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2010年2月1日月曜日

蝋梅の花一輪


 キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。(新約聖書 2テモテ1・10)

 かねて闘病中であった義母が先週の木曜日の早朝に亡くなった。85歳であった。思えば、一年前のお正月には早朝「母危篤」の報せを受け、驚かされた。気が動転する中、家内と二人で祈った。その時、不思議と二人の心は一致して「主のみこころに従います」と祈ることができた。それとともに心は落ち着きを取り戻していた。家内は早速取るものも取りあえず搬送先の大学病院へと新幹線でかけつけた。幸い手術は成功し、一命を取りとめた義母はほぼ一年いのちを永らえることができた。

 この一年は家族にとって欠かせない一年となった。葬儀の出棺の折、跡継ぎである義弟は参列者の皆様にお礼の奏上を申し上げた。「この一年間、人生の生と死を考えさせられました」と。母との死別の悲しみを端的に語ったものだった。私たちも皆同じ思いであった。

 義母は85年の全生涯を土地の生え抜きの人として浄土真宗の信仰心の厚い村で生まれ育った。その義母に私たちは福音を語り続けた。福音を語らずにはおれなかった。しかし、最後まで私には私たちの思いは一方的に過ぎないものなのではないかという悩みがあった。ちょうど義母の死の数日前から私はマルチン・ルターの書いた「卓上語録」を読んでいた。が、その中に以下の件があった。

「神は活ける者の神にして、死せる者の神に非ず。」※この本文は復活を示す。復活の希望が無いなら、この短い憐れな生活の後に他の、またもっと善い、生活の希望がないなら、どうして神は、われらの神であるように彼自身を提供し給うか、またわれわれに必要であり有益である一切を与えると言われるか、また最後には、時間的な悩みや霊的な悩みからわれわれを救い出すと言われるか。何の目的のために、われわれは、神の言葉を聴き、神を信ずるだろうか。(『卓上語録』佐藤繁彦訳 昭和4年発行 74頁 ※ルカ20・38などのイエス様のことば 引用者註)

 義母に語り続けた「福音」は決して絵空ごとでなく真実であることを改めて確信させられたルターの言葉であった。それだけでなく死の二日前、田舎から義母の病室を見舞った義妹から一つのエピソードを聞かされていた。それは病室に義弟が家の庭から義母の慰めにと持ち込んできた蝋梅の一輪の花にまつわる話だった。

 蝋梅のかぐわしい香りが幽(かす)かに部屋に満ちたのだろうか。御世話くださる看護士さんがこの花は何という花ですか、と誰聞くともなく、問うたそうである。ところが義母はその会話を聞いて「ろうばい」と瞬時に言ったそうである。それまで、全身で病の苦しみをこそ表せど、自ら語ることのなかった義母が、はっきりその花の名前を言い当てたことに一同びっくりしたということであった。

 その話を聞かされて義母の意識はしっかりしているのだ。だとすれば私たちが、罪の赦しがイエス様によって与えられ、人の死は終りでなく、罪を悔い改めてイエス様を信ずる者の霊は必ずイエス様とともに永遠に生かされ生きることができる、今の苦しみは一時的で必ず主イエス様とともに天の御国に入れられるよと、語り続けたことも義母ははっきり聞いてくれたのだと私は思った。

 もし義母が死で終わるしかない存在であったら、私たちのことばはすべて空しいが、罪の赦しによる永遠のいのちは確実に義母の心に届いていたと確信することができたのだった。それからしばらくしての先週の義母の死であった。仏式で営まれた葬儀の義母の遺影には、なぜか昨年2月にベックさんが病室をお見舞いし、お交わりされた時に撮影された満面笑みをたたえた写真が使われた。

庭に咲く 蝋梅の花 義母送る

忘れまじ 蝋梅の香よ 義母の愛

2024年1月27日土曜日

地の極の開拓者(承)

蝋梅と 名付く先人 豊けきか 
 睦月も早や数日になってしまった。この月、毎年、線路道に決まって蝋梅が花を咲かせてくれる。ありがたいことだ。蝋梅について、このブログではすでに七篇書かせていただいているが、私にとっては、その最たるものはやはり義母との思い出を述べたものである(※1)。それはともかく、「ろうばい」という呼び名、またその漢字は「蝋梅」と書く。名は体を表すと言うが、私はその妙味を痛切に感じる。

 一方、棘(いばら)にその思いを捉えられた人がいる。その人が「ツィンツェンドルフ伯爵」である。「棘の冠」と題する、前回の「夜番の唄」に連続する文章を転写する。

 モラヴィアからの落人たちが若いツィンツェンドルフ伯爵の領地にやって来たと言うことは、少なくとも伯爵にとって一つの運命の決定とも言うべきであろう。最初の行きがかりは主の御名(聖なる名)のために故郷を追い出された人々に対する寛容さ以外ではなかったのであるが。

 A.T.ピアソンが「モラヴィアンの使徒」と名付けたツィンツェンドルフ伯爵は、敬虔派の学校の校長であるフィリップ・スペンサーとその高弟フランケとにその霊的系図を受けているのである。彼の祖父はオーストリアの貴族であったが、キリストのために一切を投げ出した人であり、その感化によって祖母も伯母もこのような霊的訓練を重んじた。だから、このような環境の中で成長した彼は、わずか四歳で、その愛する救い主との契約を立てたということである。そして未だ見えない救い主と交わろうとして、神の臨在の前を歩む真からのキリスト者であった祖母が、常に近くにおられる主と物語っている姿にならって、子供らしい単純さから救い主イエスにひとくさりの手紙をしたため、主は必ず受け取って読んでくださると確信して居城の窓から投げたという、いじらしい物語が伝えられているほどである。

