2020年4月23日木曜日
人生の最大の苦しい経験(中)
新しい柔らかな光が、その古い言葉の上に、またその言葉の中から、照り輝いていた。落ち着いた安らかさが、こっそりと忍び込んできた。新しい平安は、これまでにないような、快い、より真実なものであった。そして、その平安が、ほとんど彼をおおい、彼を圧倒した。
しかしながら、彼の心は、その平安にひたりながらも、大きな孤独感にとらえられていた。彼はどれほどの時間、そこにすわっていたであろうか。自分にもわからなかった。やがて彼はゆっくりと丘を下り、歩きなれた道、ふたりで手を取り合って歩いた道を戻って行った。
彼は、いつもと変わらない家、また人々の中に戻って行った。しかし、生活は変わってしまった。もはや決して、これまでと同じ生活ではない。それはありえないのだ。人生の最大の苦しい経験にはいってしまったのである。それ以来、彼は決してこの事を忘れてはいない。その記憶は、あたかもついきのうの事のようにあざやかに残っている。
土くれのやかたの中で
すべての灯は消えた。
そこに住む人が去ってしまったので
カーテンは引かれた。
夜のうちに、門口を通って、
彼女はそっと忍び出たのだ、
光の都の中に
自分のすみかをととのえるために。
しかもそれは、なんとありふれた事であろうか。そうだ、平凡で、ひんぱんに見られる、ありふれた事、全く当然の事なのだ。しかし、決してそうではない。決してありふれた事ではない、たとい毎日、毎時間、だれかのむすこか娘に起こっている事であるとしても、それは、孤独と悲嘆のうちになされる、きわめて神聖な、また厳粛な事なのである。
人生において、死というものは、最もありふれたものである。その影は決して去らない。郵便配達人は私たちの手の中に、それを暗示するようなものを届けて行く、友人の手紙も、同じような感じのものを持っている。半旗、教会堂の告別の鐘、教会の窓から流れ出る低い哀歌、のろのろと動く行列ーこうした事は、毎日起こっている事である。
商業団体は、国内の通信機関をせいぜい五分ほど停止して、死者に敬意を表わし、そしてたちまち、再びすさまじい速度で仕事を開始する。トロリー・バスやその他のバスは、いったん停車をする。白い石碑には黒い布が掛けられる。公共的な建物は、悲しみを表わす布でおおわれるーこのような事は、果てしない同様な物語を告げている。
昔ながらのあの書物ー聖書ーを開くと、直ちに、エバがかたくなって身を横たえているわが子のためにすすり泣いている場面にぶつかる。そのすぐあとに、「そして彼は死んだ」と単調な調子で述べている哀歌のあの驚くべき章(創世記五章)が続く。
大洪水の中に流れ去った人々の絶望的な叫びと、エジプト全家の悲嘆に沈んだ人々が長子の死をいたむ泣き声とが、私たちの感じやすい耳をとらえる。
更に急いで読んでゆくと、再び、あの愛するイスラエルの詩人が、姿は美しいがわがままで横暴なむすこの死を嘆き悲しんでいるさまを見るのである。
更に読んでゆくと、丘の間にある小さなベツレヘムの町で、悲しみに沈む母親たちの泣き声を聞く。悲しみの交響曲は、決して終局に至らないように思われる。
「ラマから声が聞こえる。苦しみの叫びと、大きな泣き声が。ラケルが子どもたちのために泣いている。だれも彼女を慰めることができない。子どもたちは死んでしまったのだから。」(マタイ2:18 リビングバイブル訳)
(『人は死んだらどうなるか』11〜14頁より引用。昨日は西ドイツ映画「朝な夕なに」をYouTubeで観た。高校時代に映画館で観た。それ以来六十余年ぶりだった。https://www.youtube.com/watch?v=cwWg0xHt9b4 悲しい思いをする人々がたくさんおられる。)
2020年4月22日水曜日
人生の最大の苦しい経験(上)
イエスは、目の前でマリヤが泣き伏し、ユダヤ人たちもいっしょに嘆き悲しんでいるのに強く心を動かされ、「ラザロはどこですか」とお聞きになりました。「来て、ごらんください。」イエスの目に涙があふれました。(ヨハネ11:33〜35リビングバイブル訳)
九月のある朝の四時ごろのことであった。
