穫を積みたい。さらに多くの宝石を彼の冠に加えたい。しかしもっと長く働かないで、どうしてできよう。短く生きれば犯す罪も少ないという面もある。しかし私たちが心をつくして神に仕え、神が私たちにとうとい種をまかせられ、百倍もの収穫を得させられる時、私たちは地上にとどまるのはよいことですとさえ言うであろう。主の言葉が「行け」であろうと「とどまれ」であろうと、神の臨在が私たちとともにあるかぎり、喜びをもって受けよう。
(『夕ごとに』C.H.スポルジョン著松代幸太郎訳いのちのことば社1960年刊行より引用。今日から後期高齢者のお仲間入り、スポルジョンのこの勧めは私を喜ばせた。久しぶりにブログに掲載する気になった。)
2017年6月14日水曜日
あそこば拝め
昨日は石牟礼道子氏のことばを紹介しながら民数記21章に触れた。ところが、同氏の代表作『苦海浄土』を読んでいたら今朝次の箇所にさしかかった。(石牟礼道子全集不知火第二巻168頁)
杢よい。おまやこの世に母(かか)さんちゅうもんを持たんとぞ。かか女の写真な神棚にあげたろが。あそこば拝め。あの石ば拝め。
拝めば神さまとひとつ人じゃけん、お前と一緒にいつもおらす。杢よい、爺やんば、かんにんしてくれい。
五体のかなわぬ体にちなって生まれてきたおまいば残して、爺やんな、まだまだわれひとり、極楽にゆく気はせんとじゃ。爺やんな生きとる今も、あの世に行たてからも、迷われてならん。
杢よい、おまや耳と魂は人一倍にほげとる人間に生まれてきたくせ、なんでひとくちもわが胸のうちを、爺やんに語ることがでけんかい。
あねさん、わしゃこの杢めが、魂の深か子とおもうばかりに、この世に通らんムリもグチもこの子にむけて打ちこぼしていうが、五体のかなわぬ毎日しとって、かか女の恋しゅうなかこたあるめえが、こいつめは、じじとばばの、心のうちを見わけて、かか女のことは気ぶりにも、出さんとでござす。
しかし杢よい、おまや母女に頼る気の出れば、この先はまあだ地獄ぞ。
作者(石牟礼道子)が水俣市八ノ窪の江津野杢太郎少年(9歳ー昭和30年11月生)の家を訪ね、杢太郎少年のお爺さんと話をするくだりの最後に出て来る場面である。原田正純氏がこの全集の月報に寄せた文によると医者として自らが書き留めたカルテとこの石牟礼氏の叙述を比較して次のように言っている。「薄っぺらな一枚の診断書用紙でその人間の苦悩を表現できるものではない。私は地域や家庭の中でどのような生活障害があるか具体的に診断書に記載するように努力したつもりだった。しかし、石牟礼さんの記述には到底及ばなかった。」
この第四章「天の魚」と題する章で、天草から水俣に出てきた顛末が、70歳に達する爺さんの語りを通して明らかにされる。光ある生活を求めたにもかかわらず、一家から一人息子、孫を水俣病にとられ、嫁は去り、もはや漁に出ることもままならず、ジリ貧に終わるだけでなく、どのように彼らを介護して行けばよいのか途方に暮れる日々が描かれる。
しかし、そこに「暗さ」よりも、そうして生きなければならない人間存在に上から光が当てられ、つつがなく人生を送っているかに見える者までも照射してやまない「大いなる光」を見る思いがした。
そして、紹介した石牟礼氏の叙述に私は胸中で又しても民数記21章を思わざるを得なかった。(もちろん、「拝め」と爺さまが指し示しているのは『偶像』であり、主なる神様が指し示している『青銅の蛇』とは異なることは百も承知しているが)今日はその箇所を引用されたイエス様のことばを紹介しておきたい。
だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子〈イエスのこと〉です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。(ヨハネ3・13〜15)
杢よい。おまやこの世に母(かか)さんちゅうもんを持たんとぞ。かか女の写真な神棚にあげたろが。あそこば拝め。あの石ば拝め。
拝めば神さまとひとつ人じゃけん、お前と一緒にいつもおらす。杢よい、爺やんば、かんにんしてくれい。
五体のかなわぬ体にちなって生まれてきたおまいば残して、爺やんな、まだまだわれひとり、極楽にゆく気はせんとじゃ。爺やんな生きとる今も、あの世に行たてからも、迷われてならん。
杢よい、おまや耳と魂は人一倍にほげとる人間に生まれてきたくせ、なんでひとくちもわが胸のうちを、爺やんに語ることがでけんかい。