 十歳の時、ハレにあるフランケの学校の生徒であった頃、彼は「芥子だねの一粒」団と名乗る小さな祈祷グループを組織した。このような精神が、後日大いなる実を結ぶに至ったのである。

 また、その青年時代に、当時の慣習に従い家庭教師を伴ってヨーロッパ遍歴の旅に赴いた途中、いのちの力である生ける救い主ご自身に一切を捧げる厳粛な神の召命の経験をさせられた。

 それはデュッセルドルフのある美術館でのことであった。棘の冠を戴き給う受難の救い主の前に立ち止まって見入る彼の心に、天来の声が響いて来た。そして絵の前を立ち去る若き伯爵は変わって新しき人となった。その絵の傍に記された文字は次のように読まれた。
『我れ汝がためにこの凡てのことを為したり、汝我がために何を為ししや』(※2)
若き敬虔な貴公子はここにイエス・キリストの熱心なるしもべとなったのである。

 彼はその敬虔さを行為に表すべきであった。贖い主を知ったという衷(うち)なる喜悦(よろこび)は信仰の究極ではなくして、彼をして、主のために何事かを成さねばやまない源泉となさせしめたのである。

 この少数の落人たちが伯爵の領地に入り込んで来たということは、その後引き続いて逃れて来る人々にとって平和な場所であったばかりでなく、ツィンツェンドルフ伯爵にとってもまた、天与の機会であったのである。彼らが新しい村を建設しようとするその企てに彼が興味を持ったばかりでなく、やがて彼らの指導者またその真の首領となり、この小さい群れのみならず、神なくキリストなき、異邦人の広大なる世界を思い、彼らの魂の救いについて隠れた大役を受け持つに至ったのである。

※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/02/blog-post.html

※2 私はこの言葉が聖書のどこかにあるはずだと、一生懸命、文語訳聖書を探すのだが見つからなかった。駄目元という思いで就寝前、家内に何か思い当たることはないかと尋ねた。普段記憶の衰えている彼女は、その言わんとすることを汲み取り、一つの讃美歌を歌い出した。讃美歌332番(日々の歌113番)であったhttps://www.youtube.com/watch?v=N5GiKx6Eu6M。その歌の終わりは「われ何をなして 主にむくいし」であった。途端に、私は、2016年一年かかって訳出し、毎日せっせとブログに掲載していたハヴァガルに関する一つのエピソードを思い出した。そして大塚野百合さんの著書を引っ張り出して再読して、驚いた。ハヴァガルもまさしく同じ経験をしていたのだ。彼女もまた、同じ美術館で、しかも同じ絵を見て、棘(いばら)にその魂を震撼させられた人であった。そこには、ツィンツェンドルフ伯爵が18世紀に、ハヴァガルが19世紀とほぼ100年という時代の隔たりの違いはあったにせよ。そのところを『讃美歌・聖歌ものがたり』236頁より、引用して確かめてみる。

 (ハヴァガルは)ドイツのデュッセルドルフの美術館にシュタンバーグという画家の「エッケ・ホモ」(「この人を見よ」という意味のラテン語)という絵があり、その実物か、または複製を見て感動し、それを想起してこの歌を書いたという説があります。これは十字架にかかっているイエスの絵で、その周りにラテン語で「私はあなたのために命を捨てた。あなたは、私のためになにをしたか」と記してあるそうです。彼女は、この町に留学していましたから、その絵を見たでしょうが、手記には、何もそれらしきことは記していません。彼女は、祈りの時、イエスが彼女に「私は、あなたのために命を捨てたが、あなたは、何を私のために捨てたのか?」と語りかけられるのを聞いて、この歌を書いたのでしょう。十字架にかかって命を捨てたもうたのが、まさに自分のためであったと信じて、その恵みに圧倒されていたのです。

 この歌を無価値のものと思った彼女は、これを暖炉にくべたのですが、たまたま風でそれが焼けずに戻って来たので、そのまましまっていました。それを読んだ彼女の父が、良い歌だと言ってくれたので、彼女はそれを保存する気になったそうです。彼女の魂に語りかけられたことを書きしるした歌を、世間に発表することは、彼女にとって、気恥ずかしいことでした。この歌を見ると、彼女の幸福の秘密は、イエスが命を捨てるほどに自分を愛しておられることを彼女が信じたことにあるようです。

 この讃美歌には、アメリカの19世紀の優れた讃美歌作曲者フィリップ・ブリスの曲が付されています。ブリスは、ハヴァガルのように、神に完全に献身した人間であり、そのことに最高の喜びを感じていた音楽家、また伝道者であったので、この歌の言葉に感激しながら曲を作ったはずです。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/03/gospel-in-song_18.html

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/12/blog-post_27.html

神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(新約聖書 2コリント5章21節)

2016年10月11日火曜日

救い主

舌づつみ 懐石の味 時忘る※ 

王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。(エステル5:2)

 イエス様は「王位についている(アモス1:8)」方です。笏は第一に王の権利と権威の、次に義と公正の象徴であります。「あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です(ヘブル1:8)。」「正しい杖」です。しかし、金の笏は、もしそうでなければ滅びたに違いない者に対する最高のあわれみのしるしとして差し伸ばされました。「生きるために死に行かねばならないというご自身の法」によって。

