2010年7月15日木曜日

夢もまた真実なり


 何日か前のことである。夢を見た。長女が4人目の赤ちゃんがお腹の中にいる、ということを知らされ、びっくりしている場面だ。早速、家内に告げた。それから数日して長女から、電話がかかってきて、まさかの懐妊の知らせを受けた。家内は電話口で「やっぱり、そうなの」と驚いていた。夢を見た私はその夢を一場の夢と忘れていたが、家内は片時も忘れなかったと言う。母心からその大変さが分かるから、悩みは一入であった、と言う。

 30数年前、私たちに4人目が与えられたとき、それぞれの両親の困惑振りを思い出す。歳の違わない子どもたちを養い育てられるのか私たちも不安だったが、双方の両親も心配してくれたからである。しかし今やその四人目の男の子にはすでに二人の子供が与えられている。それだけでなく5人目も生まれた。職場では他の方々を尻目に誕生祝を何度か独占していただいた。「案ずるより産むが安し」とはよく言ったものだ。長女家族が守られて赤ちゃん誕生を迎えられるようにと祈っている。

 その前後であったろうか、もう一つの夢の話を今度は別の人から聞いた。それは今82歳の方の見られた夢であった。その方の夢は、今まで見たことのない、それは、きよい、きよい水、この世のものと思われない水を自分が上から見ていたという。そしていつの間にか自分がその水に胸の辺りまでつかってしまっていて、そこで目が覚め、何とも知れぬ晴れ晴れしい気分にさせられた、ということであった。

 この方はその数日前同居しているお嬢さんからジュニア聖書を与えられ、読み始めたそうである。そしてイエス様の足取りを聖書を通して順を追って読み進めて行くうちに十字架の場面に差し掛かり、泣けて泣けてしようがなかったそうである。何の罪もないイエス様がののしられて死んで行く、その場面を通してはっきり自分もそれまで無関心でむしろ否定していたイエス様を娘のように信じたいと思われたということであった。

 お聞きすると、私は10年前、この方のご子息が病院で食道癌で召される前にお見舞いしたということであった。その折、このご子息はすでにベックさんのお見舞いを受け福音を聞きはっきり救われ、喜んでおられた。その方とのお交わりは私にも強い印象(死を前にしたお方とは思えない平安)があったことを思い出した。10年後にそのお母さんがイエス・キリストの福音を信じられたのだ。誰に言われるまでもなく聖書を通して救われたのだった。

 夢を明かされたお嬢さんは、「お母さん、それはイエス様の洗礼に、お母さんもあずかったのよ」と言い二人で喜び合ったということであった。主なる神様にとって不可能なことはない。82年の生涯に様々なご苦労があったと聞いている、そして今脳梗塞で体がご不自由である。しかし主イエス様はお母様の声にならない叫びをこのように聞いてくださり、お嬢さんの祈りに答えて救ってくださったことを知る。魂の打ち砕かれる者のそばにいつも主はおられる。

 初めの話題に戻せば、長女が懐妊する前に私が夢を見たものだから、その話を伝え聞いた婿殿のお父さんから「あなたは預言者ですね」と祝福が返ってきた。「預言者」の責任、大である。また、夢あだや疎かにせず、だ。

わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。(旧約聖書 エゼキエル書36:25~26)

(写真は先週週末に訪れた桐生のKさんの門扉にあったのうぜんかつら。Kさんはご高齢の中、お一人で家屋敷を守っておられた。「媼語る 辛酸越えて 神の愛」)

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