あねさん、わしゃこの杢めが、魂の深か子とおもうばかりに、この世に通らんムリもグチもこの子にむけて打ちこぼしていうが、五体のかなわぬ毎日しとって、かか女の恋しゅうなかこたあるめえが、こいつめは、じじとばばの、心のうちを見わけて、かか女のことは気ぶりにも、出さんとでござす。
しかし杢よい、おまや母女に頼る気の出れば、この先はまあだ地獄ぞ。
作者(石牟礼道子)が水俣市八ノ窪の江津野杢太郎少年(9歳ー昭和30年11月生)の家を訪ね、杢太郎少年のお爺さんと話をするくだりの最後に出て来る場面である。原田正純氏がこの全集の月報に寄せた文によると医者として自らが書き留めたカルテとこの石牟礼氏の叙述を比較して次のように言っている。「薄っぺらな一枚の診断書用紙でその人間の苦悩を表現できるものではない。私は地域や家庭の中でどのような生活障害があるか具体的に診断書に記載するように努力したつもりだった。しかし、石牟礼さんの記述には到底及ばなかった。」
この第四章「天の魚」と題する章で、天草から水俣に出てきた顛末が、70歳に達する爺さんの語りを通して明らかにされる。光ある生活を求めたにもかかわらず、一家から一人息子、孫を水俣病にとられ、嫁は去り、もはや漁に出ることもままならず、ジリ貧に終わるだけでなく、どのように彼らを介護して行けばよいのか途方に暮れる日々が描かれる。
しかし、そこに「暗さ」よりも、そうして生きなければならない人間存在に上から光が当てられ、つつがなく人生を送っているかに見える者までも照射してやまない「大いなる光」を見る思いがした。
そして、紹介した石牟礼氏の叙述に私は胸中で又しても民数記21章を思わざるを得なかった。(もちろん、「拝め」と爺さまが指し示しているのは『偶像』であり、主なる神様が指し示している『青銅の蛇』とは異なることは百も承知しているが)今日はその箇所を引用されたイエス様のことばを紹介しておきたい。
だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子〈イエスのこと〉です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。(ヨハネ3・13〜15)
2017年6月12日月曜日
お願いですから、聞く耳を持ってください
考えるところがあって今『評伝 石牟礼道子 (渚に立つひと)』(米本浩二著 新潮社)を読んでいる。その中で余りにも今の政権に代表される日本社会の風潮の源流を見るような思いがするので、忘れないうちに記すことにする。太字部分が引用者の共鳴する所である。(以下は同書222頁〜223頁より抜粋引用)
—あの、今の時代をどう思いますか。
「日本列島は今、コンクリート堤になっとるでしょう。コンクリート列島。海へ行くと、コンクリートの土手に息が詰まる。都会では小学校の運動場までコンクリートです。これは日本人の気質を変えますよ。海の音が聞こえんもん。渚がなくなったですもんね。海の呼吸が陸にあがるところ。陸の呼吸が海に行くところ。渚は行き来する生命で結ばれている。海の潮を吸うて生きとる植物もいるのに。コンクリートでは呼吸ができない。
渚の音が、聞こえんもん、渚にはいっぱい生き物がいるのに、特殊な植物は海の潮ばすうて生きとるですもんで。アコウの木はそう。葭(よしず)も。自伝に『葭の渚』とつけたのもそういう意味です。それで渚ば復活せんばと思っている。それがすんだら道行き。『曾根崎心中』の名文句は覚えていますもん。道行き文学について書こうと思います。古典は読んどらんけん。この際、読もうち思います」
—水俣病の現在をどうみますか。
「水俣病の場合はまず棄却という言葉で分類しようとしますね。認定基準を決めて、認定の基準というのは、いかに棄却するかということが柱になってますね。国も県も。そして乱暴な言葉を使っている。言葉に対して鈍感。あえて使うのかな。あえて使うんでしょうね。棄却する。一軒の家から願い出ている人が一人いるとしますね、私はあんまりたくさんまわっていないけど、ほんの少数の家しか回っていないけども、行ってみると、家族全員、水俣病にかかっとんなさるですよ。家族中でぜんぶ。ただその人の性格とか食生活とか生活習慣が先にあるんじゃなくて、水俣病になっている体が先にあるもんで、病の出方が違うんですよね、ひとりひとり。