 かくして、直接の宣言と型の組み合わせによる、この形態のうちに、私たちは、私たちの王の「恵みとまこと」また王国の「義と平和」が美しくも完全に調和されているのを見させていただきます。「王様の敵」にとっては、笏は「鉄の杖」であります。(ヘブル語では笏は同じ意味です。)彼らは自分たちが否定する義を喜ぶことができません。しかし王様にお気に入りの臣下にとっては、笏はまことに金の美しさそのものであります。

 私たちは主の絶対的な義と公正を尊崇し、栄光をほめたたえます。そのことは私たちの道徳存在の深みまで満足させるものです。まことに強力であり完璧であるからです。そして、おお、どれほど「あなたのあわれみは快いことでしょう」そしてまさしく義でありますから、どれほど「確かな」ことでありましょうか。

 エステルは申しました。「私は、死ななければならないのでしたら、死にます(エステル4:16)。」ところが、私たちはそういう必要がないのです。「その恵みはとこしえまで(詩篇136:18)。」なのです。ですから、私たちが王様の拝謁室に入るときはどんな時でも、金の笏が私たちに差し出されていることを知っています。先ず、「私たちが生きるため」に、そして次には好意から好意を得るためであります。

 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか(ヘブル4:16)。」遠く離れて立たないで、そのことを覚え、王様を待ちましょう。しかし、エステルのように「近寄って、その笏の先にさわ(エステル5:2)」るのです。

もしあなたがそうおっしゃったのなら
私は信じるに違いありません
それは「求める」だけです だから私は受け入れます

もしあなたがそうおっしゃったのなら
真実であるに違いありません
だからもはや私がすることは他に何もありません
キリストのために私にそれを与えて下さい

私はそのように来て求めます
なぜなら私の必要はまことに大きくほんとうですから
あなたのみことばの力の上に
私は来て申します
おお あなたのことばを 今日も真実たらしめて下さい
キリストのために私にそれを与えて下さい。 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-11-the-saviour/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97449です。辞書を調べるとFor Christ's sakeは「後生だから」、「一生のお願い」とある。その訳がふさわしいのだろうが、ここでは敢えて「キリストのために」と訳した。

※Godhold Beck(50)
 法事とは摩訶不思議な時間である。一族が一同に会するからである。その一族が延々と連なるいのちの受け渡しを振り返る時である。私はマタイの福音書のイエス・キリストの系図に思いを馳せざるを得なかった。その系図はイエスの父ヨセフの系図である。ところが言うまでもなくイエスは母マリヤが処女のおり懐胎した神の御子である。ヨセフとは血のつながりがない。けれども聖書ははっきりイエス・キリストの系図と記してヨセフに至る系図を載せている。

 そもそも連綿と続く血族は一方で結婚による姻族を加え、加え、保たれて行く。しかも結婚とはまさしく男女の自由な意志によるきわめて人格的な結びつきであるが、そこには人の罪が連綿として居座り続けるやっかいな問題がある。救いはただ主イエス様の贖いの死を受け入れる罪からの解放だけである。私はそのようにして矛盾に満ちた自己の存在・悪・罪から救われた。その福音を私に伝えたのは、こともあろう、後に結婚することになる家内からであった。

 その福音を受け入れようにも、伝統的な日本仏教の中で矛盾を感じ苦しみながらも伝統ある家の格式を守り地域住民と平和裡に生活しなければならないのが家内の実家であった。その地をベック兄は生前二回訪れて下さったのである。

 一回目は昨日も述べた通り、25、6年前の実家であった。ところが、その後2009年2月に病を得た義母の見舞いに、お忙しいベック兄は今度はわざわざ地元の病院に立ち寄って下さったのである。近江八幡か彦根に移動されるほんの短い時間を利用してのお見舞いであったように記憶する。その時、義母はもはやベッドから立ち上がれず、ほぼ一年後に召された。しかし、25、6年前とちがって満面に笑みをたたえてベック兄との再会を喜んだ。この時、義弟も同席していた。

 昨日の法事の席で義母の写真も飾られてあった。それはその折り、ベック兄が撮られた写真をもとに義弟が作成を依頼したもののようであった。私は懐かしく過去のブログの記事〈蝋梅の花一輪http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2010/02/blog-post.html 、村共同体と信仰http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2010/02/blog-post_02.html〉を思い出しながら、義弟にその話をした。義弟は蝋梅の木は当時母の依頼に答えて10年前に植えた、それがあの時、花を咲かせたのだと言った。母はその蝋梅が咲くころには私はいないかもしれぬ。しかしあなたの嫁が大事にしてくれるだろうという嫁姑の愛に満ちた話だった。

 「天国の かなたに上る 義母ありや 妻と語らう 夕餉楽しき」 ) 

2022年1月26日水曜日

みことばを話しておられた

 蝋梅の 花ほころびる 春を待つ※

それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。(マルコ2・2)

 イエスを最もよく理解した愛弟子ヨハネが彼を『ことば』と呼んだ(ヨハネ伝1章1節)それほどにイエスは『ことば』の人であった。

 『ことば』に力のある人であった。『ことば』に生命のある人であった。彼の『ことば』は彼の人格の流露であった。『ことば』と共に彼の実質が流れ出て人の肺腑(はいふ)を衝(つ)いた。人を救わないではやむことのないあるものが『みことば』となって迸(ほとばし)り出たのである。