たくましそうなひとりの青年が、大西洋沿岸のある町の、人通りのない道路を、ゆっくり歩いていた。
東の空がはっきりと白みかけてきた。新しい一日が、去ってゆく夜の暗さを押しのけようとしている。しかし、彼はほとんどそれに気づかなかった。彼の心は、もう一つの光とやみとの戦いに、すっかりとらえられていたのである。
彼はうなだれ、のろのろとした足取りで歩いていた。暗い思いが彼を激しくとらえていた。彼は、新しいもの、そうだ、彼にとっては新しい事柄に、我を忘れたようにぼう然としていた。彼の家は、有名な公園からほど遠くない所にある。そこには小さな美しい小川が静かに流れている。
彼は、町の貯水池のある緑におおわれた丘へと登って行った。そこからは、はるかにその小川を見おろすことができる。また更に近くには、こずえのしんと静まり返った緑の波が見える。彼はポケットから、小さな、表紙のよごれた本を取り出した。そして、腰をおろして、緑を見、小川をながめ、また、その本を読み、青空を見上げたりした。
二、三時間前に、一つの生命が、彼のいだいた腕から消え去ってしまったのである。彼は夢中ですがりついた。けれども、彼女の霊は、静かに、ゆっくりと、しかし断固として、消え去って行った。彼は驚きと悲しみのあまり、ぼう然となった。彼女が死ぬなどとということは、夢にも考えられない事であった。彼は、愛の手で堅くすがりついていたが、今は、すがりつくものは何も残されていなかった。彼女はすでに去ってしまったのだ。ただ、貴重な肉体の、息を失った一片が残されただけであった。
ふたりの心は、かつてなかったほど深く結び合わされていた。しかし、いまや、彼女は去ってしまった。呼び戻すことができないほど遠くに去ってしまったのである。それはあまりに明白な事であった。彼は一見、非常に冷静で、しなければならない事に携わっていた。しかし、心の中ではあえいでいた。まるで呼吸ができないかのように思われた。人生は全く変わってしまった。この世界は全く違った所となってしまった。彼女は去ってしまったのだ。我を忘れたようにぼう然とした状態が、彼の上に重くのしかかっていた。それは感覚を失った状態ではない。それどころか、彼の心は、今まで以上に鋭く、感じやすく、油断のないものとなっていた。
今、彼はじっとすわっている。彼女は今どこにいるのだろうかという疑問が起こってきた。その肉体の貴重な一片は、優しくたいせつに取り扱われてそこにあった。しかし、彼女はどこにいるのだろうか。そこではない。どこかほかの所なのだ。ではどこなのか。
その小さな本(小型聖書)は、ヨハネ、愛する老ヨハネによるイエスの物語のところが、自然に開かれたかのように思われた。そして、あの忘れることのできないベタニヤでのできごとの個所(十一章)が、備えて開かれたかのようであった。
(『人は死んだらどうなるか』S.D.ゴードン著山田和明訳9〜11頁より引用。私ならず、多くの人がこの死別の経験をされている事だろう。私のその時は母との死別の18歳の時であった。今から振り返ると、「母の死」は頭をハンマーでなぐられた衝撃だった。しかし、その時、私の手元には小さな本はなかった。『真夜中のブルース』の録音テープを繰り返し繰り返し、一室に閉じこもり、狂ったように流していた。それは西ドイツ映画の「朝な夕なに」の中で演奏された曲であった。そうでもしなければ気持ちがおさまらなかったのだ。https://www.youtube.com/watch?v=gikaziCeS-A)
2020年4月21日火曜日
いのちの尊さ
エジプトには激しい泣き叫びが起こった。それは死人のない家がなかったからである。(出エジプト12:30)
昨年末から、今日に至るまで、ブログに投稿できなかった。それは三つのできごとが陸続として起きたからである。第一の出来事は昨年の12月30日から始まり、2月3日に終わった出来事。そして第二は2月5日に始まり、2月16日に終わった出来事である。そして第三は言うまでもなく、今日私たちを覆っている「コロナ禍」である。