魚を長く食べ続けたと訴えても、それを証明する魚屋さんの領収書とかもってくるようにという。そんなものあるわけない。認定する側の人だって魚屋さんから領収書もらってないでしょう。そういうひどいことを平気で押し付けてくる。証明するものって、本人の自覚だけですよね。それをちゃんと聞く耳がない。最初から聞くまいとして防衛してますね。自分のことを一言も語れない。生きている間、もう70年になるのに、自分のことを語れないんですよ、患者たちは。
普通の人生にとっても、たとえば私もパーキンソン病でいま具合が悪いけど、さまざま遠慮してお医者さまにも病状の実態をくわしく語れないんですよ。生きている間、生まれてこのかた自分のことをひとことも人に語れないのがいかにつらいか。なってみればわかるですよね。それで切ないですよ。一軒の家から何人も願い出るとみっともないとか、世間さまに恥ずかしいとか、ただでさえも気の弱い人が語れないですよね、人と語り合ってもことごとく食い違うですよね。そういう一人の人間の一生を考えただけでもつらいですよね。それが何百人も何千人もいるわけでしょう。個人の単位で考えてもそうだけど、村の単位で考えても。村がありますね。摂取量が違うと思うんです。村によって。そして山の中にも出ているはずです。鹿児島の山中に行商にいきよる、魚の。行商に行った人が山の中の人に領収書なんか渡すはずがなかでしょう・・・。
この希有な人、石牟礼道子と著者との2015年時点での対話の記録のようである。遅まきながら『苦海浄土』を読み始めた。しかし、なぜか私には民数記の次のくだりが思い出されたので記しておく。救済のすべてはここにしかないと思うからである。
彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。(民数記21・4〜9)
石牟礼は聞く耳のない日本社会いや人間社会の誠意のなさを難渋している。それにはぐうの音も出ない。それにくらべて私は聖書をとおして知ることの出来る、主のみわざを思わざるを得なかった。すなわち荒野を旅するイスラエル人のつぶやきに対して、主が示されたこの愛の場面である。青銅の蛇は人のすべての罪をご自分のものとされたイエス様を指し示す型であった。上げられた蛇はどこからでも仰ぎ見ることができる。そしてそこに罪と汚れの死から私たちをいのちへと引き出してくださるイエス様の十字架の愛を見る。その愛こそ人のすべての悩み苦悩を聞く耳だと思うたからである。それにしても石牟礼文学の良質さは群を抜いていると思う。
—あの、今の時代をどう思いますか。
「日本列島は今、コンクリート堤になっとるでしょう。コンクリート列島。海へ行くと、コンクリートの土手に息が詰まる。都会では小学校の運動場までコンクリートです。これは日本人の気質を変えますよ。海の音が聞こえんもん。渚がなくなったですもんね。海の呼吸が陸にあがるところ。陸の呼吸が海に行くところ。渚は行き来する生命で結ばれている。海の潮を吸うて生きとる植物もいるのに。コンクリートでは呼吸ができない。
渚の音が、聞こえんもん、渚にはいっぱい生き物がいるのに、特殊な植物は海の潮ばすうて生きとるですもんで。アコウの木はそう。葭(よしず)も。自伝に『葭の渚』とつけたのもそういう意味です。それで渚ば復活せんばと思っている。それがすんだら道行き。『曾根崎心中』の名文句は覚えていますもん。道行き文学について書こうと思います。古典は読んどらんけん。この際、読もうち思います」
—水俣病の現在をどうみますか。
「水俣病の場合はまず棄却という言葉で分類しようとしますね。認定基準を決めて、認定の基準というのは、いかに棄却するかということが柱になってますね。国も県も。そして乱暴な言葉を使っている。言葉に対して鈍感。あえて使うのかな。あえて使うんでしょうね。棄却する。一軒の家から願い出ている人が一人いるとしますね、私はあんまりたくさんまわっていないけど、ほんの少数の家しか回っていないけども、行ってみると、家族全員、水俣病にかかっとんなさるですよ。家族中でぜんぶ。ただその人の性格とか食生活とか生活習慣が先にあるんじゃなくて、水俣病になっている体が先にあるもんで、病の出方が違うんですよね、ひとりひとり。
魚を長く食べ続けたと訴えても、それを証明する魚屋さんの領収書とかもってくるようにという。そんなものあるわけない。認定する側の人だって魚屋さんから領収書もらってないでしょう。そういうひどいことを平気で押し付けてくる。証明するものって、本人の自覚だけですよね。それをちゃんと聞く耳がない。最初から聞くまいとして防衛してますね。自分のことを一言も語れない。生きている間、もう70年になるのに、自分のことを語れないんですよ、患者たちは。
