2010年7月30日金曜日

一冊の聖書


 今から40年以上前に、一冊の聖書をプレゼントされました。裏表紙に贈り主の字で、次のように書かれていました。

 聖書は私を罪から遠ざけ、罪は私を聖書から遠ざける。

 全66巻もある聖書よりも、私にとってこの文章は強烈な文章でありました。自分は決して良い人間だとは思っていなかったが、さりとて、「罪」とは穏やかならざることを言うなりと、この文章で感じたからです。しかし、贈り主が、そのような思いで聖書を手にしていることだけは、はっきりわかりました。

 新改訳は1970年が出版された年であり、したがって私の最初に手にした聖書は口語訳でありました。私にとって記念になる聖書でしたが、いつごろか、どなたかに譲り渡してしまいました。今でもはっきりしたことは思い出せません。聖書は今でも手に入りますが、贈り主の書いた筆墨も鮮やかな字が二度と見られないのは、ちょっぴり残念な気もします。

 ところで、これに似た話を昨日知りました。実はウオッチマン・ニーが31歳の時だと思いますが、結婚記念に妻に聖書をプレゼントするのです。長年恋焦がれていた彼女は有能でチャーミングな人でしたが、主イエス様を知ろうとしないので、結婚を諦めていました。ところが、その彼女がのちに救われるのです。とうとう二人は結婚へと導かれたのです。その集大成が聖書のプレゼントだと言ってもいいのかもしれません。

 ところがその大切な聖書は後に行方が分からなくなります。日本と中国が全面戦争に入るあおりを食った形です。1937年、昭和12年の7月ウオッチマン・ニーは招待されて、妻と別れ、マラヤで宣教の働きをしていました。そのちょうどその時、すなわち8月14日日本軍が上海に侵攻します(※)。防戦する中国軍も空から攻撃を加えます。大混乱です。妻は上海にいました。当然戦火に見舞われました。

 ウオッチマン・ニーは折りも折、マラヤからシンガポールへと次の宣教地へ行こうとしていたときでありました。彼は急遽、妻を捜しに上海へ帰ることにします。幸い妻は姉妹と一緒で無事でした。しかし彼らの新婚家庭は避難地域に指定されていて、すべての持ち物は没収の運命に会いました。聖書はその中の一つであったはずです。

 ところが、実はそのあとに忘れられない話があるのです。それは恐らくそれから4年のちの1941年、昭和16年のころだと思いますが、あるお茶の会にニー一家が招かれ、妻はホスト主から包み物をいただきます。何だろうと開けてみると、それは4年前彼女の手から離れていった一冊の聖書でした。驚く彼らに真相が明らかにされます。

 アイルランドでのことだそうです。ある中国人宣教師が集会に呼ばれて、聖書について語っているうちに、「手元に中国語の聖書があったら、ここの箇所はもっと生き生きと話ができるんですがね」と思わずうめきともつかぬ言葉をつぶやいてしまったそうです。ところが聞いていた会衆の中からここにありますよと見せられたということです。更に詳しく聞いてみると、その人の息子さんがイギリス軍に所属し、上海で戦利品を探しに一軒の空家の中に入ったら、一冊の本を手にしたそうです。ところが中国語で書いてあるから、何の本か分かりません。ただ、本の見返しの部分に、英文で一箇所、次のように書いてありました。

Reading this book will keep you from sin; sin will keep you from reading this book.

 彼は「this book」とは紛れもない聖書だと思い、この本、聖書を持ち帰ったということです。中国人宣教師がその聖書を手にとって見ると、中国語で献呈の辞が次のように書いてあるではありませんか(ここでは英語で表しますが)

Charity from Watchman

 Charityとはウオッチマン・ニーの奥さんの名前です。彼は早速そのアイルランド人に頼み、譲り受けて中国に持ち帰って、それがこの幸せなお茶会への招待となったというわけでした。(これらの項目の話は、すべて、最近親しい信仰の先輩からお借りしている『Against The Tide』Angus I. Kinnearの109頁、122頁から引用者が独断で意訳した話ですので細かい点でミスがあるかもしれません、その点ご了解ください。なお、Angus I. Kinnear氏は『キリスト者の標準』の日本語版に序文を寄せているが、もともとこの人がウオッチマン・ニーの本の英訳をしました。)

 私はウオッチマン・ニー夫妻にそんな話があるとはつゆ思いませんでした。40年以上前に私に聖書をプレゼントしてくれ、今は家内となっている彼女に一体このことばは誰が言い始めたのかと聞いたところ、スポルジョンかもしれない、と彼女の答えも要領を得ないものでした。もしウオッチマン・ニーの書いた言葉がいつの間にか日本のキリスト者の巷間に伝えられていたとすると、すごい日中交歓史になりますが、そうではなさそうですね。

イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」(新約聖書 ヨハネ9:39~41)

(写真は同書所載の写真をスキャンさせていただいた。※日本史年表によると8月14日でなく、8月13日である。)

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