2010年3月4日木曜日

父は栄光を受ける 


 旧ブログ「泉あるところ」(http://livingwaterinchrist.cocolog-nifty.com/blog/)の10月4日以来中断していたアンドリュー・マーレーの「まことのぶどうの木」の再開である。通算17回目になる。あと16回ほど続く。

「あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう」(ヨハネ15・8)

 私たちはどのようにすれば神の栄光を輝かすことができるであろうか。それは神の栄光を増そうとするのでもなく、栄光を新しく加えようというのでもない。ただ神の栄光が、私たちの中に、そして私たちをとおして世に現れることによって、光り輝くようにすればよいのである。多くの実を結んだぶどう畑の農夫は多くの称賛を受ける。というのは、それは農夫の技術と手入れのよいことを物語っているからである。それと同じように、弟子が豊かな実を結べば、父なる神はあがめられる。人と天使との前で神の恵みと力との証拠が示されて、神の栄光はその弟子をとおして輝くからである。

 ペテロが、「奉仕する者は、神から賜る力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである」(1ペテロ4・11)と書いているのはこのことを意味するのである。人が神だけから来る力によって働き、奉仕する時、神はすべての栄光を受けられる。私たちがすべての力が神だけから来たことを告白するとき、その働きをする人も、これを見る人も等しく神の栄光を輝かすことができる。なぜなら、それをされたのは神ご自身だからである。人は畑になっている果実を見て、栽培人の腕前を判断するものだ。そのように、人は神の植えられたぶどうの木に実る果実によって神を判断するのである。わずかな実りはぶどうの木にも農夫にもけっして栄光をもたらさない。

 私たちは時々、実りの少ないことを私たち自身や仲間の損失として嘆き、その原因は私たちの弱さによると訴えてきた。しかし実りの少ないことから生じる罪や恥は、むしろ神が私たちから当然受けるべき栄光を、私たちが神から盗み取ったことにあると考えるべきである。神が与えられる力を役立て、神に栄光をもたらす秘訣を学ぼうではないか。「あなたがたは何一つできない」というみことばを全面的に受け入れること、神がすべてをされるという素直な信仰を持つこと、そしてキリストにとどまること(神はキリストをとおしてみわざを行われるからだ)、これが神に栄光をもたらす人生である。

 神は多くの実を求められ、私たちが神に多くの実を差し出すかどうかを見ておられる。神は少しの実では満足なさらないのだ。私たちも少しの実で満足してはならない。キリストの「実」、「もっと多くの実」、「豊かな実り」というみことばを、キリストが考えられるとおりに私たちも考えることができるようになるまで、そしてキリストが私たちのために結ばれた実を、いつでも受け取ることができるようになるまで、私たちの心にとどめようではないか。そうしてこそ父は栄光を受けられるのだ。ご命令の最高まで実を結ぶことが私たちの義務である。それは私たちの能力をはるかに超えたことであるだけに、キリストの上に私たちのすべてを投げ出さねばならない。主は私たちの中にそれを実現させることができるし、また必ず実現されるに違いないのだ。

 神が多くの実を求められるのは、神がその力を示すためではない。実は人の救いのために必要なのである。それによって神は栄光を受けられるのである。私たちのぶどうの木と農夫に多くの祈りをささげようではないか。父なる神に人の糧である果実を私たちにくださるように一生けんめい願い求めようではないか。キリストがあわれみの心を動かされて重荷を負われたように、私たちも飢えている人や死にかかっている人の重荷を負ってあげようではないか。そうすれば、私たちの祈りの力と、私たちがキリストにつながっていることと、父の栄光のために多くの実を結ぶこととは、私たちが今まで考えることもできなかったほどの現実性と確実性とを持つようになるに違いない。

祈り
「『父は栄光をお受けになる』とあなたは言われます。何という恵まれたお見通しでしょうか。神は私の中でご自身の栄光を現わされます。神は私の中で、そして私をとおしてみわざを行われることによって、慈愛と力との栄光を示されます。神が私の中で多くのみわざを行われるように、私にも多くの実を結べと命じられるのは、何という恵まれた尊いみ教えでしょう。父よ、私の中であなたの栄光を現わしてください。アーメン」。

(文章は『まことのぶどうの木』安部赳夫訳の引用である。「稟として 沈丁花の 薫香よ」 「待ち焦がれ 沈丁花の 来る春」)

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