 ルターのことばは半分戦争であったと言われているが、主イエスのみことばは『生きていて、力があり』(ヘブル4・12)であったと思う。だから、そのみことばを聞く者の中から救いを求めて『中風の人が四人の人にかつがれて』(マルコ2・3)やって来たのである。イエスの一言は直ちにこの人を救うことができると信じられたからである。

祈祷

ロゴスである神、私たちの救い主イエスよ、あなたのことばは生きていて力があります。あなたがひとたびお語り下さるならすべてのことは成りますので、あなたの御名を賛美申し上げます。願わくは、みことばの一句を読むときにも、空疎な文字として、これを読むことなく、その一語一語が躍り出て私を救うものであることを信じてみことばに耳を傾けさせて下さい。アーメン

以下の文章はクレッツマンの黙想より引用(『聖書の黙想』42頁)

 多分ペテロの家に戻られた主は、幾日かの静かな日々と、乱されない夜のいこいとを、望んでおられたことと思う。しかし、主が戻られたのを目にした人々は、いちはやく、耳から耳へとそれを伝えたので、彼らのある者は主を見ようとして首を伸ばしながら、また他の者は、主のことばを聞き逃すまいと、耳をそばだてながら、戸口のところでひしめき合った。多くの者は、それでも空しく心を残しながら引き返さねばならなかった。

 そして主は、何をなされたのだろうか。彼らに対して声をはげましてみことばを伝える以外の何かをなさったのだろうか。主はひたすら明白なことばで、しかも生命と力とに満ちた救いのみことばを彼らにもたらせようと心を砕かれたのである。

(※蝋梅について過去に何度か書いている。ほとんどが「義母」への思いだった。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/search?q=%E8%9D%8B%E6%A2%85 それを忘れたわけではない・・・)

2017年1月9日月曜日

神様 キリスト あなた

蝋梅を 指し示す手に 望み継ぐ

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。(ヘブル4:15)

 あなたが今通らされている事態だけでなく、その思いにもすぐに同情を寄せてくださるイエス様のことを思いなさい。「同情してくださる」そのことばはどれほど深きものを私たちにもたらすことでしょうか。イエス様だけがわかってくださる痛み、ことばで表現できない弱さのうちにいて、主の方を向く時、全く異なった感覚で主に取り扱っていただかねばならないことを知ります。それは、私たちが他の誰かに関わっていただかねばならないと思うことと、どれほど異なっていることでしょうか。私たちはイエス様なしにはできなかったし、イエス様なしには決してしてはいけないということを神様に感謝するものです。 

 ですから、私たちは万事につけ、主に対してだけ責任があるのです。主人の心次第で私が立つか、それとも倒れるかです。そして、その後者が代わりうるか、使徒が付け加えているように、ただちに「このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです(ローマ14:4)。」すなわち彼は主人のしもべだからです。 もし主から命令されるなら、私たちは主に対して弁明しなければなりません。

 私たちは主イエス様と直接関わらねばなりません。それは非常に直接的なのでまずその直接性を把握することがむつかしいです。もし私たちがその直接性を持つだけなら、たましいとイエス様の間には絶対何もありません。私たちはイエス様御自身を神様と私たちの仲介者としていただいています。そして仲介者の性格というものはまさしくヨブが「私たちふたりの上に手を置く仲裁者(ヨブ9:33)」というものです。そのようにイエス様の御手、「神の右の座にいる人の子である」イエス様御自身の御手は私たちの上に何の仲介もへだたりもなく置かれるのです。私たちとイエス様御自身との間では私たちはいかなる人間の声はもちろんのことどんな文書も必要としないのです。

 あなたに、親愛なる救い主に、私のたましいは憩いを求めて向かいます。その転換は 私たちがかつて主イエス・キリストと直接に個人的にかかわることがどういうことであるかを学んだ時の直感的であり即時的なものであります。その時、いのちは影があろうと日向であろうと見知らぬ人がおせっかいをしなかろうと私たちの喜びと全く異なるものです。おそらく自ら告白もしクリスチャンと自称する人々の間に奇妙に違いを感じさせるのはまさしくこれでしょう。

「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう(出エジプト記33:14)
不安な胸の内をやわらげてくれる 甘くもやさしい約束
イエス様は 孤独なたましいを ご存知です 
そして 隠された悲しみのすべてを
地上のどんな友も理解してくれない 疲れ果てし心の切なる思いを
イエス様は 全部 ご存知です
あなたは ひとりじゃないと ともにいまし 囲みのうちに入れられ
あなたは 主の王座の影の下で ゆっくりと 憩うことができます

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/january-9-god-christ-you/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97173です。ハヴァガルの訳業も一年間、苦しみながらやっと今日で一巡りしました。ほとんど逐語訳に近い訳となりましたが、自分の中でハヴァガルの信仰が少しずつつかめてきたことは感謝でした。ハヴァガルが小さい時から聖書を暗唱していたということは驚きでありましたが、そのお陰で遠く異国の地である日本人キリスト者である私にもその一端が伝わって来たのは不思議な思いでいます。なぜなら、わからない英文ばかりですが、ハヴァガルが聖書を覚えおり、自由自在に自分の文章に挿入するからです。ただし、その文章はかっこ付きで示されていますので、私の仕事は一体どこの聖書のことばなのかそれを調べるのが中心でした。YouVersionのアプリを利用してその箇所がつかめると他の箇所の理解がより一段と進んだ感じがしました。こうして日々翻訳を続けて参りました。慣れない下手な訳文にもかかわらず背後で応援し祈ってくださった皆さんに心から感謝します。