普通の人生にとっても、たとえば私もパーキンソン病でいま具合が悪いけど、さまざま遠慮してお医者さまにも病状の実態をくわしく語れないんですよ。生きている間、生まれてこのかた自分のことをひとことも人に語れないのがいかにつらいか。なってみればわかるですよね。それで切ないですよ。一軒の家から何人も願い出るとみっともないとか、世間さまに恥ずかしいとか、ただでさえも気の弱い人が語れないですよね、人と語り合ってもことごとく食い違うですよね。そういう一人の人間の一生を考えただけでもつらいですよね。それが何百人も何千人もいるわけでしょう。個人の単位で考えてもそうだけど、村の単位で考えても。村がありますね。摂取量が違うと思うんです。村によって。そして山の中にも出ているはずです。鹿児島の山中に行商にいきよる、魚の。行商に行った人が山の中の人に領収書なんか渡すはずがなかでしょう・・・。
この希有な人、石牟礼道子と著者との2015年時点での対話の記録のようである。遅まきながら『苦海浄土』を読み始めた。しかし、なぜか私には民数記の次のくだりが思い出されたので記しておく。救済のすべてはここにしかないと思うからである。
彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。(民数記21・4〜9)
石牟礼は聞く耳のない日本社会いや人間社会の誠意のなさを難渋している。それにはぐうの音も出ない。それにくらべて私は聖書をとおして知ることの出来る、主のみわざを思わざるを得なかった。すなわち荒野を旅するイスラエル人のつぶやきに対して、主が示されたこの愛の場面である。青銅の蛇は人のすべての罪をご自分のものとされたイエス様を指し示す型であった。上げられた蛇はどこからでも仰ぎ見ることができる。そしてそこに罪と汚れの死から私たちをいのちへと引き出してくださるイエス様の十字架の愛を見る。その愛こそ人のすべての悩み苦悩を聞く耳だと思うたからである。それにしても石牟礼文学の良質さは群を抜いていると思う。
2017年5月4日木曜日
神のことばはいのちのパンなり
大洗漁港 |
いのちのパンである、天よりの食物、すなわち、神のことばをふりむきもしない人は、自分の魂を、なんとむごく取り扱っていることよ。神は、慈愛にとみたもうおかたであるから、神御自身が、わたしたちのうちに、はいり来たりたもうために、目に見える手段を設けてくださっている。その手段をとおして、神は、わたしたちを呼び、集め、照らし導いてくださる。この手段を正しく用いることによって、わたしたちは、永遠の幸福にあずかるのである。
しかるに、今日は、なんとしたことであろう。まだ霊的に盲目な、世俗的な人々が、価の高い真珠を、足で踏みにじっている、ということだけでも嘆かわしいことであるのに、さらに悲しむべきことは、「神のすばらしいみことばや、きたるべき世の権威をその身に経験した」人々が、「落伍者」になっているではないか。
彼らは、この世や、肉にさまたげられて、神のことばの追求を投げ棄ててしまっている。何日も、何週間も、神のことばを考えることなしにすごして、魂は飢えるにまかせている。たとい、まれに、みことばを読んだり、聞いたりすることはあっても、その心や頭には、この世的な事が、雑然といっぱいつまっているので、魂は、天の父の愛の光を受けて、温まることはできないのである。太陽の光線が大きくうねっている海を温め得ないのと同様である。
人の心が、神のことばによって温められ、生きかえらせられるためには、しずかに、敬虔なおもいで、神のことばを受けとらなければならないのである。
(『あらしと平安』ロセニウス著岸恵以訳聖文社342頁より引用)
久しぶりにロセニウスの霊想を読んでいる。心に染み入る内容である。この短い霊想の中には明らかに下記のみことばが念頭として描かれているのであろう。読み比べてみて、さらに含蓄が出て来る思いがした。
聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。(マタイ7:7)
一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。(ヘブル6:4〜8)
2017年5月1日月曜日
それほどまでにして戦争をしたいのか
