2010年3月18日木曜日
11章 THE GOSPEL IN SONG (5)
彼(ブリス氏)は永らくシカゴの教会で聖歌隊の指揮者やまた日曜学校の責任者として奉仕しておりました。この教会の牧師はムーディー氏の親友であり助言者でもあった神学博士のE.P.グッドウィン氏でした。彼は伝道者の下で自分の全生涯を福音聖歌を歌うことに専念しようと決心しておりました。その結果ムーディー氏の同労者の一人であるD.W.ホイットル少佐と組むようになり、ソロで歌ったり聖歌隊の指揮をしたりしていました。1876年(明治9年)のシカゴ伝道が終わるころ、ムーディー氏はホイットル少佐とブリス氏に引き続いてボストンでの伝道集会でも奉仕をして欲しいと要請しました。
ところが、ブリス氏と彼の奥さんはこの要請を受けて出発する途中、オハイオ州のアッシュタブラで列車事故に会い、亡くなりました。彼らの乗り合わせた列車が走行中、橋にぶつかり75フィート下の川へ転落したのです。彼の死はムーディ氏とホイットル少佐にとって肝をつぶさしめる大きな衝撃となってしまいました。
ホイットル少佐は、当時もっとも信頼され愛される伝道者の一人でした。少佐が戦争で負傷して戻ってきたとき初めてムーディー氏と出会い、ムーディー氏は最大級の暖かさをもって彼を受け入れ面倒を見たのでした。彼は本当に勇敢でかつ優しく愛すべき男でした。彼は華々しい実業上の実績を捨てて、それ以後生涯を福音伝道のためにささげました。
彼は純粋な福音を恐れることなく信仰に満ち溢れて語る聖書講読で広く知られていました。それだけでなく、彼は聖歌作詞者としての才能を持っていました。それは「エル ナタン(El Nathan)」という名前を引き継ぐにふさわしいものでした。以下のものが広く受け入れられたものです。「私は私の信じてきた方をよく知っている(I Know Whom I Have Believed)」「私は満ちたりている(I Shall Be Satisfied)」「いつかは分かる(Sometime We'll Understand)」「雨をふりそそぎ(There Shall Be Showers of Blessing)」「主の時は近づけり(The Crowning Day is Coming)」そしてこれら聖歌のすべては彼の伝道上の仲間であるジェームズ・マックグラナハンによって作曲されました。その他の聖歌は彼の娘であるW.R.ムーディー夫人によって「いちど死にしわれをも(Moment by Moment)」と題して曲がつけられました。
ブリス氏が亡くなって10年間の間に、マックグラナハン氏がホイットル少佐とともに福音歌手として奉仕しました。彼らはあのアシュタブラの列車事故の現場で初めて相見えることになったのでした。二人は現場へお互いの親友であったブリス氏を探しに出かけたのでありました。マックグラナハン氏はそれからすぐ亡くなったブリス氏に代わりムーディー氏が主宰していた伝道の働きに加わることを決心したのです。彼はすぐに聖歌を書き始めましたが、彼の最大の奉仕は恐らくサンキー氏とシュティブン氏と提携して取り組んだ「ムーディーとサンキーの聖歌」としてよく知られるようになった福音聖歌の編集でしょう。
この特別な働きに従事した人々の中で最も才能に恵まれた歌い手であり、多年ムーディー氏の友としてもっとも緊密にまた信頼された人々の一人がジョージ・C・シュティブン氏でした。彼は熟練した音楽家でいつの間にか、ソリストや指揮者として教会の働きに従事していました。それはムーディー氏によって招聘されサンキー氏とともに伝道の働きに参画したものでした。彼の最初の仕事は1876年のシカゴにおける伝道会のために大聖歌隊を指導することでした。伝道期間中彼はホイットル少佐と協力して近隣の町々での奉仕に当たりました。ムーディー氏の指揮下、彼は続いてジョージ・C・ニーダム氏と、後にはジョージ・F・ペンテコスト氏とともにソリストや指揮者として働きました。彼は何度何度もム-ディー氏と一緒にイギリスに行き、多年ノースフィールドの大会の音楽の指揮に従事しました。
以上、文章は『D.L.Moody』by C.R.Erdman の112~114頁の意訳である。いささか文章は冗長をきわめ、無味乾燥な文章が続く。しかし、このような様々なアメリカの音楽家を通して今日私たちがなじんでいる聖歌が作詞・作曲され、今も生き生きとした信仰が言葉として伝えらていることはもっと注目していいのではないか、と訳しながら思わされた。
なお、ブリス氏の聖歌は日本の聖歌集では9曲が収められている。キリスト集会で歌われている「日々の歌」所収では113、148、172、203がそれである。それに対してホイットル少佐の歌は作詞として聖歌集に5曲収められているが、「日々の歌」所収のものの中にはそのうち二曲が収められている。そして、「日々の歌」では著作権の関係で、もはや原作詞家である彼の名前はどこにも載せられていない。その代わりに177番「恵み降り注ぐ」には彼の作詞の専従作曲者でもあったジェームズ・マックグラナハン氏(James McGranahan)の名前を見ることができる。また138番「罪に滅ぶわれをば」には作曲者として彼のお嬢さんの名前W.R.ムーディー夫人(May Whittle Moody)が載っている。最後に「いちど死にしわれをも(Moment by Moment)」聖歌609番(日々の歌138番)の引用聖句を以下に掲げておく。
その日、麗しいぶどう畑、これについて歌え。わたし、主はそれを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。(旧約聖書 イザヤ27・3)
(写真は今週日曜日の近江八幡の風景である。道路を挟んで両側に田畑が展開している。画面奥に住宅が散見できる。T宅はその住宅の右画面に位置している。「家の教会」に人々は集まり、主イエス様を証しておられる。奥手の山々は琵琶湖対岸の比良山系。わずか一角白くなっているところが望見できる。残雪であろう。さしもの比良山にも春は確実に忍び寄ってきている。「近江路に 残雪の比良 かすかなり 湖越えし風 土筆(つくし)芽吹かせ」)
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