※Godhold Beck(140)

『聖書とは何か』第六部 [1]

 今まで、私たちは聖書が神のみことばであることを見てきました。そして預言者たち、使徒たちによって宣べ伝えられ、また書かれたみことばが、神によって受け取られたみことばであることをも見てまいりました。すなわち、これは語られ、書かれたみことばと受け取られたみことばとが等しいことを意味しています。また、私たちは今までに神が預言者たちをとおして、使徒たちをとおしてお語りになったということを確認して参りました。したがって、書かれたみことばと受け取ったみことばとは等しいということが明らかになったわけです。

 今までのことをここでわかりやすくまとめてみましょう。先ず第一に言えることは神のお語りになったみことばと人間、すなわち預言者たちや使徒たちが受け取ったみことばとは等しい、同じものであるということです。第二に預言者たちや使徒たちが書き記し、宣べ伝えたみことばは彼らの神から受け取ったみことばと等しい、同じものであるということです。したがって、その結果として第三に言えることは主なる神のお語りになったみことばは預言者たちや使徒たちの宣べ伝え、書き記したみことばと等しいということです。この結論は否定することができません。

 もう一度、以上のことをまとめてみますと、次のようになります。神によって語られたみことばは変わることなく、また完全な形で預言者たちや使徒たちによって語られ、書き記されてみことばの中に表現されているということです。そしてまた、神によって語られたみことばは、人間たちによって受け取られたみことばに等しく、そしてまた同じように人間たちによって宣べ伝え、書き記されたみことばに等しいということです。すなわち、聖書は神のみことばです。

 もう一つの点について考えてみたいと思います。すなわち、神のみことばに対する信仰あるいは聖書に対する私たちの立場について、これからご一緒に見てみたいと思います。聖書が自らについて証しする事柄、言わば聖書の自己紹介は何かと言いますと、それは神のみことばであるということです。もう少しくわしくご説明致しますと、聖霊によって与えられ預言者たちや使徒たちによってみこころにかなって書かれたものです。聖書の要求は極めて明瞭です。すなわち、聖書はすべての部分において、一つ一つのことばにおいて、まことの神のみことばであることを主張しているのです。

 それでは今、私たちはこの聖書の要求に対してどのような態度や行動を取りたいと思っているのでしょうか。私たちは自由に決断すべきです。すなわち、私たちはこの聖書の要求を拒むか、あるいは素直に受け入れるかのどちらかです。聖書の要求を受け入れる人は、それによって聖書全体を獲得します。しかし、この要求を拒む人は、聖書全体を失う者です。事実上、次の一つの事は不可能です。すなわち、聖書の要求を全部、あるいは一部否定して、しかしながら聖書の他の箇所を信じたいと思うことは全く不可能なのです。聖書の言っているすべてが正しいか、あるいは聖書の言っている何一つ信頼できないかのどちらかです。人間は誰でも聖書に関して根本的な決断をしなければなりません。つまり、誰でも聖書に対して立場を取らなければならないのです。しかし、みことばに対する私たちの立場は一人の人格に対する立場なのです。私たちは見たように、聖書をとおして神はお語りになっています。主なる神は聖書を「我がことば」と呼んでおられます。主なる神はまた御子を通してお語りになったのです。そして主イエス様は新約聖書について「我がことば」と言っておられます。

 したがって私たちは一つの人格すなわち私たちにお語りくださる主なる神ご自身に対して直面しているのです。ヘブル書4章12節13節お読み致します。
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。

と。「神の前で隠れおおせるものは何一つなく」「私たちはこの神に対して弁明をするのです」。したがって、神のみことばである聖書に対する決断とは私たちにお語りくださる人格者、すなわち主なる神に対する決断であり、みことばに耳を貸さないということはみことばをお語りになられる主なる神を無視することになるのです。

引用者註:これほど徹底的な聖書に対する信頼・確信はありません。ベック兄の全生涯を支えた、微動だにしない信仰の強さを思うことができます。あなたは全聖書を受け取りますか。それならあなたは全聖書の祝福を受け取ることができます。もし受け取らないなら、祝福を失いますと明言しておられるからです。引用者の乏しい経験でも全聖書はまさに「わたしは彼らを幸福にする」とおっしゃる神のみことばであると確信する者であります。)

2010年2月6日土曜日

復活の主を仰ぎ見て


 今日は久方ぶりにAさんのところに出かけた。闘病生活は一年をとっくの内に過ぎ、一年半になろうとする。今年になってからは二回か三回目かの訪問である。自宅で療養し始められてから行く回数は減ったが、それでも行くたびにお訪ねして良かったと思わされる。お交わりして最後は聖書を二人で輪読して一緒にお祈りして帰って来れるからだ。

 今日はピリピ人への手紙一章を二人で一節ずつ交互に輪読した。その後、先ず私が先にお祈りし、そのあとAさんがお祈りされた。いつも永遠のいのちを与えると約束してくださった主に対する感謝をされるが、今日はそれだけでなかった。祈りの初めに三つのことを言われたのだ。

