2010年3月22日月曜日
三、英語教師
『今度の毛唐はポリスという奴やなア』
『ポリスなら巡査という事やけんど、ポリスとは何や、君』
近江八幡の南隅にある粗末な二階建二棟と、平屋の寄宿舎と、講堂と、生徒控室と、運動場と、学生三百、教師二十人余人が、滋賀商業学校である。
その柿の渋をぬった板の香いのする二階の廊下で、腕白連が右のような会話をしておった。
当時二十四歳のヴォーリズさんはY校長K教頭先生達にみちびかれて二年甲組とかいた木札のかかった教室に近づいてきた。
二年生の生徒等はドヤドヤと教室にはいった。
『気をつけ』『礼』と、級長がどなった。
ガタガタと音をたてて席につくと、教壇の上、汚れた黒板を後にして、若いアメリカ人が田舎でみられない純白のカラー、派手なネクタイに、舶来の背広でニコニコして立っていた。
教頭K氏の紹介があって、いよいよヴォーリズさんは教師になった。
『ボーイズ、私は君達を指導することを無上の光栄とする、英語の研究は発音が第一、会話が第二、読書が第三、文典第四です。私は発音と会話を教えに遠いアメリカから海を渡ってきました』
と、はっきり、一つ一つ言葉を区切りながら話したが、三十余名の学生は二三人をのぞいて解ったような顔をしたものが絶えてない、白墨をとって言葉のうちにあった単語を、一々黒板に書いた上、生徒の名を出席簿でひろいながら、吉田をヨシヤイダ、高橋をテケヘシ、塚本をツケモトと一人一人立たせて、黒板の字を読ませて見たりした。
やがて四十五分もすんだ。そして生徒達は本をとじて、運動場に飛出す準備をし始めると、突然ヴォーリズさんは白墨をチョーク・ボックスの中にしまって、
『アイ、アム、ローンリ。カム、エンド、シー、ミー、アフタ、スクール』
というて軽く会釈をして出ていってしまった。
『アイ、アム、ローンリて何やろう君』
『ローンリは淋しいというこっちゃ』
『放課後遊びに来いというたぜ』
『行ったろか、ワードやグラントの時、上級生の尻について毛唐の所にいったら、ヤソの本を読ましやがって、センベを食わせよったが、今度のは若そうな異人やから、面白いかもしれんぜ』
『教師のくせに淋しいから遊びにきてくれなんて、・・・そんなことを毛唐からきくのは今が始めやな』
『今夜偵察にゆくものは集まれ』
『行ってやれ、ゆってやれ』
ワイワイ批評している生徒の中にこんな話があった。そしてその晩ヴォーリズさんの借りている、暗い家に数名の学生が訪問した。
『お前から行け』
『いやお前は英語が十八番やから先にいってくれ』
『グット、イブニングと言うたらよいやないか』
片目のコックさんに案内されて茶の間から奥の十二畳をのぞくと、ランプの薄暗い光の下に一人ボッチで、フォークとナイフを動かしている影が、間仕切りの紙障子にうつっている。誰かが思いきって「グッド、イベニング」と下手に大きくどなると、影が動いて、障子がスッと中からあいた。
『ハロー、カムイン』と迎えたのは、赤色のスェッターを着けて上着を脱いだヴォーリズさんで、ニコニコしていた。
食卓の食器が片付けられると、その上にアメリカの風景写真がつまれた。そして珍しがる生徒達に一々面白い説明があった。さあ、アメリカのゲームをやろうというので、数字合わせになった、カルタ、フリンチ、ドミノ等が持出された。
生徒達はこのアメリカの先生が、先生らしく上座から見下すような事をしないのに全く引きつけられてしまった。
三百の学生は、その当時よくもあんなにヴォーリズさんに引きつけられたものである。上級生はもちろん予科の生徒でABCしか知らないものまで、ヴォーリズさんの処に遊びにゆくようになった。
ヴォーリズさんの胸中には、如何にして湖畔の住民八十万に、天地に唯一の神あり、ただ一人の救い主イエス・キリストがある事を伝える事ができるであろうかという大問題が、潜んでいたのである。
その当時の事を書きとめたヴォーリズさんの手記のうちには次のようなものがある。
『私は帰るに帰られぬこととなりこの近江にふみ止まる事となったからには、私の教えている生徒達を目当てに「神の国の拡張戦争を」せねばならぬ。第一、私は学生の信頼と、友情を手の内に握って始めて彼等の内心に忠言を徹底せしむる事ができるのである。それで私は私の家を放課後の学生クラブに提供した。そして来る者には、出来うる限り歓待することにした。』
以上が第三章「英語教師」(『近江の兄弟』吉田悦蔵著7~11頁より引用)である。読んでいて、永遠に変わらない教師と生徒の信頼関係の絆を見る思いがした。その根底にはイエス・キリストが私たちに示してくださった「へりくだり」の愛があるのではないだろうか。
あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名・・・この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。(使徒4・10、12)
昨日は東京のホテルで行われた西荻の従兄の姻戚である方のご子息の結婚式に招待された。祖母である九十に近い方は、かつて取った杵柄である謡をご披露され、謡の言葉を通して主の愛をお孫さんに伝えられた。お父様の最後のご挨拶もまた親子関係、夫婦関係にこの主の愛の絆をしっかり打ち込もうとするものだった。商業ベースに流されそうなホテルでの結婚式ではあったが、新郎新婦が随所に工夫をこらされ、良心的でセンスに満ちた式であった。しかし振り返って、最後に「いのち」を与えたのはやはり、このお父様の挨拶であった気がした。夫婦の様々な問題を自分たち親が主イエス様によって平和をいただいた、その主をともに見上げて欲しいという真情に裏打ちされていたからである。
式終了後、高校時代の友人と吉祥寺で待ち合わせ、夜の礼拝に参加した。友人は私より早く福音を聞いていた。大学二年の時だったそうだ。彼もまた湖畔の大学に通って来たたどたどしい日本語を話す宣教師から福音を聞いて、それが忘れられないらしい。半世紀近く離れていた福音を今思い出そうとしている。高校一年以来それほど面識のない私との再会を約束してくれ、昨晩の礼拝出席となった。二人で礼拝を終えて帰ろうとして、フト会場内を見たら、今日結婚式を終えたばかりのご子息のお母様とお祖母様の姿が見えた。心豊かにされた。友人とは中野で別れ、そのまま東西線、日比谷線で帰ってきたが、11時過ぎていた。しかし、そんな日曜の夜遅くに、主は駅構内でもう一人の方と10数年ぶりの再会を用意しておられた。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。・・・しかし、人は神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者3・11)
(写真は結婚式場のお庭にあった椿、鮮やかであったので式終了後撮影した。)
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