2010年3月17日水曜日

11章 THE GOSPEL IN SONG (4)


 月曜日、吉祥寺で夕方葬儀がありました。若き有能なるドクターの召天でした。その時、歌われた聖歌は確か日々の歌148番「露にぬれるあさまだき」であったように記憶します。私が40年近く前、教会で尊敬する三つ上の信仰の先輩を癌で失ったとき葬儀で歌ったのも同じ歌、聖歌476番「やすけさは川のごとく」でありました。駆け出しの信仰者である私にはまだ天国への確信がなく、死が怖かった覚えがあります。その時以来この曲を何度も聴き自身で歌いもしました。この曲はP.P.Bliss氏の作曲です。彼について書いた文章を少し連載します。

 ムーディー氏の名前と分かちがたく結びついているもう一人の歌い手はフィリップ・パウル・ブリスです。彼は才能ある音楽家で、同時に詩作の賜物を持っていたので、詩を書き、かつ聖歌を作曲することが二つながらできることにおいて有名でした。

 彼はムーディー氏が伝道者として有名になる以前にすでに二巻の聖歌集を発行しておりました。その聖歌のいくつかはムーディー氏がイギリスで初めて大伝道会を行ったときに特別に用意されたものです。たとえば、「鎧持ちでしかない(Only an Armour-Bearer)」がそのキャンペーンの期間中、恐らく最もなじみとなったことでもわかるでしょう。それからまた「掟から離れて(Free from the Low)」がサンキ-氏によって歌われたとき、スコットランドでムーディー氏がメッセージし、サンキー氏が「飾られた棺(kist o' whistles)」を歌い反感をもたれた時を取り戻し、それをはるかに凌駕したとさえ言われています。

 これらの当初年代において少なくとも「ダニエル」はムーディー氏のお気に入りの「聖書人物伝」の一人でした。その彼の説教にあわせて歌われたのがブリス氏の二つの聖歌「君よ、ダニエルたれ(Dare to Be a Daniel)」と「あなたの窓はエルサレムに向かって開け放たれているか(Are Your Windows Open Toward Jerusalem)」でした。

 ムーディー氏は何度も何度も「種蒔きと刈り入れ」についてメッセージしたものです。そのときサンキー氏も「あなたの収穫はどうなっていますか(What Shall the Harvest Be?)」を歌ったものです。ムーディー氏はキリストへの決心をうながすとき、よく続いてなされる「私は承服しました(Almost Persuaded)」の歌で勇気づけられました。恐らくブリス氏が一番良く知られるようになった聖歌は「持ち場を離れなさんな(Hold the Fort)」でしょう。しかし彼はまだまだもっと芸術性のあるたくさんの他の作品を作曲しています。彼の作曲作品には次のようなものがあります。「われに聖潔を与えたまえ(More Holiness Give Me)」「話されざるもの(The Half Was Never Told)」「灯りを燃やそう(Let the Lower Lights)「ハレルヤ、主が上げられる(Hallelujah, He is Risen)」「汝の悲しみを捨て去れ(Go Bury Thy Sorrow)」「岸辺に向かって引け(Pull for the Shore)」「世の光イエス(The Light of the World is Jesus)」「イエスが来られるとき(When Jesus Comes)」

 彼は他の作詞家の言葉に音楽を合わせ書くことができました。たとえばスパッフォード氏の作詞「わが魂に平安満ちて(It is well with my soul)」※に対して書かれた彼の美しい調べがあります。
 
 しかし、ブリス氏の才能の本領は彼が聖歌を歌ったり、自らの作曲になる音楽を歌ったりする時に現われました。サンキー氏のように彼はいつも小さなオルガン台に腰掛けては伴奏していましたが、背丈もあり、魅力的な風貌の持ち主でありました。彼の声はバリトンで音域が広く共鳴する声質を備えておる音感の正確な歌いっぷりで、その特徴は霊的に輝いており情熱的でさえありました。彼の顔は喜びで輝いており、彼の歌を聴いた者は誰もその歌に表された感情と喜びを忘れることがないでしょう。彼は胸をときめかせながら次のフレーズを歌ったのでした。

 辱めを受け、嘲弄に耐え、罪業を訴えられる私の代わりに主は立たれた
 ご自身の血潮で私の赦しを確かなものとしてくださった
 ハレルヤ、ああ、あなたは何という救い主でいらっしゃることでしょうか

 Bearing shame and scoffing rude In my place condemned He stood; Sealed my pardon with His blood; Hallelujah, what a Saviour!

ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。―彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。―彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、神の前に祈り、感謝していた。(旧約聖書 ダニエル6・10)

(文章は最初の数行の文章と最後の聖句を除き『D.L.Moody』by C.R.Erdmanの110~112頁の意訳である。意訳であるので怪しいものは英文を連記した。なお文章中※をしるしたのが日々の歌148番、聖歌476番だと思う。写真は先週土曜日彦根の家庭集会に出かけたおり、彦根城内堀近く母校彦根東高校の北端の一角で見つけた梅の木である。)

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