2010年3月23日火曜日
私の不思議な友
ほぼ全盲に近い友人がいる。先日、この方とお話している時、「目が見えない人は、目が見えない人が多いのですよ、依怙地になったり、偏屈になったりして、そしてそのことを知ろうとされないから、悲しいですよ」と言われた。かなり激烈なこの方のことばにたじろいだ。晴眼者の自分はどうなのだろう、見えているのだろうか、とても見えていないと思わざるを得なかったからである。もちろんこの方の言わんとされたことばの後半の意味、すなわち、目が見えないという意味は、霊的な眼が閉じている、神様のみわざを知ろうとしない、見ていない、という意味である。
彼女の息子さんも同じように目が見えない。このことを息子さんに話すると、「それは、お母さん無理だよ、われわれはもともと光というものを知らないのだから」と言われたそうだ。どうすればいいんですかね、と私に相談するように言われた。晴眼者である私はこの彼女のことばに返答しようがなかった。祈るしかないな、と心の中で思っていた。ところが聖書を読んでいたら次のことばに出会った。
わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。こうして、盲人の目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。(旧約聖書 イザヤ42・6)
主は義をもって、私たちの目を開いてくださると知った。そして次のみことばを思い出した。
ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。(新約聖書 ガラテヤ3・1)
だ、とすれば、はたして私たちはひかりを知らないと言えるだろうか。それは主イエス様が私の罪の身代わりに死なれたことを心から信ずる時、霊の眼が開かれる、と思った。その全盲の知人の方に、私たちは私たちの霊の眼がいつも開かれるように祈ろうと言おうと思った。
その知人とそのような会話を10日ほど前に交わしたのもすっかり忘れてしまいそうになっていたが、今朝、吉祥寺に出かける電車内で読んでいたみことばがさらに私に語りかけてきた。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(新約聖書 ヨハネ1・5)
この光とはイエス様だ。そうだ、この方の前にやみはないのだ、と勇気づけられた。そして火曜日定例の学び会に出た。二つの引用聖句のうち一つは次の箇所であった。
そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。(新約聖書 マルコ10・51~52)
再び主の御名をあがめた。ほぼ10日ほど前に全盲の知人と冒頭の会話をしたばかりだった。それがこのように次々とみことばによって真理が示されようとしていることを思ったからである。ついでに言うなら私と彼女はほぼ同年である。何十年か前は彼女は盲学校、私は普通の学校。全く数十年お互いの存在を知らなかった。ところが二三年前、彼女が悩みの末、私たちと交わりの信仰が与えられ親しくなった。
しかも彼女の彦根盲学校の先生が例の「盲導犬チャンピイ」の河相先生であり、その方の授業を通して、生き方を考えるようになり、究極には主イエス様を信ずるようになられたことをお聞きした。いやが上にも親しみを感ずるようになった。彼女とは主イエス様にあって盲人、晴眼者を越えた交わりを経験させていただき、いつもその信仰に教えられることばかりである。もっとも私は彼女の経験した辛酸の生活からはほど遠いものだが、イエス様を愛する思いだけが、お互いに共通なのだ。これが具体的な私の「近江の兄弟」である。いや「姉妹」かな。
(写真はもう一人の「近江の兄弟」谷口幸三郎氏の個展のもの。ご本人の承諾を得た。御茶ノ水画廊は彼の個展が最終個展になる。ほぼ30年間ここで彼の画作が無名の時から紹介されてきたのでなかろうか。会期は今週土曜日まで。住所は千代田区神田淡路町2-11 電話03-3251-1762。最寄り駅は御茶ノ水駅。大正6年の蔵が画廊になっている。残念ながら都市開発というのか、この辺一帯がビル街になろうとしている。)
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