三谷太一郎氏の『戦後民主主義をどう生きるか』(東京大学出版会2016年9月刊行)を読んだ。その中にご自身の「記憶としての戦争」が次のように記されていた。衝撃を感じた。忘れないために以下書き写した。(同書246頁から引用)
戦火が直接に私の身辺に及んだのは、私が在住していた岡山市に対する昭和20(1945)年6月29日未明の米軍機B29約70機による数時間に及んだ空爆である。それに先立って、当時国民学校三年生だった私に戦局の最終局面(私はそれを明確に認識するのを恐れていた)が近づいているのを感じさせたのは、沖縄の失陥だった 。
私は米軍が沖縄本島に上陸した日のことを鮮明に記憶している。昭和20年4月1日の夕方近く、家の玄関前の中庭で近所の子供の一人と遊んでいた時、家の中のラジオから流れるニュースが何事かを伝えた。その時一瞬にして一緒に遊んでいた子供の顔色が変わった。「お父ちゃんの居るところじゃ。お母ちゃんに知らせにゃ」といって、風のように去った。
60年経った今も、あの日の光景を忘れることができない。私は、それまで日本に「沖縄」という県が存在することを知らなかった。したがって米軍の沖縄上陸を伝えたニュースの重大性も、そのこと自体によってではなく、そこに駐屯していた兵士を父に持つ子供の全身を震わせるような反応によって、初めて知ったのである。その子の父が沖縄で戦死したのを知ったのは、戦後であった。
岡山市が焼夷弾による空襲にさらされたのは、沖縄の日本軍守備隊が壊滅した六日後である。六月に入って、米軍の本土上陸作戦の開始が近いとの観測が明らかにされ、これに対応する体制の準備が進んだ。国家総動員法を強化した戦時緊急措置法の成立によって、空前の委任立法権が内閣や全国九ブロックに設置された地方総監府に付与され、さらに義勇兵役法成立によって、性別・年齢を超えた国民義勇戦闘隊の編成が進んだ。
国民学校も軍隊化された。いくつかの学校群が「大隊」を構成し、各校は「中隊」と位置づけられ、各学級は「小隊」と名づけられた。私の所属は、「第一大隊第二中隊木山(担任の女性教諭の性)小隊」であった。私はもう一人の児童と共に「副小隊長」を命じられた。岡山市の上空にB29の大編隊が飛来した日の6月29日付けの『朝日新聞』には、安倍源基内相の「本土はもう戦場化しているといってもいい」との談話が載せられている。
空襲は、防空演習の予想や予測をはるかに超えるものであった。未明に異変を知った一家七人は、市街の中心にあった家を脱し、寸土も見逃さない絨毯爆撃によって燃えさかる街路を潜り抜け、辛うじて郊外の農村に逃れた。東京での二度の空襲を経て、この日岡山で三度目の空襲に遭遇した永井荷風は、その日記に「九死に一生を得たり」と記しているが、それは当日の私の実感にそのまま合致する。民家に襲いかかるB29の黒い機影は、民家の屋根をすれすれに飛び、爆撃目標を誤ることはないように感じられた。この空襲で、「木山小隊」の児童の約半数が亡くなった。もう一人の「副小隊長」とは再び会うことはなかった。(中略)
空爆によって家を失った私の一家は、父の出身の農村に移り住み、そこで敗戦を迎えた。八月十五日の記憶はもちろん鮮明であるが、とくに忘れることができないのは、その日の新聞に載った大日本政治会総裁南次郎大将の敗戦を語った談話である。当時の私にはもちろん南次郎についての知識はほとんどなかったが、「南次郎」という名前ははっきり覚えている。南談話の中で、私を刺激したのは、敗戦の原因として、「国民の戦争努力の不足」を挙げた点であった。自分自身でも意外であったのは、当時の私はこの談話に心の底から憤激した。私は生まれて初めて、日本のリーダーの責任感の欠如に対して根本的な不信感を持った。振り返ってみると、これが戦後への私の態度を決定する最初の要因であったと思う。そしてそれが記憶としての戦争を歴史としての戦争に結びつける媒介契機になったと思う。
長々と引用させていただいたが、考えさせられる三谷氏の文章である。人の痛みを痛みとして感ずる政治の不在が相も変わらず続いている。それは一言で言えば日本の要路の人たちは今日「それほどまでにして戦争をしたいのか」の一語に尽きる。だからこそ、二千年前に生身のからだをもって和解をなして下さった主イエスのみわざを我が記憶として今日も覚えたい。
神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(2コリント5:18、21)
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