未だ解決を見いだせないコロナウイルスの圧倒的な力の前になす術もなく、日々過ごしている。STAY HOME!と要路の貴人は宣っている。しかし、この時は、主なる神様が私たちに心を静かにして、主のみこころを知りなさいと明らかにおっしゃっている時にちがいない。
第一の出来事は若干40数歳にして二児を残しいのちを亡くされた出来事であった。第二の出来事は逆に95歳の生命を全うされた一人の老婦人の死であった。振り返ってみれば、昨年の12月30日、人工呼吸器に支えられ懸命の蘇生がなされていたICUの病室に招き入れられ、奥様と祈りをともにしていた。今日では人々の全てがお茶の間のテレビを通して熟知するまでに至っている、あの人工呼吸器である。
これらの出来事を忘れないために、今日からこの間、考えて来たことを少しずつ書き進めることにする。
冒頭の写真は、筆者の先祖の写真である。いつ、どこで、撮影されたのかわからない写真である。しかし、私はこの写真を見るたびに繰り返し哀しみを覚えるのだ。そこには肝心の主(あるじ)がいないと思うからである。左の少年がこの家の跡取りであるが、その少年の父母が不在であるからである。
そして、その原因はこの少年の父が1919年4月に28歳で亡くなっているからである。少年3歳の時である。まさにそれは100年前のスペイン風邪がこの家庭を襲った時であった。そして少年が、祖祖母と祖父母、叔母とその養女と一緒に写っている4代にわたる一家の写真である。果たして、私が「哀しみ」と表現するのは私の単なる思い過ごしにすぎないのであろうか。
同時に冒頭のみことばに関連して次のS.D.ゴードンの『人は死んだらどうなるか』の序文のことばを紹介する。
現在の私たちの時代は、古代エジプト時代に似ているーほとんど「死人のない家がなかった」。時にはそれ以上である。そうした中で、勇敢な者は、日常生活を、忠実に、勇気をもって続けてゆくが、人間の感情的な性質に対する牽引力は強力である。しかし、大多数の人々に対して、質問ー大昔からあった古い質問ーが、夜も昼も迫り続ける。あの人はどこにいるのか。死後のいのちはあるか。あるとすれば、どこにあるのか。それはどのようなものか。この死という頑迷な鉄のさくを越えて、そのいのちを得ることができるだろうか。たとえできるとしても、私たちはそうすべきだろうかーなどと。
S.D.ゴードンについては以下のブログでも紹介している。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2012/05/quiet-talks-on-life-after-death.html
2019年12月15日日曜日
証
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| 2019.12.14 at Poco rit in Musashi Urawa |
私は27歳の時、イエス様を信じました。今から17年前です。私は、そのときまで神の存在を否定していました。理由は簡単です。神は見えないからです。科学が全てだと思っていました。キリスト教というのは上品な宗教かもしれないが、世の中の矛盾には目をつむっていて、人々に社会に対する批判力をなくさせる害のある宗教だと思っていました。
だから、むしろこのような宗教は無くなったほうが良いと積極的に考えていました。私の目は世の中の富の不平等、社会の不公平に向いていましたので、それを解決するためにはどうすれば良いかを考えていました。たまたまその当時読んだ本の中に、人間の欲望の肯定こそが人間らしい生き方であり、その生き方を妨害しているのが高等宗教であるキリスト教であり、結局その思想が金持ちをのさばらすのであり、そのことを知らないでいるのは、大変愚かであるという思想に共鳴を覚えたのです。
だから、私にはクリスチャンのいわゆる「聖さ」というものが信じられませんでした。なぜなら、それは自然の傾向に反する大変無理をした生き方であり、クリスチャンという存在はたいへんな偽善者のあつまりであるとしか思えなかったからです。