 すなわち、最初に、「神を愛すること、へりくだること、隣人を愛すること」と言われた。それができますようにというお祈りだった。そして祈りの終わりには友人、家族の名前をあげてそれぞれの方の平安を祈られた。Aさんにとって病の進行は徐々に進んでいるし、将来に対する不安はあるが、それでもイエス様にある平安をいただいておられるのがよくわかった。

 2時間程度のお交わりだから互いに心を割って話し込む。私は先週の義母の死とそこにいたるまでの自分たちの証しのことを正直に話した。私たちは義母が浄土真宗に生まれながら帰依し、85年間その生活が体に染み通っていることを知った上で義母の救いを40年以上祈ってきた。しかし義母に福音を伝えることはどうしても叶わなかった。義母が病に突然たおれたことを通して、病室内で初めて福音を伝える恵みにあずかったに過ぎなかった。

 けれども義母はもはや元気な時のようなコミュニケーションは取れなくなってしまっていた。ある時は幻覚状態に見舞われたこともあった。私たちはそれでも義母の心に語り続け、枕頭で祈り続けてきた。しかし義母に果たして私たちの言葉は通じているのだろうかと思う時もあり、悩んだ。しかし、それが亡くなる二日ほど前に義妹を通して聞かされたことでハッとさせられたのだ。

 義母は病室内に生けられた咲匂う蝋梅の香をかいだのだろうか、花の名を知らない若い看護士さんが家人にこの花は何という花ですかと問うていた時に、義母の口から「ろうばい」ということばが出てきたそうだ。この話を伝え聞いて、私は「ああ、義母は意識がしっかりしているのだ。果たしてコミュニケーションが成立しているのかと、これまで半信半疑だったが、実はそうではなかったのだ。」と思った。同時に、そのニュースは、主なる神様は死んだ者の神ではなく生きている者の神であり、私たちがイエス様が提供してくださった永遠のいのちの約束を伝えることは決して空しいことでない、とルターの『卓上語録』の文章を通して新たに確信させられていたことと重なった。

 だから義母が首尾一貫して私たちの語りかけること、祈ることを元気な時のように拒絶するのでなく、逆にいつも黙って聞いてくれていたことを振り返ることが出来た。特に、最後になった1月17日のお見舞いの時に家内が祈った言葉に一々頷いていたことは、この素晴らしい福音のニュースを義母は意識して受け入れてくれたのだ、と確信できたことだった。私はそのことをAさんに申し上げた。それに対してAさんは即座に賛意を表された。

 そしてご自身のお母さんが4年ほど前に亡くなる前の話をしてくださった。彼の友人がどうしてもお母さんにお会いしたいと申し出たそうだ。Aさんは、「そんなこと言っても母はTさんのことをわかるだろうか」と内心不安に思っていたところ、お見舞いに訪れた何年ぶりかで会うTさんを見て、大分具合の悪くなっていたお母さんの口からTさんの名前がスラスラと出てきてびっくりした覚えがある、ということだった。それだけでなく、Tさんが東京から九州にある事務所に出張のため来たお見舞いだったそうであるが、お母さんの入所されていた介護施設が100mほどしか離れていない高台に位置していたということだった。

 主なる神様のなさることはいつも完全である。主なる神様に対して感謝の薄い私ではあるが、Aさんが祈られたように、主の前に、人の前にへりくだって歩みたいと思わされた今日のお交わりであった。最後に復活はないと主張していた人に対して、主イエス様が言われたことばを引用する。

イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。・・・死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。あなたがたはたいへんな思い違いをしています。」(新約聖書 マルコの福音書12・24、26~27)

(2月になってさすがに寒い日が続く。はるか故郷を思って、昔撮った写真を載せる。安部氏の選挙ポスターが懐かしい。撮影日は2007年3月12日とあった。)

2014年2月7日金曜日

宣教師、誰かこの任に耐え得んや(上)

蝋梅 府中郷土の森公園で
安田寛さんのご著書を以前紹介させていただいたが、その安田さんが宣教師の心として紹介しておられる文献にノーベル文学賞作家パール・バック女史の『戦える使徒』がある。この本はパール・バックが父について書いた本である。以下、その冒頭部分の叙述を紹介したい。(『Fighting Angel(邦訳名は「戦える使徒」深沢正策訳ダヴィッド社1955年刊行6〜7頁)

「お父さん。私たちに読ませるために、あなたの生涯がどんなだったか、書きのこしてくださいません?」

なぜかというと、彼は中国を北も南も、東も西も、村落も都会も、のこらず遍歴しているのである。その冒険は幾冊かの著書を満たすにたりるであろう。生死のさかいに彷徨したことも一再ならずあった。そればかりでない。中国人というものを彼ほど親しく見た欧米人はけだし稀であろう。彼は中国人をその日常生活で、結婚式で、病床で、また死の床で—彼らの生活のもっとも切実な瞬間まで見た。そうして中国人が一国として古代からの歴史を繰り返すのも、また見たのである。皇帝の統治、帝国の顛覆、革命、共和政治の開始、ふたたびの革命—それらは彼の眼前に展開した中国の社会相である。

それで彼は七十歳になったとき、自分の観じた生涯を書いた。夏ぢゅう、ひまさえあれば彼は書いた。ほかのものはみな午睡している暑い午後にも、おぼつかない調子で彼が古ぼけたタイプライターを叩く音を私は聞いた。またその音は早朝からも響いた。米国のウエスト・ヴァージ二アの農園で育って、子供のときから早起きの癖のついた彼は、ゆっくり寝ていられないのである。朝寝坊は彼にとって、肉体的に不可能だったばかりでなく、精神的にも敢えてし得ないものであった。

