2010年3月5日金曜日

愛は深い―昨日の家庭集会から―


 20年前良く泣いた。それは通勤途上でもそうであった。もっとも私の通勤は30分程度の自転車通勤であったのだが。その原因はウォークマンをとおして聞こえて来る吉祥寺キリスト集会という群れにいる人々の聖書のメッセージや証にあった。20年前の今頃、我が家は毎日毎晩それまで集っていた教会を出る出ないで家族内が引き裂かれるように混乱していた。その委細は省略するが、数ヶ月の葛藤苦しみの末、5月には私自身20年間集っていた教会、しかも自らが自主的に選んだ教会を退会した。私の人生でもっとも大きな決断であり、地殻変動とも言うべき出来事だった。

 私が泣いたのは、他でもない。自分が全く自己中心の生き方しかしていなかったことの悔い改めであった。今朝読んだ聖書のみことばに次のものがあった。

私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。(ローマ14・7~9)

このみことばは私にとって死語であった。「私は主のものです。」とこれっぽちも思ったことはなかった。だからこのパウロのことばは当時の私には、何のことを言わんとしているかわからなかった。

 教会20年の生活で、最初こそみことばを真剣に求めていたのに、いつの間にかそれがなくなってしまっていた。それは教会役員としてみことばに聞き従うより、組織としての教会を建設することに一生懸命にならざるを得なかったからである。教会のかしらであるイエス様の存在は教理として頭で理解していた。しかし、現実の自分は、今も生きて働いておられる主イエス様のみわざを信じていなかった。それを知ろうとも、もちろん目に見えない今も臨在される主イエス様を愛そうなんて、そんな意識はまるでなかった。要するに、生き生きとした、主イエス様に対する信頼がなかったのである。

 ところが教会を出て、今出席している集会に出た時、通勤途上のウォークマンを通して絶えず聞かされたのは赤裸々な自らの悪行を臆面もなく語ることばであり、その罪を赦された主イエス様に対する限りない感謝と愛の告白のことばであった。そのようにしてひたすら主イエス様に向かう人々の思いが20年前の私には極めて新鮮であった。鉛のように、また澱のように淀んでいた主イエス様から離れて罪を罪とも思わなくなっていた私の心に、それらの人々の言葉をとおして主イエス様の愛は再び怒涛のごとく流れ込んできた。私がその愛に対してお返しするのはただ悔い改めの涙以外しかなかった。

 それからまた20年が経過している。昨日は拙宅で家庭集会を開かせていただいた。多くの方が集ってくださった。お一人お一人のお顔を見て嬉しくなり、励まされた。八王子から来てくださる方のメッセージは一時間を越えた。その後、一人の私と同年代のご夫人の証をいただいた。メッセージと証は一体であった。なぜかとめどもなく涙が出てきた。できれば人目もはばからずそこでずっと泣いていたかった。

 その方はお寺の深窓でお生まれになり育たれた。本堂の仏像に囲まれた生活が彼女の生育環境であった。しかし、なぜか彼女はお堂の太い柱を回りながら、「ここには何もない」「ここには何もない」と独言(ひとりごち)したそうである。一方、そんなお寺で育った幼子である彼女が小さいころから耳にしていたのはラジオから流れ出る「ルーテルアワー」のテーマソングの曲だった。なぜか彼女はその世界に心惹かれるものを感じた、と言う。

 同世代の私にもその記憶がある。テレビっ子の今の世代と違い、私たちはラジオですべてを吸収した。ラジオは私たちに無限の夢を与えてくれた。小説、文学、音楽、相撲、野球、科学いずれの分野もすべてラジオが私たちの想像と独創への翼となってくれた。その中に確かにルーテルアワーのようなキリスト教の番組があった。その一齣がお寺の境内を取り囲んでいた豊かに展開した自然の風物とともに幼きときから彼女がひそかに憧れた世界であった。長ずるに及んで、夫君に連れられ教会を訪れることになる彼女はそこでまことの生き方を知る。二度と帰ることのない暗闇の世界でなく、光輝く世界であった。

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1・5)

 そして、ご家族全員が主イエス様の救いに預かられる。それだけでなく、お寺のお父様もお母様もそれぞれの人生の苦しみ悩みの現実を一手に引き受ける生活の中で主の十字架の贖いの愛を体感され召されて行かれた。わずか20数分のお話であった。しかし私は再び滂沱(ぼうだ)の涙に明け暮れたのだ。それは彼女が言われた二つの言葉と一つの事実であった。臨終の時であったか、いつであったか、お父様が、彼女が洗礼を受けたことを報告したとき、病の床から起き上がり、居住まいを正して「それはよかった」と言われたことである。

 あともうひとつはあのラジオの存在である。4歳の自分、幼子である自分の手の届かないところにあったラジオからどうしてあのルーテルアワーがスイッチも切られずお寺のお堂の中を流れていたのか、と彼女は不思議なことであったと回顧する。そうだ、あのラジオは父が聞いていたのだ、そして自分もその恩恵にあずかったのだ、ということであった。

 光はたしかにやみの中に輝く。そのことに思い至ったときに私の主イエス様に対する不信仰さを改めて思わされたのであった。しかもこの日のメッセージはその悔い改めは、個人個人の問題にとどまるのでなく、主イエス様を愛する人々の集まり、交わりの中で生み出されるのだ、と語られていた。そしてこれが今私たちが建設しようとしている教会(エクレシア)であると結ばれていた。

互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(新約聖書 ヘブル10・24~25)

 ここまで書き終えて、大切な彼女の証の核心部を抜かしていたことに気づいた。それは彼女が言わんとした「やみ」は単なる仏教寺院の堂内の暗さではなかった(のではないということである)。彼女がお寺の出にもかかわらず、主イエス様を求め家族で喜んで集ってい た教会をあとにせざるを得なくなった事情が語られたからである。それは、その教会が、いつの間にか、人間が中心になった組織に堕してしまったからである。その「やみ」をも照らされるのは主イエス様ただお一人であった。それは冒頭に述べたほろ苦い私自身の経験と涙を思い出させ るものであった。あだやおろそかに主イエス様のきよめのみわざを私たち自身が否定することのないようにと、切に祈る思いでお聞きせざるを得なかった。

(写真は今朝のクリスマスローズ。久しぶりに晴天である。)

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