だから、その当時親しかったクリスチャンの友人に手紙で自分の醜さを洗いざらい告白した時、相手のクリスチャンに軽蔑されると思っていました。ところが、逆にそのようなあなたの醜い罪のために、キリストは十字架にかかられたのであり、その私の罪のためにその友人が泣いたと言う文面に接して、この不思議なキリストのことが書いてある、聖書を読んでみようという思いがわいてきたのでした。
社会を批判したり、またクリスチャンを批判してばかりで、とかく自分以外の外側に向けられていた刃が自分の内側の矛盾に徐々に徐々に向けられるように変わっていったのです。ただ、どうしても神の存在は信じられませんでした。ちょうどそのような時、自転車で、走行中のマイクロバスに接触して交通事故に遭い、危うく命拾いするというできごとが起こりました。
後遺症に悩むうちに弱い自分の肉体に不安になり、神がいないと豪語している自分は単に強がっている人間にすぎないことを知り、自分の生命の支え手であり、造り主である神様の存在をいつしか認め、この神様に祈る生活に変えられていきました。それとともに傲慢であった神様を否定した生き方や、過去に父を裏切った生き方がいかに間違っていたかを知りました。しかし、感謝なことに自分の罪を神様に言いあらわした時、神様からの罪の赦しを体験したのです。私を二重にも三重にも苦しめていた罪からやっと解き放たれ、まことの解放感を味わったのです。それ以来今日にいたるまで私のこの魂の平安を奪うものはなく、本当にクリスチャンになって良かったと思わない日はありません。
最後につい最近あった出来事をご紹介して私の証を終わらせていただきます。ある日、家の窓ガラスが壊されて困ってしまいました。しかしその窓ガラスは教会の方が即座に修理してくださったのです。それだけではありません。同じ日、自転車が盗難にあってこれまた困りました。ところが、これも別の教会の方のお取り計らいにより、新しい自転車が与えられたのです。
私はこれ以上何をつけくわえる必要があるでしょうか。かつての私が思ったように、このような行ないは偽善者のするわざだと答えるのが正しいのでしょうか。いいえ、愛のなせるわざなのです。
私のような自己中心のどうしようもない者が、今このように神を愛する者に変えられて、その上、神を愛するクリスチャン同士の愛の交わりをいただいていることを感謝します。皆さんも、ぜひこのクリスマスの時、イエス様を信じ神様に祝福される生涯にお入りになるようにお祈りします。
(昨晩、クリスマス・コンサートに招待され、初めてお聞きするパイプオルガンの演奏を堪能させていただいた。同時に牧師さんのクリスマス・メッセージをお聞きしながら、ゆくりなくも三十年以上前に出席していた教会の燭火礼拝での自らの証を思い出し、帰宅して引っ張り出してみた。1987年12月24日のことだった。再録する。)
2019年12月12日木曜日
本の中の本
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| 客間に 御子の御姿 赤子なり 2019.12.10 |
私は、あなたのことばを心にたくわえました。(詩篇119:11)
世界じゅうで最も偉大な宝は何かと言えば、それは聖書です。聖書は本の中で最も古い本ではありますが、また現代のわたしたちすべての人間の心や生活に最もふさわしい本ですから、ごく最近の本であるとも言えます。この本ほど世界の人々の思想を左右し、人類に大きな影響を与えた本は、ほかにありません。
神は、聖書は神ご自身のものであり、霊感によってわたしたち人間に与えられたものであるとおっしゃっています。すなわち、霊感ということばによって、神はご自分が直接に息を吹き込む特別な方法で、聖書を人類にお与えになったのであるということを、お告げになろうとしているのです。この霊感を受けうるのはある特定の人々、すなわち、旧約の預言者と、新約の使徒たちに限られていました。これらの著者たちが、聖霊によって霊感を受けて書いたのが、聖書なのです。