 めざめよ。 わがたましい
 いまこそ、昼なれ
 わざ、やむる夜の、来るは、はやし

夜は来る—夜は来る! 彼は常に人生の短きを忘れなかった。

 人の齢は 草のごとく、
 その栄は 野の花のごとし
 風すぐれば、失せて、あとなく
 その生いいでしところに問えど
 なお、知らざるなり

しかし、こうして完成した彼の七十年の生涯の記録は、たった二十五ページであった。この二十五ページに、彼はその生涯の重要だと思うことを、全部まとめたのである。一時間もかからないで私は読了した。それは彼の霊魂の—不変の霊魂の物語であった。あるところで彼は、その妻たるケアリとの結婚に触れている。また他のところで、妻とのあいだに生まれた子女のことを列記している。ただし、そのなかでも彼は、五歳のときに死んだ、妻のもっとも可愛がった男の子のことをすっかり忘れている。そうして、ほかの子供についても、生まれた事実があげてあるだけで、一言も余計なことが書いていないのである。

けれども、こんな省略は、何事よりも雄弁に彼の記録の本質を語っている。それは、男、女または子供の物語でなく、一つの霊魂がその定められた目標まで、「時」を通して行進した記録だからである。

—この霊魂には人世に生まれた時があった。予定された天職があった。その天職は成就された。あとには天国がある—それが彼の記録の全部である。そのなかには、人間生活が出てこない。饗宴の歓楽もない。愛の喜びも、死のかなしみもない。もちろん、彼が幾度も体験した戦慄すべき危険などについては、何も言及していない。帝国も、皇帝も、革命も、この波瀾万丈だった時代の動きも、そこにはない。人間の精神や態度さては幽遠な哲理に対する思索もない。その物語は、暁に現われた太陽が、蒼天を横切って堂々と行進し、そうして自ら放つ光栄のなかに沈むことなく、極めて単純に語られている。

以上が冒頭部分であるが、娘は父のわずか二十五ページにすぎない梗概を邦訳で二百七十一ページにあたるこの作品とした。その父は八十歳で召される。末尾の部分はその部分である。再び転写する。

すると一週間ばかりして手紙が来た。同時に各地を迂回して中継されたのであろう。電報が届いた。その山上で父は、ある夜、昔の赤痢が再発して、数時間で死んだという。苦痛もなかった。苦しまなかったらしい。ひどく衰弱した肉体から、彼の霊魂は大きなうめき声を立てて自由の境へ離れたという。しかし、肉体は彼の極めて小部分であったから、その最終の静けさも、重大なこととは思えなかった。いずれにしても父は常に肉体から半ば離れていたので、彼の死は、全く肉体から抜け出し、本然の姿—霊体になっただけである。

私たちは真珠の殻を山上に埋めた。そこと天のあいだには何物もさえぎるものがなかった—樹木もない、人家もない。下は岩である。霧は低迷している。風は吹き、日は照らし、星は光を落とす。どこにも人間の声は聞こえない。

今になって思うと、人生の皮肉は底が知れないものだ。幾年かの昔、清き高山のいただきを愛し、そこに住もうと憧れた母は、身もたましいも、中国の都会の中心にある外国人墓地として壁にかこまれた、狭い、暑苦しい、暗い場所に、永遠に葬られている。(略)それだのに彼らの霊魂のために人間ばかりもとめていた父は、高山のいただきに、何物にも煩わされず、寂しく眠っている。(略)母は、生涯、人間性の羈絆や情熱から離れようとあこがれていたが、生涯、人間性は母をとらえていた—母自身の人間性と、全世界の人間性が母をとらえていたのである。その母にとって、死は生命との闘いであり。そうして母は負けた。しかし、父は人間生活の片はしにすら触れたことがない。人生の内容を決して知らなかった。人の世の疑惑も感じなかったし、人と生まれた悩みも味わわずに去った。それが幸福な霊魂としての父の生活であった。そうして彼は自ら死んだことさえ決して悟らなかった。

すべてを投げ打って異国に骨を埋める宣教師の姿が娘の眼を通して正直に語られている。しかしこの宣教師にして娘に正しく福音が伝えられたかどうかは末尾の文章を見ても定かではない。げに宣教師が「神の使徒」たらんとすることの厳しさを改めて痛感させられる。

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15・13)

2013年1月13日日曜日

どのようにして神のみこころを尋ね求めるか(下)

蝋梅に 亡き義母の愛 想い出す
心にえり好みを持たないということは、消極的になることを意味するのではありません。えり好みを持たないとは、自分自身の判断力を行使して、神のみこころを行なう決心をすることです。心にえり好みがないということは、人がもはや「欲すること」や「欲しないこと」を持たないことを意味するのではありません。それが意味することは、人が神のみこころに関してはっきりする前は、心はどの道も好まないかもしれませんが、彼は神のみこころを行なう決心をしており、いったんそれをはっきりと知れば、喜んでそれを遂行するということです。

