2010年3月27日土曜日

服従の学課 


 昨日、某大学病院で集会の方と出会った。ご主人の手術のために待機されているところだった。ご主人のお兄さんお姉さんが傍にすわっておられた。弟さんのことを聞きつけて心配のあまり駆けつけて来られたのだろう。「兄弟姉妹」とはかく麗しいものだ。

 先日、高校の同級生にご親戚の吉田悦蔵氏(「近江の兄弟」の著者である)について電話でお聞きしたいと思ったが、生憎不在であった。後ほど私宛てに丁寧な手紙とご本が送られてきた。私がてっきりその本を持っていないのではないかと思い、わざわざ新版を送ってくれたのだが、その扉に彼の字で次の聖句が書きとめられてあった。

天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。(マタイ12・50)

 彼はどんな思いでそれを書きとめたのだろう。数年前彼といっしょに鎌倉を散歩しながら聞かされたのは名ばかりのキリスト者の存在に対する批難とも何とも言えない彼の怒りであった。彼が幼い時から体験してきたのはヴォーリズさんをとおして示された主の愛であったのに・・・。キリスト教に理想と期待を抱きながら未だに心傷ついている人が私の身辺にはたくさんいらっしゃる。

 以下に掲げる一中国人の証は、あの日中戦争のさなか1936年10月福建省で証されたものである。国家がどうあろうとも脈々と生き続けている「キリストのいのち」の流れを見ることができる。それはもはや「キリスト教」という宗派に堕したものからは窺い知ることのできない一キリスト者の証である。「兄弟愛」とはかくしてこそ成り立つのか。「近江の兄弟」では知り得ぬもう一方の「中国の兄弟」の証をしるす。

 1923年に、わたしたちのうち7人が、ともに主のために働きました。わたしともう一人の五歳年上の同労者が、先頭に立っていました。わたしたちは毎週金曜日に同労者の集会を持ちましたが、しばしば他の五人が、わたしたち二人の争うのを聞かされました。

 当時わたしたちはみな若く、それぞれ自分なりの考え方を持っていました。わたしはその同労者の間違いを責め、彼もまたわたしを責めたりしていました。その当時、わたしの血気はまだ対処されていませんでしたから、すぐにかっとなりました。今日(1936年)、わたしは笑うことができますが、その時は、笑うどころではありませんでした。二人の論争で、多くの場合、わたしが間違っていたことを認めます。しかし彼も、時には間違いました。

 自分の間違いを赦すのは容易であっても、相手の間違いを赦すのは容易ではありません。金曜日に争って、土曜日にはバーバー姉妹のところへ行き、その五歳年上の同労者のことを訴えました。わたしは言いました、「この同労者にこの方法でするべきだと言った時、彼は聞こうとしません。どうか彼に言ってください」。バーバー姉妹は答えました、「彼はあなたより五歳も年上です。あなたは彼の言うことを聞き、彼に従うべきです」。わたしが「理屈に合っても合わなくっても、彼に従うのですか?」と言うと、彼女は「そうです。若い人は年上の人に従うようにと、聖書は言っていますよ」と言うのでした。わたしは言いました、「そんなことはわたしにはできません。クリスチャンとはいえ、道理にかなって事をなすべきです」。彼女は言いました、「理由があるかないとかは問題にするべきではなく、聖書は、年下の者は年上の者に従うべきだと言っています」。わたしは心の中で怒って、聖書はそのようなことを言っているのだろうか、と言いました。憤りをぶちまけたいと思いましたが、それもできませんでした。

 毎週金曜日の論争の後、わたしは彼女のところへ行って、やるせない気持ちを訴えました。ところが彼女はいつも聖書を引用しては、わたしが年上の人に従うべきである、と言いました。時には、金曜日の午後、論争し、夜になって泣けてきました。そこで次の日、自分を弁護してくれることを期待して、バーバー姉妹のところへ行って、自分の気持ちを訴えました。しかし土曜日の夜、彼女の答えを聞くと、また家に帰って泣きました。わたしは、どうして彼よりももう少し早く生まれなかったのかと悔やみました。

 ある時の論争では、自分が理にかなっていることは、あまりにも明らかでした。そこであの同労者がいかに間違っているか、自分がいかに正しいかを指摘しました。ところが姉妹は言いました、「その同労者が間違っているかどうかは別の問題です。あなたは今わたしの前で、兄弟を訴えました。あなたは十字架を負っている人のようでしょうか?あなたは小羊のようでしょうか?」。彼女がこのように尋ねると、わたしは本当に恥ずかしく感じました。それを今でも決して忘れることができません。その日のわたしの言葉と態度は確かに、決して十字架を負った人のようでも、小羊のようでもありませんでした。

 このような状況の中で、わたしは年上の同労者に服することを学びました。その一年半に、わたしは生涯のうちで最も貴重な学課を学んだのです。わたしの頭にはさまざまな理想が詰まっていましたが、神はわたしに霊の訓練を受け入れるようにさせたかったのです。その一年半で、わたしは十字架を負うとは何かを、認識するようになりました。今日(1936年)、わたしには五十数人の同労者がいますが、もしあの一年半に服従の学課を学んでいなかったなら、今どんな人とも主のためにともに働くことはできなかったと思います。神がわたしをあのような環境に置かれたのは、わたしに聖霊の管理を受けさせるためでした。この18ヶ月の間、わたしは自分の提案を主張する機会が全くなく、ただ涙を流して、苦しみを耐え忍ぶだけでした。しかしもしこのようでなかったなら、わたしは自己がこんなにも対処しにくいものであることを知らなかったでしょう。神はわたしの性格上の出っ張りを削り取り、鋭い角を取り去ろうとされました。これは容易なことではありません。しかし神に感謝し、賛美します、神の恵みによって、彼はわたしを通らせてくださいました!

 今わたしは、若い同労者たちに言うことができます。もしあなたが十字架の試練に立つことができないのでしたら、役に立つ器にはなれません。ただ小羊の霊だけを、すなわち、柔和、謙そん、平和の霊を、神は喜ばれるのです。あなたの野心、大志、才能も、神の前にはみな無用です。わたしはこの道を歩んできて、自分の短所を告白しないわけにはいきません。すべての持てるものは、神の手の中にあります。問題は、正しいか間違っているかではなく、十字架を負う人のようであるかどうか、ということです。集会の中では、正しいか間違っているかは問題でなく、重要なのは十字架を負い、その砕きを受け入れることです。このようにしてはじめて、神のいのちを流し出し、神のみこころを成就することができるのです。

(引用文はウオッチマン・ニー兄弟の証より。一部表現を変えたところがある。バーバー姉妹が指し示した聖句の中には次のようなものもあったのではなかろうか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」(ローマ8・36)写真は東武線路脇で見かけた自生(?)せる「スノードロップ」の花。)

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