「預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(2ペテロ1:21)ダビデも「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。」(2サムエル23:2)と言っております。
この聖書はすべて一字一句に至るまで、神ご自身のものであると、神はおっしゃっています。したがって聖書の著者は、自分の考えを全然その中にさしはさんでおりませんし、聖書を記述したにもかかわらず、自分が聖書を書いたのだと誇るようなこともしていません。聖書は神のみことばを含む本なのではなく、神のみことばそのものなのです。
神はまた、宗教に関することで、これ以上権威のある本はないとおっしゃっています。神はすべてのことを、みことばを通して啓示なさいました。それゆえ聖書は完全なものなのです。これよりもっと新しい啓示があるかもしれないなどと思うべきではありません。わたしたちが知る必要のあることは、すべてこの聖書に書いてあるのです。
神のみことばは、決定的なものです。したがって聖書にのべられていることは、すべて不変で、絶対的に正しいことです。神は聖書に書かれてある以上には、おっしゃることはないのです。つまり、聖書は権威をもって教義や道徳のあらゆる問題を教えているわけです。この聖書はあなたの本です。ーー「私は、あなたのことばを心にたくわえました。」(詩篇119:11)ーーこの宝典に書かれてあることが、あなたの家庭にも、生活にも、心にも宿らなければなりません。聖書は試金石として役に立つのです。聖書によって何がまことで、何がまことでないか。何をしなければならないか、何をしてはならないか。また何を信じればよいかがわかるようになります。
聖書はあなたの導きてになります。命にいたる細い道に導き、罪のおとし穴に落ち込まないように、あなたを守ります。
それは足もとを照らすともしびであり、航路を示す灯台の光であり、あなたが失望や失敗にあったとき、あなたを元気づけてくれるのです。
聖書はまた、よい道づれとして、あなたの役に立ちます。聖書は、主があなたのよい羊飼いであり、イエスがあなたの救い主であるという確信を与え、悲しみにあるあなたをよい友として慰め、あなたの涙をかわかし、あなたを希望で満たします。聖書はあなたが人生のいかなる状態にある時でも、それに適切なことばを持っております。
それだからこそ聖書は、すべての時代を通じての宝典なのであり、神のみがわたしたちにこれをお与えになることができたのです。どうかこの聖書を常に身近におき、たいせつにしてください。そして聖書を読み、信じ、愛してください。あなたに対する神のみことばとして、聖書に強くたよってください。
祈り
いつくしみ深い父、主なる神よ。聖書によってご自分をわたしにあらわし、完全な救いをもたらすこの輝かしい福音によって、救いに至る知恵をわたしにお与えくださいましたことを感謝いたします。神のみことばである聖書を愛し、日々これを読むことにより、力と、慰めと、助けとが得られますように。わたしにとって必要なこの一つのもの、すなわち聖書にまさって親しみを感じるものが、この世に何もありませんように。神の霊感によるみことばの真実性を疑ったりすることなく、神のみことばの一言一句を、幼子のような信仰によって信じることができるようお導きください。
このみことばが、地の果てまで達し、わたしの心に平安と希望をもたらしましたように、万人の心にも平安をお与えください。すべての罪をゆるし、神の救いの恵みの中に、わたしや、わたしの身内の者すべてを保ってください。神のみことばを学ぶことが、わたしたちの日々の喜びとなりますように。天から与えられた、生きたみことばである、わが主キリスト・イエスのみ名によって、心からお祈りいたします。 アーメン。
(『重荷も軽く』A・ドーフラー著1〜4頁より引用。)
2019年12月9日月曜日
つまずく
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| イチョウの お堀めぐるは 江戸の城 2019.12.7 |
つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちにはいるほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。(マタイ18:7〜8)
先週の土曜日は高校時代の同窓生が21名集まって会食した。今回で37回目と言う。私は過去4、5回出席している。毎回12月第一土曜日、『日本倶楽部』となっているので間違うことはない。
ところが2年前は出席するつもりでいたのに、怪我のため欠席せざるを得なかった。それは軽井沢から碓氷峠越えのバスを降りて信越線横川駅へ乗り換えを急いでいたため、あわててバスからステップを踏み出した途端、足が伴わず、その場で倒れ、車止めに顔面をしたたかぶつけてしまったからである。大変な衝撃であった。それもそのはず顎の骨を折ってしまっていた。40日間、口を閉ざし、歯を固定するのが最良の治療であった。その間、歯の隙間にストローを差し込み流動食で耐えに耐えた。
その前の年は長崎行き、昨年は近江八幡行きとかちあい、過去3年間は出席できなかった。そういう意味では4年ぶりだった。会はいつもどおり各自の5分間スピーチがあった。大体が健康法の話である。中でも、つまずいた話が三人ほどからあったように思う。それを聞きながら、二年前のことを思い出していた。自分はもうすでに2年前経験したことだから、皆んなより早く歳をとっているんだなあーという思いであった。その中で一人の方が秀句を紹介してくださった。
新涼や さびしさとして 在る身体
中々味わい深い句である。なおあともう一句紹介してくださった。
僅かなる 睫毛の陣地 夏化粧
高校時代の彼女を知っているだけに、より一層身に迫った。同窓生は三時から二時間程度会食し、二次会にもそのままなだれ込む。いつもはそこで帰ってくるのだが、そのあと一人の方と喫茶店に立ち寄り、話合った。彼のうちに、キリスト信仰を知りたいという思いがおありのように拝見していたからである。もちろん、無神論者の彼にとっては神の存在は荒唐無稽以外のなにものでもない。橋渡しをすべき私にも知恵はない。結局、科学万能主義者であった私が、どのようにして50年前に、主なる神様を信じたか証をするしかなかった。
まだまだ語り合いたかったが、時間も遅く別れざるを得なかった。お互いにがっちり握手をして。ほぼ一時間半ほど電車に乗り、夜道を急いだ。土曜日は風も出てきて冷え込みも厳しかった。線路沿いの10数分通い慣れた道であった。ところが漆黒と言ってもいいところがあった。そこで躓いた。2年前よりは衝撃は小さかった。夜闇にもかかわらず、前につんのめって倒れた様を身近に目撃しておられたのだろうか、一人の若い女性が心配そうに駆け寄ってくれた。「大丈夫です」と答えて、家までたどり着くことにした。
そこから携帯で家内に連絡するという選択肢もあったが、結局7、8分あまり歩いて家にたどり着いた。口内に出血があり、血液サラサラの薬の常用の心配が頭をよぎり、救急車で、顎骨折でお世話になった病院に運んでいただいた。幸い、傷は唇を切った程度で、左足膝、右肘に痛みが少々ある程度で済んだ。家内は日頃から「夜道を歩くのはやめてほしい」と、言っていた。ましてや、今日の同窓生は一様に「つまずかないように」と口を酸っぱくして言っていた。
家内の言はこれまでほとんど無視していたが、数時間前に聞かされた同窓生のことばとあいまって、自らの体力の衰えを痛感せずにはおれない。
イエス様は冒頭の聖句にあるように「つまずきが起こることは避けられない」とおっしゃりながら、返す刀で、「つまずきをもたらす者は忌まわしいものです」とおっしゃっている。「忠告」を「忠告」と受け取らない己が姿は、やはりつまずきを知らず知らずに人様に与えて平気でいることの裏返しかもしれない。振り返れば、二、三日前に下記のみことばをとおして、「力と愛」の霊だけでなく、「慎み」の霊をもいただいていることに無自覚であった自分を示されていたばかりであった。
神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(2テモテ1:7)
2019年12月1日日曜日
すれちがいの人生(下)