自分自身の意志で自分の取るべき道を決定すべき時、「欲すること」と「欲しないこと」の選択を持つべきではありません。しかしながら、神のみこころと自分の意志との間で決定をする時は、「欲すること」と「欲しないこと」の選択をしなければなりません。すなわち、わたしたちは神のみこころを行なうことを「欲する」べきであり、自分自身の意志を行なうことを「欲しない」のであるべきです。わたしたちは、神のみこころを選択し、自分自身の意志を拒絶するべきです。それは、わたしたちが意志や選択を持たないということではありません。わたしたちはそれを持ちますが、わたしたちの意志と選択は、神のみこころを行ない、神の選択をすることです。わたしたちに選択が無いのではありません。わたしたちは自分の選択を持っています。しかしながら、わたしたちは、神が欲せられることを欲する選択をするのです。

簡単に言えば、主のみこころを尋ね求める第一歩とは、わたしたちの前にある道に対し、心の中で意図したり、拒絶したりせず、どれが神のみこころであるか、わたしたちにはわからないとすることです。しかしながら、同時にわたしたちの心は、神のみこころを行ないたいという態度を持ち続けるべきです。わたしたちは、進んで自分の意志を主のみこころに服従させるべきです。

わたしたちに神のみこころがわからない理由は、わたしたちがこの一つの点において失敗しているからです。主は、進んで彼の意志を行なう者たちに対して、ご自分のみこころを啓示することを喜ばれます。進んで神のみこころを行なおうとしない者たちについては、彼らが神のみこころを尋ね求めることは、虚偽です。ですから、彼らはそれを見いだすことができないのです。こういうわけで、もし心の中に先入観があるのなら、神のみこころを尋ね求めることについて語ることさえしないほうがよいのです。人は、まず主の力に信頼し、心の中にある好みを徹底的に対処するべきです。それから、主がそのみこころを自分に啓示してくださることを望むことができます。そうでなければ、たとえ彼がすべての手段を知り、すべての手段を尽したとしても、それらは彼にとって役に立たないでしょう。

今までわたしたちが言ってきたことは、わたしたちの側に関することです。もしわたしたちが神の要求を満たしたなら、彼はどのようにしてわたしたちにそのみこころを示してくださるのでしょうか? 彼がわたしたちにそのみこころを示してくださるのは、聖霊、聖書、環境によってです。聖霊、聖書、環境がすべてそろう時、わたしたちはこれこそ確かに神のみこころであると断言することができます。

わたしたちは、日常生活で起こるすべてのことにおいて、このようにして主のみこころを尋ね求めるべきです。わたしたちは、日常生活で多くの小さな事柄において、自分自身の意志に従って不注意に振る舞っています。大きな事柄がやってきてはじめて、わたしたちは主のみこころを尋ね求めようとしますが、その時、彼はわたしたちから遠く離れてしまっているかのように思われます。これも主のみこころのように思われるし、あれもまた主のみこころのように思われます。すべての道が正しい道のように思われます。

わたしたちは、多くの時間を費やして主のみこころを尋ね求めるかもしれませんが、見いだせません。ですから、わたしたちは大きな事柄だけでなく小さな事柄においても、主のみこころを尋ね求めるべきです。もしわたしたちの日常生活において、主のみこころを尋ね求める習慣があれば、特別な出来事が起こる時、主のみこころを知ることは困難ではないでしょう。わたしたちは、主のみこころを尋ね求めることにおいて熟達し、主のみこころを尋ね求める習慣を持つべきです。もしわたしたちがそうするなら、いつ何が起きようとも、何が主のみこころであるかがわかるでしょう。

しばしば、神はそのみこころをわたしたちに、すぐには啓示されません。御父は決して誤ることはありません。もし彼が、そのみこころをわたしたちに後で啓示するほうがわたしたちにとって益になると思われるなら、そうされるでしょう。そのような時、みこころを知らなければ行動しないという態度を、わたしたちは保つべきです。危険性は、わたしたちが動きたがることにあります。わたしたちは、主のみこころを知る前に動きたがります。主は、わたしたちが彼を待ち、彼と共にゆっくりと進み、彼のみこころがはっきりとわかった時にのみ、わたしたちの歩を踏み出すことを願われます。

残念なことに、わたしたちはしばしば、環境によってせき立てられ、性急に行動することを好みます。結果として、わたしたちはしばしば主のみこころの路線から外れてしまいます。わたしは、一つのことを確信を持って言うことができます。性急に成された十の事柄のうち八つは、主のみこころからではありません。主イエスが地上におられた時、彼が性急に事を成されたのは一つもありません。わたしたちは彼から学ぶべきです。わたしたちは、主のみこころがはっきりとする前は、軽率に行動すべきではありません。わたしたちは、何が主のみこころであるかを見いだすまでは、何も始めないよう決心すべきです。主と共に歩むことが、非常に遅くなることではありません。最も速く前進する方法は、ひざまずき主と共に進むことです。

どうか主がわたしたちに多くの力を賜わり、彼の御前で静まり、彼を待ち望み、尋ね求めさせてくださいますように。わたしたちがあまりにも速く行動してしまう罪を、主の御前で告白しなければならない時から、どうか主がわたしたちを救い出してくださいますように。どうかわたしたちが、今から後、わたしたちの自己を止(と)め、自己から離れ、単一に主のみこころを尋ね求めますように。

( 『 クリスチャン生活と戦い』ウオッチマン・ニー全集第一巻159〜163頁より引用。一部何度読んでもわからない箇所が一箇所あるが、今日の文章をとおして、二つのみことばを想起することができた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」マタイ16・24 小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ルカ16・10)