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| 都電にて 嫗のこころ 乗せ来るに 娘心は チョコ手づくり |
「すれちがい」は人間同士の間で絶えず、生じる。しかし、それに対して一々腹を立てていたのでは、愛は成熟しない。
さて、以下私自身が38年前に経験したことを書いてみる。今年は、今日12月1日が日曜日となったが、38年前は11月29日が日曜日であった。日曜日の教会での礼拝に出席し、午後の教会行事も手際よく処理し、大学付属病院に入院中の父を見舞うために道を急いでいた。何しろ、その病院は遠方にあり、電車でほぼ二時間余かかるところにあった。
その6日前の勤労感謝の日には、家族揃って見舞い、父にも喜ばれ、それまでの人生でもっとも心の落ち着く幸いな一時を過ごすことができた。祈りを拒否するであろうと思われた父も頭(こうべ)を垂れて子どもたち五人を交え、私たち夫婦と合わせて8人で祈ることができたからである。その時の私の祈りは、「主なる神様、あなたが、お父さんの病の中にいてください」というものだった。不思議と「病を治してください」ではなかった。
そうして樹木が林立する、小高い丘状に位置するそのサナトリウムを私たちはあとにした。互いに手を振って、「また来るよ」、「また来いよ」といつまでも呼び交わしたい名残惜しい、けれども何か希望の湧いてくるようなひと時を経験させていただいたのだ。
ところが、私はその日曜日、まだ一週間と経たない日時ではあったが、忙しいスケジュールの間隙を縫って、一人ではあったが再び慰問を敢行した。道々、父の好物と思われるお菓子などを買い集めて、遠くでさびしくしているであろう父を喜ばせようとひとしきり道を急いだのだった。
ところがつい一週間前のサナトリウムの外観たたずまいではあったが、病院内では人の動きが激しかった。その内、院内の方々の視線は私が院内に入る動きに自然と収斂した。婦長らしき方が「今朝は元気だったのですが・・・。お宅に何度かお電話したのですが・・・」と言われる。そして霊安室に案内された。父に対面した。
父の遺骸は教会の友人が車を出してくれ、三人がかりで時間をかけて深夜教会まで運び入れることができた。よもやと思ったが、牧師さんが教会で葬儀をやるべしと言い、実行してくださった。あれやこれやで一両日あるいはもっとかもしれないが時は過ぎて行った。ある時は一日中泣き明かした。いくら泣いても泣き足りない思いだった。そのうちふっと苦境にある時に絶えず示されるみことばに目が釘付けされた。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
そうだ、父は、(福音を受け入れることに対して頑固だった)父は、主のあわれみで私たちより一足先に天の御国に行ったのだ。日曜日は「天下御免の寝て曜日」でないか、お前は何で「日曜日」は教会で礼拝しなければならないとがんばるのだ、と公私とも多忙な私の体を心配して言っていた。ある時など、父が瀕死の重傷を負ったにもかかわらず、たまたまその日が日曜日であったので駆け付けなかった時もあったほどの律法主義者であった私。父は召される日の朝、この日は息子家族は教会で礼拝をささげていることを間違い無く知っていたはずだ。
そして、何か父に先を越されたと思い、天晴(あっぱれ)とさえ思った。こんなすばらしい福音をもっともっと多くの人に知っていただきたいと思い、それまでどちらかというと内向きの奉仕であった教会会計の奉仕をやめさせていただき、伝道の奉仕へと牧師に願い出て奉仕分担を変えてもらった。
「すれちがい」と言えば、これほどの父子のすれちがいはないのでないか。人間的に言えば、一直線に私を愛してやまなかった父に対し、私は親不孝そのものだった。すれちがいの元凶だった。しかし主なる神様はまさにこの人間の愚かな行為のうちにちゃんとご自身の計画をもっておられるのだ。問題は鈍い私が知らなかっただけだった。
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